2026年7月23日木曜日

団塊世代のヤマセミ未公開画像 飛翔編その5。 Previously Unreleased Crested Kingfisher Images by a Baby Boomer: In-Flight Series, Part 5.

  梅雨明けした途端、関東地方ばかりか日本全体で酷暑日地点続出でニュースではあちこちで人が倒れ、熱中症で亡くなった人が出たと大騒ぎだ。

 しかし、日本全体の人口1億2千万人、東京の人口1400万人強に対する比率で言えば、これらの数値は超微々たるものだと言わざるを得ない。

 先月~今月のフランス中心のヨーロッパの熱波による死者1万人超えに比べれば、まだ良い方だともいえるのではないだろうか?

 具体的数値のデータなしに筆者は思う、年間平均気温が数度上がったり、最高気温が今までより2~3度上がって、なおかつそういう日数が増えたくらいで急に熱中症患者や死亡者が増えたりするのは気候のせいだけではなく、人間側の対処方法、心構えにも相当問題がある・・・と。

 昭和の時代、まだ各家庭に空調・クーラーなるものが無かった時代。真夏の夜の過ごし方はどうだった?

 縁側の戸は開け放ち、寝床は薄がけ、蚊取り線香を焚いて、蚊帳を吊ってイチ、二、のサン!で蚊帳の中に入ったのではなかったっけ?

 扇風機に当たりっぱなしだと死ぬから、首を振らせて時々風が来るようにしたのではなかったっけ?

 そうやって自然の暑さをいろいろな方法で避けて過ごしたのを記憶している。

 それに対し今の日本人は密閉性の非常に高い(真夏は蒸し風呂状態になる)住居に住み、クーラーかけっぱなしで低温に慣れてしまっている。

 ヒートアイランド状態の都心街中を歩く時、女性の多くは昔で言えばまるで水着か下着ではないかと思えるような薄着で、首にクールリング、アイスリングという冷蔵庫で冷やしたモノを掛け、充電式のハンド扇風機で風を送りながら化粧品の匂いを辺りにまき散らせながら闊歩しているのだろう?

 昭和時代と違わないのは日傘くらいなものか?

 連日連夜、締め切った部屋の中でギンギンに効かせたクーラーに慣れ切った体が、灼熱の戸外に出ればあっという間に体調を狂わせダウンするのは、これ自己責任ではないかと思う次第だ。

 我が家でも1階は家人の感覚でクーラーがギンギンに効いているから、終日そこで屯し寝ている黒柴犬など夕方日没時でも散歩に連れていくと数歩でダウンする。だからいつも頭から水をぶっかけて歩きながら蒸発気化熱を奪われるようにして連れ出すようにしている。

 筆者の部屋は二階で、なおかつ平らな昔の家屋のような天井がなく、屋根の三角部分がそのまま広い空間になっているから、屋根の熱はそのまま部屋に入ってくる。

 熱が籠るので、サーキュレーター(昔の扇風機)の静かなものを終日一定方向に向け回して空気を循環させて温度を下げている。ハワイなどのコンドミの天井でゆっくり回っている大きなファンと同じ効果と思っていただければ良い。

 熱帯夜の夜もそれで充分過ごせる。熱帯夜でもクーラーは点けなくて大丈夫。熱中症の原因の一つは湿度の高さだが、プラズマ空気清浄機で湿度を45%程度に抑えているので快適さは保たれている。更に就寝直前に充分に水分を摂り、首周りにタオル地の手ぬぐいを巻いて寝ればたとえ寝汗をかいても、それが吸収してくれる。

 要は暑さをどうやって「電気で使えるようになる冷やし物」ばかりに頼らないで凌ぐかが人間の知恵なのではないだろうか?

 天変地異、大地震が来て3.11の時のように真夏に停電が長く続いたら死人の山が出来上がるという事、ちゃんと誰もが予測・準備・覚悟して居るだろうか?


 ・・・・で、本筋のヤマセミに戻ろう。


 暑さのせいでとんでもない前置きに成ってしまったが、今日のヤマセミ画像は奇麗な川辺川の個体(地元のヤマセミファンからは川辺川太郎と呼ばれていた個体)を特集してみた。今から13~4年前の画像。

数日間毎日通った頃の画像 撮影者に慣れて傍を飛んでくれ始めた頃の画像

やはり球磨川本流より川辺川の方がはるかに水は奇麗だった。

水深が深いせいもあるが水の色が違う

曇った日には色が出ないが平気でそばを飛んでくれる。

午後、夕方の陽の光はやはり朝とは違う趣を生み出す、こちらはメス。・・・・・って良く見たら今日の投稿はほとんどがメスの個体だった。川辺川太郎の連れ合いでした。

2026年7月22日水曜日

団塊世代のヤマセミ未公開画像 飛翔編その4。 Previously Unreleased Crested Kingfisher Images by a Baby Boomer: In-Flight Series, Part 4.

  ワールドカップもトランプの醜態やアメフトと混合しそうなハーフタイムショウだの発祥の地イングランドのサッカーファンの気持ちを逆なでするような祭りが終わって、やっといつものドジャース大谷選手のの活躍を心待ちにする朝がやってくるようになった梅雨明けの水曜日。

 ヤマセミ画像復活4日目、思いのほかヤマセミ画像を観てくださる世界各国の数の多さに感激しながら今日も未公開画像をアップしてみたい。

まずは万江川でのターンから

撮影者の方へ向かってくるヤマセミ

同じく万江川で川面から上空の架線へ向かう

草原をバックにヤマセミ的には珍しいカット

背景にピンが行かないで助かったカット

2026年7月21日火曜日

団塊世代のサッカーワールドカップ2026総評。 A Baby Boomer's Overall Assessment of the 2026 Soccer World Cup.

  主開催国米国のトランプが観客ブーイングの中醜態を示しつつ終了したFIFAワールドカップ(=FIFA World Cup 26)メディアの論評、にわか解説者たち、自称解説者たちの論評、どれを観ても大体の様子がまとまってきたようだ。

 決勝戦に関しては圧倒的スペインの質と量的優位はもちろんの事、負けて2位になったアルゼンチンの反則の多さ酷さ、メッシを含めた選手の試合後の態度の悪さで過去最低の決勝戦と言われているようだ。

 筆者も特にアルゼンチンのチーム態度は酷いと思うし、それをコントロールできなかったFIFAが一番悪いと思う。今のFIFAではサッカーの今後は世界のスポーツの中でどんどん見下げられていくだろう。

 WCが終わり、いろんな人の論評がSNSを中心に飛び交っているようだが、10年前とは異なりオールドメディアの解説者の論評は誰も信用していないし、聞いちゃいないだろう。

 筆者的にはサッカー界のいろいろな裏事情を知ったうえで、現場を仕切った森保監督が忖度やしがらみを捨てて本音で述べてくれたらそれが一番現状に合った「解説・論評」に成るような気がするが、まずメディアを通じては聞けまい。

 筆者は現場主義だ。自分自身体を動かしてピッチの上で実際に敵が間近に迫ってくる中球を蹴ったことがある人間の意見や感想しか信じないし認めない。

 TVの液晶や大型画面で中継にしろ録画にしろ、俯瞰で遠くから観られる戦況を追っただけで試合を総論したり、どっちがどうの・・・を論評するのは聞かないし見ない。

 生のサッカーの試合はピッチの芝から立ち上がる熱気・湿度、目線でしか見えない敵味方、液晶画面上で全体を俯瞰で観戦できる観客と間近に審判とも接するピッチ上でプレー中の選手では全くその試合への考えや判断・視方は違うのだ。

 画面を通じてではわかりにくい、本当に痛い酷い反則かシミュレーションかはピッチ上ならすぐ判る。本当に痛かったらまず動けない。大げさなジェスチャーはほとんどがシミュレーションと言って良い。これが好き勝手に贔屓を応援する観客の画面上ではわからない。

 映画の論評、ドラマの論評、美術の論評、音楽の論評。すべてにおいてその対象を自分でクリエイトする側としてプレイする演者側と、演じない人の「観客・鑑賞者として感じた思い」はあくまで違うのだ。見て論ずるだけの批評はその人だけの思いや考えだから実際演ずるクリエーターとはすべてにおいて違う。これを解っている人と、そうでない人が同じモノを見てどれほど感想・評価が違うか。

 筆者はそういった意味で横綱や名力士の解説はすんなり信ずる、元操縦士の飛行機事故解説は聴く。横尾忠則さんの美術論評はもちろん頭から信ずる。(・・が彼が他のアーティストの論評をしたのを一度も聞いたことがない。)筆者思うに筆者以上にストイックで筋を通す方なのだろう。


 サッカーに話を戻せば、かっての釜本邦茂選手や川渕三郎選手が偉くなってする論評も時代とスポーツそのものが変わってしまい今や全く別次元なので、これも聞かない。彼らもしないだろう。

 しかしメディアの中の毒舌で有名になったセルジオ越後の精神論的サッカー解説などには昔から耳を傾けたことは無い。

 筆者は大学4年間横浜国立大学サッカー部で4年間球を蹴った。もちろん1970年前後で、まだオランダのヨハン・クライフ率いるアヤックスがそれまでのフォーメーション重視のサッカーから全員攻撃全員守備の今につながるスタイルを始める前の話。

 でも、40名近くいた部員(1年生~5年生までいた)の中から未経験の筆者が1年も経たずに右ウイングのポジションレギュラーを獲れたのは足の速さとジャンプ力のおかげだった。

 大学がゲバゲバで封鎖中の1970年4月からクラブで球を蹴り始め(それまで経験はなかった)て10月に山梨の甲府で開催された「関東甲信越国公立大学選手権大会」で優勝し得点王になっているのだから、サッカーがよほど自分の性格に合っていたのだろう。

横浜国大サッカー部 ※筆者右端

 1972年英国ボーンマスへ40日間ホームステイで短期語学研修に行った際も世界各国から来ている学生たちの混成チームでボーンマス陸軍サッカー部と戦い、ハットトリックを達成し勝った際も日本へ帰らずそのまま英国に残った方が良かったのではないかと、現地で幾人にも言われた‥‥こともあった。

 時代は完全に違うが、球を蹴るチームスポーツ、それも炎天下8月の甲府で1日に2試合を行い関東甲信越大会で優勝した経験をベースに水飲みタイムを設けるほどのコンディションの辛い今回のワールドカップを自分なりに総括してみたい。

 映像を通じてみたのは日本の試合全部と米国Vsボスニア ヘルツェゴビナ、ノルウェーの全試合、カーボベルデの全試合、準々決勝以降全試合。ほとんどは夜放映された録画。

 Liveで観たのはイングランドVsフランスの全部と決勝の延長戦だけ全部

たったこれだけだが、自分の知っているサッカーの中で今回大会は一番レベルが高かった。UEFAのヨーロッパ選手権やスコットランド、イングランドプレミア、ドイツブンデスリーガなどを良く観るが、それらと比較しても相当レベルが高いと思った。

 しかし、しかしだ。南米の国の戦い方はあまりに意図的な反則が多くて観ていられなかった。しかもそれに対する審判のいい加減さがヨーロッパの各リーグの采配とあまりに違うので「これが本当に世界最高のはずのFIFAの大会なのか?」とあきれてしまった。

 結論から言うと、英国で生まれたフェアプレイ、スポーツマンシップに則って戦うヨーロッパ中心のサッカーと、審判に判らなければどんな反則も暴行もやってもいい南米スタイルのサッカーの二極化の最後の大会になるだろうという感想だ。

 FIFAというサッカーを元にお金を稼ぐ、いわばIOC=オンピック貴族と同じサッカー貴族たちの道具としてのワールドカップは今回が最後になるだろうという想いだった。





アメリカンフットボール決勝戦じゃないんだから、二度とやらないで欲しい!最悪!

 ➀ 南米系の反則サッカーの目に余る試合

 ② それを見て見ぬふりをする審判とジャッジ

 ③ FIFAの思惑で動く不平等な審判の選定(日本Vsブラジル戦など)

 ④ 話題の選手への極端なジャッジの優劣(ハーランドへのジャッジ不公平)

 ⑤ メッシ、アルゼンチンへの有利なジャッジ(対戦チームへの不利なジャッジ)

 ⑥ 米国レッドカードへのトランプの介入

 ⑦ 入場券の高騰放置

 ⑧ 決勝戦のハーフショウののバカバカしさ

 ⑨ 負けてさっさと帰ってきてしまった日本チーム、残って世界のレベルの高い戦いを生で観て学ぼうとする気がない残念過ぎる行動。

 これらを総合すると過去最低のワールドカップと言って良いと思う。

 大会後SNSなどでの各コメンテーターの総論にも似たようなものが圧倒的に多く、充分納得いくものが多かった。

 FIFAは大いに反省してほしい、しかしこれほど大きな大会になってしまった今、難しいのかもしれない、残念な気持ちでいっぱいだ。


人吉周辺でのヤマセミ画像、未公開飛翔編の3回目!  The third installment of previously unreleased flight photos of the Crested Kingfisher from the Hitoyoshi area!

  9月から八代市の珈琲店ミックで開催の佐藤秀明さんのカヌーイスト故・野田友佑さんの写真展の段取りがひと段落したので再開した「団塊世代のヤマセミブログ」今日は3回目。

 2020年7月4日の球磨川豪雨水害で壊滅的被害を被った人吉市と球磨川水系、護岸工事や道路整備など未だに完了していないようだ。

 自然な川に重機や人間が入れば野生動物はそれを避けるのが当然。ヤマセミも御多分に漏れず球磨川~川辺川本流から消えた。

 現在は胸川、万江川、山田川、鳩胸川など支流部の奥で生活しているものと思われる。

 今日の画像はそういった球磨川水系の支流部での画像。いつもとはちょっと趣が違うかもしれない。


この上下2カットは万江川での飛び立ちシーン

万江川と球磨川との合流部近くでのヤマセミ、上2カットと同じ個体。

これも万江川中流部の土手沿い

万江川上流部でマガモのつがい、キセキレイの飛翔を背景に・・・。

2026年7月19日日曜日

団塊世代から久方ぶりのヤマセミ未公開画像をご紹介の2! Unreleased photos of the Crested Kingfisher—the first in quite a while—from a baby-boom generation Vol.2!

  昨日久しぶりにヤマセミの画像を投稿したところ、アクセス急上昇!感謝の念に堪えない!

気を良くして、多忙が続きドタバタしつつも、なんとかブログを続けようと頑張ってみた。今日は人吉市内、町の中心部でヤマセミ観察中に遭遇したカット中心。

 いわゆる深山の女王的存在のヤマセミがこうした街中の人工物と一緒に撮られた画像は、ヤマセミファンの気を害するかもしれないが、人吉市ではこれが普通(2020年以前は)なのだ。

 今は豪雨水害で河川修理の重機や人工が入ったためヤマセミは支流部などに隠れ入ってしまったのでこういった画像撮影はチャンスがなく難しいと思われる。

球磨川沿いに並ぶ宿泊施設の部屋から撮影

別に宿の浴衣を着ていたわけではないが、温泉宿でヤマセミ!

また別の日の同じ個体、留まる手摺はいつも同じところ

1週間ほど宿泊して、すっかり顔なじみになったせいか、遠くへ行かなくなった。

時には街中のど真ん中を飛んでいたりする。歩きながらとっさにレンズを向けたのでピンやブレはご容赦願いたい。瞬時にフレームに入れるのがやっと。

2026年7月18日土曜日

団塊世代から久方ぶりのヤマセミ未公開画像をご紹介! Unreleased photos of the Crested Kingfisher—the first in quite a while—from a baby-boom generation!

  実に2週間ほどブログ更新を空けてしまった。

 この9月に熊本県の八代市、八代駅前にある老舗珈琲店ミックさんで写真家の佐藤秀明さんの写真展「川の旅人 野田友佑との50年」を開催する準備で時間が足りなかったのだ。

 久しぶりに自分の世界が仕事っぽい時間で充実・充満していて、脳のキャパからブログ更新が漏れてしまっていたという訳。ま、団塊世代にもこういう時があるんだとお許し願いたい。

 で、この佐藤秀明さんの写真展は久方ぶりの写真集「川の旅人 野田友佑との50年」刊行記念の写真展で、4月22日~5月3日東京小伝馬町のRoo nee 247で開催済、5月16日~31日まで鎌倉長谷のOFF SESSIONで開催済み。現在は東京御徒町モンベル4Fで7月16日~27日まで開催中。是非行ってご覧になってください!タイミングが合えば佐藤さんにいろんな話を聞けます。

これがたぶん日本で初刊行、カヌーイスト野田友佑氏の写真集。

5月25日に小伝馬町のRoo nee 247で行われたトークショウは凄い盛り上がりだった。

 これらに引き続いて酷暑の8月は避けて、9月3日(木)~15日(火)まで熊本県八代市の駅前にある老舗珈琲店ミックで開催される。


これが9月八代で開催される写真展のDM

 この珈琲店ミックには故・野田友佑氏も数度訪れており、マスターの出水晃さんとずいぶん球磨川の自然保護に関して話をしたという。その話の中で球磨川産の青海苔を試食し、その香りと味の濃さに驚いて「これは四万十川のよりはるかに凄い!」と言ったのをマスター大喜びで事あるごとに語るという・・・。

 こういった背景の中、写真家佐藤秀明さんが「熊本で育った野田さんの写真展だから、ぜひそのミックさんでやりたい!」の一言で筆者が裏方サポートをしているというのが、ブログが暫く空いた理由なのだ。

 今日昼過ぎに熊本県内~福岡市の主要メディア宛プレスリリースを投函したので、やっとこのブログに取り掛かれたという訳!詳細は次回に!


 今日は久しぶりなので、とっておきのヤマセミの写真ご紹介!

8月の川辺川でのヤマセミ

6月、飛翔教育中のヤマセミの親子、前が幼鳥

アオサギの手前で採餌ダイブのヤマセミ 川辺川

6月、幼鳥の単独行 人吉市内の球磨川

繁殖中のヤマセミが巣に獲物を持って帰ろうとするのを横取り狙いのトビ。

いずれも2010年~2020年人吉市に通って撮影したほんの一部。川幅が広く見通しが良い球磨川だからこその画像を今後もご紹介したい。

2026年7月4日土曜日

団塊世代の私は写真界とは違う日本を代表する文学界の会に入れて頂いた。As a member of Babyboomer, I was admitted into a prominent Japanese literary association—a world distinct from that of photography.

  今日の話は一生に幾度もある話ではなく、大変嬉しい話なのでちょっと長い。

 筆者が父のドイツ製蛇腹カメラを親に黙って勝手に使い始めたのが12歳、中学1年の時だった事はこのブログで幾度も述べた通り。それ以来65年間も色々なカメラのファインダーを覗きながら種々雑多な被写体を撮影して写真として残してきた。

フィルム時代、上からカールツァイス・スーパーイコンタ、CanonAE1、New F1

デジタルの時代になって野鳥撮影最盛期のカメラ群、500㎜f4は既に処分してしまった。

 フィルム時代の写真は紙焼きだったり、大きくしてパネルとして残っていたり、はたまたスライド(ポジ)として現存している。2000年以降デジタルの世界になってデータとしてパソコンやDVDその他保存領域ストレージにコピーがたくさん保存されている。

 もちろん気に入ったものは編集してキャプション・説明を付けて写真集にして残している。その種類は既に20冊を超えた。

 しかし、写真家としては完全にアマチュアを守り、よほどのことがない限り職業写真家(=プロの方々)の領域へは入り込まないと決めて生きてきた。

 プロの方々に比べれば圧倒的にセンスも技術もないし、撮った写真でお金を稼ぐことに関して責任も持てないし、そもそも自信が無いので余計なストレスを感じることなく気楽なアマチュアという領域内で精一杯努力をし続けることを楽しみたいと思うから・・・。

 そんな感じではあったが、社会に出た1973年から仕事上では写真撮影を幾度も行い、証拠の記録、説明の為の写真を撮ることが増えた。

 社会人最初の企業アパレル業界のヴァン ヂャケットでは宣伝販促部でディスプレイ撮影、海外出張で内見会用の資料撮影、街中のファッション撮影、海外店舗撮影、社内クラブのアイスホッケー、内見会記録撮影など。

 2か所の広告代理店時代は、担当JOBのイベント実施記録(博覧会、スポーツの国際大会【ウインドサーフィン、スノーボード、ヨットレース、OLYMPIC】記録・雑誌投稿用、ファッション企業クライアントのファッションパンフレット(モデル)撮影、雑誌社の取材に同行=雑誌に掲載する写真(雑誌ポパイ、オリーブ、ターザン、BE-PAL、Men’s Clubなど)を盛んに行った。写真を撮影することでお金を頂いたのは、後にも先にもこの雑誌取材の同行カメラマンとしてだけだった。

 本職肩書は大手総合広告代理店のプロデューサー(実質はプランニング・ディレクター)だから撮る、書く、作るなどクリエイティブ作業は内外部のプロダクション専門家にアウトソーシングしろ、自分自身でクリエイティブ活動・作業はするな(出来ない人がほとんど)といった風調があった頃の話。

 写真に関しては割にこういったセミプロ的活動経緯で今に至っているのだが、写真家のプロ集団、クラブ、グループ、組織、団体には一切属さなかった。


 一方で文章を書くということに関しては、書くより喋る方が早いし間違ってもすぐ訂正できるということで、あまり執筆ということは得意としていなかった。

 しかし、Windows95の出現でパソコンが一般人に普及して以来、指先を使ってキーボードを叩き、PCを活用して思いの丈を自由に述べることが可能になった。

 それが発展し、ブログというものを自分で作成し情報発信できるようになり、自分自身の中で「文筆情報発信」ということが可能になった。

 子供の頃から本はよく読んだ。小倉の小学校時代図書室の貸し出しランキングで同じクラスの読書家女子に次いで第二位だったことがあるくらい本は読んだ。しかし自分で文章は書かなかった・・というより書くチャンスがなかった。

 手紙をもらっても、「手紙をありがとう、僕も元気です・・・」の後が続かなかった。

 字は汚いし、漢字は知らないし、書道も好きではなかった。大体国語の通信簿は5段階の3だった。高校時代の漢文や古文は赤点1だったこともある。

 そのまま大人になって、必要に迫られて給料の掛かった仕事上の企画書はよく書いたしPC・パワーポイントで絵と図形・グラフ、写真付きのプレゼン企画書は常に好評だった。広告代理店社内の常識に逆らってアウトソーシングせず、プレゼンの企画書も全部自分でPCワークでこしらえた。1996年より前は手書きで書いて、ワープロ屋に発注した。

 1998年頃。パワーポイントを使用してスキーリゾートの観光活性化企画書を作った際も、つたないPCワークでイメージ図をいくつか作り、大好評だったのを覚えている。


パワポの画像素材を集めただけなのだが、現地の人々には非常に好評だった。

 だからプレゼンでクライアントの前に立って説明する際も、「〇〇ページの左下の図をご覧ください・・。」と企画書(自分で作ったモノ)を見ないで自分の口でスラスラ説明できた。説明をプロダクションのスタッフにさせるような恥ずかしいことは一度もした事がなかった。

 こういう感じでモノを書くという行為に関して進んできた筆者だが、ブログというものを自分の手で打ち込んで、自分で撮った写真を添えて情報発信できるようになり2013年から「YAMASEMI WEB BLOG」というサイトを立ち上げヤマセミという希少種の野鳥中心ブログを始めたのだ。これ以降人生で一番モノを書く時代になったわけだ。あくまで野鳥生態の説明の為だったが・・・。

 しかし、週末は読者たち野鳥撮影愛好家たちもフィールドに出てしまうため、閲覧アクセスが極端に減るので、自分の生い立ちを「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と称して週2で掲載始めたのだ。いわば昔で言う個人史絵日記に近い存在だ。

 そうしたら、仲間や昔のクラスメート団塊世代の間で面白がって読まれ始め、PCに慣れないこの世代の多くから「タテ読みの紙の本にしてくれないか?」と頼まれ50冊程度だけパソコンの師に依頼してデジタル印刷した。


最近になってまた欲しいという方が増えたので、サイズを小さくして増刷した。

 そのブログの延長が今や1日に世界中から~5千のアクセスを受けるようになった。これはタイトルにたった一行英語訳を併記しただけなのだが、基本が野鳥写真を中心にしたブログなので判りやすいからだろうとは分析している。

 そうして始めて13年経ったこのブログ、今やなんと156万アクセスを越えてしまった。ともすると1日で1万近いアクセスを頂くまでになった。

 なんと、国内より海外からの方がアクセスが多いのが現状だ。


昨日などは1日で1万アクセスを越えた。ちょっと怖くなってきている。

 自分のブログが世界中で毎日5~6千回以上に読まれているというのは非常に妙な気分だが、本として出版しネットや本屋さん店頭で買われて読まれることを考えたら、IT発展・ネット時代は文筆ものを読まれる環境がずいぶん変わったと思わざるを得ない。

 アクセス数の多かった人気の日の閲覧回数を合計すると2~30万になるので出版物だったら結構ヒット作品同等の換算数になっていると思う。

 印刷物書物と電子書物では現在アニメ漫画ジャンルではとっくに電子書物の方が多く(9割以上)、ライトノベルで3~4割が電子書物、長い文学ではまだ紙の書物が8~9割となっている。

 この傾向は今後どんどん電子化へ進んでいくだろうと多くのAIでは予告している。

 この点で行けばブログは完全電子書物なので、いろいろな出版社あるいは文壇が与える「賞」・「コンテスト」も今後相当に変化していくに違いない。


 そんな状況下、前出の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」の印刷物がある方の目に留まり、日本で最高峰の文筆家の著名団体「日本エッセイストクラブ」に推薦され、このほど会員にしていただいた。


会長はあの2015年ノーベル生理学・医学賞受賞に輝いた大村智さん!

 そのメンバーを見れば今まで日本の文化を中心的存在として引っ張ってきた幅広い賢人たちの集団と言って良い。新旧名簿を調べると、もちろん文筆界のプロもいれば、マスコミ界の重鎮もいる、俳優もいれば歌手もいる。デザイナーもいれば、辛口評論家もいる・・・才能豊かな方々の集団と言って良い。

 少なくとも昭和以降の日本の文化・風俗を作ってこられた方々の集団だ。

 この会のメンバーに推挙していただいたことで、過去の会員などに何と筆者の縁者がいらっしゃることを教わった。

 筆者、最初の勤め先青山のヴァン ヂャケットの創始者・社長石津謙介氏、一時所属していた「日本野鳥の会」の創始者中西悟堂氏と名簿上で並ぶわけだ。筆者はこんな奇遇も栄誉もまったく予想もしていなかった。これであと10年テンションを高めることができた。

 このチャンスを紹介してくれた我が友、並びに推薦してくださった関係者の方には感謝しか無い。

 筆者にとっては自動的に持ち回りの「叙勲」の授与よりはるかな栄誉と考えている。