このブログもアクセス数が積算でとうとう120万回を超えた。特に最近は1日で2000アクセスを超える日もあって、喜びと共に責任の重さを感じる今日この頃。
いつもご覧いただいている方々には心から感謝したい。
筆者は今まで11冊の野鳥写真集を自費出版して来た。
このブログもアクセス数が積算でとうとう120万回を超えた。特に最近は1日で2000アクセスを超える日もあって、喜びと共に責任の重さを感じる今日この頃。
いつもご覧いただいている方々には心から感謝したい。
筆者は今まで11冊の野鳥写真集を自費出版して来た。
連日メディアが伝える感動のアスリート奮闘話・成果。このイタリアのミラノ、1996年長野オリンピックの2年前スイス・インターラーケンでのFIS(=国際スキー連盟・International Ski and Snowboard Federation)会議に日本のスノーボード担当者として出席した際、次の週会議がミラノで行われ、アルプスの長いトンネルを列車で抜け、初めて訪問したのだった。
イタリアはそれまで1972年英国40日ホームステイ滞在の帰りにローマで2泊しただけ。ミラノやトリノ、ベネチアなどへはまだ一度も足を踏み入れた事が無かった。
当時筆者の頭の中はスノーボードの事で一杯だったからミラノのシンボル「ドゥオーモ」にも神道信者の筆者としては全く興味が無く、建物含め施設内には一度も足を踏み入れなかった。
むしろ、並木通りに面した豪華なホテル(Diana Majestic, Milan)から徒歩で30分ほど歩き、SAJ(=全日本スキー連盟)やFISの人々と一緒に「ドゥオーモ」見物に行った際も、途中の高級住宅街の庭にピンクのフラミンゴが数羽いたのに絶句した印象の方がはるかに大きかった。
ミラノといえばファッションで有名だし、1970年代VANに勤めていた際石津謙介社長から「ネクタイとサングラスだけはミラノが一番だぞ!)と教わり、良い品物を扱う店舗が多いと知っていたので、その両方をドゥオーモの行き帰りに買い求めたことぐらいしか覚えていない。
話が逸れまくったが、今自分の人生を振り返ってみるとスノースポーツに関しては今回オリンピックの種目を含め筆者自身で数多く実際プレーしながら楽しんで来た。
古い順に並べると・・。
①アルペンスキー、高校1年生15歳の時1964年~2008年頃。デモ選系の○○級といった基礎スキーの教程バッジテストは目指さず、ポールをクリヤーする競技系、あとはスキー場の頂上から麓まで一気に滑り降りる耐久ダウンヒルが好きで2~40歳代に盛んにやった。
故・髭の殿下のチーム「トド組」として乗鞍岳でのフィーゲルスキー・スーパー大回転レースに数回出場、50歳以上の組で今回オリンピックの前回開催時(コルチナ・ダンペッツオ大会)に出場された杉山進さんと同クラスで一緒に競った。(ゴール直前転倒し勿論順位は良くなかった)※フィーゲルスキーとは雪山登山で雪渓を横切る際に使用する50㎝ほどの超短い登山用スキー。
②アイスホッケー、1973年4月に新入社員として青山のヴァン ヂャケット宣伝販促部へ配属された初日にアイスホッケーの防具一式をドサッと足元へ置かれ「今日から君はアイスホッケー・ヴァンガーズのメンバーだかんネ!・・といわれ4年間プレーした。東京都実業団連盟下で2部~1部と昇格し、常勝・国土レッドアローズと戦う羽目になった。(※もちろんそんなトップレベルの試合には出してはもらえなかったが、公式戦で得点はしている)
③スノーボード、1990年北海道ルスツで2年連続で開催されたISF(プロの団体)スノボワールドカップを仕事として運営・参加した際スキーを履いて運営したのだが、TDのテッド・マーチンに言われスノボを現場で初めて履く事に成った。徹夜でゲレンデに灯る灯りを頼りに3時間ほどツボ足で上り下りして緩斜面練習をし、汗だくで何とか滑れるようになった。
翌朝スタッフ宿舎のログハウスから黒いビニールのゴミ袋を抱えてスノボで下まで降りたら関係者から「えっ?」と驚かれ、有頂天になって即ハマった。
④クロスカントリースキー、1996年長野県飯山市のビルケバイネル・スキー大会(故・髭の殿下が名誉総裁)を仕事として運営することになった。
大会前日設営が終わってから「自分でもやれよ!」と先輩に言われ、大会施設で初めて履いて滑ったのが最初。で、翌日の競技に出場しろと言われ慣れないまま初めて競技に出場、全体の真ん中くらいの成績だった。
雪の日の野鳥の警戒心に関して昨日投稿したが、カワセミはもっと警戒心が薄れるようだ。
一級河川の野川流域ではカワセミが500m置きに生息していて、シャッターチャンスが豊富に生まれる恵まれた地域なのだ。塒などは国分寺ハケ線の崖附近のようだ。
野川のカワセミは筆者のテリトリー内で3~5つがいが生息している。御塔坂橋~小金井新橋間4.5㎞の間。春の繁殖期には野川の土手に掘った巣穴(すべての個体がそうではないが)の前でどっかりと腰を下ろして一日中大砲レンズを巣穴に向けているアマチュアカメラマンが居るが、最近はいつでも見られるのでそういう「へばりつき」タイプの御仁たちには会わなくなった。
10~20年前は高齢者が数名折り畳み椅子に座って日向ぼっこしながら並んでカワセミを待ち、三脚を立てて日がな一日雑談にふけっていたが、最近は観なくなった。飽きたのか其処へ集まるエナルギーが失せたか、もしくは・・。
昨年は1月後半~2月中旬まで熊本県へ遠征して写真展を開催していたので、三鷹での雪の日の撮影チャンスが無かったが、数年前雪中でのカワセミ撮影のチャンスがあった。ちょうど2年前の2月6日だから今年とほぼ同じ時期だった。
https://yamasemiweb.blogspot.com/2024/02/urgent-post-what-were-wild-birds-doing.html
やはり、雪が降った日の野鳥の行動は今風に言えば「餌さファースト!」で必死のようだ。
今年に入って首都圏は雨が非常に少なく乾燥が続き、近所の野川も例年以上に干上がって野鳥たちの吸水場が少なくなっている。
ただ、BBCやNHKの野生動物記録映画に出て来る砂漠のように何もない様なひどい状態ではない。野鳥はフィールドにおいて常に水のある場所を知っていて、公園の池や農業用水溜池など、あるいは我家のベランダのような水場で充分に吸水をしている。
我が家のベランダの野鳥用の水場にも数多くの種が飲水に来る。