2019年4月30日火曜日

実は霧ヶ峰はキジだらけということが判った! I found out Kirigamine High-Land is full of Japanese Pheasant.

 いよいよ平成最期の今日のブログは日本の国鳥「キジ」を取り上げてみたい。というのも平成最期の日の今日の早朝このキジのホロ打ちの声で目覚めたからなのだ。これも何かのご縁!暗示だろう。

 人吉市でキジが沢山生息していることは、幾度もこのブログでご紹介済みだ。人吉市の伝統郷土玩具に「キジ馬」があることでも良く判る。
 それ以外の場所でも、時々キジの「ホロ打ち」の声は聴く事が有るが、あまりその生態をしっかりととらえることはなかった。五島列島の新上五島島で民家に沿うように生息するキジを観察撮影した事が有るが、人口よりイノシシやキジの数の方が多いと言われる島なのでさもありなん・・という感じだった。

 今回の霧ヶ峰は、その名の通り雨になると標高1600mを越えるため雲の中になってしまう。現場では雲というより風に流れる濃霧の中という感じだ。今朝がまさにその状態。

 日本列島を通過中の低気圧の影響で、天気予報がずれまくる中、昨夜遅くから霧ヶ峰は雨!今朝もその名残の中、昨日から気になっていた八島湿原や池のくるみ踊場湿原、更にはグライダー場界隈あちこちでのキジの「ホロ打ち」が山小屋のすぐ傍で聴こえたので窓の隙間から観察・撮影。

 この「ホロ打ち」の聴きなし表記が昔から「ケーンケーン」なのだが、実際は濁点の付いた「アウッ♪アウッ!」と筆者には聴こえてしょうがない。何故なのだろう?

 今朝から霧雨の中3度ほどお目見えのキジ君。最初はメスを追い回し、二度目はなんと木の上に居るのを発見!三度目はつがいで仲良く採餌をしていた。しかしキジのメスと幼鳥の見分けが出来ないのでメスだと思い込んでいるのは実はこの春生まれた幼鳥なのかもしれない。

 早朝の霧の中だから撮影と言っても証拠画像的な物。生態を推察するには十分な物ではあるが、少し見やすい様に判り易く画像処理した。

朝6時に起きてすぐ、山小屋の傍でキジのホロ打ちの声がした。窓を開けるとキジのオスがメスを追い回していた。

少し距離はあったが、繁殖期なので交尾の様子が見られるかもしれないと・・。しかしメスは大きく膨らんで、にじり寄るオスを拒否。

しかし、雄はめげずにメスに回り込んでアプローチ?

霧雨の中いつまでも追いまわしが続いた。そのまま枯草エリアに消滅。

実際撮ったままの画像はこちら。早朝の霧雨でこれが限度。しかし、保護色並みに判り難いキジだ。

二度目は雨の様子を視に窓を開けた際に偶然気が付いた樹木の間に見えるキジのオス。

樹上のキジなど初めて見た!

3度目は採餌に夢中のオスを間近に発見した時。

其処へメスが登場!

しかし警戒心の強いキジの夫婦にあっという間に見つかってしまい睨まれた。

メスはすぐに採餌に戻ったが、雄はいつまでも部屋の中にいる筆者を見続けていた。

2019年4月29日月曜日

4月29日の霧ヶ峰はまだ春ではなかった! April 29th It was not spring yet at Kirigamine High-Land.

 元号移行に伴う10連休、遠出をするなら絶対に渋滞にはまりたくないので午前1時半に調布インターから諏訪インターを目指した。諏訪インターを降りて霧ヶ峰へ上り八島湿原駐車場に着いたのが午前4時。途中2か所のSAに入った割には早く着いた。
 諏訪から山へ登ると途中から完全に霧(雲)の中。10m先がやっとの状態。駐車場に着いてみたら、山小屋に泊まる客の車だけで、車中に人影のある車は他に一台もなかった。

 5時の日の出に合わせて写真撮影愛好家が日の出前に来ることが多いのだが、ここ数日の天気予報を観てやめたのだろう。急に気温が下がり2日前など最低気温がマイナス6度だったという。

 八島湿原は完全にまだ冬モードで、新芽も花も何もなく枯草の色で一杯だった。しかし、そんな中ノビタキやアオジがせっせと採餌に飛び回っていた。

 霧が少し薄れた朝5時半から撮影を始めて1200カット撮影したが、ノビタキ、アオジ、エナガ、シジュウカラ、コゲラ、カケス、ノスリ、トビ、モズ、ヒバリ以外は目に付かなかった。昨年のズミ(=コリンゴ)の花満開の6月初旬とは全然違う景色だった。
 
朝7時ころから9時前までは雲は低く速いものの、時折青空がのぞいて陽が射していた。

枯れた湿原はノビタキの天下だった。

オスは黒い頭で完全に夏モード。

メスはそれなりに。

今回はノスリに非常によく出遭った。すべて別個体だった。

羽根がボロボロの白いノスリ。

モズは盛んに他の鳥の鳴きまねをしていた。

既に上空でヒバリがホバリングしていた。

霧ヶ峰自然保護センターに立ち寄って筆者写真集「人吉市の山翡翠」を寄贈。

喜んで受けてくださった責任者の小松様と記念撮影。

2019年4月28日日曜日

ミソサザイの営巣繁殖行動を観察した。 I observed the nesting behavior of Eurasian Wren.

 いよいよ改元を挟んで普通の方々は10連休だそうだ。70歳を迎えた団塊世代はずいぶん前から365連休だから、特にどうという事は無いのだが、渋滞をぬって今夜半すぎから霧ヶ峰の八島湿原に探鳥行する。

 いつもの山小屋ヒュッテへ2泊の予定だが同好の志が行かなくなったので単独行だ。新たに同行者を募っても良いが、直前過ぎるので今回は一人旅になろう。天候は決して良くなく雨主体だが、標高1600mを越えると下界とは少しは変わるかもしれない。もっとも逆に終日霧(=雲)の中という事も考えられる。その場合はゆっくり読書とブログの固め打ち?山小屋で平成から令和へ移る時を過ごすってのが狙いなのだ。

 昭和から平成へ移る日も、偶然長野県の菅平スキー場で過ごしている最中だったので、二度の元号替わりの際はフィールドで過ごす事になった、これも何かの縁だろう。

 余談はさておき、今日はミソサザイ!

 全国各地の地元ではミソッチョと呼ばれる事の多いミソサザイ。その日本一小さな野鳥の一つと言われる体から発せられる囀りは、春から初夏にかけての渓流一帯に響くフィールドのシンボルだ。

 今までは、単に渓流の岩や倒木などの上で美声を聴かせてくれる姿を撮影しただけだったが、今回は繁殖期が始まり口いっぱいに苔を咥えて巣作りに励む姿などを時間かけて観察してみた。

 例によって奥日光湯川沿いの渓谷部で、倒木の隙間に幾つもの巣穴を発見。暫く観察したら案の定、ミソサザイが岩苔を咥えて幾度も出入りをしていた。

 もうキャプションは不要だろう、画像が全てという観察レポートだ。
 奥日光湯川では主的存在だ。何だか発明時代の鋼鉄で出来た潜水艦ノーチラス号の様だ。

 巣造りに入る前はこうして大きな枯れ木のテッペンで縄張り主張の囀りを盛んに行う。



飛翔シーンをカメラで追うには多少の慣れが必要かもしれない。体が小さいだけに高倍率のレンズを付けると一瞬でファインダー視界から消える。





この大きな倒木は倒れて以降10年以上はそのままになっている様だ。倒木の下側に幾つものミソサザイの巣穴が見える。正面の大きな穴と右端の穴はどうやら中で繋がっている様だ。一度だけ二羽いるのか?と思ったら正面から入って右から出て来た。生活の知恵なのだろうか?


2019年4月27日土曜日

団塊の世代は、最近の物販業界における製品の差別化に疑問を呈している。Baby boomers are wondering to product differentiation in the recent product sales industry.

 奥日光へ探鳥行の帰り、東北道の羽生SAで小休止した。1年前にも立ち寄って小江戸風のユニークな演出とそのコンセプトに感心して気に成っていたのだ。
ちょうど1年前同じく日光へ探鳥に出た帰りに知って、そのユニークさが気に成って調べたのだが、1942年福岡県出身の工藤忠継氏が八幡製鉄退社後千葉県佐倉に立ち上げた、ニューミレニアムネットワークという会社の総合企画によるものだと知った。

 そこで売っている商品と演出・陳列方法など、長居できないSAの客にとって判りやすい点が気に入ったので頭に入って居たのだろう。


 それが今年2月、日本橋の高島屋新館をオープン直後視察に行って驚いた!殆ど似たようなネーミング、パッケージングの商品が同じような演出陳列で売られていたのだ。

 その驚いたというのが、この「鬼平江戸処」をモチーフにした羽生サービスエリアで売られているものと、鳴り物入りでデビューした日本橋高島屋の新館で売られている商品群の狙いがほぼ同じだと推察される事、更には売られ方がほぼ同じだという事だ。

 ネーミングやパッケージ意匠に凝ったつもりなのだろうが、果たして自宅のキッチンの他の食材や調味料と一緒に並べた場合、紛れて瞬時にそれが何か判断できるだろうか?
 買った本人ならまだしも、同居している家族は気が付いた段階で「これなぁーにー?」になってしまうこと請け合い。朱色のカンカンの味の素や、赤いキャップの食卓塩、キッコーマン独特の醤油さし(最近は減塩だの濃厚だのデザインの種類は増えたが)など一目瞭然の老舗ブランド・デザインの調味料群。各家庭独自の粉類入れや乾燥容器。おいてある場所も家族の誰もが認識しているキッチンの人間工学的配置。

 これらの仲間に入れるだろうか?と訝しがらずにはいられない遊びネーミングやパッケージングの山。これらを積み上げられた売り場は一見綺麗でユニークに見えるかもしれないが、果たして買って帰った消費者の使用者としての空間を考えてネーミングやデザインが成されているだろうか?買ってくれればいいのだろうか?

 商品の中身からして、今までの既存商品に対する優位性や新しい理念が開発されているだろうか?ネーミングやパッケージがそれらと共通理念・コンセプトの下に意匠企画されただろうか?見てくれとネーミングだけで他との差別化が出来ると思っているのではないだろうか?

 筆者はどうしてもこれらの商品群を視てそうとしか思えなかった。その昔、どこかの馬鹿が「○○へ行ってきました」などという土産物のネーミングを始めた為に、どれも中身は同じなのに包装だけ、場所の名だけ変えた品の無い独自性のない土産物で行楽地が大ヒンシュクを買った事があった。これに似ている様な気がしてならない。筆者の経験値から同じ匂いを感じた次第。

 独自性を追求したのかもしれないが判り難過ぎて、商品理解・選択に時間がかかり過ぎ実はあまり売れていないようだ。

筆者は1973年~1978年倒産するまでの間、青山のアパレル業界、石津謙介社長の株式会社ヴァン ヂャケットの宣伝部⇒販売促進部に勤務していた。それまでのVAN、VANMINI VANBOYS Kent他の既存ブランドに加え、新しいブランドの立ち上げ、開発・業界デビュー、PRに携わった。
1973年入社当時のヴァン ヂャケットの主要ブランド

 特にSCENE、Niblick 、Orenge House、Green Houseなどの新しい領域へのブランド立ち上げに関しては、所属していたマーケティング・販売促進部でのブランドデビュー作業に参加。これらコンセプト造りから内見会開催までの一連作業が今でも頭と体にこびりついている。
新しいブランドの立ち上げ・デビュー、新商品群コンセプトメーキング、それら商品群の販売チャネルと販売演出・展開コンセプト立案などは非常に勉強になった。これらの立ち上げは事前に2年以上の準備と競合研究を行い水面下の活動が相当長かった。

 若かったせいもあろうが、連日連夜遅くまで青山のオフィスで、「あーでもないこーでもない」といった作業当時が懐かしい。

 最近の広告代理店やプロダクションが提案するイージーな差別化案(ネーミングだとか演出方法だけ少しいじった)ブランディング等という軽いモノではない事だけは確かだった。自社の存亡がかかるブランドの立ち上げは、無責任な広告代理店がイージーな外注で処理するような刹那的なモノとはレベルが全然違う。専門分野のモノづくりのプロ集団(企業内プロジェクト)と、広く浅く何でもやります的な広告代理店スタッフでは基本的な次元が違う。

 これは余談だが、1978年、繊維構造不況のど真ん中で経営不振に陥っていたヴァン ヂャケットは、必死の思いで社の再建方法策を大手広告代理店H堂に依頼した。費用は当時1,300万円だった。で、2か月後に行われたH堂の提案プレゼンテーションは「VANさん大丈夫ですよ!ダーバンやマッケンジーの様にTVコマーシャルをやれば間違いなく・・・」だった。 
 VANが会社更生法を申請し事実上倒産したのは、そのH堂の提案1か月後4月6日だった。

 今と違って、パソコンも無ければワープロさえない1975年頃のブランド立ち上げ作業は殆どが手作業。スタッフに作画力・写真撮影技術・文章力などのスキルが無ければ行えなかった。


商品企画そのものから他社製品の徹底分析、販売チャネルの正確な数値まで一覧表マトリクスにして新しい自社のブランドの立ち位置と5年後までのシミュレーション、売り上げの推移予想とそれぞれのケースへの対処法まで準備した。今から45年前の話だ。

 当時はパソコンの存在する現在の様なデスク上だけでの想定で、肝心な所を外注・アウトソーシングしてしまう事はしなかった。モノ造りの企業の勤務体験の無い広告代理店のディレクターが、外注先から上がって来る「依頼成果」を判断・評価など出来る訳がないと思うのだが、現在はそれが普通だと聞いて「だからこうなるのだ!」と納得した。

 逆に言えば、当時パソコンが普及しネット通販が在ったらヴァン ヂャケットは現在のユニクロなど比較に成らないバケモノの様な会社になっていただろう。

 要は何を言いたいかというと、最高級イメージの日本橋界隈の伝統的百貨店の高島屋と高速のSA(サービスエリア)で同じ様な商品が同じような陳列で、同じ様な売り文句で売られている事に強烈な疑問を感じたのだ。
 羽生SAで商品を視た客は面白いとは思うだろうが、利口な消費者は商品のラベルで製造会社を視ればほとんどが東京都製造なので「何もココで買う事はない、東京でも売ってるな」と判断し「爆買い」はしないだろう。

 一方、日本橋高島屋新館でこれらの商品を視た客は、都心のこんな一等地でこの客単価でモノを売る裏には何かあるのではないだろうか?と思うだろう。現に売り場で女性たちの「何でこんなの此処で売るワケェ?」の声を随分聴いた。

 最近の女性たちは非常に賢い。どんなネーミングで、どんな可愛い容器で付加価値を付けて売ろうが「要はお塩でしょ?お米でしょ?騙されません!」と衝動買いはなかなかしない時代になっているのだ。それだけ生活は厳しくなっている。

 同じ店内にスーパーの成城石井が入っていて似たような商品を売っている。フロアセグメントその他がメチャクチャな感じだった。遅かれ早かれ大改装せざるを得ないだろう。

 昔の高級イメージが崩壊してしまった銀座が今やUNIQLOやMUJIやH&M、ZARAの街になってしまったのと違って、日本橋エリアはある程度の老舗ステータスを保ったエリア・ブランド確立をして欲しい所だが如何だろう?

2019年4月26日金曜日

今年の日光植物園のオオルリはまだ数羽。 Blue-and-White Flycatcher of Nikko Botanical Garden is not so much now this year.

 山の上の戦場ヶ原で観察したアカゲラとオオアカゲラから山を下った日光植物園(東大)園内でオオルリに遭遇。観察撮影出来たのでレポートをアップしたい。

 春の人気野鳥としてキビタキと双璧を成すオオルリ。この日も「オオルリは何処でしょう?」と明らかに目的を絞って来園された方が多かった。余程いろいろなメディア・SNSなどでオオルリ情報が飛び交っているのだろう。

 オオルリを見つけるには慣れが必要だ。いきなり初めて行って、遭遇して、思うような画像が収録出来たらそれは余程ラッキーだと思って良い。下手すりゃ人生のラッキーをもう使い果たしたかもしれない程の幸運だ。

 春の最盛期には園内のほぼ全域で遭遇出来るが、その最盛期が毎年変わるので始末が悪い。
 基本的にオオルリは渓流の峡谷沿いの針葉樹のテッペンに留まって囀る事が多いとされるが、日光植物園では渓流の縁から少し離れた園内でも囀る事が在るので助かる。

 今回も植物園の休園日(月)翌日火曜日の朝入園したが、お昼11時半頃にはズームレンズや単焦点の望遠レンズを装着したカメラで探鳥中と思われる数名に遭遇。その殆どがまずはオオルリ探しだった。

 筆者は余程の事が無い限り通常探鳥行は単独で行っている。自分の経験値と種別の生態を学び、その鳴き声をYoutube などで散々耳に焼き付けて来るので、探鳥中は全脳味噌が「探鳥レーダー」になっているから横に人がいて、余計な会話だの返答などする余裕が無いのだ。

 だから徒党を組んでサロン的な探鳥・撮影のグループは大嫌いなのだ。それは多くの眼で「アソコ、アソコ、あの3本有る白い大きな樹の右端の樹の下から二番目の枝!」だの探せば見つかる確率は高いかも知れないが、オバサンたちの観光旅行と何ら変わらない佇まいはどうも好きになれない。

 また話がすっ飛びそうなので今回のオオルリ画像へ。

基本的にオオルリは渓流横の針葉樹のテッペンに留まって囀る事が多い。熊本県の球磨川流域でも京都伏見のお寺の境内でも同じだった。

わざと画像処理で明るくしてみたがオオルリの色は光の加減で随分と変化する。逆光でもないのに真黒に見える事が在る。

囀って縄張りを主張している時は一所に留まって長い事囀るが、フライングキャッチで羽虫を捕え採餌する場合はせわしなく飛び回る。


 植物園の南を流れる大矢川峡谷対岸の桜など白っぽい花の咲いた樹に留まった場合は非常に難しい。風流な画像で良いかもしれないが、桜の花びらが明るくなり、そのほかのモノを包み込んでしまうので画像としては満足いかない。本来主役はオオルリなのだが桜が勝ってしまう。特に晴れて日の光が強く、さらに逆光だったりすると最悪だ。

あらゆる背景、あらゆる太陽角度でも、更には枝かぶりでもとりあえずはシャッターを押しておくと、後で画像を視てオオルリの行動のクセを把握できよう。


真上からの光の場合はオオルリの場合逆光とあまり変わらず真黒に見えてしまう。

2019年4月25日木曜日

奥日光でオオアカゲラにぐっと近寄ってみた。 I closed up to White-backed Woodpecker very much at Oku-Nikko area.

 アカゲラの生態は昨日第1弾をアップした(第2弾準備中)が今日は同じエリアで共存しているオオアカゲラにぐっと近寄ったレポート。

 奥日光戦場ヶ原では、アカゲラとオオアカゲラはその生息域が相当ダブっている。大まかに分けて赤沼付近では主にアカゲラ、湯滝付近ではオオアカゲラが主に生息しているが、過去において湯滝付近でアカゲラの交尾を撮影し、戦場ヶ原自然研究路の木道の青木橋付近で冬期オオアカゲラを幾度も撮影している。

 今回のオオアカゲラは湯滝と小田代橋の峡谷部・中間地点で遭遇したもの。しかし2分後同じ場所でアカゲラにも遭遇。それぞれが斜面の倒木をほじっていた。共に倒木・古木に巣食う虫を採餌していたものと思われる。キツツキ類が地べたに降りて採餌する姿は、奥日光では結構目撃している。

割に樹木の根元にも居る事が多いオオアカゲラ。

この地図で言えば上の方がオオアカゲラ、下の方がアカゲラのメイン生息領域だが、実際は共存している。



樹皮の奥に潜む虫を突いて採餌中のオオアカゲラ。

10mほど離れた樹に移ったオオアカゲラ。




倒木の根元の穴蔵をつついているオオアカゲラ。