2015年8月31日月曜日

「団塊世代の話 夏の終わりの番外編・ 八代市球磨川 萩原堤の大銀杏が台風で倒れた!」

 今朝も関東地方は霧雨のような雨が降っている。これで3~4日連続だ。8月も終わりの日というのに秋雨前線がかかってうっとおしい日々が続いている。近年には経験が無い。

 昨夜熊本県の八代に住む親友・中学校のクラスメートから電話が掛かってきた!「元気しとると?台風のお見舞い待っとったばってん、いっちょん言うてこんもん? しびれば切らして、逆にこちらからしたとよ?どぎゃんしよるか心配してよ、訊いてよ?」 いつものユーモアで床に転げ落ちそうな電話だったが、話を聴いて顔が青くなった。八代の球磨川・萩原橋傍の萩原堤にあった昔から有名な大銀杏の樹が先日の台風15号の風で根こそぎ倒れたという。筆者が小学校時代からほぼ今と同じ大きさで立っていた、八代市に住んでいる人は誰もが知っている萩原天満宮の大銀杏だった。私の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝#3」にもこの萩原天満宮の大銀杏の事が出てくる。八代育ちの人間には欠かせないランドマークだったのだ。 
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2014/01/my-private-history-vol-3-relationships.html

 これが倒れたという!東京で台風15号のニュースは勿論リアルタイムで心配しながら視ていたが、熊本県内を通過している時は、人吉で瞬間最大風速40mを超えた話や熊本市内でさらに酷く、中心部で大きなトラックが横倒しになっている報道にばかり気をとられていた。八代市の様子は全然出てこなかった。ニュースに出ないという事は無事だったのだと思いきや、実は相当な風被害が在った様だ。友の電話で始めてそれを知った。


台風15号の強風で倒れた萩原天満宮の大銀杏 Googleマップより

 球磨川土手の吹きさらしに立っていた大銀杏なので理屈的には台風で倒れるのは判るが残念な事をした。この萩原の堤は昔から流れが急で、ちょうど大きくカーブする球磨川の勢いを止めるべくその昔加藤清正が川の中に三角形の土塁堤防を数箇所建造し、侵食を防いだという「萩原のハネ」と言われる出っぱりが存在する。子供の頃はこのでっぱりから糸をたらし、沢山魚を釣ったものだった。

 さらに、小学校時代はこの堤には桜並木が在って、春満開のころは多くの人手があった。ポプラの樹も川辺には数本生えていてよい景観を持っていた。しかし国交省の役人達が全てを伐採してしまい、堤防は川上も川下も数キロに渡って見通せるように丸裸になってしまった。その結果がこの大銀杏の倒壊に繋がった。周りに他の木々が生えていれば風は弱まり倒れなかっと思う。日本の役所は後のことを考えて事を進めない。責任を取れ!

 台風と小さな時から一緒に育った心のランドマークがなくなってしまった話は此処まで。今日はヤマセミの画像をアップする気になれない。ゴメンなさい。



2015年8月30日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #3.」 時は1978年トリンプ再就職の頃。その2.

 そのポスターに使われていた画像は東西冷戦時代の東側の某国の税関が舞台だった。カーキ色に赤い星の軍服を着、カラシニコフのような大型の銃を肩から下げた男女の兵士がいて、旅行客の荷物を開けて中味をチェックしている。更に旅行客の女性が一人左端でショーツ一枚で震えるように立っていて裸の胸を両手で隠しているのだ。低い税関検査台にはサムソナイトの様なスーツケースが開けられていて、中には女性の下着が山ほど入っている。で、一番目立つ画面中央では咥えタバコの女性兵士が、カラシニコフの先からブラジャーをぶら下げて見入っているのだった。こんなポスターを造って東京の地下鉄構内になど貼れる訳なかろう?当時は駅貼りのB倍ポスターが流行り始めの時代だ。地下鉄の広告倫理規定にも違反するに決まっているし、大体において当時の麻布・狸穴のソビエト大使館が黙っている訳がなかった。


ポスターの背景イメージはこういった感じだった。 Google画像よりトリミング

 週頭の定例会議でこの問題をどうするか相談し、日本ではこのポスターは貼れないという結論に達し本社に連絡した。しかし「ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京」とコピーも既に入っているから是が非でも貼れ!と本社は頑として下がらない。そこで日本現地法人はどうしたかと言うと、そのキャンペーン対象商品を日本には輸入しない。別の商品群で売り上げ目標は充分達成できるのでかまわない。品のない政治問題に発展しそうなキャンペーンを行う事で、トリンプのブランドや企業イメージを下げたり、メディア・マスコミに叩かれたら売り場の販売員達の販売士気に直影響する!と交渉ではなく宣言をした。

 元々東洋人種を蔑んでいるヨーロッパ人種の中でも一番プライドの高いドイツ人達だ。なかなか納得しなかった。しかし、当時の西ドイツ本社副社長がこの問題で成田に来た時、入管検査で仕事を訊かれ、いつも問題になる下着のポジを送る会社の関係者と判り、別室で調べられてしまったと言う。それが理由かどうか知らないが、40年近くも昔の話だ、退職後当時の友人に聴いた話では、その事件以降東京のオフィスが言ってくることに対し、高圧的な対応が随分減ったという事だ。

 ほんの1年ほどしか居なかったトリンプだが、何と!社長賞をもらっている。別に販売成績等関係はないし、広告面で何か賞をもらった訳でもない。無理やり入らされたトリンプ・サッカー部でワコールと闘い、得点をして勝っただけなのだ。後にも先にも、未だかってあんなに女性の応援団に黄色い声で応援される試合を経験した事はない。勿論敵も天下のワコールだ!ブラジャー姿の応援団こそ居なかったが、何とも妙な具合の試合だった。
 試合自体は間違ってミスキックをした筆者のヨレヨレのクロスが、そのまま相手のゴールの左上隅に入ってしまい決勝点になっただけの話。カッコいい地を這うようなシュートでなかったのが悔しかった。
 試合終了と共にもう大騒ぎだ!万年業界2位のトリンプが数倍規模も売り上げも大きなワコールに勝ったという話は、その年の社の年鑑にも載ったほどらしい。勿論社長は喜んでサッカー王国・西ドイツ本社に自慢したのだろう。ついには本社社長から褒美まで出た。
 もう漫画のような話だった。これぐらいしか上位の競合ワコールに勝った事がなかったのだろう。

 トリンプでは広告掲載その他は博報堂という広告代理店が出入りしていた。どこかで聞いた名前ではないか?そうだ、つい先日まで在籍していた、あの青山のヴァン ヂャケットに出入りし、「VANさん大丈夫ですよ、オンワードやレナウンに充分太刀打ちできますよ!」と太鼓判を押しておきながら、2週間後に倒産してしまうという立派なマーケティング提案をしてくれたあの博報堂だった。

 その頃はまだ博報堂という大手広告代理店の存在自体は、自分の頭の中でもそう大きな存在ではなかったというか、世の中での機能・役割を殆ど理解していなかった。大方、代理店というので、機能的には右からの注文に対して左の実務会社を紹介し、作業をさせてその代理業フィーを取るのだろうとは思っていた。これは実際にその後博報堂に25年以上在籍し、辞めた後もその認識は全然変らなかった。一部を除いて大多数は実務スキルのない人間達の集団であることを25年間かかって確信しただけだった。

 このトリンプの入っている東京流通センタービルは、ちょうど南東風が強い時の航空機の羽田空港着陸進入ルートの直ぐ正面に存在していた。したがって羽田に下りる航空機が高度を下げながら千葉方向から蒲田駅方向に向かって進んできて、東京流通センター手前で大きく左旋回しながら滑走路に向かうポイントに当たっていた。


日本IFGトリンプの入っていた東京流通センター Googole画像より

 これを東京流通センターのオフィスビルから視るとどうなるか?まじめな話大きな航空機が斜めになりながら突っ込んで来るように見えるのだ!これに慣れるのに半年以上かかった。
 だからトリンプのオフィスの窓側の会議室で得意先同席、或いはドイツ本社の人間達同席で会議をしていて、何度も来客がその場で声を上げて腰を浮かせる場面に遭遇した。
 特にBoing747ジャンボ機が下りてくるときは強烈だった。

 それに雨が降って都心が煙った景色に消えてしまう時等、何度も「いつかこの陸の孤島から抜け出て、都心の日本企業に移るぞ!」と思ったものだった。

 どういう運命なのか、思いのほかその機会は意外に早くやってきた。

 

2015年8月29日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #2.」 時は1978年トリンプ再就職の頃 その1。

 ご存知の通り世界最大の下着メーカートリンプ(現在本社スイス)は当時冷戦時代の西ドイツに本社を持つ外資系の会社だった。日本のトリンプは現地法人という事で日本IFGトリンプと名乗っていた。外資系を渡り歩いたであろう転職が当然という常識を持った当時はまだ珍しい特殊な日本人がその社員の大半を占めていた。当時の外資系の会社は何処でも英語力はまず基本的就職条件だったが、筆者はとてもではないが「英語を話せる」人間ではなかった。

 突然何かの力が働いてワープ(異次元空間移動)し、ニューヨークのど真ん中に移動しても、何とか説明して日本へ戻ってこられる・・・程度の英語だった。これは決してFOX・TVの人気シリーズ「Xファイル」を観過ぎた訳ではない。むしろネイティブ・アメリカン?ローンレンジャーのトントくらいの感じだと思って頂ければ良いのではないだろうか?「陽昇る、助け来ない、お前死ぬ・・・」こんな程度の英語力だったろうと思う。

 此処での勤務期間はほんの1年余りだった。結論から言うと年収は一気に1.7倍に成ったものの、外資企業の価値感・常識との隔たりがどうしても個人的に埋められず、1年後には早くも強く誘われた銀座の中央宣興という広告代理店へ移ってしまったのだ。

 トリンプ在籍中の事を詳しく書くつもりはないが、幾つか面白い事があったので簡単に記録しておこう。配属先・タイトルは宣伝課長という募集要項どおりだったが、課長職というのは30歳以上という年齢規定があったので、当時まだ20歳代だった筆者はまず課長代理という肩書きが与えられた。勿論、外資系企業特有のガラス張り金魚鉢のような個室は与えられず、倉庫・オフィス直結の効率化を図ったドイツ企業らしく、課長でも本部長クラスまでは皆オフィス内で島の様に転々としたデスクに座っていた。デスクの周りをパーテーションで囲むような事もせず、デスクの上には何も置かないのがキマリだった。ちょうど20世紀最後の年2000年頃、竹橋近くのNTT関連の会社に仕事で行った時、似たようなオフィス環境で驚いたことがあった。人間味のないオフィスで働いている人たちが皆ロボットの様に見えた強い印象が有る。勿論、会社の方針に等従う訳もない筆者だったのでデスク上は書類でいつも山積みだったが、何かを言われたことは一度も無かった。
  
トリンプ時代、唯一の写真 20歳以降の我が人生で唯一髭のない1年間だった。


 入社した日、ふくよかな美人の商品企画部長に案内され、商品企画室に連れて行かれた。室中に入るとブラも付けず上半身裸のモデルさんが数人部屋の中を行きかっていた。暫くこちらの様子を伺っていた企画部長さん、少し強い東北弁の訛りで「あーら、アンタ全然動じないの?珍しいわねぇ。」と言った。「こういうの平気なのぉ?」と訊くので初めて試された事を悟ったのだった。余程「ええ、実家が創業100年以上の銭湯で、年中番台に座らされていたので、もう女性の裸には見飽きました・・・」くらいの事を言ってやろうかと思ったがやめて、大学が美術専攻科で国民の皆様の税金で雇われた裸婦のモデルさんを年中描いていたので・・・。」と答えた。


2015年トリンプモデルさん

 また、在職中は成田空港の税関から何度も呼び出しの電話が掛かってきた。本社西ドイツから送られてきた商品カタログ用のポジフィルムに「ご禁制の陰毛が写っている」ので通関する訳にはいかん!と言うのだ。勿論当時の日本では加納典明という写真家が盛んに女性の裸を撮影して話題を集めるまだ10年も前の時期。まだそういう時代背景だったので、この手の通関は非常に厳しかったのだ。

 もちろん自然に見えるように隠して修正しますと誓約書を書いて、何度も成田空港を往復し改めてお伺いを立てて使用許可をもらっていたのだが、本国西ドイツとは年中ぶつかっていた。一度などは「では、黒く四角く塗りつぶしで隠し、成田の税関の指示でこうしました。と、カタログに表記するが良いか?と抵抗はしてみたものの、筆者を採用してくれたマーケティング・本部長から「馬鹿かお前は?」と一喝され終わってしまった。今ならAdobeのフォトショップで自分でも出来る処理だが、当時はブラシによるレタッチ屋に出さなくてはいけないので制作コストが上がってしょうがなかった。

 余談だが、今はパソコンソフトで画像処理等直ぐ出来るので、当時需要の多かったブラッシ屋さんは仕事が無いらしい。今は一人前の写真家気取りのアマチュアカメラマンが、コンテストで賞を獲る為に、邪魔になる映り込みを消したり、大して綺麗でもない夕焼けを鮮やかにして「嘘をつく」手伝いをしている。

 また或る時には、ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京において同じ絵柄のポスターで交通広告によりキャンペーン展開するという。それで送られてきたポスター用のポジが、これまたトンでもない代物だった。

2015年8月28日金曜日

ヤマセミ、この1枚!#5 Selected photo of Crested kingfisher. #5.

 今朝はいつものセミの声が全然聴こえない。ミンミンもツクツクホウシも聴こえない。昨夜はついに夜通し鳴き続けるセミの声より虫の音の方が大きくなった。秋の到来だ。まだ都会では夏休みも終わらない8月28日だというのに。これでは本来中国で作られた二十四節気の処暑(8月23日)の説明にピッタリ合致する。

 気が付いてみれば今年の夏は激しく短かったって訳だ。東京の35度超え猛暑日8日連続というのも相当なものだったが、2020年の東京オリンピック!色々な面での惨状が既に眼に浮かぶ。

 今日のヤマセミは採餌成功の得意顔!普通は採餌後は興奮した時のネコの耳のように冠羽を寝かせているのだが、何故かこの時は立てたままだった。


水深は相当に浅い、ヒザ小僧くらいしかないのではと思われる。

 

2015年8月27日木曜日

ヤマセミ、この1枚!#4 Selected photo of Crested kingfisher.#4

 台風15号の余波がやっと無くなったと見えて、今朝の関東エリアは少し穏やか。しかし天気予報は相変わらずこの先の不安定な様子を知らせている。今年はとにかく不安定で、ネットを視るとあちらこちらで天気予報が当たらないと言うコメントや、予報官に「責任を取れ!」だの己の氏素性が解らない事を頼みの暴言投稿が目に付く。自然環境相手に「絶対」など存在するものか、モンスターファミリー含めて他人を攻撃する事だけ一人前の日本人が増えているようだ、嘆かわしい。

 今日のヤマセミは、華麗なターンの一瞬!両翼を開いたまま滑空するようにターンする。広い球磨川ならではの姿だろう。遠くから見ると一瞬カモメか何かかと思うほど。


200mは在るだろう大きな橋の橋脚に隠れて撮影できた、数少ない姿。

2015年8月26日水曜日

ヤマセミ、この1枚!#3 Selected photo of Crested kingfisher.#3

 台風15号は随分長い事南の海上をうろついた後、一気に九州に上陸して真北に去って行った。おかげで今朝の関東地方も雨。台風16号と連動して北の高気圧から冷たい風を送り込んできた。アッと言う間に1週間前の最低気温が今日の最高気温!奥日光戦場ヶ原の気温が10℃だという。まだ8月は5日間も残っていると言うのに。

 季節の移り変わりが急激だ。果たして自然界の生き物はこの急変にどのように対処するのだろう。タンクトップで冷房ガンガンに動かしていた先週と、長袖二枚着て外側が薄手のフリースと言う今日のいでたち・・・人間とはまことに便利な生き物だ。

 今朝のヤマセミは、ホバリング!ドローンではないが空中停止!上から見る景色はファントムに搭載したGoPro HERO4の画像と同じだろうか?


球磨川本流で早朝ホバリングで餌を見定めるヤマセミ!

2015年8月25日火曜日

ヤマセミ画像、この1枚! Selected photo of Crested kingfisher.

 今日のヤマセミは、ホバリングから突如体を反転してのダイブへ入る瞬間の画像。その柔軟さは信じられないほどのフォルムを見せてくれる。
 動物(人間も含む)は運動状態にあるとき、体のバランスを取る為、常に重力に対して顔の向きを垂直に保っている。野鳥も一緒。

 ヤマセミも川面を飛翔中、急カーブを切って体を90度倒して回転しても、頭だけは垂直を保っている。この瞬間の画像が動きを感じさせる。


自分で自分の体がどうなっているのか判っているのだろうか?

台風直撃を受けた地方の方々にお見舞い申し上げます。

2015年8月24日月曜日

レギュラーのヤマセミ画像、この1枚! Selected photo of Crested kingfisher.

 大学関係の研究案件、写真集3冊編纂、「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」執筆等、やりたい事柄が洪水のように溜まり、にっちもさっちも行かなくなってきた。自分で好きな事を沢山やるのに時間が足りなくなるというのは何と贅沢な事なのだろう。

 結局しわ寄せを食うのは毎日更新し続けているこのブログの投稿だ!此処暫く半年の間は明日以降、毎日更新できなくなると思う。本来勝手に自分で毎日更新しているだけなので、誰にも咎められるべき事ではないのだが、自分自身で「申し訳無い」なにか気まずさが在るのだ。人間とは不思議な生き物だと思う。

 今日から暫くヤマセミの生態画像としてワリに綺麗に撮れた(勿論未熟な自分としては・・・であるが)画像を選んでアップしようと思う。

とある橋の上で待ち構えて撮影した早朝の画像。水深は浅く、橋の欄干の陰に隠れての撮影だが結局はこのあとの画像等でこちらの様子を伺っている所を見ると存在はバレバレだったのだろう。





2015年8月23日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #1.」 ブログは新らたな次元へ進む。

 自分が社会人になるまで約20年間の生い立ちを中心に、社会人になった後、大きな影響を受けた最初の会社ヴァン ヂャケットでの5年間を綴った「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」もヴァン ヂャケット倒産、次の再就職先が無事決定した段階で一つの区切りとして終了しようと思う。

 この先は新たに「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」として、企業話そのものというより、ウインドサーフィンやスノーボード、オーディオといったOff Dutyの自分が関わってきた世界を軸に進めたいと思う。理由は沢山ある。会社勤めを軸にブログを進めない一番大きな理由は、所属した会社・企業体の秘密・企業機密、特に広告代理店2箇所に勤務した時代の得意先に関する話を暴露話・暴露話と捉えられると心外だというのがあるからだ。
 広告代理店を定年で退職する際、自分が関わった仕事上の機密・秘密を他に漏らしてはいけないと文書で約束させられる。・・・と、いう事は逆に言えば会社を辞めた後、その手の暴露話が如何に多いかの証なのだろう。

 しかし、残念ながらこのブログではそういう話を期待されても出てこない。何処かのTVバラエティ番組じゃないが、「週間・実は・・・」のような誰もが野次馬的に知りたい様な話は実際山のようにある。
 でも断っておくが、今になって自分が所属した会社を罵ったり、罵倒したりするような恨みは筆者は少しも持ち合わせていない。逆に言えば、筆者は自分が所属した会社・企業に対する愛社精神や誇り等は残念だがこれっぽっちも持ち合わせていないという事だ。自分が関わった仕事(勿論全てではない)に対する誇りや満足感は幾らでもあるが、所属した会社に対するその手の感情は呆れるほど無い・・・・青山のヴァン ヂャケットだけは別として。

 会社勤め時代の面白話を全部は出せないとは思うが、間違いなくボケ始めているだろう自分の記憶細胞を、今一度活性化させて頑張ってみたい。

 筆者の能力限界をフル稼働させ、吟味して注意深く面白話を書く予定だが、どうしても企業名を出さなければ話が見えない場合は、何処かの週刊誌のように、或いは雑誌の覆面座談会のようにA社、B社という感じで、企業名を想像できないアルファベット表示で行おうと思う。

 勿論、山ほど出てくる業界裏話、オフィス秘話、社員同士の笑い話、ドジ話、失敗談は本人の許しを得られた場合に限り固有名詞もしくはニックネームも出そうが、普通はA氏・B氏、あるいはA子、B子で行こうと思う。しかし基本的に個人や企業に迷惑を掛けたり、攻撃をしたり、あるいは貶めたりしようとするつもりは毛頭無い。

 今だからこそ明かせる逸話満載だ。思いっきり期待していただいて良い。

 突然こういう心境に成ったのは、先週8月15日に受け取ったスポーツ・フォトグラファーの滝口保氏の訃報に相当ショックを受けた事による。この事は翌日のこのブログで報じさせて頂いたとおりだ。58歳の若さで夭逝してしまった彼とは1992年のISFスノーボード・ワールドカップのポスターを彼が撮影したショットで作成して以来のお付き合いだった。


滝口氏の撮影によるスノーボードアルペン系の選手をモチーフとした告知ポスター。ハーフパイプ中心のポスターばかりの中、スピード感のある彼のショットは外人選手たちに大好評で、アッと言う間に会場から奪い合うように持ち去られ、現存しているのは2枚しかない。

 歳は8つ、つまりこちらが大学生の時に彼はまだ小学生だと言うくらい歳下だが、撮影に関しては勿論彼はプロ、こちらは完全なる素人。その歳の差・立場は逆転していつもイベントの現場で彼に教えを乞い、彼の仕事スタイルを盗むのがいつもの事だった。
 今回、『団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝』へブログタイトルを移行するきっかけを作ってくれた滝口氏だが、ブログ話のあちこちに彼が出てくるので、彼を知っている方々には面白いパートもあるだろう。

 1980年~2005年辺りはウインドサーフィン話が全盛だ。1990年~2008年の18年間はこれにスノーボードの話がダブってくる。オーディオや自分が所属したアマチュア・ロックバンドの話が1998年頃から2008年辺りまでオーバーラップしてくる。一方で本業以外の雑誌編集のお手伝い等に関しては1982年頃からマガジンハウス(当時の平凡出版)、小学館(BE-PAL)、マリン企画のハイ・ウインドなどに関わったので色々なネタ話が存在する。


1982年雑誌オリーブ・創刊2号のウインドサーフィン特集でHawaii取材に同行、特集の扉ページに自分の撮影したショットが全面で使用され宇宙に飛んでいくほどの感激だった。

 写真撮影は1980年以降は雑誌関係を含めて、ずーっとこれら全部のジャンルにまたがって関わっているので全編にカメラの話が出て来る。

 今回、ウインドサーフィン全盛時代に自分が関わった世界を一つの出版物にまとめてみようと言うプロジェクトと平行して、この「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」のブログを毎週末進める事で相乗効果が生まれ、ウインドサーフィンその他色々な事を同時期日本の或いは世界のどこかで楽しんだ方々の共感を得られれば、これ以上の悦びは無い。

2015年8月22日土曜日

真夏の夕暮れ、カワセミ幼鳥木漏れ日の中! A young Common kingfisher at Nogawa in a sunset time.

 遅い夏休みを頂き、ブログをお休みしようと思ったが、夕暮れの近所、野川で今年生まれたであろう若鳥に出遭ったので直ぐにアップ。コンデジなので色が出ないのかと思いきや幼鳥だった。しかも夕暮れの木漏れ日のマダラの光の中なので色は滅茶苦茶。

 しかし幼鳥なので怖いもの知らず、コンデジで寄っても逃げなかった。既に生まれながら野川のカワセミのDNAを持っていると思われた。






昼間や朝だときれいな色を見せるカワセミだが、さすが夕暮れ時の幼鳥は色が出ない。





2015年8月21日金曜日

今年最後のブッポウソウ! This is the last report of Broad-billed Roller in summer !

 今年の夏はヤマセミの観察が非常に困難だったため、ブッポウソウのレポート回数が例年に比べて多い。というより撮影枚数が多いのだ。

 留まっている画像はブッポウソウの場合はあまり撮っていない。巣箱を掛けて繁殖応援しているエリアであれば、巣箱の出入りや周りの人間に慣れた分、人吉エリアのヤマセミ状態になっているのだと思われるが、山奥でそういう環境に無いブッポウソウは人間に対する警戒心が非常に高い。

 したがって、自然と撮影は遠くに留まっている姿を確認して、何かの拍子にこちら方面へ採餌飛行等で飛んでくる際の画像になる。今日の画像はそんな中でも複数の姿を捉えた場面を最後としたい。







真夏がどうやら過ぎたようなので、今来ている台風2個が過ぎれば本格的に虫の声が高まる秋に入ると思われる。秋が安定するまでは、次回以降しばらく過去の画像を毎回厳選して紹介したいと思う。







 

2015年8月20日木曜日

真夏の球磨川・川辺川ヤマセミ情景。 The scene of Crested kingfisher at Kuma-River and Kawabe-River in a mid summer.

 昨日の球磨川情景はやはり熊本県内の方々のアクセスが多かったようで、ブログランキングの熊本県情報でベストテンに入っていた。しかし、全国からの問い合わせでは、あのような街中に鮎釣り師がいるのは珍しいとの釣り人から2名様感想が届いている。関西地区の方であった。

 私は鮎釣りはせず、もっぱら食べる方だが、やはり球磨川の鮎は美味しい。丸ごと塩焼きで食べる時に、ヒレを取り、一気に頭ごと骨を抜き去り、残りを内臓ごとたで酢に浸けて食べるのが好きだが、最近尺鮎に近い大物は2枚に開いて内臓を取り(内臓は別に食す)天日で一夜干して保存して食べる方法を覚えた。これはたまらないほど美味しい。
 冷凍した鮎を解凍してからでも開けるので、日にちの経った大型の鮎はこうして長い事楽しんでいる。

 さて、今日のヤマセミは、真夏少し濁って増水している川辺川でのダイブ採餌の模様。いずれも真冬と違い、葉に隠れているのでスタート時点から撮影できない為中途半端だが、真夏と言うものはそういうものなのだ。これが冬になり葉が落ちれば枝留まりの段階からダイブの気配を察知できるので撮影はよりしやすい。葉が落ちるのが待ち遠しい。

ダイブに気が付かず、ドボン!と言う水音でとっさにカメラを向けた!

今回は採餌失敗のようだ。

脇にまだ茶色が残っている所を見る限り若鳥のメスのようだ。

対岸の土手の水平横縞模様を見る限り何度も増水した痕が残っている。

少し遠くで鳴き声がしたのでカメラを向けたら、ちょうどダイブの途中だった。

とっさにピンを合わせてはみたもののこれが限界。ダイブの水没の瞬間が撮れていた。

今度は見事に採餌して向こうへ去っていった。距離100mか?ちょっと遠すぎた。





2015年8月19日水曜日

真夏の球磨川・川辺川情景。 The scene of Kuma-River and Kawabe-River in a mid summer.

今年の人吉球磨地方は上流での雨量が多いせいか、川辺川も球磨川も半ば濁って増水している時が多かったようだ。梅雨明け宣言後もそれはあまり変らないとの話を聞く。

鮎の友釣り(友釣りを釣りとはいわない釣り人も多いが)を試みる太公望で人吉市のど真ん中を流れる球磨川にも真夏には多くの釣師が入る。で、野鳥はどうしているかと言うと、簡単に言えば遠巻きにしてそれぞれの経験値から来る距離感でいつもの通り生活している。

 ただ、他の地域とは少し違ってその距離が近いように感ずる。「慣れ」の成せる業だろうと思う。

市と言う行政規模の街中で大きな鮎が釣れるというのもそう多い事ではないだろう。

増水時は流れも速く、危険を伴うが、せっかく来たのだからと無理をする人も居るようだ。

視ていると、少し濁った増水時は釣果が上がらないのだろうか?

球磨川、川辺川付近には囮の鮎屋さんが多い。魚拓を視ると35cm超えもある。

遠くをヤマセミの番がいつもより高く飛んでいく。

川辺川ではのんびりとした時が流れている。

カヌーの練習の向こうでヤマセミが視ている。人間との共存の典型か。



2015年8月18日火曜日

再び真夏のブッポウソウの飛翔と採餌! Broad-billed Roller in a mid-summer at Kumamoto Pref. again !

 果たしてブッポウソウは既に南へ飛去したか? 大体9月には南へ去っていく事になっているが今年は天候も不順で雨が多く、いつまで人吉界隈に滞在するのだろう?今までのケースでは8月中旬にはいなくなるとのことだが、年によって違うとも聞く。

 いずれにせよ、今年の熊本・宮崎県境の繁殖数は今までより少ない事は確かだ。今年は2家族程度しかいないような気がする。昨年、一昨年等は4~5家族いたような気がする。2012年の夏初めて視たときは8月6日に上空を15~6羽が乱舞していた。

 来年へ向けてより多くの大型昆虫が増えてくれることを期待しよう。







最後の2枚以外はほぼ追い写しの連写。50-500ZOOM手持ちなので多少ピンは甘いが、ブッポウソウを撮影するチャンスはそう沢山無いので自分では良いほうだと思っている。






2015年8月17日月曜日

真夏のヤマセミオスの縄張り争い! Territory quarreling of a crested kingfisher male at midsummer !

 真夏は野鳥の動きを観察するには一番辛い難しい時期であることは、野鳥撮影をされている方々にとっては常識だ。木々の葉が生い茂り、野鳥は隠れてしまう上、炎天下もしくは夕立豪雨で撮るほうに関しても撮影条件は非常に辛いものがある。

 したがって、真夏の撮影は早朝・日の出から3時間程度が限度だと思っている。夕方も可能だが暑さが残る夕方は相当暗くならないと野鳥達も動かないようだ。

 これらのポイントを考察の上、野鳥観察となるとやはり一箇所を根城にして縄張りを持っているヤマセミのような野鳥は撮影・観察が他の移動性の高い、或いはテリトリーの広い野鳥より撮影チャンスも多い。

 今日の画像は元々は今年生まれたヤマセミの若鳥と親なのか、或いは兄弟なのか?オス同士の縄張り争いと思われる画像。早朝の太陽が低い時間の逆光で観難いが動きだけ感じていただければ嬉しい。

縄張り争いはまずその2羽の鳴き声からすぐに判る。

いつも思うのだが、追う方が威嚇し、追われるほうが言い訳をしているような気がする。


飛びながら翼端が水面に付くのはヤマセミは何とも思わないようだ。

この直後、こちらの存在に気が付いたのか、二手に別れた。

逆光で羽根が透けてマダラ模様が見えるのがヤマセミの美しさか。