八代市の老舗珈琲店ミックさんでの写真展「八代市の野鳥」も昨日の定休日を経て後半に突入。NHK熊本放送局さんにはテレビで2回(クマロク、ニュース845)ラジオでも告知を頂き大いに盛り上がって来た。このほか朝日新聞西部本社さんに朝刊記事、西日本新聞さん、熊日新聞さんにもネット告知をしていただき十分すぎる対応を頂いた。
NHK熊本放送局管内でクマロクとニュース845でオンエアして頂いた。このほかラジオでも詳しく告知して頂いた。会場の珈琲店ミックさんには視聴者からの問い合わせの連絡が入っているという。
そんな中、忙中閑は無いものの、今日2月6日午後かっての太田郷小学校時代、二中時代のクラスメート、成人して以降広告代理店勤務の「仕事」として付き合いのあった同い年の友人に再会、1時間ほどの想い出談義を語る時間を得ることができた。
一人は八代二中1年11組の同級生TI君。東京の大学へ進み実家の彦一本舗の社長を長年務めた御仁。かって一時はバンド演奏も。
もう一人は筆者がⒽ広告代理店の現役時代、二中時代のクラスメート女史から紹介され、八代市の観光活性化を図るためのシティ・プロモーションセンター立ち上げ、九州新幹線部分開通の際の各PR活動などを支援する仕事のクライアントだった当時八代市商政観光課課長YY氏(いまだに君とは呼べません)
会談始めのお約束記念撮影
今日は左YY氏の現職、八代松濱軒の明治時代建築の事務室で三人巨頭会議!
チェーンや木刀を持っての一中と二中の喧嘩話だの、昔の鹿児島本線は今の肥薩線だっただのランダムな話が途切れることなく進み、懐かしさに酔った数十分が過ぎたころ、筆者が50年以上頭の隅に残っていたある方言の疑問をぶつけてみた時だった。
「あのさ、二中時代クラスメートの一人が何かに驚いた際に『ワイラィシャ!』という感嘆詞の様な言葉を発してたのだが、これは皆が使っていた熊本弁なのか?」と訊いた瞬間の二人の反応が凄かった。
二人は顔を見あわっせて「えぇーっ?五十年振りに聴いた!ワイライシャ!、あったあった、言うた言うた!懐かしかなぁ!」
コテコテの八代生まれ八代育ちが「懐かしかなぁ!東京の人に想い出ささるるとは思いもせんかった!」と言われてしまった。もう今やだれも使わない八代弁らしい。方言の死語のような存在らしい。
筆者もこの20年散々ネットでググったりしても全く出てこない方言だった。熊本弁でも出てこない。人吉の方言の生き字引の様な方もご存じなかった。
彼ら二人の話によると、八代市周辺でも団塊世代くらいまでしか使わないらしく、熊本市のような都会では全く使わない八代弁だという。ネットに出てくる「アトゼキ、だの、離合」は熊本県全体で使うらしいが「ワイライシャァー!、ワイタァ―!」は方言死語のようだった。
例えば、こういう風に⇒こぎゃん!、そういう様に⇒そぎゃん、どうだろ?⇒どぎゃんね? あのように⇒あぎゃん、といった「ぎゃんぎゃん三段活用」の様な独特の方言もあった。
穴はこうして、こうやって、こう掘るんだよ!⇒穴な、ぎゃんして、こぎゃんして、きゃー掘るとたい!・・これが北九州の小倉市から転校してきた筆者がまるで外国語に聴こえて、必死に覚えた八代弁だったのだ。この頃英語を覚えてさえいれば今頃ネイティブより英語が上手くなっていたはずだ。
この「ワイライシャ!」の派生語に「ワイタァ!」がある。驚いたときに出す「ヒェ―!」に近い存在だが「驚いた=タマがった!」の時に使う。
実は二人と分かれて4時間後、ナントTT君が電話を掛けてきた。「さっきのヤッチロ弁何だっけ?」八代地元の彼が思い出せないほど昔の方言らしいのだ。
小中学校時代に毎日使っていた八代弁がどんどん消えていく・・。時代の長さ、変化の速さに驚いた一日だった。こぎゃんとは、なんとか保存せにゃいかんのじゃなかろか?
方言話の後、砕けすぎての記念撮影、使用前、使用後の典型か?
三人の翁は写真展開催中の再会を約束して解散したのでした。