2015年6月30日火曜日

再びブッポウソウを観察に出向いた!その2. This is a report again that observed the broad-billed roller in detail. .Part5.

 今回のブッポウソウ観察は今までよりも近づけたので、落ち着いてその挙動の様子を視る事が出来た。今年生まれた幼鳥なのか、いつものブッポウソウにしては警戒心もあまりない様子。こちらが日陰で全身迷彩服でなおかつ太陽を背にしている為なのか、人間を見切っているのか?野鳥の警戒心は本当に複雑だ。

 ヤマセミが大きく口を開けるのはぺりっとを吐き出す前などに良く見られるが、ブッポウソウの場合はより頻繁に大きな口を開くことが知られている。顎が外れるのではないかと心配するほどだが・・・・・不思議だ。

 
鋭い西日を浴びたブッポウソウは大体このように白っぽく見える。

バイク乗りが走りながら足を延ばすように、ストレッチを始めた。

余程リラックスしているのか?見せつけているのか?

光の加減で色々な色に見えるのが面白い。

耳を掻いたり頭を掻いたり、決して足を上げてこちらに合図をしているのではない。

これが問題の大口開けっぱなし状態。空中採餌の訓練だろうか?

何もこっちを向かなくても・・・ノドチンコまで見せなくても。



2015年6月29日月曜日

再びブッポウソウを観察に出向いた! This is a report again that observed the broad-billed roller in detail. .Part4.

 鹿児島空港から人吉に入り、球磨川水系の川の汚濁状況・増水状況を見てヤマセミの観察を諦め、宮崎県とのの県境へ車を走らせた。既に15:30を過ぎていたが、梅雨の晴れ間の鋭い陽の光も幾分和らいでいるだろうと期待した。

 今年は前回1か月前と同様、相変わらず個体数が少なく2羽しか見当たらなかった。前回の別のファミリーはどうしたのだろう?心配だ。

 前回と違って昆虫類が非常にたくさん羽化しており、今回は空中採餌、つまりフライングキャッチの瞬間を間近で撮影できた。初めての事だった。非常にうれしかった。とりあえずじっくりと検証できていないが、その場面を含む採餌場面をアップした。

右に見えている大きな昆虫が獲物だ、目線が追いかけている。

空中で首を伸ばして採餌した瞬間だろう。

咥えてスピードを落としているようだ。

これは変転しながら採餌した別のキャッチの場面と思う。

咥えて正常の飛行姿勢に戻っている。

こうした瞬間を撮れたのは非常に嬉しかった。




2015年6月28日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #116.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、トラッド・アイビー最盛期の終焉 その3.

  「ヴァン ヂャケットの今後は一体どうしたら良いだろう?」という売り上げ不振対策、今後の企業としての方向性に関するマーケティング的サポート、アドバイスを藁にもすがる思いで博報堂に依頼してから1ヶ月が経った。ある日その報告プレゼンテーションがマーケティング本部の特別会議室で行われた。博報堂にはキツイ守秘義務を付け、提案をお願いするに当たって企業秘密とも思える会社の全資産及びマーケティング情報(売掛金・仕掛かり金含め)資料・資金情報・企業の蓄えなど全てのデータを洗いざらい提供していた。プレゼン当日はマーケ本部の販促部からも筆者含めて数人が同席を許されていた。

 博報堂のプレゼンは午後2時頃から窓の無い奥まった会議室で始まったと記憶している。筆者が博報堂入社後に同期でディレクターになる大柄の円谷君(博報堂マーケ局・東宝映画特撮円谷監督の親類)などがメンバーに入っていた。そうしてプレゼンが始まった。まずメンバー紹介、博報堂は8名以上の大デレゲーションが来社していた。しかしメンバー紹介が終わった段階でプレゼンを始めたのは何処かプロダクションの人だった。なんとその人はマドラの天野勇吉氏だった。奥沢中学校・広尾高校1学年下の故・小池隆一君が就職した新光美術・マドラのプロダクション部門のトップだった。まだ広告批評を創刊する前だったが、個人的にはその存在を小池君通じて知っていたのだ。


天野さんのプレゼンが始まってものの5分も経たない時、軽部CAPが大声で吼えた!「ゴメン!声が小さくて何を言っているのか全然聴こえません!どなたかきちんとしっかり説明してもらえませんかね。我々には社の存亡が掛かっているんだよ。必死なんだよ」半ば怒ったような口調できつく言い放ったのだった。心の中で喝采した記憶がある。

 雑誌「広告」あるいは「ブレーン」を欠かさず読んでいる軽部CAPが天野さんを知らない訳がなかった。しかし高い費用(一説には千三百万円という話だったが本当かどうか知らない)で調査・提案を依頼した博報堂に対して、ボソボソ聞き取れないような声で説明を始めた天野さんでは困ると言う必死さと真剣さが言わせたのだろうと思う。
 テレビの番組に出て無責任に広告に関する四方山話をするのではない。生きるか死ぬか、潰れるか再生出来るかの瀬戸際の企業に対するマーケティング・プレゼンテーションなのだ。これは受ける側のヴァン ヂャケット販売促進部社員としても至極当然のクレームだった。

 天野さんに代わって博報堂のマーケ部長らしい年配の人、他現場のメンバーが後を引き継いでプレゼンを行ったと記憶している。要約するとヴァン ヂャケットは今のままで販路を整理するだけで充分やっていける。特にKentブランドの商品はコーナー展開を止めて、ダーバン(アランドロンがTV・CMキャラクター)、マッケンジー(刑事コロンボのピーター・フォークがTV・CMキャラクター)と同じ売り場、つまり紳士服売り場・プロパーに進出し、マネキン(=プロの販売員)による販売に徹する事などを提案してきた。 

 ※プロパーとは行政の組織などでは生え抜きの正社員を指すらしいが、アパレルでは値引きも 有り得るコーナー展開に対する品目別・正価販売品の売り場をプロパーと呼んでいた。

 一番耳に残っているフレーズが此れだ!「VANさん!大丈夫ですよ!今のままでそう大きなシステムを変えずに充分今後やっていけるはずです。広告費をレナウン・ダーバン、オンワード・マッケンジーの半分で良いから使って、一般消費者に宣伝する事です。」今でも恩い出すと笑ってしまうが、しっかりと自社の利益機会を盛り込んでの提案だった。むしろそちらのほうに全員の顔が向いていたのだろう。あー恥ずかしい。

 博報堂に続いて富士経済研究所(不確実)だかが如何にもマーケティング的なデータ表を出席者全員に配った。しかしそれは調べれば誰でも入手できる日本のメンズ・ファッション市場の売り上げやブランド毎の数値だった。自信ありげに業界の動向や今後の展望をプレゼンする矢野経の人の説明を聴きながら、ヴァン ヂャケット側のメンバーはしらけきっていた。なぜなら口端に泡を溜めて喋ってくれる経済研究所の人が最新版と言っている業界データは一番新しくても2年前のデータなのだ。 

 ヴァン ヂャケットの係数管理部門や販促部門には、その年の業界各社の月毎の売り上げデータや蓄積データが最新情報として入ってきている。競合他社の様子や業界全体の状況等1ヶ月前の状態を把握して新商品の売り場投入や生産調整を行なわないで、やっていけるほどアパレル業界はやさしい世界ではない。どのような業種でも二次産業の製造業であれば命掛けて数値を管理把握しているマーケティングセクションが在る。アパレル業界のある程度の企業であれば当然の事だった。

 その上、社員のほぼ全員が知っていた生産工程・サイクルが長すぎる問題。市場ニーズに企画・生産が追いつかないという永年ヴァン ヂャケットが抱える根本的な問題には一切触れていない点で、このプレゼンは素人の提案と判ってしまった。これはプレゼンを聴きながら同席している我々社員同士が眼を合わせた瞬間、「こりゃ駄目だ」と思っているのが良く判った。ヴァン ヂャケットは頼む相手を間違えたのだ。

 この時はっきりと解った、博報堂、電通等の大きな総合広告代理店は、自社で全てを実施処理しているのではなく、社外の専門家集団に下請け・二次発注(最近ではアウトソーシングと言う)して実務をやらせ、本当に代理しかしない中味が空っぽの集団なのだ・・・・と。 
 いわゆるTVシリーズ「スパイ大作戦」のフェルプス君まがいが沢山居るだけで、専門領域のプロ・実務メンバー等居ないのだ・・・と判った。そうして事が終わると、「あの仕事は俺がやったんだ!」と自慢する・・・。
 肝心なことを言ってしまえば、大手広告代理店という所は、自社だけでは何も出来ない企業集団なのだと言う事を強く感じた。地に足が着いていないというか、理念もなければ責任感も無い。当事者意識と言うものがまったく無いので、リスクを絶対に負わない「実務・現場」から非常に遠い集団だと感じたのを覚えている。実は残念ながら、その後奇遇にも博報堂に転職した後も、この考えは間違っていなかったと思った。

 だから、サントリーが自社内に腕扱きの実務者を必死で求めていた理由がこの段階になって良く理解できた。大手広告代理店に丸投げ等したらエライ事になる!と知っているからこそのアクションだったのだと後になって納得した。
 如何にこの時の大手広告代理店のプレゼンがいい加減で中味のない精度に欠けたモノであったかは、直ぐに証明される事になる。

「VANさん!大丈夫ですよ!今のままでそう大きなシステムを変えずに充分今後やっていけるはずです。」と博報堂のマーケ局が大見得を切った3週間後、4月6日ヴァン ヂャケットは会社更生法を申請し、事実上倒産したのだ。



2015年6月27日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #115.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、トラッド・アイビー最盛期の終焉 その2.

 高度成長期とはいえ黙っていても応募者の多い人気職種の広告制作業界、社員スタッフ募集をしている所はそう多くなかった。その中からなんとかスタッフ募集記事を探し出し、選んだのは2社だった。1つはサントリーの広告宣伝をメインに行っている、サンアドという業界では有名だが小さなプロダクション。もう一社はサントリー本体の宣伝部。サンアドは3次試験まで有ってTVCMのプランナー募集という事で経験者に限るという条件付だったが、知らん顔して受けてしまった。勿論転職を志したのも初めてなので単なる試験慣れを目論んでいたという事もあった。したがって、当然1次試験で落ちると自分で決めて掛かっていたから、気楽だった。いずれもブレーンという業界誌を読んでいて見つけ出した募集だった。実はこの最初の1件はそれほど深刻考えていたわけでもなくTVコマーシャル作りの仕事が面白そうだ・・・と思った単純で気軽な気持ちでの応募だった。今と違ってまだテレビコマーシャルが時代を動かしたり、重要な購買動機になる時代だった。
雑誌ブレーンと宣伝会議は欠かさず読んでいた。

 サンアド試験当日は4コマ漫画を描く様な枠取りをした用紙が10枚ほど配られ、テーマはサントリーのウイスキー通称ダルマ(=サントリー・オールド)、のTVCMを好きに作る事。もうひとつのテーマが四国のオレンジ伊予甘(イヨカン)が原料のジュースのTVCMだった。オールドの方のCM案は大学時代にアルバイトをした横浜の酒屋の店頭をヒントにした。酒屋の店員同士が「最近何故かダルマ・ウイスキーの減りが早いな?」などと話している設定。店の奥の酒蔵に何か気配を感じる!というので、旦那もおかみさんも酒屋の店員全員で恐る恐る行って見ると、赤い顔をしたダルマが内緒でサントリーオールドを盗み飲みしているという内容だった。

 伊予甘のほうは、完全にナショナル・パナソニックのクイントリックスのパクリだった。
全て線描きのイラスト・アニメーション動画で積み上がった伊予甘の箱の上に坊屋三郎と外人が居て「伊予甘!」と坊屋三郎が言うと、外人が「ヨーカン=羊羹」と言ってしまう。こんなので受かる訳が無いと思い、いつの間にか受けたことすら忘れてしまっていた。日常のヴァン ヂャケットの販促業務に没頭していたある日、すっかり忘れていたサンアドの2次試験通知が来た。驚くと共に、其処からは急速な進展でついには5名残った最終面接迄進んでしまった。
この頃、船の切り貼り絵の柳原良平氏がサンアド創設者にいた。その彼とは1989年のみなとみらい21・横浜博覧会で一緒に仕事をする事になる。

 まじめで気の小さい筆者(本当の話だ)は、どうせ未経験者だという事が直ぐにバレるのだから、早く言ってしまおうと最初の面接で実は未経験者だという事を白状した。そうして「申し訳なかった、即戦力になれなくて」とお詫びをして引き下がった。先方の採用官は、「履歴書で充分そんなことは判っていた。発想とアイディアのユニークさ面白さが命なのだから未経験でも充分やっていける。」と言ってくれたが、とても自信がなかったので丁寧に詫びた上で退室した。

 一方、赤坂見附のサントリー宣伝部へは沢山の受験者が来て居た。なんとヴァン ヂャケット意匠室から2名が受けに来て居た。誰とは言わないがニヤニヤしながら離れた席に座って一緒に受験した。サンアドと違って此処の試験は本格的だった。まずA3サイズの大きなレイアウトパッドが一人一冊づつ配られた。後は鉛筆と鉛筆削り、消しゴムだけ。
 サントリー新製品のデビューに関わる宣伝及び販売促進の企画アイディアと予算計上プランを立案しろと言う「お題」で制限時間は3時間だった。もうこの段階で数名が部屋を出て行ってしまった。諦めたのだろうか?二度と戻ってこなかった。

 VANMINI、VANBOYS あるいはKentブランドで散々やってきたことをサントリーの新製品に置き換えて企画すれば良かったので、さほどの戸惑いも感じないで書き進んだ。全国の酒屋の数や免許・店の格の話、酒屋の常識、流通規模・慣習は西久保商店街の徳島屋酒店での経験で殆ど判っていたので多分他の受験者達よりは有利だったと思う。人間何が幸いするか判らない。
 この1次試験を終え、二次試験に呼ばれたのは其の1週間ほど後だった。二次試験は面接だったがVANの同僚が二次に進んだかどうかは判らなかった。この面接の日は終了後直ぐには帰れず、しばらく待たされた。で、担当官は次のステップとして幹部の面接を受けて貰うという話だった。 つまり二次試験もOKだったのだ!「で、次はいつ来れば良いのでしょう?」と訊いたら、「次は本社だから大阪です。」と言われ「えっ?」と声に出して言ってしまった。
 赤坂見附のサントリーのビルがサントリーの本社だと思い込んでいたのはとんでもない間違いで、サントリーは大阪が本社だったのだ。「じゃ、もし入社できたら大阪勤務でしょうか?」と訊いたら、担当者はじーっと筆者の顔も見ながら「最初の2年程度はそう成ると思う」と言うではないか。もう何が何だか判らなくなってしまった。赤坂見附の坂に立っている見慣れた白いサントリーのビルが本社じゃないの?色々考えながら其の日は自宅に帰った。会社概要も調べずに受験するほうもアホだが、まさかまさかの大ドジだった。
赤坂見附の白いサントリービルが本社だとばかりに思い込んでいた。

 結局「年老いた母も居るし子供もまだ生まれたばかりで、東京を離れる訳には行かない」と説明してそれから先のステップを辞退したのだった。しかし最終まで行けた理由を聞いたら、実はサンアドを受けて最終面接まで行った情報が、サントリー宣伝部に入っていたらしい、裏ではツーカーだったのだ。しかし大阪行きを断ったこの判断は間違ってなかったと思う。なにぶんアルコールを一切受け付けない体質で、其のアルコールを売る為の宣伝と言う行為は、いずれ其の先壁にぶち当たり挫折しただろうと思うからだ。同時に関西の文化・習慣は東京とは大違いなので生まれたばかりの子供同伴家族でいきなり違う環境の異国のようなエリアに行こうとは思わなかったのだと思う。
 その後、当時世界最大の西ドイツ女性下着メーカー・トリンプ(=日本IFGトリンプ)を、自分で付け使用できないブラジャーなど女性のランジェリー製品の宣伝を出来ないという理由で1年勤めただけで辞めたのとまったく同じだった。

 それから半年ほどして、長雨冷夏の影響で落ち込んだヴァン ヂャケットの売り上げ不振の原因が天候気象のせいでは無く、マーケティング手法そのもの、ビジネススタイルそのものにも問題があるのではないかという事が上層部の間で検討され始めていた。その後中枢の役員クラスを含み、計画室も加わって「今後ヴァン ヂャケットはどの方向へどのようなビジネススタイルで進めば良いだろうか?」という大きなマーケティング・テーマを博報堂に提案依頼した。この時電通ではなく博報堂だったのは、ヴァン ヂャケットに出入りしていたのが電通本体ではなく関連会社の電通系子会社だったからだろうか?よくは判らない。どのような依頼をしたのか、依頼した場にはいなかったので判らなかったが、博報堂の報告プレゼンテーションがあるという日には何故か同席を許された。勿論其の時、この先自分が其の博報堂に入る等とは夢にも思っていない。




2015年6月26日金曜日

突然ですが、カメラマンと写真家の違いは?事後話. What is different between Photographer and Cameraman? again.

  番外編として、思うがままに突然アップした昨日のブログ「突然ですが、カメラマンと写真家の違いは?」の反響が大きくて驚いている。Yamasemi WebのContact usや何処でご存知になったのかEメールや携帯電話で連絡を頂いた方も居て、恐縮しまくりだった。嬉しい事にクレームやオブジェクション(=反対意見)は一件もなく、もう少し掘り下げて欲しいとの意見が大半だった。筆者は評論家でもなければ現役のプロのフォトグラファーでもない。でもおかしいと思うことは放っておけない性格なのだ。その意味からすれば読んでいただいた方々に厚くお礼をもうしあげたい。何故か昨日の投稿が日本ブログ村の野鳥写真ジャンルで何と6位だの8位に入っている不思議を体験させて頂いた。欲を言えば普段せいぜい4~50位の野鳥本体の写真も、もう少し視て頂けると嬉しいのだが・・・(涙)、と言いつつ平均で300ページ/日のアクセスを頂いているので本当に幸せではあるのだが。

 周りに乗せられて八代市内で小さなヤマセミの写真展(個展)はさせて頂いた事があるが、いわゆる写真コンテストには参加した事がないし、勿論今後も参加はしない。そのような単にヤマセミという野鳥に魅せられて観察撮影してきただけの人間だが、今までの経験値から思う事を書いただけで、これだけの反響があるというのは正直驚きだった。

 今日は連絡を下さったリクエストに対する答えになれば嬉しいので、もう少し続きをご紹介しようと思う。まず事前の下調べ、ロケハン等に関しての質問。事前にどの程度の事をするのか?という質問があった。此れは何を被写体にするかで全然違ってくる。風景であれば、例えば奥日光戦場ヶ原で朝霧を撮りたい・・・、阿蘇山の火口原を埋める濃厚な朝霧を撮りたい・・・、であれば旅程を1日余計に取り、天気予報と気温等を数日前から調べ、霧が出るか否かを調べる。と、同時に地元の方に訊いて朝霧のポイント、そのポイントで太陽の出る方向などを地図を見ながら確認する事にしている。
阿蘇の火口原から外輪山を朝霧越しに望む。阿蘇の霧は大概外輪山から撮るらしいので逆位置から狙ってみた。意図は見事に当たり大変好評だった。

奥日光で男体山の麓に湧き上がる朝霧、ほんの10分間しか現れない。事前の準備なくしては撮れない画像だろう。

八代の球磨川河口部真冬の川霧。淡い川霧は人吉と異なって非常に薄い。

一方で、いつ出てくるか判らない野鳥等は地元の野鳥観察者にお願いして情報を得る事にしているし、勿論前泊して日の出から完全装備でポイントを目指すようにしている。しかし此ればかりは半分以上「運」の成せる業なので、撮れなくて元々、撮れればラッキー!と思うようにしている。花や景色のように行けば在る・・・ではない所が、一回の撮影行で得られる成果が少ない意味で野鳥や大自然の生き物系の観察撮影者の辛い所だろうか?その代わり思いもよらず、撮影行の初日に2000カット以上も素晴らしい場面を撮れて、本来の目的を半日で終了できてしまった事も幾度か在った。
人吉にお住まいの辻先生の傑作中の傑作。何人に「合成でしょこれ?」と言われた事か覚えていないが合成ではない。此ればかりは事前準備しても無理。辻先生に宿った強運が唯一の理由。

自然観察の領域で画像処理画像と言えばまず存在しないが、こういうのは存在する。ヤマセミのホバリング中のあらゆる姿勢を1枚にまとめた貴重なもの。此れは此れで非常に学術的にも意味があるのだ。まず誰にも撮れまい、人吉の古江之人氏(筆者の師匠)の3年以上前の撮影。

 勿論筆者はヤマセミの生態観察がその撮影の軸であり、芸術的な写真(何が一体芸術的なのか良く判らないが)等には程遠い「生態証拠写真」を収めねばならないので、写真展やコンテストにはまるで縁が無い。コンテストで入選したいがために有力者・著名フォトグラファーに師事する事もなく、カメラメーカーの同人クラブに入ったりもしない。
 世の中にはまったく公平なコンテスト等、殆ど存在しないと言う事くらい、長い広告代理店生活でよく承知している。写真の世界も絵画・書道の世界・お茶やお花の世界等、習い事ジャンルのコンテストには必ず「入選する仕掛け」と言うものが存在する。ご存知の通りあのサッカーのFIFAですらああだモノ。メディアが報道しない裏の世界は幾らでも在るのだ。世の中金と人脈次第!これらも筆者がコンテストには参加しない大きな理由のひとつだ。

 しかしこうも思うのだ、長い事自分で撮影活動を行ってきて、色々な先輩達に教わり、失敗を重ねて今日に至った自分としての考えだが、撮った後で簡単に「この杭は邪魔だから消してしまおう、この雲は綺麗じゃないから処理しちゃおう・・・。」と言う最近のイージーな傾向はとてもじゃないが好きになれない。
 ましてや四角いものを丸くしてしまったり、薄い夕焼けを見事な真っ赤な夕焼けに化けさせたりもしない。電線や杭なども後処理で消したりしない。在るがままにしないと生態証拠写真にはならないからだ。綺麗でかっこよい画像等より、ヤマセミの生態の素晴らしい瞬間を切り取るという、しっかりとして揺るがない理念のもとで撮影しているので価値観そのものが違うのだろうと思っている。
 結局は自分の素地に成る下積み期間を経ないで、いきなり後処理でイージーに賞をもらえるような今の写真コンテストの仕組みは、良いフォトグラファー等絶対に生み出さないだろうと断言できる。大体、人間で言えば整形美女のコンテストって訳だろう?

 それなら、いっそのこと色々手を加えて作品として提出したモノを審査するのではなく、元データからどれだけ画像処理で綺麗で立派な作品に化けさせる事ができたかのコンテストにしたら如何だろう?その処理技術のコンテストにするのだ。

 そうでもなければ、撮ったその日の夕方に撮ったままのデータを提出して現場で審査すると言うのは如何?そうすれば今までのコンテスト上位入賞者など何処かへ吹っ飛んでしまうだろう。優秀なレタッチ職人に出逢えたから、有力者のグループに入っているから・・・等の理由でコンテストに入選して一体何が嬉しいのだろう?本人はいつまで経っても撮影が上手くなる訳がないと思うのだが・・・。この辺りは写真家かカメラマンか?の領域をはるかに超えた部分なのでこれ以上踏み込むのは止めよう。

 
「あとがき」
重ねて色々コメント、連絡を頂いた方々に心から感謝します。少なくとも自分の思っていた事が間違っていなかったと言う安心感で、次への自信・エネルギーを頂きました。








ブッポウソウのおまけ! This is the another report of the broad-billed roller.

  ブッポウソウの観察レポートを3回続けたが、アクセス数が多く思いのほか皆様の関心が高い事が判った。ブッポウソウは広島県や岡山県などで積極的に巣箱を掛ける保護活動に力を入れていて、順調に飛来数が増えて居るようだ。しかし熊本県では飛来地が1箇所ではなく数箇所あり、毎年必ず飛来するのは筆者が視認しているだけで3箇所ほどある。しかし残念ながらいずれも他県のような巣箱を架けられるような環境ではない。

 魚類が豊富な球磨川水系にヤマセミが多いのと一緒で、トンボ類、甲虫類の多いエリアを好むブッポウソウだから熊本県・宮崎県・鹿児島県の県境に飛来する理由もなんとなく判るような気がする。広島県や岡山県のブッポウソウは人間の生活する村落エリアで繁殖したため、人間に対する警戒心も他のエリアの個体より少ないDNAが受け継がれているのだろう。しかし、ブッポウソウ目のブッポウソウもヤマセミも基本的には非常に警戒心の強い野鳥だ、これらが間近で視られると言う意味では広島・岡山・熊本エリアは稀有なエリアと言えるかもしれない。

ブッポウソウはお好みの樹木、集合場所が決まっているケースが多い。

何か環境が良いとか理由があるのだろう。見渡しが良い日陰とか・・・。

晴れると陽射しが強い5~7月なので撮影するほうは苦労する。

口を開け続ける理由は体温調整なのか?

2羽留まっている所に3羽目が飛んできて・・・。

3羽揃って口を開けていると、昔のTVシリーズちびっ子大将?の3兄弟のようだ。

ブッポウソウを観察中上空を横切って行ったのはどうやらアオバトの3羽編隊だった。


昭和時代のちびっ子大将= http://blogs.yahoo.co.jp/kk12120928/32441279.html




2015年6月25日木曜日

突然ですが、カメラマンと写真家の違いは? What is different between Photographer and Cameraman?

 出版関係の知人数人に訊いてみると、最近写真集が売れないという。風景写真集、野鳥の写真集、ヌード写真集、自然景観写真集などなど。
 一方で写真展への入場者、写真機材などの新製品発表見本市系への入場者はどうなっているのだろうか?写真展への入場者数は「報道写真展」あるいは岩合光昭氏の「ねこ歩き」あるいは「ネコライオン」などは数々のメディアの告知もあり、また写真とは直接関係のない猫好きの入場者数が増えているようだ。自分が最近強い影響を受けた動物写真家の故星野道夫氏の展覧会も同様。が、一方でいわゆるカメラ系メーカーのフォトサロンの写真展入場者数は減少傾向に在るようだ。此の傾向の原点は、写真を観て和むのではなく、自分で撮ってみたい、あれくらいなら自分でも撮れるだろう?・・・という参加型、なおかつ負けず嫌い的な心理が働いているらしいと言うのだ。

 しかし、此処に大きな考え違いが存在するのだ。高い価格の最高級のプロ用カメラで撮れば「良い写真、カッコいい写真が撮れるに違いない!」と思っている人の何と多い事か?高価でハイスペックのパソコンを使っているから高度な事ができる・・訳ではないのと一緒で、大きな勘違いが此処に生じている。逆にカメラメーカーはそれを逆手にとって我が世の春!とばかりに新製品を発表し、一眼デジタルカメラのボディにまで嫌らしい色を付けて購買意欲を煽っている。何なんだろう此の傾向は?此れで良いのだろうか?皆さん「俺が、私が・・」と自分で撮り自己満足の世界に浸り始めた為、写真展へ足を運ばなくなり、他人の撮った写真集などお金を出して買わなくなった・・・らしいのだ。




此れと同時に最近よく言われることに関してちょっと探ってみた。写真撮影をしている人たちの間でよく言われるカメラマンと写真家って何が違うの?野鳥写真を撮っている人の中にはアマチュアカメラマンと俺達は違うんだと威張っている人たちが居るけれど、それってどうなの?最近此の話をされる事が多くなってきたので今日は此の話をしようと思う。あくまで今までの自分の経験と交友関係の中から得た話だ。長い事広告代理店で色々な事を経験してきた手前、今まで色々なプロの写真関係者と付き合いがあった。まずは一番の先生スティーブ・ウイルキンス(=Steve Wilkings)長い事ハワイのオアフに在住、サーフィン、ウインドサーフィン関連ではレジェンドと呼ばれる存在、現在はカリフォルニアに戻っている我が恩師。
※ http://yamasemiweb.blogspot.jp/2013/07/mrsteve-wilkings-is-my-great-teacher.html 参照

その他1973年雑誌アンアンの座談会に一緒に出た同い年の故前野やすし氏、ウインド、スノボイベントで散々一緒した播本明彦氏、雑誌ポパイでお世話になった馬場祐介氏、恩田義則氏、更には野鳥写真家のティム・レイマン、キアシシギの研究者アラン・スチュアートさんなどなど、多くのプロ達との話の中から得た知識、考え方をベースに筆者の頭の中は出来上がって此れを書いている。
 一方で大手カメラ量販店、伝統的な銀座のカメラ機材屋さん、Canon、Olympusなどのショウルーム・サービス関係関係者にも話を訊いた。その殆どの方々の話は残念ながら受け売りで、ご自分の実体験ではなかったが役には立った。これは色々な立場によって考え方が違うと思ったからだ。

前置きは此れくらいにして本題に入ろう。

 カメラマンも写真家も英語にすれば両方ともフォトグラファー(=Photographer)で同じだ。これは日本の国会で軍隊も自衛隊も英語にすればThe armed forces(=武装軍隊あるいは国軍)で一緒だ・・・と論じ合っているのと一緒だ。自分が接した海外の人たちの考えは簡単明瞭だった。結論から言うと写真家・カメラマンの区別はなく、プロかアマかの違いだけだった。中でもスティーブ・ウィルキンスとの長い合宿生活の中で得た一番納得のいく答えはこれだ!「依頼主(それが例え撮影者本人であっても)その注文どおりの写真を納品できるのがプロ。好きにたくさん撮ってたまたまその中にプロを凌ぐ傑作が数枚撮れたとしてもそれは何処で賞を獲ろうとアマチュア。

 その前に、此の事に繋がるもっと大きな基本的な話をしてくれた。それはプロというものは写真撮影者でも中世の画家でも必ず「具体的なしっかりとした意図・目的」をもって撮ったり描いたりする。その目的を達する、満足させる為には勿論意図的な演出・工夫が存在する。出来上がったモノの良し悪しは此の演出・意図がどれだけ成功したか否かが重要なのだ・・・・と。 

 人の心を感動させる何かは決して漠然と「こんなの良いんじゃない?たくさん撮れば中には良いのが在るかも?」程度では生まれないという事だ。事前のロケハン、天候調査、太陽の角度、遮蔽物、背景の条件・状況予想を吟味した上で、出来上がった「写真・絵」を常に頭に描きながらシャッターを押す、或いは筆を走らせる・・・というのだ。

 花を撮るにしても背景に空を抜くのか、完全に背景をぼかして花だけをアップさせるのか、形の素晴らしさを出すのか?色の綺麗さを出すのか?はたまた背景の場所(例えば鎌倉?)の効果を加えるのか?出来上がった写真が如何にピンが来て露出もばっちりであっても、その写真を観る人にどういう感動を持ってもらいたいかの意図の無い写真は「死んでいる」とも教わった。

 意図的に撮ると言うのは当たり前の事。言葉で言うのは聴こえも良いし簡単だが「自然の在るがままに・・・」という写真を撮る事はとてつもなく大変だと学んだ。どれだけそう思わせる為の事前演出や準備が必要か、良く経験を積んだほうが良いとも教わった。勿論撮る前の意図的な準備と、最近多くなってきている撮った後のデジタル処理・加工で「ウソ」を造り出すのとはまったく別の問題だが・・。

 その上、決して言い訳をしないという。「光がねー、」だの「人が多くてねー」だの「AFが鈍くてカメラが機能してくれない・・。」だの上手く行かない事を他に責任転嫁しないのがプロだとも言っていた。
紫陽花のアップだけを撮りに人出で超混雑の鎌倉に行く・・・人も多いが。

せっかく切り通しの多い鎌倉に行くならその佇まいも入れた撮影をお勧めする。

 これは30年も前から自分も「まったくそうだ!」と思い続けているので、全然違和感は無い。

 新しいカメラが発売になれば「良いらしい!」と「やらせの投稿書き込み」や「宣伝文句」に飛びつき、自分の持っているカメラ機材の自慢、なかなか出遭えない野鳥の撮影に成功した自慢、撮れた画像の良し悪し以外のところでの「優越感」の争い、或いは自慢合戦、自分を優位に見せたいが為の他人の貶し・非難・・・団塊世代に限らず一般のカメラ・写真撮影者の領域では此の手が増えているようだ。いや、此れは昔からゴルフや釣りやスキーなど趣味・娯楽の世界にも在るには在ったが、写真撮影の世界の場合は少し度が過ぎるケースが目立つようだ。

 こうも言っていた。撮った写真を後から細工したり加工したり(いわゆるデジタル画像処理・レタッチ?)するのは撮影者としてのプライドに関わる事なので、自分は一切しない。そういう事をしないで済む様に事前に写真撮影の準備段階でそういう事を考えて段取りをするのがプロなのだと。1990年代からの付き合いで今はFB上あるいは郵便でのコミュニケーションしかない彼(スティーブ・ウィルキンス)だが、デジタルの時代になって写真の世界も本物のプロが少なくなって来たとコメントをくれた。

 さて、本題の「カメラマンと写真家の違い」だが、簡単に言うと筆者はこう考えている。写真家はプロであるか、そうでないかの違いで大御所的写真家が居る一方、未熟者の写真家も居て良いと思う。
 画家、版画家、茶道家、華道家、評論家、収集家、と呼ぶに資格が不要であるのと同じだ。それで飯を食っているか否かは別の次元の話。「食えない画家」と良く言うではないか。それが趣味であれ、ベテランか未熟か、先天的なセンスが有るか無いか(此れは実は非常に重要)は別として、一生懸命「夢中」になっていれば「写真家」と言って良いだろうと思う。言うだけならタダだし、誰も「お前ごときで写真家とはオコガマシイ!」とは言えないだろう。勿論、「写真家」と言う呼び方は評論家、料理研究家と言った程度のものでしかなく、決して写真撮影が上手いと言う事が「写真家」というタイトルの意味ではないから・・・。

 一方でカメラマン、と言うのは現在英語圏ではビデオカメラ=動画撮影者の事を示すほうが多いとスティーブ先生は言っていた。いわゆるその作業姿を想像する言葉としてヒットマン(殺し屋)、メイルマン(郵便屋さん)、スポークスマン(解説・伝達者)、フィッシャーマン(=釣り人・漁師)と言う感じなので運動会で我が子の撮影に我を忘れている親もカメラマン・・・なのだ。

 だから、野鳥の撮影を趣味としている御仁たちが、「アマチュアカメラマン達・・・」という一種見下した物言いは、上から目線の嫌らしい言い方以外の何ものでもないという事だ。自分も含めて少し反省したいと思う。決して経験を積んだベテラン上級者や高尚な野鳥保護・野鳥観察をしているからプロ・・と言うわけではないのだ。たとえご自慢の最高級のプロ用カメラを駆使しているとしてもだ。 

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2015年6月24日水曜日

ヤマセミの面白い生態発見! I found extraordinary custom of Crested kingfisher at Kuma-river.

 今回5月末、人吉に到着していつもの様に矢黒神社に詣でて撮影中の安全、ヤマセミ遭遇頻度の向上を祈願しいつもの撮影ポイントに行ったら何か景色が違う!今まで6年間必ず其処に存在していモノがないっ!実は今年の2月頃、ヤマセミが好んで留まっていた有名な球磨川の両岸に架かっていたワイヤー架線が撤去されてしまい、無くなってしまったのだ。

 この架線はヤマセミのみならず他の多くの野鳥たちにとっても非常に大切な存在だった。時には色々な野鳥が呉越同舟でこの架線上で休み、あるいは矢黒神社周辺を縄張りとしている3家族のヤマセミもお互い共通の羽根休め場として共有し、200m程の架線の両端に縄張りの違うヤマセミが羽休めをするという珍しい環境になっていた。昨年はこの架線の上でのヤマセミの交尾行動を撮影できたし人吉でヤマセミの生態を見守っている多くのメンバーの間でもシンボル的存在だった。

 しかし、今回それが無くなっていた。九電の管轄だとは聞いていたが、再度架け直す計画は無いらしい。大事な撮影ポイントが消失したと一時は関係者の間で落胆が広がり大騒ぎになりかけたものだった。今回も意気消沈して「まあなんとかヤマセミも、それなりに知恵を働かせて環境の変化に慣れ、知恵を働かせるだろう?」程度の淡い期待で観察に向かった。

 そこで見たモノは!もう感動以外の何物でもなかった!この発見はヤマセミの生態としての重要な項目の一つに加え、生態観察記録として発表する予定。

この架線は色々な野鳥達の共有の羽根休めポイントだった。時にはこういう鉢合わせも。

此処からの採餌ダイブは有名なパフォーマンスだった。

大雨でもつがいで羽根休めする姿が時折見られた。

その架線が無くなった今、なんと元・架線が在った高さまで飛んでホバリングをしていたのだ!

普通ヤマセミはせいぜい川の土手の高さでしかホバリンガをしない。

しかし、個々の個体は余程架線に慣れ切っていたのだろう。

逆に言えばその高さまで行かないといつもの調子が出ないのだろうと推察する。

どっち向きでも必ずその高さまで上がってホバリングしていた。

これには驚かされると同時に、環境というものは生態に大きな影響を与えるのだと思った。 

結局ダイブする瞬間の画像は架線があった時代とほとんど同じ絵になっている。

これは此処の個体だけの独特なのだろう、果たしてこのヤマセミの子孫達にこのDNAが伝わっているだろうか?




2015年6月23日火曜日

ブッポウソウの観察レポート その3.激しい闘い.!This is a report that observed the broad-billed roller in detail. Part 3.

 ブッポウソウの観察レポート最終回は思いがけず目の前で起こったブッポウソウ同士の大喧嘩!と言うより闘い。元々ブッポウソウはその美しい南洋系の色彩とはウラハラに物凄く奇妙な鳴き声の持ち主である事はご存知の通りだ。ゲッゲッ、或いはブツブツ・ゲーゲー鳴きながら飛び回っている。オウムの類も同じようだから綺麗で美しい姿で声もまた非常に美しいというのはあまり居ないのだろう。昔フリードウッド・マックという英国出身の男女混合のロックバンドのリードボーカルにスティーヴィー・ニックスと言う絶世の美女が居た。姿はロック界最高の美女なのにその声たるや魅力的では在ったが蛙を潰した様な声だった。似たようなモノだろうか?
英国のバンドFleetwood Mac 手前右がスティーヴィー・ニックス。


 ブッポウソウの話に戻そう。

 そのブッポウソウを距離80程で観察・撮影中、木の枝に止まっている一羽のブッポウソウめがけてもう一羽のブッポウソウが物凄い声で迫ってきた。普段聴き慣れたブッポウソウの声ではなかったような気がする。ヤマセミの縄張り争いやメスを巡って、或いはオスを巡っての奪い合いの闘いは散々観察・撮影した経験はあるが、ブッポウソウのそれは初めてだった。しかしヤマセミに劣らない壮絶なガチンコ勝負だった。ブッポウソウ目は意外に獰猛で喧嘩っ早いのだろうか。

ブッポウソウもヤマセミ同様お気に入りの止まり木があるようだ。

この日の正午ごろ此の枝で交尾をしていた。そのお気に入りの枝にいた一羽に・・。

突然下からもう一羽が猛然と突っかかってきた!

留まっていた一羽も猛然と上から飛び掛る。

地獄の底から聴こえて来る様な聴きなれない鳴き声で戦いが始まった。

ガチンコでもつれ合う二羽のブッポウソウ。

ホンの一瞬だったろうがすざましい自然の営みだった。

とりあえず今回のブッポウソウ観察レポートは今日でおしまい。その後のレポートは次回の人吉訪問後出来たらご報告したいと考えている。