2019年6月15日土曜日

マスコミの高齢者自動車運転に関する報道は酷すぎる! Media coverage of elderly car driving is too bad!

 今朝の人吉市は低気圧の通過でしっかりとした雨模様。農家には恵みの雨だが、球磨川水系は増水し、しばらく鮎釣り太公望も「待ち」の態勢だろう。もちろん野鳥撮影は雨上がり待ちで宿で待機。多分終日夕方までは上がるまい、画像整理に没頭できる。

 週末は、いつもの野鳥生態観察ブログから離れて、団塊世代の愚痴こぼしや、世の理不尽な事象に疑問を呈する内容で更新している。時に野鳥ブログの日よりアクセスが多くて驚かされることが多い。

 雨の土曜日は、最近メディアが目の敵のように報道しまくる「高齢者の自動車運転は規制すべきだ」に関する怒りだ!
 天下のNHKですら「高齢者ドライバーの運転は非常に危険だ!」と吠えまくっている。 テレビや新聞雑誌、更にはネットでなどの新しいメディア報道を鵜呑みにし、自分で良く物事を判断しない日本人、最近の高齢者のブレーキ踏み間違い死亡事故、ならびに高齢者自動車運転そのものに対する非難報道に我慢ならないので、今日のテーマはそこへもってきてみた。

 まずは、如何に日本人がメディア報道を鵜呑みにしてしまうかの一つの証拠データ。
メディアへの信頼度が高い=イージーに報道を鵜呑みにしやすい。



 今回一連のアクセルとブレーキ踏み間違いが原因と思われる事故報道に対するTVニュースショウで、酷いコメンテータの発言を聴き、このブログを書くことにしたのだ。
 ある局のニュースショウで女性の自動車運転免許を保持していないコメンテータがこう言い放った。「高齢者は一律である年齢に達したら免許を取り上げればいいのよ!」

 司会者も間が抜けているのだろう、聞き逃したか、場の空気に押されて諫められなかったのか?あまりに自動車事故の実態を理解していない烏合の衆の「そうだそうだ!」の声を集めて報道している最近のマスコミメディアの行き過ぎにクレームを入れたい。

 高齢者の自動車に関する事故(自分が運転しているとは限らない)は確かに75歳を超えると急増する。しかし、その大半は歩行者としての高齢者であることを言わずに、単に高齢者の運転する自動車事故が急増するから危険だ!とすり替え報道するメディアが後を絶たない。

 高齢者の事故はもちろんあるが、昔からあったのであって、昨今それほど急に増えたわけではない。急に報道し始めただけの話だ。しかも池袋のような高級官僚だった人間が起こした事故の場合逮捕されない不条理、「自分はアクセルとブレーキを間違えていない、車がおかしくなったのだ」と間違いを認めようとしない元高級官僚!このあたりがさらにマスコミが高齢者の事故を「これでもかこれでもか!」と報道するので急増しているように錯覚するのだ。
 決して「高齢者の事故が急増」したのではなく「高齢者の事故報道が急増した」のだ。マスコミは世論を操作している。間違いない。

この事故数は運転者の場合と歩行者の場合を全部入れたグラフだ、騙されてはいけない。

 日本人は報道を鵜呑みにする・・・と冒頭で表記したのはこの影響の大きさを言わんが為だ。筆者がここ10年通い続けている人吉市界隈では一家に一台ではなく、一人に一台の軽自動車が一杯あって、まるで1920年代のアメリカ、1960年代日本のモータリゼーション再来の様だ。

 しかし、その高齢者が多く自動車数も多い人吉市では、高齢者ドライバーの重大死亡事故は起きていない。それは道路環境・都市環境のせいではないだろうかと筆者は勝手に推測している。
 アクセルとブレーキの踏み間違い事故はどこでも、どの年齢でも起きる。自分の経験でも30代に踏み間違えは数度起こしている。もちろん瞬時にそれに気が付き反応している。

 年齢に関係なく踏み間違いを起こした場合、東京など都市部では即、電柱へ激突、壁に突っ込む、コンビニへ突っ込む・・・など、周りが障害物だらけ、通行人も多いので「焦る気持ち→パニック」に陥りやすいのではないだろうか?
 これが、地方都市、例えば人吉球磨エリアで考えれば、川の土手から転げ落ちる、樹木に突っ込む、田や畑へ落ちる・・・程度で済むし通行人も少ないので、「あーあ、やっちまった!」でパニックにはならず「苦い経験」としてその後の運転も慎重になれば、己の運転継続・免許返納に関しても考える余裕が出来るのではないだろうか?

 これらを考慮せず、全国一律、高齢者年齢制限で免許取り上げなどという暴言は断固糾弾したい。
此処に、筆者と意見をほぼ同じくするネット記事があったのでご紹介。




 ここで断っておくが、高齢者75歳時点の「脳的・肉体的・反射神経・経験の個人差」を考慮しての運転判断、論評を行ったメディア・マスコミが何処もない点を挙げておきたい。人間75歳の個人差はとてつもなく大きいのだ。

 75歳で眼もカスミ、腰痛で歩行困難、時々認知症・・・という御仁も居れば、フルマラソンにも参加し、毎日パソコンでデスクワークをされている方もいる。筆者の尊敬する75歳の写真家の方など、車を自分で運転しアメリカの50号線を一人で旅しながら写真撮影を平気で行っている。

 筆者だって69歳の2年前、70歳の昨年、東京から熊本県の人吉市まで車で乗って行ってちゃんと帰ってきている。向こうでは10日間以上で500㎞、全行程3,500㎞を無事故で二年連続往復した。いきなり年齢で切られて免許取り上げられてたまるか!

 これだけの差のある高齢者を一律で皆同じだろう・・・と「決めつける」メディアの風潮に怒りを禁じえない。

 一方で、体にガタが来て歩くのが面倒になってきたから「車がなければ生活が出来ない・・・」という言い訳で運転を続ける高齢者は、近いうちに事故を起こしやすいと思って良いのではないだろうか?
 反射神経もガタガタでとっさの踏み込み動作もおぼつかない者に車の運転は危なくてしょうがない。そういうケースの場合は「適性検査・反応検査」が必須だろう。白内障で眼が見えにくくなっているとか、足のマヒ、その他でペダル操作不如意は有り得る話だ。

 家族がそれを判断して「免許を返納させる、運転させない!」を義務付けるべきだろう。それをしなかった家族は、車を運転するのが判っているのに酒を飲ませた場合の犯罪と同じ処置で罰すべきだと思う。

 高齢者全員をそういう方々のレベル、物差しで一律に決めつけられては人権侵害も甚だしい。健全な肉体と精神をキープしている高齢者が、こういったほんの一部の運転に支障がある高齢者と一緒にされては失礼だろう?

 同時にAiだの自動運転車の開発で、より安全に・・・の車の無人化開発は、こうした運転困難の人々に「無努力化・運転継続」の危険な言い訳を与えてしまうのではないだろうか?反対だ!

 車メーカーも人間の安全のためという「夢の様なきれいごとを歌いながら、本音は多少ガタが来た高礼者(お金に余裕がある人口が多い)にも、少しでも数多くの車を売りたいがための開発なのではないだろうか・・・と訝しんでいる筆者なのだ。
 普通の人間運転車と自動運転車の事故の場合の対処、法律上の問題を解決しないで、どんどんメーカーの開発だけ進ませメディアが騒ぐ今の状況は、今後とんでもない問題を引き起こす気がしている。

 どんなに車が自動化され、安全になっても乗って運転している人間が壊れていては、どうしようもない。パソコン初心者に大容量最新機種のスーパーコンピュータを与えるようなものだ。どんなにすごいマシンも扱う人間が壊れていては何の意味もない!

筆者も30歳代にいくどか踏み間違いをしたが、瞬時に間違いに気づき反応した。70歳に成った今は、すべての動作を若い時の半分のスピードで行うように心がけているので、踏み間違いはほとんど無い。今後もこのニュースを注視していきたい、毎日人吉で数十キロ走っている今週、この後も気を引きしめて掛かろうと思う。