2022年7月6日水曜日

団塊世代は12年前に訪れた西オーストラリアの野鳥写真集を発行した。その3. The baby-boomer published a collection of wild bird photobook from West Australia that they visited 12 years ago.Part3

 新型コロナもオミクロン株という重症化、死に至るような重篤性が無くなった株が主流になった事で、ある一定の判断が出来るようになったようだ。その結果日本にとどまらず世界中で制限・規制が緩められたのと同時に、マイナー変異株が従来株に入れ替わることで、またぞろ国内感染者数が増えているようだ。

 これらはとりもなおさず、相変わらず周りの目を気にしたマスク着用効果が無い事(=900万人以上の累積感染者は全員マスクをしていたはず)、何回打ってもワクチンが効かない証(ワクチン2回打った者の方が感染率が高い事実)などを裏付けていると思うのだ。

 同時に、過去2年半の世界中の関係機関のデータ分析研究の結果、便が排出される糞口感染の重大性、危険性・感染データ(=病院・高齢者施設・合宿所・相撲部屋・飲み屋・レストランなどでクラスターが発生する主因が共同使用便所である事)を公表し、防御策を変えたほうが効果が大きいという事実を明らかにしない為政者たち。

 複雑な力関係で「真実」が具現化されない医学界の奇妙な体質・施策でなかなか日本における本格的な終息は迎えられないだろうと思う。

 さらにTVメディア等により「偏った情報、国の進めるワクチン接種促進後押し情報」のみで洗脳され過ぎた一般国民の「根拠のない思い込み、根拠のない同調気風」が「新しく判明した真実(=過去メディアで流れた常識が間違いであるという新事実)を理解できず受け入れようとしない国民性・気質」

 「感染症に詳しい・・。」などという裏付け・根拠もない実際は専門外のコメンテーターの解説を真に受けて「根拠・裏付けのない情報」を信じ込み行動し、なおかつそれを口伝えで拡散してしまう日本人の残念な性格が、更なる終息遅延を引き起こしているのだろうと筆者は思う。

 もう、新型コロナ過に疲れてしまい、メディア情報にも脳がしびれて慣れてしまい、正しかろうが、エビデンスが有ろうが新たな情報は面倒くさいから受け入れたくない、聴く気力もない人々が巷に氾濫しているような現状。人間のいい加減さに呆れる毎日だ。

 せっかく新しい情報・データで今まで正しいと思っていた事が嘘だった・・と解説しようとしても「小さな親切は大きなお世話」状態のようで相手にされない残念な状況だ。そういう人々がスマホから逃れられない人々との様に何だか沈みゆくタイタニックのネズミのように見えてしまう。

 何故ネズミなのかというと、かのホーキンス博士が言った「地球人類は立ち止まって状況を分析し自分で判断せず、周りの群れの流れに乗って進み、安心しながら崖から落ちて死んでいくネズミ達とあまり変わらない」・・・を目の当たりにした気がするからだ。

 かって、コペルニクスやガリレオが「地球は丸くて回転している。」と唱えたのを人々や為政者(教会組織)たちが宗教圧力・(=現在の同調圧力)で押し流した事に今のコロナ過における人々の行動が重なって見えてしまう・・。


 で、話は変わってオーストラリアの野鳥の残りをご紹介。







結局、ワイナリーのブドウにネットを掛けているのはマグパイ(=カラスの一種)など大きな野鳥の食害を防ぐためのガードで、ワイナリーに集まる小さな野鳥はムシクイ系で熟したブドウの甘い匂いに集まる昆虫を狙っていることが判明した。

2022年7月5日火曜日

団塊世代は12年前に訪れた西オーストラリアの野鳥写真集を発行した。その2. The baby-boomer published a collection of wild bird photobook from West Australia that they visited 12 years ago.Part2

  今日「WILDBIRDS of AUSTRALIA」の印刷が上がってきた。非常にいい出来栄えで満足!やはり明るい太陽光の下での動植物の写真はきれいに印刷が上がる様だ。

 最近あちこちで「世界に一冊だけの自分の本を造りませんか?」などという写真撮影愛好者の心をくすぐる・・・、あるいは足元を見透かしたような広告宣伝があるが、どれも写真さえあればOKと言いつつ、1冊数万円もかかるようなビジネス。筆者は「何だかなー?」状態だ。

 素人がオフセット印刷で1000冊も印刷するわけがないので少数ロットの印刷になるだろう。一番最適なのがオンデマンド印刷。最近どんどん技術面でもコスト面でも進歩しているようだ。

 ネットで画像を観られる時代、何もアナログで印刷した写真集をたくさん蔵書する時代ではないように思う。デスクトップPCやラップトップPCから遠ざかり、すべての情報をスマホで済まそうとする風潮に筆者は異論を持っている。

 だからブログ上の写真集はスマホで小さくしか見られないので、印刷した写真集を欲しいなどという方にはもちろん差し上げない。

 筆者の場合はIT、パソコンの師がそのまま写真集のデジタル入稿を引き受けてくれるので非常に安く出来ている。やはりこういう時にパソコンスキルの重要性を強く感ずる次第。

 今日は昨日の続きページから。

ボーダンクロオウム、西オーストラリアの端にしか生息しない大型の黒いオウム。

ユーカリの仲間のブラッドツリーのトックリの様な実を啄ばんでいた。

白黒カラス。いわゆるオーストラリアマグパイと言われるカラス。ヨーロッパで観られる日本のカササギに近いタイプではなく、図体は大きい。

New Holland honeyeater

 メジロキバネミツスイ=個体数は結構多い。

左はマツカサトカゲ、右は Red wattlebird アカミミダレミツスイ

black faced cuckoo shrike オーストラリア オニサンショウクイ、右Laughing Kookaburraワライカワセミ。

Yellow-rumped Thornbill コモントゲハシムシクイ

2022年7月4日月曜日

団塊世代は12年前に訪れた西オーストラリアの野鳥写真集を発行した。 The baby-boomer published a collection of wild bird photobook from West Australia that they visited 12 years ago.

  2010年2月初旬、極寒の東京から赤道を越えて真夏の西オーストラリアへ3泊5日のワイナリー視察ツアーに同行するチャンスを得た。

 残念ながら、筆者は親からアルコール分解酵素をほんの少しも受け継がなかったため、正月のお屠蘇でも、本格的奈良漬けでも目が回ってしまう。勿論、病院やワクチン会場で注射する際、アルコールでの消毒もダメ。シンジョーは人生半分損をしているとよく言われる。

 そんな体質の筆者がなぜワイナリーへ喜んでいったか?その答えもこの写真集に込めてある。写真集と言ってもたかが50ページのミニ版だ。

 12年も前に撮った海外の野鳥の写真集を今頃なぜ出版する気になったのかと言えば、世田谷の中学校の同級生のご縁でツアーに参加できたのだが、その中学校の集まりが決まったので記念に皆に観て頂こうとの思いから急遽7日間で編集~入稿までこぎつけたのだ。

 12年前に比べれば、DTPに関してハードもソフトもはるかに充実したおかげで、素人でもある程度の基本編纂がやりやすくなっているのも早く作業が進んだ理由だろう。早くも今日印刷物が上ってくるようだ。

 50ページほどの短編なので、2~3日で全ページをご紹介できよう。例によって仲間で分け合う非売品なので販売予定はない。

表1・表4、Gahlah(表1) と Australian Magpie(表4)


扉ページ。

オーストラリアの自然の紹介。

Gahlah モモイロインコ。落鳥(ヒナ)を子供が拾って育てると聞く。


Gahlah

The rainbow lorikeet ゴシキセイガイインコ、The Australian Ringneckコダイマキエインコ

2022年7月3日日曜日

団塊世代はスポーツに関わる報道へのスポーツ音痴の批判・非難に呆れる。 The baby-boomer generation is amazed at the criticism and criticism of sports-related news reports by who poor at sports.

  世の中メディア報道を含めて、起こった事や他人の行動への非難・批判は憲法のもと自由(SNSの卑怯な中傷・叩きは除く)だという事に成っている。

 たとえ絵を描けない人が展覧会の絵を批判・非難しても、楽器を何も弾けなくても演奏家のステージを批判したり非難したり、通ぶって上手い下手を言うのも勝手だろう。その極致が文春砲だと思っている。

 いつの間にかそういう事が普通の世の中になってしまったのは、教育者たちの教え方に問題があったからだろうと筆者は思っている。他人を批評したり非難するだけの資格・スキルが自分に備わっているかどうかよく考えて・・などという「己を棚に上げて他人を批判してはいけない・・。」などという教育をしていないのだ。

 筆者など団塊世代は、やたら無責任に人の行いやプレーをなじったり非難したりすれば「じゃあ、君には出来るのか?君ならうまくやれるんだろうな?さあ、やってごらん!」と言われて育ったものだ。

 子供が大相撲の贔屓力士が負けて無邪気に「ダサいなー!」とガッカリしながら言うのと、同じことを相撲など自分で取ったこともない一般の大人が解説者ぶって言うのではその意味に雲泥の差がある。

 野球選手がエラーをしたり空振り三振した時のヤジも同じだ。「じゃー、お前が同じ状況下でエラーせずにできるのか?お前ならヒットでも打てるのか?」と訊かれれば「それとこれとは違うだろう?」と逃げるに決まっている。心の中で思うのは勝手だが、口に出して言うなよと言いたい。

 最近の部活コーチの苛めだとか虐待だとかを、さも相当酷い事の様に理不尽に攻め立てる多くのメディアや教育委員会の記事が出るたびに「一体君たちはスポーツをどこまで知っているんだ?」と言いたくなる。数多くのアスリートやアスリート上がり(決して全日本クラスのトップとは言わない)の方々には同じ気持ちの方が多いのではないだろうかと思う次第だ。今日はそのあたりの不満を吐露してみたい。

 ちなみにこのブログでは過去幾度も筆者のスポーツ遍歴を書いているが、決して自慢をしているわけではなく、何故スポーツの話になるといきり立ってこういうブログを書くのかの背景として述べておきたい。

 筆者がスポーツに目覚めたのは中学校時代、全校のスポーツ大会で走り高跳びに出て155㎝身長の筆者が145㎝を飛んだ時だ。大会前日に生まれて初めて校庭の砂場で竹竿のバーを飛んだのだから自分自身いかに驚いたかお判りだろう?

 それ以降、高校でバレーボール部、単身で陸上大会の走り高跳び・幅跳びに出場。冬はスキー(アルペン)。大学でサッカー部(神奈川県知事杯優勝→1971年和歌山国体・神奈川県代表権獲得)社会人になってアイスホッケー(東京都社会人リーグ1部Vanguards)、ウインドサーフィン(Wave & Slalom)スノーボード、クロスカントリースキー。

 もちろんジョギングや遠泳など競技種目ではないスポーツも並行して行ったが、基本的には勝ち負けのはっきりとした種目が多かった。

 話は戻って・・・。

 ゆとり教育に限らず、最近の学校では生徒間の差別につながるからとあからさまに優劣を付けないよう、運動会で徒競走や勝ち負けのある種目をさせないという事を聞いた。しかし、これって良い事だろうか?正しい事だろうか?

 人間の個人差で優劣が付くことがそんなに悪い事だろうか?この根本部分で最近の世の中・教育者やメディアは考え違いをしていないだろうか?人間努力をして人より優れる部分が育っていく事がなぜいけないのだ?

 もし本当にそう思うのだったらオリンピックで金メダルを獲ったアスリートを褒めるなよ、一緒になって「元気をもらった!」などと言わないでほしい。

 いずれ社会人になって、商売や研究・製造部門でトップを目指すのは必定ではないのか?あの「二番じゃ何故ダメなんでしょうか?」と担当者をいじめていた蓮舫だって、今激戦選挙区で一番目指して選挙の真っ最中ではないか?

 NHKの社員だって、メディア・マスコミ関係の就職戦線を戦って勝ったからこそ入社できたんじゃないの?「競争・競技」は勝つために努力するんでしょ?

 サッカーや野球、柔道などで、やれ県大会で優勝するためにとか全国大会に行けるように頑張る‥などというのは過激な虐待や苛めに繋がるので大きな大会や競争を目指さないクラブ活動が良いんだ・・などという信じられない事が始まっているという。NHKで数日前紹介していたが筆者は目を疑ったし由々しきことだと思う。

柔道で勝ち負けを忘れたら試合になるまいに?
 此のNHKの報道はあまりに物事を決めつけていないだろうか?過度な減量って柔道競技だけの話ではないか?重箱の隅をつついて全スポーツを対象にするような詭弁はおかしい。

 審判に罵声など決していいとは思わないが、MLBの大谷のピッチング時、大相撲のきわどい勝負でも日常頻繁に起きてNHKで報道している事ではないか?その場合は指導者や保護者を個別に注意したりルールに基づいて罰を与えれば解決する事で、勝利至上主義だからスポーツの在り方自体をヤメロと決めつけるのは行きすぎだろう?

 小手先のテクニックで・・など基本を怠っている証でもあるのか?相手に勝つために頭を使う知恵を使うのもスポーツの大切な一部。
 すべて推察で評価するのはNHKの行き過ぎだろうと思う。これらはどうもスポーツをガンガン楽しめる者へのスポーツ音痴・劣等生のジェラシーから来るやっかみの様な気がしてならない。

 このテレビで取り上げたようなクラブの小学校の子供たちが中学校へ上って、勝ち負けバリバリの練習をしてきた他校からの子らと同じチームに成った際どうなると思う?
 そのスポーツ力、スピードの差に挫折を感ずるに決まっているだろう?体の入れ方、キック力、球への寄りのスピード・・どれをとっても勝つためのチームでバリバリに努力してきた子共達の方が優れているに決まっている。スポーツにはギラギラした部分があって当たり前なのだ。

 世界選手権では銅メダルを獲ったが、オリンピックではついに取れなかった彼だからTVに出てこんな解説をしているが、オリンピックで金メダルを獲ってても同じことを言うだろうか?言う訳がないと思う。
 水泳の北島康介やマラソンの高橋尚子、野口みずきに訊いてごらん?同じ事など言うわけかがない。NHKもこんな極端で一方的な放送はすべきではないと思うが如何?

 実技場面では子供たちにそういう勝利を目指さないスポーツのやり方をさせておいて、一方でテレビやスマホではオリンピックの観戦者として自国選手を応援し、優勝者や世界選手権の覇者を国旗を揚げてメダルを挙げて表彰するべ面に感動する事実との差、乖離をどう説明するのだ?

 地区大会も目指さないクラブ活動を子供に強いておいて、クラブの子供たちが他チームと戦って勝ちたいと言ったらそのチームのコーチは一体どうするのだろう?「我がチームはそういう事はしないので、出て行ってくれ!」とでも言うのだろうか?

 あるいは、そう言った仲良しこよし的に勝利や強さを目指さないスポーツクラブでのプレイに慣れてしまった子供が、上の学校へ進んだ際よそから来た勝負バリバリのプレーをする同学年の選手に目の前でみるみる差をつけられた時の挫折感を考えたことがあるだろうか?

 スポーツ経験者なら多かれ少なかれ、どこかの段階でそういう経験をするものだ。そうやって切磋琢磨して子供の才能というものは伸びていくのではないだろうか?

 Youtube でメッシやネイマールの技を見てあこがれた子供たちが、上を目指して戦わないのだ!などと言われて「ハイ判りました!」などと言うとでも思っているのだろうか?

 そんなことでは第二の三浦カズ、中田英寿、最近の久保建英や堂安律などは出てこない。

 スポーツの最高峰、オリンピックを考えてほしい。優れたアスリートなら誰もが目指すオリンピック。メディアも多大な期待をかけて選手に余計なプレッシャーをかけるオリンピックだ。

 そのオリンピックの種目を見てほしい。ボクシング、レスリング、砲丸投げ、ハンマー投げ、重量挙げ、近代五種競技、やり投げ、テコンドウ、空手、柔道、アーチェリー、ライフル、ピストル、スキー・バイアスロン・・これって元々は戦って相手を殺す、倒す競技だろ?

 中には武器を使う競技すらある。スポーツというものはそもそも命がけの戦いの場なのだ。体力の限りを使って勝ち負けがあるものなのだ。勝ち負けの無いものは「遊び」。

 Eスポーツなどというバカみたいなゲームジャンルだって勝ち負けがあるだろうに・・。

 だから1960年代のこの手のスポーツに当時の東側の国からは殆ど現役の軍人が出ている。今もそういう競技が残っている。日本でも種目によっては自衛隊の隊員が出ているだろう?

 相手、もしくは相手チームと戦って倒して上へ進むのがまずいなどというスポーツ音痴たち。自分ではスポーツを何もしない(出来ない)で、スポーツの現場を選手として経験した事もない輩が、やれあれは虐待だ、それは苛めだ、やり過ぎだ!と騒ぐ、またそれを針小棒大に報じるメディアに筆者は我慢がならないのだ。

 最近、バレーボールの練習現場で選手にバレーのボールをぶつけて逮捕されたコーチがいる。怪我をさせたという事で逮捕されたという。スポーツにケガなど当たり前だ、メディアや警察は実際ボールがぶつけられて怪我をしたのか、練習中の擦り傷や怪我をコーチにぶつけられたといっていないか検証し、証拠固めできたから逮捕したのか?

 こんな事繰り返したら、スポーツの監督やコーチなど皆ならなくなってしまうだろう?あるいはクラブに入る際、コーチや監督には従います、どういう辛い特訓があっても訴えないという念書を書かないと、メンバーとして入れてやらないなどという副反応が出るのではないだろうか?

つい最近のニュースから。

1964年オリンピック直前に実際大松さんの特訓を間近で見た。

 今あの1964年の東京オリンピックで日本チームを優勝させた大松博文監督がいたら当然逮捕だろう。彼はソ連の高い打点からのスパイクに慣れさせるために女子選手に特訓としてボールをやたら叩きつけていた。顔にボールが迫っても目をつぶらないような訓練だった。

 映像でも残っているし、1964年東京オリンピック直前都立広尾高校のバレーボール部員だった筆者は日本チームの直前合宿(我が高校の体育館が会場だった)でボール拾いをしてこの目でしっかりと見ている。

 スポーツで強くなるには、スポーツを知らない、やらない人には全く判らない最低限の選手としての覚悟やコーチ、先輩からの特訓があって当たり前なのだ。それがあってもクラブ活動でプレイをしたいのだから、練習がキツイのは合意の上での事なのだ。

 それがボールを酷くぶつけられたと警察に訴え出るようなバカ者はスポーツをするそもそもの心構えにおいて失格者・落伍者なのだ。周りの仲間が止めなかったことはもっとショックだ。

 そんなことで被害者面をして行動されたら、コーチ監督ほかそれ以外すべてのスポーツアスリートがまるで加害者みたいになってしまうではないか?

 警察に訴えた選手の行為は、ある意味広い視野で言えばスポーツ界全体への加害者かもしれないのだ。メディアはそのあたりよく考えて報道すべきではないだろうか?

 芸能界の歌手・タレントと同じでスポーツの世界においても上位に入りメディアに出られる者の陰には、その500倍の落後者・退出者が居るのだ。

 歌手やタレントで有名になれず落伍したものが、歌謡大賞、レコード大賞、紅白歌合戦の審査員、所属プロダクションを訴えたりするか?

 優劣がはっきり出るスポーツに勝ち負けは在って当たり前の世界なのだ。それがあるからこそメディアは持ち上げ報道し、読者や視聴者に期待感を持たせ、おのれのメディア数値を伸ばして金儲けしているではないか?

2022年7月2日土曜日

団塊世代は最近2つの事象・報道に関して大きな疑問を持っている。 The baby boomers have recently wondering about two events / reports.

  今週末は二件の「不愉快極まりない事象」を取り上げてみたいが、先ずは参議院選挙2022。

 元おニャン子メンバーや蓮舫の様に芸能人上りが候補者に多い参議院選、日本で行われる選挙で一番単なる人気投票に近い参議院選。メディアで名の売れた有名人が上位当選する「非適材適所」の典型選挙と言って良いだろう。

 かっての宮田輝、石原慎太郎、山東昭子、扇千景ばかりでは無く最近のアントニオ猪木、須藤元気、青木愛、今井絵理子、石井苗子・・。いずれも、果たして国政を任せて本当に良いんだろうか?と思わざるを得ない人々が国会議事堂に入って行っているのだ。

 安倍晋三や岸田文雄が歌を唄っても誰も聴かないだろう(義理や仕事で聴かざるを得ない場合以外)?最低限出来る事と出来ない事のケジメ・自覚は持っている人間だと思う。しかし歌を唄える今井絵理子が政治をつかさどれるのか?ケジメと自覚をお持ちか?

 歌手やダンスが生業の人間が、そんなに簡単に国の防衛や経済流行り病を治められるのか?

 国の大統領、州知事、市長に元映画スターが選出されるのが当たり前の米国やウクライナから見れば、人類の「選択・期待」というのもいささか緩く考えざるを得ないとも思う次第だ。

 実際に実務で世の中を采配しているのは官僚・役人たちであって、決して政治家ではないというのは誰もが知っていることだ。そうして、たとえ補助金や配布金の類を配り過ぎたり振り込みミスを起こしても何故か「申し訳なかった」の一言とメディアに向かって頭下げだけで、罪も罰も与えられないのが役人の類だ。メディアも強く諫めない。

これが一般企業であれば、左遷、遠方島流し的な転勤、減給・減俸、配置換えは当たり前だ。多額な金を振り込んで、若者に出来心を起こさせておきながら詫びない役所・役人、返すのが当たり前だと詰め寄る役人・町長。最近の役人の横柄さはすべての国民が知ってしまった。またそれを諫めようとしないメディアの体制べったりのスタンスも知ってしまった。

 あの文春砲ですらこういう事に関しては大きく扱おうとしない。だから筆者は「文春砲」なんてものは出来レースだと思っている。いわばひねくれた情報操作の一種とみている。

 こういう状況下での参院選だもの、猛暑日連続のニュース、新型コロナの感染者数再上昇ニュースの陰に隠れて全然盛り上がっていないのは間違いない。

現在一番多い記事がこのような内容だ。

 筆者はコロナ制限・規制が解けた上野公園へ行ってみて驚いた!あのコロナ過で予約制・整理券受け取り時間待ちの列が延々と続いていた上野動物園が空っぽなのだ。列が無い!

 しかも、炎天下猛暑日連続でガラガラの入り口付近から、本来であれば混雑する客裁きの係員が熱中症で倒れて運ばれていくのを観た。

 そんな中、一生懸命JR上野駅前で上野公園へ出入りする人に訴えて選挙演説をしている候補者らしき人を観察したが、誰一人足を止めず、誰一人顔を向けず、黙ってスマホを観ながら歩きスマホで目のまえを通り抜けていく状況だった。

これだけ人の出入りが多い上野駅公園改札口なのだが・・。

演説が許されているのがここなのだろう。だれも見向きもしない。

 考えてみれば「自由民権運動」の板垣退助が叫んで連れ出された演説会と同じ辻演説で人心に訴えようとする今の日本の選挙、アナログ・コミュニケーションが非常に滑稽に見えて仕方がない今回選挙なのだ。

 たとえて良いかどうかわからぬが、あのウクライナの戦争だってドローン中心、AI中心になっているのに、選挙カーからスピーカでダイレクトに「勝たせてください!あと少しです!」などという中身のない訴え、いつまで続くのだろう?

2022年7月1日金曜日

炎天下のオオヨシキリはのべつ幕なしうるさい! The Oriental reed warbler under the scorching sun is noisy without a intermission !

  今朝の東京の最高気温予想は昨日に続き36度だ。一方で沖縄の那覇は29℃予想、小笠原の父島は31℃予想だ。一体何なんだこれは?沖縄や小笠原が東京都民の避暑地になる日も間近って事?

 日光や軽井沢の予想気温が33℃ではもう日本の避暑地の地図が変わるのではないだろうか?  今や東京は、かってパフィーが「アジアの純真」で~~♪熱帯夜っ!って歌っていたのが毎晩だ。

 其の暑さを真昼にさらに増幅するのが川の葦原で囀り続けるオオヨシキリだ。

 ムシクイの仲間で大型の野鳥だけに、ウグイスなどにも似ている気がする。カッコウやホトトギスなどに托卵され、大きなヒナに給餌する画像を観たことがあるが自分では遭遇していない。

 基本的に興味本位に野鳥の繁殖状況を邪魔しながら撮影するのはあまり好きではない。学術的な観察やその論文作成のための証拠写真を撮影する場合を除いては・・。

 今回の撮影場所は霧ケ峰から諏訪に降りてきた町中の細い河川だ。







汗をふきふき撮影される場合はくれぐれもカメラに塩水が落ちないように!

2022年6月30日木曜日

標高1600mで飛び回るホオアカの生態レポート。 An ecological report of The Grey-headed bunting flying around at an altitude of 1600m.

  ここ数日あまりに暑いので、再び高原の野鳥にフォーカスしてみたい。

 標高1600mの霧ケ峰八島湿原でのノビタキやカッコーのレポートを投稿したがホオアカはあまりレポートした事がなかった。

 八島湿原には過去14年ほど通っているが、年によって野鳥たちの繁殖期が微妙にずれるのを観察できている。

 今年は梅雨明けが早かったので、繁殖も早いのではないだろうか?

 今朝は高高度湿原でのホオアカの佇まいをお届け。

どうやらこの先に営巣をするのだろうか?霧ケ峰グライダー場付近で。

八島湿原外周路の木道ではないエリアで。


囀りスタイルはアオジなどと似ている、思いっきり上にのけぞるのだ。




繁殖期に成ると草の実とかではなく、昆虫を採餌するのは他の野鳥と同じ。