2013年7月31日水曜日

Japanese Pheasant is the national bird of Japan. 雉(=キジ)は日本の国鳥、でも意外に本物を見た人は多くない。

 Japanese Pheasant, a kind of Green Pheasant is native to the Japanese archipelago. It is the national bird but most of people did not watch real and live pheasant. They are living in a country side of Japan. The male Pheasant is full of colors, but the female is quiet by brown. When it is spring, the pheasant insists on the territory and calls aloud in many places. If you would like to watch this big bird, you have to go to 3 hours drive by car from big town like Tokyo or Osaka.

 雉(=キジ)はご存じのとおり日本の国鳥。以前広告代理店時代、日本の国鳥は何?というアンケートを取ってみたら、なんと1位がタンチョウ鶴になった事が有った。特に小中学生に多かったようだがニュースなどでの取り上げられる頻度がそうなった原因かもしれない。その他鴇(=トキ)とか鳩(=ハト)という回答も有った。

 そういう意味からするとキジは意外にもニュースで目にすることの少ない、ましてや生で観た事が無い野鳥という事に成ろうか。身近な存在ではないのだろう。世界各国の国鳥を視てみると鷲や鷹の猛禽類かハチドリ、クジャクなどの観賞用の鳥が多く日本とはだいぶ違うようだ。フランスは鶏(=ニワトリ)が色々なブランドデザインに使われることが多いが国鳥ではない。そうなると国鳥を堂々と食っちまっている国は日本くらいかもしれない。

This is Japanese Pheasant male.
これが正真正銘日本の国鳥”雉”のオス!
 
Tthe Japanese pheasant hides in the grass when he feels danger, but we can see him easy.
人や野犬が近づくとこうして草むらに隠れるが、何故かそのカラフルさで一発で判ってしまう。
 
In Spring, the pheasant insists on the territory and calls aloud.
臆病な雉も繁殖のときは別人のように大胆不敵、大声で縄張りを主張しメスの気を引く。日本の男子も少しは見習え!
 
Let us run and hide.
蓮華の咲く畑をさっさとトンズラする姿を一緒にヨコを走りながら撮影してみた。
 
Of course he can fly! He is a bird.
雉も飛ぶのだ!球磨川本流200mを十分な高度で飛んで渡った、凄い!鳥の様だ。

2013年7月30日火曜日

My Windsurfing event history with Job.  仕事上でのウインドサーフィンイベント関連いくつか。

  In 1981 Windsurfer class World championships was held at Okinawa. That was my first big event work in my life. It was 10 days event at Okinawa Marine park (Busena Marine Park Now) in Nago-city. During this event, We have big problems at that moment, huge typhoon hit our event directly. So we can do nothing three days. It was very impressive experience. After this event I have done about over 80 windsurfing events all over the world.

 1981年のウインドサーフィン沖縄選手権大会以来1998年頃まで広告代理店に在籍しながら数多くのウインドサーフィン大会をプロデュース・運営してきた。本当は前年1980年にこの沖縄で予行演習を兼ねてウインドの全日本選手権を実施したのだが観客もスポンサーもほとんどなく、まだマイナースポーツの域を脱していなかった。

 ウインドサーフィンは普通の波乗りサーフィン以上のボディバランスとスピードに対する感覚、ジャンプした時の3次元空間でのバランス感覚と着水先を読むセンスが必要なので単純にサーフィン経験が有ると言ってもすぐに入って行ける感覚のスポーツではない。
 それが証拠に波乗りサーフィンからウインドサーフィンに移行する者よりヨット競技から移行して来る者の方が当初遥かに多かった事でもよく判る。第一、風を読めなければ乗れないし、出た所に戻れない。これはもうベクトルの世界なので競技などでは性格的に冷静で頭が良くなければ勝てないという事。オリンピック競技種目にもなったが、サーフィン上がりの選手が上位に入ったためしがない事でもよく判ろう。

1981 Windsurfer class World championships in Okinawa.
1981年のウインドサーファークラス世界選手権大会は日本航空はじめ当時の松下電器など日本の大手企業がスポンサードしたマリンスポーツとしては画期的な大会だった。テレビ局も民放が1時間番組として特番放送したし、沖縄の海の綺麗さをアピールしながら観光活性化に大きな役割を果たした大会だった。それを行ったのが今はもう無い中央宣興という中堅どころの広告代理店で、電通でも博報堂でもないところが面白い。
 
This is the first time to make race-results by Personal Computer.
この大会からほぼマリンスポーツの世界では初めてのコンピューターによる成績結果発表が成され画期的な出来事として多くの話題を集めた。パーソナル・コンピュータ、いわゆるパソコンというジャンルの先駆けだった。

Maui Island was the most exiteing place about Windsurfing. Everything was growing up in this tropical windy island.
それから5年後、ウインドサーフィンは多様化して勝ち負けを着順で競う平水面レース主体から、強風と大波の中でパフォーマンスを競うコンテスト主体に重心が移ってハワイのマウイ島がメッカに成って行った。日本人も大挙遠征してウインドを楽しんだ。このパンフレットはその頃初めて一緒に仕事をしたスティーブ・ウイルキンス氏に依頼した画像や自分の画像で作成。文章もほぼ自分で制作したもの。このトップライダーが沖の風と波を注視する姿は当時非常に好評だった。
 
Particularly Hookipa Beach was getting up to the symbolic place in the world.
マウイのフキーパ・ビーチは上のパンフの表紙になっているマイク・ウォルツが発見し開拓したコンテストに最適なビーチでウインドサーフィン界ではもっとも有名な場所の一つ。
 
 
Foodriver in Colombia Gorge, Oregon was another famous point of  Windsurfing sports.
1980年代も終わりに近くなると、オレゴン州のコロンビア河中流域の峡谷にあるフッドリバーにウインドサーフィン関連の最新技術のファクトリーが次々に出来て一大産業のメッカに成った。上の記事は雑誌ターザンで取り上げたもの。この時に自分がライダーとして撮影した場所はロンダ・スミス・サンチェスというウインド創生期の著名なプロ選手のお宅の庭先だった。

 

2013年7月29日月曜日

How to use Japanese Bamboo Colander.  竹笊(ざる)の使い方

  Japanese Bamboo Colander is very useful tool. If you would like to make home made dry foods, it is a very nice help tool to you. In winter time, Kanto area including Tokyo dries very much. So I make many dry foods in a dry winter time every year. Main foods are mushrooms, fishes, vegetables, pickles, etc.

 竹製の笊は観光地で民芸品屋に置いて在る事も多いが、地方都市では専門店も少なくない。京都市内にも数か所あるし、熊本市内にも上通りなどに在ったような気がする。東京近郊ではもちろん合羽橋商店街や横浜中華街などにも在る。しかしこれらを実用で購入する一般の人はあまり多くないようだ。

 関東地方は実はその立地条件・気象環境から、全国でも群を抜いての天然乾燥食品製造に最適の地域なのだ。冬季において関東平野は11月末から2月一杯まで冬の乾燥した季節風が適度に吹き、快晴に近い天気が連続して続く。そうか!だから干瓢(かんぴょう)など栃木県で乾すんだな?と思われるかもしれないが、干瓢は収穫期が6月~9月がシーズンだからちょっと違うようだ。

 自宅でできる乾燥食品の実例を幾つか実施に使用する竹笊に乗せて紹介しよう。

This is Japanese Bamboo Colanders plain and with handle type.
竹笊の基本形、取っ手付とシンプル版。
 
Bitter gourd is one of home made vegetables recently.
たとえば庭のゴーヤの収穫に使用。同時にこのまま少し干して
煮沸して灰汁抜きの後塩漬けにしピクルスにする。
 
A sweetfish cut opened and dried home making.
アユ(浜崎あゆみの事ではない)を背開きにして内臓をよく洗い(内臓は別に塩漬けにして食せるが冷凍物は難しい)2~3日乾す。蓼酢はなかなか手に入りにくいがこれで釣れ過ぎた鮎などを保存すると最高のおかずになる。
 
Shimeji Mashrooms are one of most popular Mashrooms in Japan,and Smells increase when dried it.
ブナシメジは安い食材だが、乾燥させることで非常に匂いが強くなり二流キノコがいきなり一流品になる、お試しあれ。4~5日で大きさは半分以下になるが匂いは10倍くらいになる。炊き込みご飯に最高。
 
After drying work, They shrink.
乾燥後はこういう形で縮んでしまうが、匂いはそれぞれ非常に強くなる。市販ではまず手に入らない「技と匠」の食材が簡単に自作できる。
 
Japanese dry persimmon is called Hosigaki, very sweet and good for health.
干し柿、大好物で8年前から毎年100個以上造っている。2階のベランダは12月一杯は鈴なりの干し柿で埋まる事に成る。原料の柿は福岡県の農家から毎年購入している非常に綺麗で形が整ったモノでやっと市販の大きな干し柿にも負けないモノを造れるようになって来た。半分以上は親しい友人に贈っている。
 
Dryed and Pickled plums called Umebosi in Japan, it very saity and sour. It is Japanese historical preserved foods and good for rice eating.
梅干し造りは今年初めて挑戦した。犬の散歩の途中に雨の後落ちていた熟れた大きな梅を袋一杯拾って来て造ってみた。塩分過多の昔ながらの梅干しになったが滅茶苦茶デカくて美味しい。手間はかかるがこうした天然素材の天然処理食品はサプリメントを摂取するより余程健康的だと思う。 

2013年7月28日日曜日

Now It's a time for molting period of the wild bird in Japan. ちょうど今はヤマセミも羽根の生え変わり時期。

 Last June I went to Hitoyosi-City to take pictures of  Crested Kingfisher. That was my 7th journey to Hitoyoshi-City this year. In this time most of wild birds are changing their vane. That is not only feather but fright featers and tail featers. Today's report pictures are Crested Kingfisher's case.

 毎年6~7月は野鳥の羽根が生え替わる時期。今まで羽根が抜けたカラスが破れコウモリ傘のようになって都会の空を飛んでいる姿を見ると、「あーもうそう長くないな可哀相だが・・・、」などと思っていたのが実は大間違いだという事を知った。あの羽根ペンに使われるような頑丈な鳥の風切羽根は立派に生え替わるのだ!それも毎年。要は鳥の羽は使い捨てで再生が効くのだ。自然界でそういうものはトカゲの尻尾だけと思い込んでいた、非常に恥ずかしい。

 何故それが判ったかというと、この6月に今年7回目の人吉遠征で撮影したヤマセミに羽根が抜けた画像が数多く有るのを視て、「大変だ!人吉のヤマセミが世代交代なのかボロボロになって来つつある。何とかせんといかん!」と思い我が師匠、人吉の古江さんに焦ってメールしたら「換羽の時期ですから当然でしょうね」と落ち着いた返信を頂いたことに始まる。「えっ?冠羽?項羽なら知っているが、換羽?」こんな感じで即ネット調査を始めた。一番よく判るのがやはり日本野鳥の会のサイトだった。http://www.birdfan.net/bw/hint/anzai/062.html

 今日の画像はこの6月末に撮影したヤマセミの換羽実例画像の幾つか。

Center of tail feathers are just now changing. 
球磨川本流の顔なじみのヤマセミ♀尾羽の真ん中の2枚が生え替わりの最中。鴨の仲間では換羽の時期なんと飛べなくなる種類も居るようだ。

Center of tail feathers are just now changing. Same bird as above.
上と同じ個体。別の角度からダイブの様子。
 
Center of tail feathers are just now changing. Same bird as above 3days after.
上部2枚と同じ個体の三日後の画像。これだけの尾羽も大体2週間で生え替わるようだ。

The 3rd wing feater is changing.
こちらは川辺川の個体、主力の両サイドの先端から3枚目の2枚が生え替わり中。

Same bird as above the other side.
上の画像の逆サイドからの画像。

2013年7月27日土曜日

Hawaiian wild birds in Honolulu. ホノルルで眼にした野鳥。

 There are many original and uniquely kind of wild birds in Hawaii islands, it seems like an Australia. But in Honolulu, you can see several wild birds same as your country, probably which was brought in by hand of the person long ago.

  本来太平洋の孤島ハワイ諸島には、オーストラリアと同じく独特の種類の野鳥が生育しているが、ホノルルに観光で訪れると「えっ?」というような野鳥に出くわす事が有る。今日はそんな誰もがホノルルで簡単に目にする野鳥をご紹介。パック旅行などで訪れた方はホテルの窓辺に来る真っ白な鳩を良く目にするだろう。これはもともと白い原種なのか、突然変異で色素が亡くなったアルビノ(劣性遺伝で生まれた個体)なのか?
 以前何処かで、ハワイでは結婚式を挙げる時に白いハトを飛ばす習慣が有るので、海外からきたカップルの結婚式用に地元で沢山白いハトを繁殖させているんだとかの記述を視た記憶が有る。あのエルビス・プレスリーの「映画ブルーハワイ」も実はハワイで結婚式を挙げる観光客を増やすためのホノルル観光庁の陰謀なんだとか?雨が多くて観光客が少ないカウアイ島に在るゲコだらけのシダの洞窟でわざわざセレモニーをするなんて・・・・と話は続いていたが本当か否か定かではない。

 今日の画像はその白いハト以外の眼に付いた野鳥をアップしたい。

Java sparrow in Royal Hawaiian Hotel Patio.
あのピンク色で有名なクラシック・ホテル=Royal Hawaiian Hotel とシェラトン・ワイキキの間の中庭に居た文鳥(移入種)。日本では鳥かごの中で良く見るペットの鳥だ。ジャワ島が原産地でハワイには持ち込まれたもの。
 
House sparrow (Mixed) with red color
基本的には普通のスズメの様だが赤みを帯びていてヒワ系の何かとの交配種のような気がする。いわゆる世界中に居る家スズメではない。シェラトン・ワイキキの高層階まで飛んできていた。パン屑などが落ちていれば平気で部屋の中まで入ってくる。
 
Zebra Dove
動きの非常に鈍い小さな鳩チョウショウバト(移入種)、いつも現場では「鳩の出来そこない」と呼んでいた。マウイ島でも道端で車に轢かれているのを幾つか見た。やはり本当に動きが鈍いのだろう。そのかわり数だけは多い。観光客がパン屑をやってもあっという間に他の野鳥に持っていかれてしまう。あれでよく生きていると思うが・・・。

Red-crested Cardinal
コウカンチョウ(移入種)。米国メジャーリーグのセントルイス・カージナルスのマスコットで有名。頭がとんがってヤマセミのような冠羽が特徴。英語名でもCrestedという単語がこの冠羽を指す。ちなみにヤマセミはCrested Kingfisher。ダイアモンドヘッドの方に在るカピオラニパークに沢山居る。しかし綺麗だからと持って帰ってはいけない。
 
そのカピオラニパークの消火栓から滴る水を器用に飲んでいた。野生の生き物の生活の知恵はしたたかだ。
 
Red-crested Cardinal decoration relief of the hotel in Honolulu.
ホノルルのダイアモンドヘッド傍の有名なホテル・レストランの壁にもこのコウカンチョウのレリーフが掲げてあった。一度探してみると良い。
 
 
 

 
 
 

2013年7月26日金曜日

Japanese Pygmy Woodpecker's baby care. コゲラの子育て給餌

 The early summer in Japan except Hokkaido, is rainy season and also wild bird's baby care time. Japanese Pygmy Woodpeckers are same baby care season, too. Today's report is photograghed at Mt.Adachi Forest Park(=Adachiyama Shinrinkouen) beside Kokura Kitakyushu. http://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0066.html

 今日の画像は昨日紹介したコゲラ(=Japanese Pygmy Woodpecker)の子育ての模様のレポート。今年は梅雨明けが異常に早かったが、九州エリアのコゲラの子育ては梅雨の終わりまでがメインの時期。撮影場所は筆者が小学校時代を送り、何度も遠足で訪れた「足立山森林公園」。Google Mapで見ると足立青少年の家キャンプ場、足立公園との表記しかないがGoogleで検索すれば確かに存在する。

 この山の麓標高80m程の部分には車が通れる舗装周回道路が有るが、小学校時代の昭和35年頃はまだ土埃が舞う地道で車などには出遭った事も無かった。ガードレールも無い道路からは門司市以外の北九州4市(小倉市・戸畑市・八幡市・若松市)が皿倉山を中心に一望に出来た眺望の名所だった。しかし今や立派に整備された周回道路沿いに高さ2~30mの大木が生い茂ってしまい市街の景色は全く望むべくもない。

 昼なお薄暗い森林公園だが、キクイタダキ、サンコウチョウ、エゾヒタキのフライングキャッチ、オオルリなどもここで撮影した。100万人都市のバス停から歩いて10分でこのような野鳥に遭えるのも珍しい環境だと思う。秋にはアカマツ林全体で良いマツタケの匂いがするのできっとどこかでマツタケが自生しているのではないだろうか?ちなみに小倉駅付近から歩いても30分も有れば着くが、バスでも行ける。http://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0066.html 参照。

 
Feeding to young bird (right)  1.
幼鳥への給餌シーン1。右が幼鳥左が親。

 
Feeding to young bird (right)  2.
幼鳥への給餌シーン2。
 
Feeding to young bird (right) 3. 
幼鳥への給餌シーン3。
 
 Parent and child
コゲラの親子。
 
 
 Guide map and signs Mt.Adachi Forest Park(=Adachiyama Shinrinkouen)
この案内看板はほんの数か所にしかないので、出入り口の多い足立山周回道路にはもっと数が有った方が良いうと思う。ドネイションで整備すると良いだろう。野生の犬、タヌキやイノシシが思いのほか多いので100万人都市の隣接エリアとしては信じられないほどの自然環境だ。

Guide signs of this park Wild birds dweller.
この公園でほぼいつも観られる野鳥の案内板。現実的には季節によってさらに多くの種類を観察できる。実際自分で撮影した野鳥の殆どはこの案内看板には掲載されていない。

2013年7月25日木曜日

There are nine kinds of "Japanese Pygmy Woodpecker" living in Japan. 実に9種類のコゲラの亜種が日本には居る。

 We have nine kinds of "Japanese Pygmy Woodpecker" from Hokkaido through Iriomote island of Yaeyama islands group in Japan. Almost same but detail is little bit different. For Example, Northern type is light and grey color,Southern type is more darker and brown color. 
 Today I 'd like to show you four different type of "Japanese Pygmy Woodpecker".

 コゲラはスズメほどの大きさで日本国内では一番小さなキツツキ。東京郊外の公園や住宅地の樹木にも来る身近な野鳥だ。横の縞々模様が目立ち、鳴き声もジッパーを開閉するような声で「ズイーッ、ズイーッ」と2~3度鳴く。繁殖期には「キュッ、キュッ」と鋭く鳴く事が多い。大体において番(つがい)の2羽で行動するか、シジュウカラ、エナガ、ヤマガラなどの小型の野鳥と混成群を形成して異種混合集団で移動するのに出会う事が多い。番(つがい)の場合の2羽の距離は1m~10m程度が多い。1羽が移動するともう1羽が後を追う姿を見るこが出来よう。

 観察しやすい野鳥で、何処のも同じだとばかり思っていたら何と日本国内では9種類もの亜種が存在するという。北海道から沖縄・八重山諸島の西表島の亜種まで9タイプもいるらしい。そういえば北海道で撮影したコゲラが妙にグレーっぽく明るい色だったのを思い出してパソコンをひっくり返してみたら12か所で撮影したコゲラが出て来た。今日はその内4か所の画像をご紹介。

 "Japanese Pygmy Woodpecker" in Hokkaido Sapporo.
札幌円山原始林のエゾコゲラ。茶色というより灰色のコゲラ、遊歩道のすぐ脇、2mの距離にエゾシマリスが居ても動じなかった。

 
 "Japanese Pygmy Woodpecker" in Urabandai Highland.
裏磐梯雪に覆われた樹林帯の中のコゲラ。クロスカントリースキーで移動して撮影。普段樹木にへばりついているコゲラを正面から観る事は滅多にない。

 "Japanese Pygmy Woodpecker" in Kamikouchi Nagano.
11月の上高地、だんだん茶色っぽい色になってくる。
 
 "Japanese Pygmy Woodpecker" in Kamikouchi Nagano just making nest in a tree.
上高地のコゲラは11月の画像で巣穴づくりの真っ最中だった。ほじくった木屑を盛んに巣の外に出している。
 

 "Japanese Pygmy Woodpecker" in Kitakyushu Adachiyama.
北九州小倉に在る足立山の森林公園のコゲラ。6月末の子育て中の画像。既にこちらの個体が親だか子供だか判らないほどに育っている。色は確かに北方のコゲラよりは濃い茶色になっている。明日はこのコゲラの子育て給餌の画像の予定。

2013年7月24日水曜日

Northern Goshawk lives in this neighborhood. 近所の野川流域にオオタカが住んでいる。

I live Mitaka city on the outskirts of Tokyo. There are many forest parks near here. Of course a lot of kind wild birds live, too. Special kind of wild bird is Northern Goshawk, it called "Ootaka" in Japan. This "Ootaka=Northern Goshawk " was Treatened on Red List in 2005, but now it grouped in Near Threatened.

  現在住んでいる東京の郊外三鷹市付近には森林とは言えないまでも、樹木の多い公園があちこちに存在して居る。行政の区割りが面倒くさいが、野川沿いの野川公園、府中の自動車試験場の裏に広がる武蔵野公園は連続した野川沿いの一大緑地地帯になっている。
 これに隣接して武蔵野の河岸段丘ハケが国分寺辺りから伸びてきていて、ミッション系の大学キャンパスなども隣接していて連続した広域緑地帯になっている。このエリアにおける野鳥の生態系はカラスがその頂点に立っている様だったが、最近5年の間にオオタカがこの緑地帯に営巣する事によりバランスが替わったようだ。

 何処で営巣しているかは明かせないが、毎年幼鳥が巣立っている。なかなか樹木が入り混じって撮り難い被写体だが今回は特別に発表する。いずれこの野川流域の野鳥群の画像はYAMASEMI WEBサイト本体のヤマセミ以外の野鳥特別ギャラリーに特集化する予定。

 
Northern Goshawk as "Ootaka" in Mtaka-1. Japanese word "Taka" means Hawk.
三鷹に居るオオタカ。

Northern Goshawk as "Ootaka" in Mtaka-2.
 お気に入りの枝で向きを変えて周囲を警戒していた。こちらは上下迷彩服で気の影方の撮影。ブラインドは使用しない。このエリアで迷彩ブラインドなどを使うとあっという間に人だかりになってしまい、挙句の果てには散歩する一般の人に通報され職務質問されかねない。

Northern Goshawk as "Ootaka" in Mtaka-3.
おもむろに尻を上げて脱糞した後、後方へ消え去った。この木の枝は今はもう無い。

 
Young bird of Northern Goshawk.
野川公園から見上げられる高い木の上の方にオオタカの幼鳥と思われる猛禽類の幼鳥が留まっている。撮影の1時間前にもう一人のちょうど居合わせた撮影者と一緒に野鳥撮影している目の前を飛びぬけて行った個体だと思われる。あまりのショックと幸運にもう一人の撮影者とはただ顔を見合わせて頷くだけだった。
 
Young bird of Northern Goshawk.
同やら毎年kのあたりで営巣しているとみられる。特に夕方音も無く滑空するオオタカの雰囲気を察した他の野鳥が集団で逃げ惑うのをよく目撃する。
 

2013年7月23日火曜日

Windsurfing Jump!  ウインドサーフィンのジャンプの醍醐味を紹介!

   During 1984 to 1988, Japanese Part-time job magazine "From A" which my client, was sponsoring Mike Waltze for symbol of lifestyle image. So I went to Maui 35 times in '80th.

 I think that  Windsurfing Jumping is one of the most cool sports in the world. In Maui 1983~1993 I took many pictures of windsurfing jumps by professional windsurfers.
 Matt Schweitzer, Mike Waltze, Alex Aguera, Peter Cabrinha, Mark Angulo,and Robby Naish and many many more.
 These professionals make super jumps every contest in Hawaii, Oahu, Maui. I 'd like to show you one of these super jumps.

 1980年代、広告代理店に居てリクルートのフロム・エーというアルバイトマガジンの宣伝広告の一環としてウインドサーフィンを主体にしたプロモーションを幾つか手がけた。当初はサーフィンの大会をスポンサードしたいとのクライアント要請だったが、時代は三角のセイルを持つウインドサーフィンの方がアピール力において優れている点を説明。同時に小田急電鉄が江ノ島線電車車内にサーフボードを持ち込むことを許したためサーフィンの愛好者が一気に中学生レベルまで下がり、フロム・エーのメインターゲットである大学生から外れる点をプレゼン、B4たった3枚に手書きで企画書を作成最後に「?」と書いて編集部にFAXした。そうしたら30分後に3500万円の予算枠表示と「!」のマークだけが返信されてきた。まだ逢った事も無いフロム・エーの編集長は道下裕史という名でその後日本の雑誌出版界における最もユニークな編集者の一人になった直観の人。これが1984年博報堂に移って最初の仕事だった。

 このフロム・エーのウインドサーフィン関連がきっかけでハワイへ数十回も足を運び、現地でマリンスポーツ写真界の大御所スティーブ・ウイルキンスに出逢い自分も写真撮影の世界にのめり込んで行く事に成る。昨日のオリーブの特集扉に自分の撮った写真が採用された2年後だった。今日はそのウインドサーフィンのジャンプの醍醐味を撮影したものの中から一部をご紹介。

Maui Granprix '89 Getting out jumping Rider unknown.
マウイグランプリのジャンプ、ライダー不明
 
Maui Granprix '89 Getting out jumping Rider unknown.
マウイグランプリのジャンプ、ライダー不明
 
Maui Granprix '89 Inside jump Rider unknown.
マウイグランプリのジャンプ、ライダー不明

AWSP Oahu series Diamond Head super jumping Robby Naish in 1988.
It was televised 90 minutes after event by NHK-BS in Japan.
フロム・エーがメインスポンサーでハワイ3島で年間8戦行われたAWSPシリーズ戦のオアフ島ダイアモンドヘッドでのロビー・ナッシュのスーパージャンプ。オアフ島はマウイ島と風の向きが真反対なので、圧倒的強さでOahu在住のロビーナッシュが強かった。
 
 
My own jump at Kanaha beach park out side in 1988. Photo by Chiemi Osada and other friends.
 もう時効だから良いだろう、時々は出張の身でありながら自分で(実は頻繁に)ジャンプを楽しんだ。マウイ島のカナハビーチの沖合のブレイクポイントでのジャンプ。相当沖なので酷い画像だが良いタイミングでシャッターを押してくれた長田さんとその友人たちに感謝したい。

2013年7月22日月曜日

My image of Hawaii is slightly different from the general thing. Part-1   私にとってのハワイは一般的な人々が持つイメージとは少し違う。

 I went to over 40 times to Hawaii since 1982.  The most of the reason that went to Hawaii were photography in coverage and the work. So my image for Hawaii is little bit different from general tourists. I think that the tourist images Waikiki and a diamond head about Hawaii as broucheres of Travel agencys.

 But my ultimate destination was always windy Maui island. The biggest reason of going to Maui was Windsurfing things. My main object was producing some windsurfing contest events, photographings, and sponsoring some professionals.

 So, My images of Hawaii was daily strong wind and big waves of Maui, and also it's incredibly splendid nature. Certainly Powerful Maui windsurfers and kindly town peoples were very nice.

  これから、野鳥の画像の合間にハワイやその他の海外の自然環境や文化・風俗に関してのレポートを掲載したいと思う。最初のハワイは数回のレポートに成ろうかと思う。観光で行かれた方とはずいぶん違うだろうハワイの雰囲気を伝えられればと思う。

 私のハワイに関するイメージは観光でハワイを訪れる人々とはいささか違う。40回以上に及ぶハワイ訪問の殆どはウインドサーフィンの大会運営だったり、雑誌の取材だったり、パンフレットの制作にまつわる撮影だった。最初は1982年当時の平凡出版、今のマガジンハウスの「オリーブ」という雑誌のハワイ特集取材に同行した時の事。ちょうどウインドサーフィンがブームに成り掛かっていた時代で、ウインドサーフィンに詳しいスタッフというフレコミだった。

My first photograph for Magazines 'Olive' . It was taken at Kailua Beach Park Oahu island.
最初のハワイで撮影した画像がカイルア特集ページの扉に採用された。これが写真撮影に関しての自分の何かのきっかけになったような気がする。写真を撮る事でお金を稼げた最初の1枚でもあった。嬉しい事に右上隅に撮影者として自分の名前がクレジットされていた。
 
Mgazine Olive for young girls.
 このオリーブという雑誌は長年大人気だった雑誌ポパイの女性版という事でスタートした。しかし女性対象の雑誌でありながら、当初スタッフに平凡出版の社員女性は居なかったという。理由は人気雑誌ポパイに化粧と料理と占いページの外部スタッフを加えれば女性誌が出来るだろうという面白い発想が原点だというのを聞いたことが有る。
 初代編集長は椎根和(しいね やまと)という強引ぐマイウエーの人だったが、センス面などではVANという今は潰れたアイビー・トラディッショナル・ファッションで一時代を風靡したアパレル会社の同期、内坂庸夫というナイスガイが手掛けていた。彼は今まで私が影響を強く受けた人間5人のうちの一人と言っても過言ではない。
 
Japanese turist's main image of Hawaii, Waikiki beach and The Diamond head.
これが長い間日本の観光旅行者にとってのシンボリック的なハワイの風景だろう。ロート製薬提供のアップダウンクイズや航空会社のパンフレットでおなじみのハワイだ。自分としてもこの様なお約束の様な画像を撮ったのは2011年の7月が最初だった。シェラトン・ワイキキ・ホテルの上層階の部屋に泊まったからこそ撮れた画像だ。

My strong images of Hawaii is like this,Maui's big waves and strong winds.
殆どのハワイの印象はこういったウインドサーフィン・コンテストの運営やプロライダーへのスポンサー契約で行ったマウイ島のビッグウェーブが強い。数年前に亡くなってしまった同い年のプロカメラマン前野やすし氏から譲り受けたCanonの大砲の様な400mm超望遠レンズ有ってこその画像だ。
 
Maui's incredibly splendid nature makes me good photographer sometime.
マウイの自然はこうした日の出、日の入りの際に信じられないような光と色を提供してくれる時が有り、印象に残る画像を生み出させてくれた。