2026年8月16日日曜日

団塊世代が思う真夏の熊本地震あれやこれや その1。 Reflections from the Baby Boomers on the Midsummer Kumamoto Earthquakes: Part 1.

  今日のブログはちょっと長くなる。

 ほぼ3週間が経とうとしている7月28日マグニチュード7.1の熊本地震。この例年になく暑い夏の熊本。被災者の方々のその精神的ダメージと苦労は想像を絶するものがある。何とかこの暑さをしのいでいただけるよう祈る毎日だ。

 前回直後非常に危険視されていた残りの日奈久断層南半分とはいえ、NHK含め多くのメディアが地震学者のデータを基本とした警鐘を無視・スルーする中、熊本KABのみが10年前の被災後修理した道路の亀裂やズレ皴を取り上げ報道し3年前に危機感を訴えていた。

 オールドメディアは事件が起きて数多くの被災者が出た場合だけ報道すればいいものではないだろうと思う筆者だ。今回の地震報道はこういったオールドメディアの無責任な点を問題提起するきっかけに成ればと思うがどうだろう?


 そんな中、9月に予定していた大事な写真展が、残念なことに今回地震で会場である八代駅前の珈琲店ミックさんが全壊で中止に。予定カレンダーにも、筆者や関係者の心にもぽっかりと大きな穴が空いてい仕舞った。


予定会場だった全壊の老舗珈琲店ミック。白Tシャツは無事だったマスター。
予定して配布済みだったDM案内状

 筆者人生においてもそう多くない大ショックなのだが、暫くしてこういうパターンが最近非常に多いということに気が付いて愕然としてしまった。今回はその件についてすこし述べてみたいと思う。

 団塊世代のように長生きすると、早逝した友人知人との別れ、先輩・両親との別れ、人口減少による自分が通った小中学校の統廃合での消失など「馴染んだモノとの物理的別れ」が増えていくのは当たり前のことだし、誰もが体験する避けられないことなのだ。

 筆者の場合、東京で生まれて北九州小倉で小学校(2か所)時代の大半を送り、八代市に移ってたったの1年半だけ住んだ(太田郷小学校卒、八代二中1年間在学)。

 八代在住時は非常に中身の濃い時間だったのだが、中二で単身上京以降ずーっと東京で育ち社会人に成った。

 2001年頃から仕事の関係で再び九州へ通うこととなり鹿児島市、加世田市(現 南さつま市)、熊本市、八代市、2010年以降はヤマセミの生態研究・撮影で人吉市・八代市に計400泊以上滞在・東京と行き来した。

 地震が起きて1週間経った8月3日のこのブログにこう書いた。

 「自分がカメラのレンズを向けて撮影した後にその被写体が何らかの事件や自然災害や大地震で物理的に消えてなくなる事象が不思議と多いのだ。それが何であったかを現在過去にさかのぼって整理中だが、実は熊本県で起きている具体例が一番多い。」


 これは小さい時から始まっている。決して最近だけの事でもなくカメラを向けた後だけというワケではないのだ。

 ➀ まず最初に入った小学校、東京学芸大学附属追分小学校(消滅)。本郷の東大農学部前電停で降りて通った小学校だが昭和36年に統廃合で消えた。1年生の1学期だけたった3か月しか通っていない、理由は北九州の小倉市(当時)に父親の転勤で引っ越したため。

ブログ「脱藩浪士の日々」さんから拝借の17号線から見た旧附属追分小学校校舎


2002年筆者撮影の旧附属追分小学校校舎(当時は文京第6中学校)

生成AIで手前の車を消した校舎全容画像

更に生成AIで昭和8年建築当時の姿を再現させた画像、プールも在った。

その校舎の前で撮影された昭和30年入学式の記念写真。さぁ筆者は何処でしょう?

 ② 次に、大学受験。1967年当時現役で早稲田大学の教育学部に入った筆者がその大教室の同期大群衆を見た時「このまま数の多い我々ベビーブーム世代(当時まだ団塊世代と言う言葉は無かった)の群れに紛れていては先が危うい」と1か月も経たずに即自主退学。

 親に内緒で阿佐ヶ谷美術専門学校(3年制無試験)に入り直した。が、2年修了時に天才と言われた凄腕の先輩の忠告一言で再度大学を目指したのだ。

 その志望校が東京教育大学芸術学部・工芸工業デザイン専攻科。旺文社の大学入試模擬テストでも志望者80人中トップ!しかし、当時の大学紛争ゲバゲバの影響で東大が入試を中止、なんとあわせて我が志望校・東京教育大学も入試を中止してしまったのだ。目の前の具体的目標が忽然と消えてしまった。この時のショックは半端ではなかった。

 今回の熊本地震で1か月先に予定していた写真家さんの写真展が消えて飛んだのとまったく同じショックを筆者に与えたのだ。

 大学入試は国立一期校が消えたため、3日間迷ったがいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」に背中を押されて二期校の横浜国立大学(教育学部美術専攻科)へ、何とか滑り込んだ。

 が、今回の写真展はそうはいかない。これからさっそく無償で開催できる会場を熊本市周辺で探さねばなるまい。数か月はそんなことしたら復旧作業の皆さんにドヤされるから、まだまだ動き出すまで半年は掛かろう。


 ③ これは社会人に成っての話だが、実は勤めた会社が2社倒産して消滅している。1回目は1978年青山のヴァン ヂャケット(1973年~1978年在籍=VAN JACKT INC.)アイビー・トラッドで1時期世間をにぎわせたメンズアパレル会社。これはリアルタイムで倒産の一部始終を体験。

 ④ 2度目の倒産は2010年銀座2丁目にあった中堅広告代理店・中央宣興(1979年~1983年在籍)。生涯20代~30代半ばに2度も名のある(業界売上20位以内の中堅企業)自分が在職した会社が倒産で消滅という経験者は団塊世代でもそうそうは居ないと思う。三番目の大手広告代理店Ⓗがそうならないように願うばかりだ。

 ⑤ NHKブラタモリで熊本城特集を過去数回行っているが、桑子真帆アナがタモリさんのアシスタントをしている時2回連続で放送(2016年3月19日・4月2日)している。なんと10年前の熊本地震の4日前だ。

 筆者は2004年から熊本市での世界女性スポーツ会議の仕事を担当し、幾度も城の横に建つ市役所に通い昼休みなど散々熊本城へ入って写真を撮っていた。したがって2016年4月6日の熊本地震の前に地震で崩れた各櫓(文化財)、長塀、石垣などを詳細に何カットも撮影していたのだ。




天守閣クラスの櫓が3つも重なって見える城は国内でも此処にしかない。

 復旧こそした(完全ではない)が、地震発生の際は東京で自宅の液晶TVの前に仁王立ちで天守閣の屋根瓦が土煙と共に落ちていく様を見て「あ~あ!」と思ったものだ。

 ⑥ 2020年7月4日の球磨川流域豪雨災害で球磨川流域の集落、JR肥薩線消滅など大災害になった。特に3月白石駅附近で営業間近試運転中のSL人吉号を撮影、豪雨災害で白石駅などを含め肥薩線が崩壊、回復予定未定状態。SL人吉号の機関車は引退となってしまった。




今はもう無い肥薩線(旧鹿児島本線)の画像(八代ー人吉間)は相当数ある。

 ⑦ これも豪雨災害の2019年11月ヤマセミ撮影の先輩人吉在住の医師が医院建物を新築、お祝いを届け記念撮影をした8か月後に7月4日の球磨川豪雨災害で屋根まで水没、廃業。

 ④ 2010年~2020年の間、八代~人吉間をR219号線+対岸の側道で幾度も往復、野鳥のヤマセミが河川修理その他で球磨川本流から支流部に隠れ、人吉市街中でヤマセミをほとんど見られなくなってしまった。

・・・と、こういう事態を経てきた筆者だが、今回の熊本地震で多くの知人友人恩人の住む八代市が大変なことになり、東京にいながらにして未だボーゼンとしている状態なのだ。

‥‥とりあえず、今日はここまで。


2026年8月13日木曜日

団塊世代のヤマセミ未公開画像 飛翔編その10。 Previously Unreleased Crested Kingfisher Images by a Baby Boomer: In-Flight Series, Part 10.

  熊本地震発災から2週間以上過ぎた。個人的にあまりに関係者が多く皆さん被災されているので東京にいても案ずることしか出来ずに連日悶々と落ち込んでいる。何かをする気になれない・・・。困ったものだ。

 今まで年間に計15分も落ち込まない筆者がどうしたことだろうと自分自身で思う。自分一人で解決できない、ものすごいストレスが溜まりつつあるような気がする。鰻丼のやけ食いでもすれば少しは治るかも?

 3.11東日本大震災時は自宅もある意味被災地(家具が15㎝平行移動・額落下、持ち回り停電・ボランティア除染活動参加)的な当事者意識を持てたのだが、今回は違う。能登地震や10年前の熊本地震と違って今回は震央に相当数の知り合いがいて、更には八代における心の拠り所の珈琲店ミックさんの全壊で、準備など気合入れてお手伝いしていた9月開催プロ写真家さんの写真展が中止となってしまい、今になってドーンと大きなショックが筆者自身に襲ってきている。

九州圏内10メディアにプレスリリースを既に送ってあった・・・残念。

 熊本県の木村知事が押し寄せるオールドメディアの記者たち、取材陣へ厳しくクレームをつけたというニュースが昨日流れたが、それを「メディアが注意された」と報道したのは民放1社だけだったという。他はスルー、もしくは少し間をおいてシレーッと記者会見を流すだけだった。 

 一方SNSでは熊本県知事遂にブチ切れメディアを糾弾!・・・と言う論調だった。良く調べればその中間的感じだった気がする。

 思ったのだが、催事や記念日にメディアサービスをするのとは訳が違うので、メディアセンターや記者会見は必要ないのだろうが、メディアコントロールの意味からすれば「特設地震プレスセンター」を設置し「其処のみで対応するから、被害者宅や遺族宅へ押しかけ直接アプローチしたり、業務作業中の県や自治体職員にあれやこれや要請してはいけない・・・」というルールを決めたらどうなんだろう?

 取材の自由、報道の自由、報道しない自由は、決して現場の人々が必死で行っている地震緊急対応を上回るモノであるはずがない。

 このルールを守らなかったメディア・取材陣はプレスセンターや自治体HPでメディア会社名を張り出して、公式記者会見から締め出すとかSNS経由で世に公表・拡散すればと思う。

 やたらヘリが飛んで騒音で助けを乞う声がかき消される問題に関しては、発災直後48時間はメディア機が現場上空を飛んではいけない・・・と言うルールを作るなど、今後を考えればやることはたくさんあるように思う。


 今日から再びレギュラーとして球磨川・川辺川でのヤマセミ画像中心に戻ろうと思う。

川辺川で15mほどの枝から川上に向かって飛ぶオス

非常に強い横風にバランスを取りながら斜め着地するシーン

強風追い風ランディング再び

竹藪の前を飛び行くオス

幼鳥たちの危なっかしい行動に怒鳴りつけに向かうメスの親鳥!

2026年8月12日水曜日

番外編 真夏の三鷹住宅街の野鳥たち。 Bonus Edition: Wild Birds in a Mitaka Residential Neighborhood in Midsummer.

  連日、第二の故郷と言って良い八代市などで発災したマグニチュード7.1の令和八年熊本地震関連への筆者の思いを冒頭にご紹介してきたこのブログだが、いい加減NHKに物申したい。

 昨日もとうとう熊本県の木村知事が大勢を集めた記者会見で、メディアに対してその被災者家族に対しての取材攻勢や、作業で忙しい現場の職員・作業員たちに余計な手間と取材に関する調査依頼をするな!と厳しく要請していた。

 筆者が連日頭にきているのは、NHKの天気予報での地域表示だ。あれから2週間経ったと地震の被災地特集を毎回ニュースでやる中で「今日も猛暑日高温になります、被災地では気を付けて!」と表示する地域が震央近くの一番被害が大きなエリア(=八代市、宇城市、氷川町)を外して熊本市、人吉市、天草牛深などを表示するのだ、これは何故なのか?

NHK朝7時のニュース

NHK昼のニュースでの表示

 これらに対して、日本気象協会の気温予想では熊本市と人吉市の35℃は34℃になっており八代市34℃と同じなのだ。これはどうしたことか?

日本気象協会の予想は八代市最高34℃

熊本市は何故かニュースより1度低い八代市と同じ最高34℃

人吉市も何故かニュースより1度低い最高34℃

天草市はNHKニュースどおり33℃

 被災地に家族親族、大切な人が居る全国の関係者にとって最も知りたい情報が「知人の被災した場所の天気・気象状況」ではないだろうか?

 あれだけの地震だもの熊本市、人吉市が全然被災していない訳はないだろうが、今回一番被害が大きなエリア(=八代市、宇城市、氷川町)より優先して気象状況を報ずるべきなのか?これは八代市などを差別しているとしか思えない。

 盆地の熊本市や人吉市と海が開けて湿度の高い八代市は気候が違う。熱中症は気温もそうだが湿度の方が影響が高いという話をこのブログでも数日前にしたばかりだ。

 NHKの気象予報士には八代市出身で八代高校卒業生のイケメン平井信之さんがいるだろう?だからという訳ではないが、少なくとも被災地の中心人口15万人県内第二の都市八代市の気象・高温予想も出してほしいのだ。


‥‥という訳で今日のブログは番外編、三鷹で繁殖したオナガとそれを狙う猛禽類ツミ!


三鷹市の筆者宅付近には大学キャンパスの杜があり猛禽類が繁殖している。


1~2か月前に巣立った小さいタカの仲間ツミが親子で狩りの練習に来ていた

やにわにオナガの群れに突っ込むツミの若鳥


後ろを親鳥が付いて行く

狙いは大学の杜から2~300mの住宅街で繁殖したばかりのオナガのファミリー

幼鳥はアパート中庭の木陰に身をひそめる、奥に見えるのはアパートの洗濯もの

こちらも木陰で実を隠しているオナガの幼鳥

同時に親子で飛び出し猛禽類から逃げる。

時には3羽で群れ成して逃げる。

2026年8月11日火曜日

真夏の球磨川の野鳥たち シリーズ9. Wild Birds of the Kuma River in Midsummer: Series 9.

  いつの間にやらマグニチュード7.1の令和8年熊本地震発災から今日で2週間だという。住んでいたのはほんの1年半だったが、多感な時期に自分が育ったうえ21世紀に入って以来30回以上訪れ、延べ100日以上滞在した八代と言う第2の故郷のような場所だけに、ここ毎日東京で悶々としている。

 何をしていても珈琲店ミックのマスター他ご一家はどうしているか、メディアの報道にもたびたび出てくるマスターや店の常連さんたちの住まいは大丈夫だったろうか?作家の前山光則先生、元球磨川漁協の平山さん、クロツラヘラサギの世界的権威高野先生、野鳥観察仲間大先輩の栂野さんなど、気になって仕方がない。いずれもここ数年筆者が出版した「八代市の野鳥」及びその2回の写真展(一昨年8月八代開催に参加+珈琲店ミックさんで昨年1~2月実施)に関してお世話人になった方々ばかり。


 酷暑の現場で苦労している皆をしり目に鰻丼なんか食べていていいだろうか?罪悪感を感じてしまうここ2週間だ。こうなると被災地の事情や地理に詳しいもの良し悪しだ。

 地震発生の夜、とりあえず3.11の10年後備蓄しておいた長期保存水2L6本入りを10ケース積んで向かったは良いが静岡付近で故障し、高速降りて車屋へ預けたスバル アウトバックが戻ってきたので、お盆明けに仕分け手伝いにでも行こうかと考慮中。

 体育会系上がりとは言え、並のボランティアのように動こうとすると逆に迷惑がられる高齢者なので、知った人の家の跡片付け手伝いくらいは出来ようと思う次第。

 当然宿泊施設は何処も満室のはずだから、車中シュラフ泊を覚悟していかねばなるまい。もちろん簡易トイレだの水・食料は個人確保。飲食店・コンビニその他の営業状況を把握してのボランティアとなると思う。

 支援物資も佐川急便が中1日で届けてくれるので、通信含めて物が伝わるのは嬉しい。さすが佐川急便だと思った。

 暑さは相変わらず猛暑日が続いている八代エリアだが、東京は台風15号直撃で涼しい空気が入ってきた。申し訳ないほどだ。

 暫くはオールドメディア、SNSメディア含めて情報に注視したい。


と言うことで今日も球磨川の山翡翠・ヤマセミ飛翔画像のいろいろをご紹介


球磨川本流 矢黒の瀬のヤマセミ、かってヤマセミとカワセミが並走した場所

更に下流部、太陽の影Shadowと水面に映る姿Reflection、二つの影が生まれる

撮影者の10m以上上空を飛ぶヤマセミ

浅い瀬を行く後ろ姿

球磨川支流万江川、石の川床なので水の透明度が非常に高い

広い草地をバックに上昇中の姿

2026年8月9日日曜日

真夏の球磨川の野鳥たち シリーズ 8. Wild Birds of the Kuma River in Midsummer: Series 8.

 また新たな熊本地震に関係するデータが出てきた!なんと10年前の熊本地震と比べて今回の方が揺れがずいぶん大きかったというのだ。かっての阪神淡路大震災などより大きいという。いろいろ勉強できた。

https://www.tku.co.jp/news/?news_id=20260731-00000003

しかし、この数値データは被害のそれとは比例しないという事。要注意だ。

  今日 昼頃アップしたブログに載せた熊本地震関係図をAIで精査して震央などを加え改良したので再度掲載。

震央は宇城市豊野エリアで地下12㎞程だという。基本的に生成AIは写真に写っている文字の判別は未だに未熟だが、パワポなどで作成した文字が出ている図形であれば確実に再現するし、数値データなども国勢調査の年度まで出してくれる便利さを発見した。

 ・・・という訳で、昼の投稿でははしょった夏の野鳥の画像、ヤマセミを今回はメインに出していこうと思う。過去写真集にも掲載した自信作も入っている。
かって出版した「人吉市の山翡翠」の73ページにも掲載した早朝の球磨川カット

小雨の川辺川でのカット

球磨川の右岸大岩へランディングしたカット

川辺川の釣り人も入れない激流の瀬を行くメス成鳥

球磨川中央部で追い風強風下無事にランディングしたメスの成鳥