2023年2月2日木曜日

まぢかにカワセミの行動や仕草に注目すると面白い! It is very exiting to watch close the Kingfisher's action !

  カワセミをターゲットに野鳥撮影をされている方々、いつも「あっ!カワセミが居た!」で、早く撮らなきゃ逃げちゃうから・・・と、すぐシャッターを押すのも良いが、まずしばらく観察されることをお勧めしたい。

 野鳥は、天敵から身を守る、縄張りを保持する、採餌をする、排せつをする、変わったものに興味を示す、寄生虫がかゆいので身繕いする・・・。色々なアクションがある。

 まぢか(=間近)に観察できる数少ない野鳥の一つがカワセミだ。

 上野不忍池へ始終通っている筆者は、此のカワセミたちの普段の仕草も撮影している。枯れた蓮の茎の林の中を飛び回る様子も、他のエリアではなかなか撮影し難いのだが、時折、思いの他まぢかに来てくれることがある。

 その際は、「飛び立つ瞬間を是非撮ろう!」も良いが、色々な意味のある仕草を期待し、観察して撮影するのも良いと思う。

 今日はそのしぐさの中から、ペリット排泄、糞の排泄をご紹介。

 採餌した魚の骨やウロコで早く消化しきれなかった部分を白っぽい卵のようにして口から排泄(飛ばす)ことがある。これをペリット、もしくはペレットと呼んでいる。

 5回の採餌に1回の割合くらいで吹き飛ばす。吐く直前は幾度か口を大きく開けるので予兆はある。これを観察してその瞬間を待つのだ。今回の画像は2023年今年に入って1月中の撮影だ。

いつもの上野不忍池のカワセミ。

こうして大口を開けているのは「おーい、だれかぁー」と叫んでいる訳でも欠伸でもない。ペリット吐出しの予兆とみた方が良い。

ペリット吐出し直前、

この後、首を振って吐いたため右方向に白いペリットが飛んでいる。

これはまぢかで見せてくれた例。

口を開いて「オエッ!」っとやった瞬間!

唾と共に白いペリットが吐き出された。ヤマセミも全く同じ行動をする。

筆者が2021年9月に出版した写真集「ヤマセミカワセミ」にも比較ページとして「ペリット排泄」の項目がある。ご参考。

2年前CanonのPHOTOPRESSOで出版したが、現在普通の印刷で再出版を予定中。

2023年2月1日水曜日

2月はツグミの飛翔シーン撮影に良い季節だと思う。 I think February is a good season for filming thrush flight scenes.

  あっという間に1月が終わり、今日から2月。一年で一番短い月だ。

 1月は高尾山ハイクをしたり、野川探索の回数が多かったりで4日分を残して31万ぽをクリヤー、最終的には34万歩=約272㎞を歩いたことに成る。

 年明けに体調不良があった割には動けたと思う。例の「スマホ脳」の精神科医も、スマホ脳に成らないためには1日15分で良いから体を動かし、本来直立歩行で20万年生きてきた「人類」の原点保持に努めるべきと説いている。この方面に関しては充分な事が出来ていると自負している。

 スマホと言えば、このスウェーデンの精神科医の言う通り個人個人への精神的・生理的・脳的ダメージは「スマホ脳」の本で良く判ったが、今や人心を惑わし多くの人間を「扇動」する最適ツールとしての存在が大きな問題になりかけている。

 今日の朝刊の見出しはちょっとこの先の人類社会を象徴しているようで、怖かった。



 この手の話を始めてしまうと、1か月以上続きそうなので、今日の野鳥ブログに戻りたい。

 今日のテーマはツグミの飛翔シーンを撮ろうというテーマ。
 現在三鷹の野川自然観察園(注1)は木の葉もほとんど落ちて、木々に留まる野鳥が下から丸見え。時折上空を通過する猛禽類も上手くすれば撮影出来たりもする。

 撮影時は動きやすい防寒ウエア、スノーボードウエアなどが最高!筆者愛用は1993年頃、つまり今から30年前のBurtonスノボウエア。


木々の間から真上を通過するハイタカもしくはオオタカ若鳥

一本の樹にツグミが鈴なりになることも。

これが一斉に一方向へ飛んだら猛禽類が近づいた兆候かも知れない。





連写機能を駆使してその飛翔の美しさを収録すれば、カワセミも追いやすく成ろう。

2023年1月31日火曜日

NHKの「ダーウィンが来た!」でブッポウソウとアカショウビンの採餌シーン! The foraging scene of the Dollarbird and the red kingfisher in NHK's "Darwin came!"

  一昨日日曜日、1月29日19:30からのNHK総合TV「ダーウィンが来た!」でブッポウソウとアカショウビンの採餌シーン撮影の一部始終、その大変さや苦労を放送していた。

 ハッと気が付いて、出だしの20秒ほどは欠けたが、ビデオ録画収録できた。もちろんPC上でNHKプラスにアクセスする事で暫くは再放送を観られるのだが・・・。

 番組を観ながら、2020年の球磨川大洪水・コロナ前人吉市で10年に渡りヤマセミを観察・撮影している時、遠征時に幾度となくブッポウソウの観察撮影を繰り返し、地元の野鳥事情通(超人Kさん)の協力を得てアカショウビンの繁殖~巣立ちまでを静止画+動画で収録できたことがすぐ頭に甦った。

 この番組のような事を自分自身で行ってみると如何に大変か?良く判る。筆者の静止画と異なってNHKは動画だから余計大変だろう。

 もちろん撮影に関しては最新機器+助っ人撮影者数名のチームなので、筆者のような短期個人での撮影とはレベルも次元も全然異なる。個人の筆者としては1週間も同じ所に滞在して追いかけることは経済的に不可能だ。数日が関の山。

 ある意味羨ましい限りだ。小学生の頃、将来大きくなったらNHKの海外撮影隊のメンバーになりたいと憧れたのを想い出した。

 ただ、プロのNHKでもこれだけ大半な事を、レベルは全然違えど自分でやって来たことに誇りを感じた。嬉しくなった。 

ダーウィンが来た! 1.

ダーウィンが来た! 2.

ダーウィンが来た! ちょっと品が無い=NHKプラスの番組案内タイトル

NHKのブッポウソウ採餌シーンの一つ、赤いクチバシの先の黒い点が獲物。

筆者のブッポウソウ急降下採餌シーン①

筆者のブッポウソウ採餌シーン②

筆者撮影のブッポウソウ急ターン画像。

ダーウィンが来た!のアカショウビン採餌

筆者撮影のアカショウビン採餌

同上

 プロの映像クルーが自分と同じ苦労をして、素晴らしい映像を収録しているのを間近で観られて大変感動したので、今日のブログは当初予定していた内容を変更して急遽割り込み投稿させて頂いた。
 NHKの素晴らしい映像製作チームにエールを送りたい!

2023年1月30日月曜日

年明け初の高尾山詣出、寒くて野鳥が少ない山頂付近。First pilgrimage to Mt. Takao at the beginning of the new year. Birds are not so many, because of cold .

  昨年末12月30日に続いて高尾山に徒歩で登り降りをした。今回は一人ではなく旧友と共に。

 年明けから体調がすぐれなかったが、色々検査したり半日人間ドックを経て「登ってみよう」という気が湧き、実行した。1か月に二度目の登山に成るが、毎日歩きで登る人が結構いる様なので、これでも頻度は初心者並みだろう。

 今回は頂上展望台から陣馬山方向へ尾根を進んだが、あまりの野鳥の少なさに閉口。一丁平で諦め下山した。 

 下山もいつも降りる稲荷山コースが工事で通行止めなので1号路を下りた。

 野鳥は常駐の種が殆どで、これといった目ぼしい成果はなかった。春先の繁殖期が来るまでは仕方が無いだろう。

冬の空気の密度が高い時の東京遠景はきれいに写る。

朝9時前の高尾山から見た都心

もちろん富士山もいつもより近くに見えた。

江の島も展望台含めてはっきり見えた。

旧友と待ち合わせたケーブル山頂駅展望台で最初に目に付いたコゲラ

ベンチ下にシジュウカラ、観光客のおこぼれ採餌か?

土手の法面でヤマガラ

沢山いたメジロ

やたら飛びまくっていた。

一丁平でシロハラが採餌中。

2023年1月29日日曜日

団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。その2. Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist. Part2.

  スウェーデンの若い精神科医が書いた「スマホ脳」3回読み返してますます納得した。筆者「小説・随筆」は昭和の時代、文庫本狂いと言われるほどよく読んだ。小学校時代は図書室の貸し出しランキング2位だったこともある。

 しかし50歳を過ぎて「作り話」はほとんど読まなくなった。ノンフィクション、事実に基づいた本しか読まなくなった。事実に基づいて書いた小説、例えば司馬遼太郎の「坂の上の雲」や日本海海戦のロシア側のバルチック艦隊ロジェストヴェンスキー提督の実話(妻に宛てた手紙に基づく実話)などはむさぼるように読んだ。

 何故か作り話は面白いと思わなくなったのだ。特に直木賞・芥川賞になった小説はどれも1/3も読まないうちに飽きてしまうようになった。

 数年前お笑いタレントが書いて賞を獲った作品など、これを選んだ審査員たちの脳を疑ったものだ「大丈夫か?」と。もちろん筆者の方がオカシイのかもしれないが・・・。

 二歳年上だった影山民夫など、第99回直木賞を獲った「遠い海から来たCOO」などより、実話エッセイを集めた「普通の生活」の方がはるかに面白いと思うのだが・・。

 話が冒頭から飛んでしまった。オイラ認知症だろうか?

 自分の経験、自分の知っている数多い人々、友人知人を頭に浮かべながら、この「スマホ脳」を読み返す都度、いちいち納得できる内容に幾度もうなずく自分が居た。

 筆者の周りには生で逢う友人知人が少なくとも20人いる。

 Facebookで繋がっている者はそのうち16名。あとは携帯端末のシートメール、あるいはPCのEメールでのコミュニケーション。音声通話は緊急時以外はめったに使わない。

 筆者が長い事ガラケーからスマホに替えなかった理由は昨日のこのブログで述べたとおりだ。電源を入れればまだ動くが、通信はもう出来ない。

 これがFacebook を通じてメッセンジャーや投稿内容でコメントのやり取りをする相手となると、リアルで逢わない(逢えない)人が別に20名ほどいる。一度も生で対面したことが無い人も数人含まれる。年賀状のやり取りは長い事100名を上下していたが、最近減ってきた。

 確かにFacebook で知り合ったバーチャル・コミュニケーション相手が存在すること自体は人類の歴史上、今、すなわち現在が異常な時なのかもしれない。

 かって人類のほとんどが狩猟民族だった頃には会った事もない相手と仮想空間で相対するなどという事は想像もしなかった事だろう。昔は人類は生身の「敵」もしくは「味方=仲間」のどちらかしか存在しなかった・・とスウェーデンの精神科医は説いている。

 話の後半はスマホの弊害と、スマホを通じてSNS,Facebook などを駆使することでうつに成ったり、精神を病んだりする、あるいはそこまでいかずとも「幸せではない、満足ではない」状態に人々が陥るという怖い話に広がっていく。

 筆者自身もスマホに関わる案件で大きな「違和感」を感じた経験が幾度かある。

 その一つは10年ほど前25年振りで再会した旧友と山のヒュッテに泊りがけで行った際の事。標高1700mの高原で何故か電波が通じる所だった。湿原の木道で野鳥を観察・撮影している最中、ほぼ半分の時間をそいつはスマホを駆使していた。時には木道にしゃがみこんで、時折大きな笑い声で・・。一体山に何しに来たんだ?という疑念で同行を後悔しっぱなしだった。

 夜はもっと酷かった。昔話、共通の友人のその後など人生の話をしようと楽しみにしていたのに、そいつは布団にくるまって、ド近眼の目でスマホの画面を見続けていた。液晶がそいつの顔を青白く照らし不気味だった。山へ来たことを目一杯後悔させてくれた。

               © KADOKAWA ASCII Research Laboratories, Inc. 2023より

 山を下りてFacebookからそいつを消し去ったのは言うまでもない。

 目の前にリアル=生のコミュニケーション相手が居るのに、一生懸命スマホの液晶を通じて他人との会話に見入る人間は決して「友」・・・どころか「人間」ではない。既に当時そいつは「まぎれもないスマホジャンキー」になってしまっていたのだ。

 無礼・失礼を通り越して「怒り」すら湧かなかった。多分スマホジャンキーの当人は何も感じなかったのだろう。判っていなかったのだろう、もちろん反省などしないはず。社会的に言えば欠陥人間の最たるものだと思う。

筆者がスマホジャンキーを言い始めた頃の有名な動画 Youtubeよりhttps://www.youtube.com/watch?v=VASywEuqFd8 


 昨今は「ググる、」などという言葉も存在するが、この精神科医はググった内容は決して身に付かないという。この件なども「目からウロコ」の一つだった。集中力、集中することの重要性、スマホでランダムな内容をググってばっかりいると、幅広い多くを知ったような気に成るが何一つ覚えちゃいないという怖い話だ。

 筆者は大学時代サッカーの試合前、あるいはウインドサーフィンで風を待っていて風が上がってきたとき、アイスホッケーの公式試合前、胃が痙攣しカラ戻しのような状態でゲーゲーやる。森戸神社裏でゲーゲーやると「あっ!シンジョーさんのゲーゲが始まった!風が上がるそ」と笑われたものだ。

 これを医学的に言うと萎縮性胃炎で、集中すると胃に血液が不足して萎縮痙攣を起こすのだそうだ。もう50年以上この肉体的・生理的特質は変わらない。
 ある意味スマホやGoogleを使い慣れても、集中力が大切だというポイントに関しては筆者は全く問題ない様だ。

 スウェーデンの若き精神科医は「スマホは私たちの最新のドラッグだ」と言っている。

 8年ほど前、このブログで「スマホジャンキー」という言葉を初めて使ったが、まんざら間違いではなかったと今思っている。


 で、もう一つの経験は、自分では殆どFacebook投稿をせず、人の投稿(画像・写真・コメント)を観るだけ。時折その投稿内容や投稿者の投稿意図とはまるで関係なくウケを狙ってだろう発せられるピント外れのコメント。

 各投稿者の思惑・意図(普通Facebookの投稿は皆さん結構真面目)を無視した空気感阻害コメントは「投稿という座」の後味を悪くするし、投稿者に失礼な場合がある。

 スウェーデンの若き精神科医はこう言っている。

 他人の投稿の写真やコメントを観るだけで、自分では写真もアップしないし投稿しない、議論にも参加しないユーザーは積極的なユーザーより精神状態が悪く成る様だ。(147p)

 実はFacebook上での積極的なコミュニケーションは9%程度で、ほとんどが尽きることのない潮流のようなコメントや、画像を次から次へとただ観ているだけなのだ。(147p)

 昨日の投稿部分の最初の方で、「人間はスマホという最先端の機器に順応できるようには発達してきていない・・。」とスウェーデンの若き精神科医が言っていると述べた。

 例の1万個の点(=20万年間の世代)のうち9,500個の点、つまり過去9,500世代において人類は次のような状態だったと言っている。

① 当時全人口の半数は10歳になる前に亡くなっていた。(当時の自然淘汰)

② 当時は50~150人で暮らし、コミュニケーション相手もその数が精いっぱいだった。

③ 当時は移住が当たり前で一所に長くは住まなかった(=食料の関係上住めなかった)

④ 当時は生涯で出逢う人間は200名程度、多くて1,000名以下だった。今はスマホ他端末、ネットを通じて数億の「他人」とバーチャル上で逢う事が可能だ。

⑤ 当時の平均寿命は30歳だった、現在は7~80歳までそれが伸びた。

 何を言いたいかというと、こうした人類の長い歴史で人間に備わった生理機能・思考能力・脳のキャパシティは、数量的にスマホ、SNS、特にFacebookなどのコミュニケーション機器・ソフトに順応出来るようはなっていない・・・。と力を込めて言っているのだ。

 無意識のうちに筆者がFacebook 友達登録の人数を常時100名以下にコントロールしてきたこともこれらに通じる部分があったと安心した。もちろん1000~2000人とFB友達の多い方もいるが、筆者はそんな数覚えていられないしケアできない。

 あくまで筆者の個人的理念だが、友達である以上はリアルでも逢う事が出来、あるいは過去において逢っていて、なおかつどこかで共通世界・共通感覚・共通価値観を持てる人とだけつながっていたいと思うのだが・・・。

 筆者が10年前から思っていたスマホに関する違和感、Facebook に対する違和感はスウェーデンの若き精神科医この辺りと非常に共通するものがあると感じた。

2023年1月28日土曜日

団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。 Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist.

 団塊世代の筆者は、広告代理店の各種イベントを企画・運営・・実施する仕事上、携帯電話を持ち歩くのは一般の人より早かったように記憶している。

 当初の金属の塊の様に重たいNTTのTZ-803型を会社から与えられて長い事使用した後、ガラケーの携帯端末を愛用してきたので、スマホに変えたのはTVドラマや映画の中でほとんど出演者全員がスマホを当たり前のように使用し始めた2012年(普及率50%近く)から10年近く経ってからだ。
筆者が会社から与えられ使用した初期の携帯電話。

 理由は色々あるが、ノートPCをデイパックに入れて背負って徘徊していた時代が長く、ガラケーをスマホにしたところで、携帯端末では音声通話、ショートメール、歩数計くらいしか使用しなかったのがその主な理由だ。これはこのブログでも幾度となく述べている。

 筆者など天気予報ですらあまりスマホで確認しない。天気など山や海でもない限り数分で概況が変わる訳もない、そんなに短時間で変わるものならスマホの予報など当てにするより空を見上げた方がよほど正確だ。都会人とは違い長い事海でウインドサーフィン、山でスキーやスノボをやって来たものは観天望気含め、生の空模様でこの先1~2時間の予想は自分で判るものだ。

 一方で団塊世代はほぼ100%が老眼だ。その団塊世代がスマホに飛びつかなかったのは当たり前だろう?字が小さすぎて読めやしない!
 50歳くらいの時に組んで演奏練習したインストルメンタル・エレキバンド(古いね!)の名前が「ザ ローガンズ」だもの。推して知るべしだ。

 すべてをスマホに入れて「おサイフケータイ」だの「アドレス帳」だの「カード決済機能」「各種クーポン」だの便利がっていた友人がそのスマホを失くして「人生終わった!」と嘆くのを幾度も目の当たりにしている。自業自得だろう?

 一方では歩きスマホと正面衝突して怪我を負った者、知人には居ないが、歩きスマホのままホームから転落して電車に轢かれて死んだ者などスマホに関していい話を聞かない。

 そんな中、先日新型コロナやワクチンに関する本が本屋にまとまってコーナーなどが無いのは何故?というテーマでブログを書いた時、吉祥寺の本屋軒を回った際に目に留まって買い入れたのが今日のテーマ・ネタ「スマホ脳」だった。

都心へ出る際は電車の中で読んだが、本の向こうに座る人々を眺めながら超納得!

また別の日に読み返している際も状況は似たようなもので、心の中で笑ってしまった。

 10年ほど前からスマホ自体の存在に危うい感じと物理的危機感を感じていた筆者は「我が意を得たり!」状態で、全面的にこのスウェーデンの若い精神科医が述べる一言一句に賛同したのだ。

 一番の理由は、今までずーっと筆者自身が抱いていた各種疑問、危機感を裏付ける事への解答が多くの証拠と共にたくさん書かれていたのだ。
 過去のこのブログで、朝から晩まで四六時中手から離さず小さな液晶画面を見入るスマホ使いの事を「スマホジャンキー」と勝手に呼ばせてもらった筆者が間違っていなかった事を証明してくれた点でも嬉しかった。

 まず最初に目からウロコだったのがこれだ。

 彼がスマホに関して説明するにあたり、人類がこの世に出てから今まで引き継いできた20万年間に渡る世代を2ページ見開き一杯に1万個の点で表している。いかにも精神科医らしい具体的で解りやすい説明だ。

 1万個の点は今まで人間が経てきた20万年に及ぶ「世代」だという。スマホの出現はその1万個の点の一番最近(=最後)の点だという。図で示すこの説法はショックだった。※アンディッシュ・ハンセン著スマホ脳より

 で、一つの点が1世代を表すという事はバアさん、母親、自分の3代は3つの点ということに成る。これで説明できるのが水道や車がある現代・近代の人間は最後の点、つまり現在から8個前(=8代前)からの歴史だという。真空管のコンピューターや航空機が出来たのが点3個前から、いわば団塊世代の祖父母の時代だと説く。

 そうした中で、スマホはどうなる?なんと点1個(=現在)に過ぎない、1万個の世代を生きてきた人間がスマホを手にしたのは、最後の点一個。つまり9999個の世代はスマホなんてものには全く縁がなかったと説明するのだ。

 ちょっと乱暴な見方かもしれないが9999世代が長年培ってきた「人間固有の生理的行動、人間工学的仕組み」の中にスマホという便利ながら人間が四六時中夢中になる「物」は存在していなかった。
 これが急に出現しても、人間はそれを使う事でそれまでの「常識・習慣・生態」から急にスマホの持つ「習慣性・利益効果」に順応できるわけがない。数多くの無理・ストレスが生じ、少なからずの悪影響・障害となって災いをもたらしている・・・。と説くのだ。

 このブログでは、この中から琴線に触れた、あるいは皆さんにもぜひ知ってほしい「怖い事実」に絞り込んで明日以降のブログに続けたいと思う。

 別に筆者は新潮社の回し者でも著者のアンディッシュ・ハンセンの親類縁者でもないが・・。まあ本をリアルで読んでいただくのが一番だと思う。

 今までスマホに関してこういった観点で分析した学者・知識人はいなかった。ましてやiPhonアップルの人間や、NTT Docomoの人間たちもスマホの便利さや、スマホがなければ社会から取り残される等とスマホ デバイド(かってのデジタル デバイド同等の意)を叫んで半強制的にガラケーからスマホに乗り換えさせた。いまから10年以上前2011年~2012年頃の話だ

 筆者の場合はこの沈みゆくタイタニック号から一斉に争って逃げ、海へ落ちるネズミ達のような一団には加わらず、10年間様子をうかがっていたが、使用料金、ランニングコストが1/3に成る、更にはガラケーからスマホへの機種変更料金がゼロ=只キャンペーンと聞いて1年半前にスマホに替えた。

 しかしスマホ替えて1年半、相変わらず音声通話、ショートメール、歩数計、天気予報程度しか利用しないので料金は2,000円/月のラインを越えていない。
健康保持のため毎日チェックする歩数計、この画面は遠出した日のデータ。

 要は、端末機器がガラケーからスマホという形態になっても使用内容・頻度が変わらないので「歩きスマホ」はもちろんしないし「スマホジャンキー」に成ったりもしない。

 ましてやリアルで目の前にコミニュケーション相手が居るのに、その相手を無視して手に持ったスマホから来る別のコミュニケーション相手には関わらない。大体失礼だろう?目の前の相手に・・。

 このあたりのスマホを扱う事で人間関係が終わった友人・知人、今またスマホ経由のSNSなどで友人・知人を失いそうになりつつある現実は今後の続編で・・・。