2019年6月21日金曜日

ヤマセミが取り持つ人の輪が広がる! These are important people who I met at Kuma-river riverside this tour.

  今回の9日間はヤマセミの繁殖期後半、幼鳥教育、幼鳥の自立に向けた動きを詳しく観察したため、以前の様に滞在中の合間ブッポウソウ探索やツクシイバラ原生地付近での探鳥は行う時間が殆ど取れなかった。

 連日朝3時半起き、4時半には球磨川堤防沿いをヤマセミを求めて巡回。5時前から午前9時前まで立ちん坊で観察撮影の毎日だった。
 その後、カメラに収録した画像をラップトップPCへ入れ込む作業を朝食をとりながらカフェやレストランで実施。PC電源もあって空いている点でマクドナルドへ入った。着席して食べたのは随分久しぶり、1990年頃ハワイのマクドナルド以来かもしれない。30年振り?

 その後は、画像を精査。その日のブログ用に画像を縮小・トリミング。昼過ぎには一旦宿舎もしくは車内で2~30分仮眠。

 午後は地元の方(今回は時間の関係で人吉市内限定)との情報交換、ヤマセミに関する検討会議、メインのポイント以外のヤマセミ生息ポイントの巡回など。 しかし、まだまだ日が高い17時には夕食を摂り、21時には消灯という普段とは2~3時間ズレた生活パターンを繰り返した。

 普段いい加減な生活の筆者には修行僧のような毎日だったが、色々な意味で成果は大きかった。撮影画像数13480カット全部で80GB。これって昔の銀塩フィルム36枚撮りで換算すると370本以上となる計算だ。ちょっと信じられない。
 これでは右手のシャッターを押す親指と人差し指の付け根が腱鞘炎っぽくなるわけだ。

 毎朝の4時間立ちっぱなしにも慣れ、腰痛は一切起きず足のふくらはぎだけ少し痛くなったが、帰京して軽いランニングをしたら2日で既に治った。

 撮影や観察の成果はこれからゆっくり精査するとしても、1カット5秒で画像を活かすか消去するかの判別をしたとしても19時間は掛かる寸法だ。証拠画像収録にとって連写の技術は非常に助かるが、最終的には1カットずつマンパワーで精査となる為、やはり相当な根気が必要になる。目も疲れるし、PCデスクに何時間も座り続けるのは体に良くない。

 今日のブログは、ヤマセミ本体は外れて、今回のツアーでお世話に成ったりお逢い出来た方々をご紹介しようと思う。ヤマセミの生態研究がこういった方々とのコミュニケーション、ご協力に支えられている事は非常に重要な事だ。ただ遠征してきて「居た!撮れた!」ではない奥深さなのだ。

 ヤマセミがご縁で広がった人の輪は人吉市など球磨川流域~熊本県内各所の漁師さん、野鳥撮影愛好家、野鳥観察保護グループ、行政関係者、メディア関係者含めてなんと既に100名を超えている。RKKラジオの30分帯番組「球磨川スピリッツ」にも30回以上呼んで頂いたし、NHK総合TVの「ニッポンの里山」制作のお手伝いもさせて頂き、人吉市のヤマセミを大いにPR出来た点で個人のレベルとしては大変満足できている。これはこれでヤマセミ生態観察スピンオフ効果とでも言おうか、自分的にも大変面白い展開になっている。

 筆者の広告代理店時代のプロデューサー経験から言えば、これほど唯一無二の人吉市の自然財産を、何故もっと有効活用しないのだろう?何故球磨川繋がりで八代市との観光資源共同開発しないのだろう?不思議でしかたが無い。知恵が無いのか?その価値に気が付いていないのか?活かし方が判らないのか?

 温泉は火山国日本だもの全国どこにでもある。八代市が自慢する「全国花火大会」だって全国600カ所以上で行われている。貴重な鉄道歴史資産だって北海道や本州に幾らでも残って居る。
 
 しかし都市の中心部で飛び回るヤマセミを観る事が出来るのは全国どこを探しても人吉市しか無い。勿体ない話だと思うが如何だろう?

 話は戻って、まずは今回の観察行の自分から・・・。
 さすがにエクステンションを付けた500mmレンズを4時間も手持ちという訳にはいかない。いつもは500mmの大砲であっても殆ど手持ちなのだが、珍しく今回は三脚を多用した。

多少の雨であればヤッケを掛ける程度で済ませてしまう。

ヤマセミの撮影には色々なスタイルがあるが、幼鳥達の生態を観察するには広いエリアを見渡す必要がある。地元のベテランの方は水際まで出て撮影されるようだが、それぞれアプローチ方法が違って良いと思う。   人吉市で生息しているヤマセミ達は人間の動きを見切っているし、慣れているので生息に悪影響などまるでない。市内の川幅は150~200mあるので観察には絶好の場所と言って良い。
 ヤマセミが人吉市の鳥に制定された原動力・古江さんを中心に、向かって右が診察室の中もご自分で撮られた野鳥の写真で一杯の辻医院の辻先生。左は筆者。

このお二方から届く毎朝のヤマセミ情報メールが無ければ、筆者の生態研究は無かった。

 筆者がその生き方に感銘を受けている山本英一氏。同い年の団塊世代だが建築家、インテリアデザイナー、棚田農業開墾者、老舗旅館経営者、超人気のカフェ・レストラン経営者、その他あらゆるジャンルのプロデューサーとして熊本県南でも異色の人物。人吉市のヤマセミ生態研究に関しては、この方のサポートも相当大きく感謝に耐えない人物だ。

早朝の球磨川堤防で毎朝お逢いする溝口幸治県議会議員さんと市役所の方。

 溝口さんは議会が無い限り毎朝決まった時間に走っておられる、毎日違うウエアで、相当なお洒落さんと見たがどうだろう?

この日は雨だったが、早朝から八代野鳥愛好会の理学博士高野茂樹先生(=クロツラヘラサギの世界的権威)がヤマセミの繁殖生態を観察に来られた。勿論いつものランニング中の溝口さんも一緒に記念撮影。ヤマセミが人吉市の二番目の鳥に制定されるのに、このお二方の力が無かったらと思うと足を向けて寝られない。

 ヤマセミ観察終了後、雨の中高野先生と八代駅前のミック珈琲店へ移動。人吉へ行く際は必ずここへ顔を出す。筆者に球磨川のヤマセミ存在を教えて下さったマスターの出水晃さんの珈琲を飲みに、そして顔を見に行くのだ。

 毎年年が明けると、採り立ての球磨川青海苔をプレゼントしてくださる。彼の「新庄君、ヤマセミは球磨川流域には何処でん居るバイ」の一言で2010年から10年間観察・研究をする事が出来たのだ。

 八代二中時代の1年11組のクラスメート多武利明君。中学2年から東京で過ごした筆者はその後会っていなかった。しかし1960年代から70年代初期にかけて二人とも横浜の大学に通っていて、知らないうちに横浜市内で幾度もすれ違った仲だ。それが2001年に再会して初めて判明した。それ以来の付き合いは中学時代の長さを遥かに超えてもうすぐ20年になる。中学当時級長で、剣道部のホープ、同時に水泳では全国クラスの中学生だった彼とやっとタメ口をきけるようになったのも時の流れだろう。
 滞在も終わりに近い頃、人吉市を一望にする小高い山の頂上付近でお逢いした地元の方、大無田さん。一人で山奥を黙々と散策されていた。

 こうしてヤマセミを中心に人間の繋がりがどんどん広がって行く様を、また別の研究テーマとして現在進めている。