2017年8月31日木曜日

どうやらササゴイはヤマセミが嫌いらしい? It seems that a Striated heron dislikes crested kingfisher .

  無邪気なヤマセミの幼鳥がサギ類の中でも一番気の強いコサギに対峙して、一歩も引かなかった様子をアップした日のアクセスが非常に多かった事は記憶に新しい。
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2017/05/young-birds-of-crested-kingfisher-not.html

 その最後のカットの詳細を今日のブログでご紹介しようと思う。コサギに相対したヤマセミの幼鳥は、その後コサギから離れて別の岩に降りたのだが、そのままササゴイの傍に寄って行ってしまったのだ。

 コサギとは正面で相対したのに対し、ササゴイの方は明らかに傍に降り立とうとした瞬間全身の羽根を逆立てて威嚇をしているようだ。
 さすがにヤマセミの幼鳥もそれが判ったのだろう、相対するどころかそのまま同じ岩に降り立つことを避けて、更に遠い岩まで移動したのだ。
 春先の繁殖期には良くある状況らしい。これも人吉市を流れる球磨川が野鳥天国である事の証明の一つだろうと思っている。

 日頃、野鳥撮影をされている方々はそれぞれの目標・目的、あるいはご自分の理念に沿って撮影活動を続けておられるだろう。
 筆者の様に野鳥の生態の面白さに魅かれて撮影をし始め、決定的瞬間、時には抱腹絶倒の場面が撮れた時の喜びはこの上ない。

 今回も撮影している時点では判らなかった野鳥同士の駆け引きをお楽しみいただければ嬉しい。
左のササゴイは右から来るヤマセミ幼鳥の動きを注視しているが、まだ警戒はせず、我々がいつも見る姿で落ち着いている。
隣の岩であればストレスも感じないのだろう。余裕で見守っている。

しかし、その岩に降りず、そのままスライドして近寄って来ることが判った瞬間、全身の羽毛を逆立てて自分を大きく見せている。こんなササゴイ初めて見た!最初からこんな状態を観たら、誰もササゴイだとは思わないのではないだろうか?ササゴイにこんなに逆立つ冠羽があったなんて何処かにそんな記述在ったっけ?図鑑にも出てないかも。

さすがのヤマセミ幼鳥も、その様子を見て正面には降りられず、横へ回ってランディングしようとしたのだが・・・・。

その場の空気を読んだのだろうか?忖度したのだろうか?そのままホバリング状態で向きを変えプランBの行動に入った。ササゴイの緊張はこの時点でピークに見える。

ヤマセミ幼鳥の飛翔体勢からして、そう遠くへは移動するつもりがない事は明らかだ。

結局すぐ左の岩にランディングするのだが、それにしてもササゴイがヤマセミ幼鳥の方へ首も振らず、羽毛が逆立ったまま固まってしまった状態である事に驚かされる。動作が鈍いのか?喜怒哀楽の切り替えが遅いのか完全にビビってしまったのか。

2017年8月30日水曜日

オオタカの陰に隠れているが、実は身近に居るハイタカ。Sparrowhawk is very popular like as Northern Goshawk in Japan.

 
環境省による希少種指定から外す事になったオオタカのニュースを聞いたばかりだが、報じられた詳細は以下の通りだ。
 「環境省は4日、絶滅の恐れがある『国内希少野生動植物種(希少種)』のオオタカについて、個体数が増加したとして指定を解除する方針を明らかにした。 環境省によると、1984年の民間調査で、推定生息数が300~400羽台まで減少し、93年の種の保存法施行に合わせ、希少種に指定した。その後の環境省の調査で、2005年に1800~2200羽、08年に5000~8900羽程度と推計された。 環境省は調査結果を受け、生物の絶滅危険度を示す「レッドリスト」で絶滅危惧種だったオオタカを、06年と12年に2回連続で危険度が1ランク低い準絶滅危惧種とした。希少種の選定はレッドリストのランク分けを踏まえており、希少種の指定解除に向けた検討が進められていた。」(共同)
 このオオタカに比べ、ハイタカは一回り小さいタカで英語表記でもスパローホーク(=Sparrowhawk)と呼ばれている通りだ。大きさはハトくらいと出てはいるが、実際生で出遭うとハトよりははるかに大きく感ずる。今日の画像を観て頂ければそれもお判りだろう。
 データではハヤブサより小さい事になるが、実際飛翔の姿を見るとハヤブサとそう変わりないと思うが如何だろう?今日の画像は人吉市内の球磨川で撮影したもの。朝8時頃の画像で、勿論ヤマセミ観察の副産物。 
こちらに向かってくる姿を認識した瞬間動作に入ったおかげで撮影出来た。





一連の連写では、全くこちらの事を無視した悠々たる飛翔姿だった。

2017年8月29日火曜日

羽根を目一杯広げた大型野鳥の美しさ! The large birds spread the fullest wings is so beautiful !

 ヤマセミに続いてカワセミといった中~小型の野鳥の美しさに比べ、大型の野鳥のそれは間違いなく大空を羽根を最大限広げて飛んでいる状態だろう。

 サギ、ツル、猛禽類などが大型野鳥に入るが、やはり大きいだけに滑空状態の優雅さは群を抜いている。飛んでくる大型野鳥を捉えるには、常にレンズを向けて数秒の間にセッティング調整してシャッターを切らねばならないので三脚などは絶対に使用できない。

 迅速に対応するために、撮影者自身も反射神経、筋力、視力を常日頃から鍛えてく必要が有る。齢をとればとるほどこれら老化対策をしなければならず、最近厳しくなってきているのを実感する日々だ。
 
まずはコウノトリ!鳴かない大型野鳥なので声を聴いて探す訳にはいかない。目視で探すほかはない苦労する野鳥だ。

ダイサギ、熊本の人吉では駅上の鷺山から優雅に滑空して出てくる。

ハイタカ、球磨川流域の上空に数多く生息している。オオタカとこのハイタカは比較的出遭いやすい。

チュウヒ、渡良瀬遊水地に冬季数多く飛来している。

ハイイロチュウヒ♂これも渡良瀬遊水地、阿蘇山外輪山、その他全国各地の干拓地に飛来する。

コミミズク、一昨年大阪の淀川に飛来し多くの野鳥ファンの眼を和ませてくれたパフォーマー。丸太をぶった切ったような胴体と金太郎飴のような顔つきが高い人気を保っている所以か?

アオサギの飛翔を真上に迎える際は脱糞爆弾に気を付けねばならない!

ダイサギだろうと思う。コサギはなかなか滑空だけでは飛べない筈。

2017年8月28日月曜日

ヤマセミの次はカワセミのパーフェクト・ホバリング! After crested kingfisher's scene is Common kingfisher's hovering scene.

 昨日のヤマセミのアクティブなシーンへはお褒めの連絡を幾人の方々から頂いた。誠にブロガー冥利に尽きる事だった。
 実は、図体が大きい分ヤマセミの撮影はカワセミに比べ遥かに楽なのだ。チーッと鳴き声を残して忍者のように飛び去るカワセミは、なかなかその飛翔場面を撮影できない。
 しかし唯一目の前でホバリングしてくれる時に限ってAF(=オートフォーカス)さえ効けば、面白いシーンが撮影できる。

 しかし、東京郊外のコンクリートで護岸された狭い河川でカワセミを見下ろしながら撮影するのはホバリングを含めて、まず難しいだろう。野鳥は基本的に上空からの脅威に非常に警戒心を抱く。これは猛禽類が天敵だからだろうと思われる。ヤマセミも、トビのピーヒョロロロの鳴き声を聴くと「キッ!」と上空を見上げ、身構えるのを幾度も撮影している。
 したがって、休日に望遠レンズ装着で野鳥撮影ファンの方々が、上から水路を見下ろし、カワセミの動きにつれて集団でチェイスするような状況ではまず難しいだろう。
 むしろ、川原なり、水路の水面に近い所でじーっと動かずカワセミがやってくるのを待った方が成功率が高いと思う。

 ホバリングを撮るにしても、上から狙って背景の対岸の壁や水面にピントが合ってしまいより、遠い背景との距離差でピンが合いやすい状況下で撮影した方が良いと感じる。
 





こんなカットが30カット以上撮れた後、前方へ急降下!見事に採餌成功・・・だが追い切れなかった、残念! 

2017年8月27日日曜日

ヤマセミの動きの綺麗な画像! This is activity scene photos of crested kingfisher !

 週末の団塊世代シリーズを終えて、野鳥シーンに戻った最初はやはりヤマセミのアクティブなシーンの画像をお届け!
 学術的にはあまり意味のない画像だが、狭い山奥で撮影される方々には広い球磨川を、人間を気にしないで飛び回るヤマセミの豪快な画像を是非見て欲しい。

 特に人吉に来れば、ブラインドなどは全く必要ないし、後ろを通行人や観光客が平気で通る場所からヤマセミを観察できる。
 でも、どこへ行けば居るのかなどは観光案内所でも教えてはくれないし、大体ご存じないだろう。その場合は駅前の「じゅじゅはうす」で高松さんに御聞きに成れば、何とかなるかもしれない。
 そこで、色々人吉のヤマセミ写真集などを見せて頂き、撮影場所を訊いて徒歩で向かうのが一番早いかもしれない。

 但し、あくまで日の出から2~3時間が命なので、それ以外に行ってもまずは出逢えないと思って間違いない。もし遭えたら相当な強運の持ち主という事だろう、喜んでいいと思う。





今日は選りすぐりの中から、スピード感ある画像を選んでみた。

2017年8月26日土曜日

団塊世代へセンチメンタルジャーニーのお勧め!その2. This is my advice of sentimental journey for Baby-boomers ! Part2.

 昨日のこのブログへのアクセス・反響が大きくて驚かされた。観て下さった方々に伏して感謝したい。
 調子に乗って・・・・と言うより、もともとの予定で準備していた続編をアップしようと思う。実は病院へ検査の為に入るという事で数日分ストックをしておいたのだ。この手の内容に成ると資料を整理したり、画像処理で大きさを揃えたりしなければならないので結構手間がかかる。
 正直いつも1週間先に掲載するものをあらかじめ作成しておくので、不慮の病や怪我で動けなくなっても大丈夫なようにしてあるのだ。
 美術展レポートと、人吉など遠隔地へPCを持ち込んでの現場レポートはこの限りではないのはご存知の通りだ。

 さて、今回このブログを編集していて衝撃的な事実が判明した!今日出てくる2011年フランス・パリでの航空ショーを開催したパリ北部のル・ブ―ルジェ空港、そうあの「翼よあれがパリの灯だ!」で有名な大西洋横断リンドバーグのスピリッツ オブ セントルイス号が降り立った場所だ。
 2011年のパリ航空ショーで初めて行ったと思っていたその場所に、なんと筆者自身1972年ロンドンのガトウィック空港からの便で降り立っていた事が判ったのだ。
1974年までパリのメイン空港だったル ブールジェ空港

 それは何故判ったかというと、当時のパスポートの入国管理のスタンプからだった。今の今まで、筆者は降り立ったのはオルリー空港だとばかり信じ込んでいたのだ。1972年当時シャルル・ド・ゴール空港はまだ出来ていないのがその理由。しかしル・ブ―ルジェ空港はその1974年まで海外からの主力エアラインの出入りの空港だったのだ。
左上がLE BOURGET空港の入国管理スタンプだ。この後パリに2泊した後、Paris EST(=東駅)から列車でスイスのジュネーブへ移動した。

 このパリ航空ショーは凄い所だった。ロンドン郊外のファーンボロー空港と同じで現在はビジネスジェット機中心の空港に成っている。最近の映画でビジネスジェットの離着陸が収録される場面は大概このどちらかだ。知っておくと面白い。
2011年パリ航空ショー、会場のル ブールジェ空港の現場で。この写真を撮った2011年に初めて来た場所だと思い込んで居た。が、今日!1972年にロンドン・ガトウィック空港からパリに入った際、実は此処に到着していたのだ!勝手に運命がセンチメンタルジャーニーを成立させていたのに、それを本人が認識していなかったという大ドジだった。

 やはり、センチメンタルジャーニーとなると飛行場や鉄道の駅などが一番昔と今を比較しやすいだろう。もちろんランドマーク的な建造物もその一つだが、不変の背景を演出してくれる事こそ望郷の念を満足させてくれるのだろう。

 あるいは、毎朝ホテルで出される朝食の印象も欠かせない要素だと思う。
    1972年ロンドンのホテルの伝統的ブレックファースト。
2005年、セント・オーステルのドーバー海峡に面したホテルでの朝食。

40年も経つと人間の歩き方、ファッション、車、バスなども当然大きく変わっている。例えば1972年頃の英国の街中やパリのシャンゼリゼなどは煙草の吸殻で一杯だった。しかし今は大きく変わって綺麗なものだ。パリの地下鉄なども、昔は木製の籠のような古い車体だったのが最新式に変化している。
例えば英国Bournemouthの1972年(左)と2001年(右)を比較しても奥の建物や左の住宅の連なりが殆ど同じだったりする。

同じ道で撮影した朝学校へ急ぐこの少女もすでに還暦を越えているはずだ。

 ロンドンのオックスフォード・ストリートに在るセルフリッジ百貨店なども以前は日本橋高島屋が真似した通りの重厚な百貨店だったが、今やアラブ人達のロンドン本部の様になってしまっている。世の中は常に変わるのだ。
 こういった意味からすると、センチメンタルジャーニーだけではないかもしれないが、旅というものはその場所に対する思い入れが同じ様なパートナーと同行するのがより楽しいと思う。何も全行程一緒でなく、現地でいったん解散し個人行動しつつ、数か所で集合し情報交換なども楽しいはずだ。

パリのリヨン駅、1986年も2011年もアヌシー、ジュネーブ方面へ移動の際に使用した駅だ。

1986年のTGVは黄色主体の豚の顔のような車体だった。

2011年のそれは流線型の日本の新幹線に似ていた。

1986年、パリ・リヨン駅のカフェ・レストラン

24年後、2011年のまったく同じ場所、いずれも朝食を此処で摂った。

1972年パリ・ルーブル美術館横、ジャンヌダルク像の前で。当時大学3年生。当時も金色だったような気もするが下の画像ほどキンキラキンではなかった気もする。

 2011年全く同じ場所で、柵がなくなっている。後ろは映画「ボーン・アイデンティティ」でロケに使用されたホテル・レジーナ。奮発して此処に泊まったら記念にホテルの名前入りのワイングラスをくれた。

 この手のノスタルジック比較画像はいくらでもあるのだが、整理整頓が不得手な筆者にはなかなかしんどい企画なのだ。

 筆者は親から受け継いだDNAの影響で、残された時間が少ないだけに、最後にBeatlesやマージービートで人生に大きな影響を与えてくれたリバプールへ行く事を最期のセンチメンタルジャーニーと考えている。さすがに此処だけはBeatlesに興味を示さない人と行ったのでは意味がない。あーだこーだ言いながら是非この有名な港町を徘徊したいと思っている。団塊世代であれば同志は星の数ほど居るだろう。

団塊世代へセンチメンタルジャーニーのお勧め! This is my advice of sentimental journey for Baby-boomers!

 人間誰しも齢を重ね、高齢になると、自分の残りの時間を考えながら昔の事を思い出すことが多くなる。いわゆる望郷の念に近いモノだろう。
 相変わらず、生きている間に行きたい所に行っておかなきゃと、昔憧れた海外の観光名所へパンフや絵葉書の確認旅行の様にして貪欲に行く方も多いようだ。
 中学校時代の同期生には、そうして南極やネパール、南米と普通の旅ではなかなか行けない所へ、ご夫婦で出かけているメンバーも多い。子育てが終わった現在は子供達も自立して親離れもし、自由時間が沢山有るはずだから、親の世代は勢いよく世界へ羽ばたいているとみて良いだろう。旅行会社の団塊世代用のパックや個人旅行企画は、まさに宇宙を含めて行けぬ所は何処にもない状態だ。
 
 振り返ってみれば、筆者も大陸で言えば南米・南極以外はアフリカを含めてすべて行った事になる。国で言えば米国、都市であればホノルルが勿論一番多いだろう。ウインドサーフィン関係の仕事、ウインドサーフィン関連の広告制作・国際ウインドサーフィン大会の運営実施などで、優に40回は超える。パスポートの出入国記録を観て驚いた!

 何と滞在日数はハワイだけで合計340日余り、あと3週間で丸1年は滞在していた事になる。いつだったか、それだけ滞在していたのであれば特別待遇のカードが出るという話もあったが申請しなかった。ハワイの島々移動の航空券代が安くなるというのだった。

 ハワイ以外ではヨーロッパ・英国がやはり群を抜いている。ロンドン、パリ、ミュンヘン、アルプス近辺が多いのは広告代理店の仕事のせいだろう。
 ファッション撮影、長野オリンピック・スノーボード競技役員としてFIS(=国際スキー連盟)の会議出席、ISPO(=国際スポーツ用品見本市)視察などが多かった。実際スノ―ボードの世界大会、自転車競技の世界大会など、日本からのチームとして同行したりで官費出張の為、観光的な意味合いは殆どなかったが、其処はそれ、勿論観光的な行動もしている。

 しかしなぜかお土産というモノには興味が無いので、旅支度はたいがいカメラケース1個にダッフルバッグ1個で済んでいた。いわゆる観光客の間で流行りのRIMOWAのスーツケースなどは、1999年頃にドイツ・シュツットガルトへ行った際まとめて現地で3個購入して以降しか使用していない。
 今日の話は、そうした団塊世代であれば誰もが抱く「望郷の念」に沿った昔を再確認する旅、そうセンチメンタルジャーニーのお勧め話だ。 筆者も残り何年生きられるか判らない状態だ。ちょっと必死で最後のセンチメンタルジャーニーを企画しなければ間に合わない。

 要は、故郷を離れて大都会に根を下ろし、そのまま戻らず数十年経った方、あるいは若いころ放浪した海外の国々・都市や田舎を再び訪れ、そのタイムマシーンに乗ったような感覚を楽しんではどうだろうというのが今回の企画意図だ。

 世の中には人それぞれ色々な形のセンチメンタルジャーニーが有ると思うが、取りあえず1972年大学時代、40日間英国Bournemouthホームステイ・ツアーで初めて行った海外、英国~フランス辺りに関する再訪の旅、筆者のセンチメンタルジャーニーを振り返ってみたい。

 大元は1972年のLOOKというJTB団体旅行での英国Bournemouthホームステイ・ツアーだが、その後2001年ドイツ・シュツットガルトの帰り、2010年に英国航空ショーでロンドン滞在、翌年2011年パリの国際航空ショーへ行った際、帰りにロンドン経由で戻り、その際懐かしのロンドンにそれぞれ数泊した。その2001年の際に足を延ばしてみた約30年振りのBournemouthだったが、充分自分的にはセンチメンタルジャーニーだった。

 幸い昔から写真撮影が好きで、色々な物を撮影していたので、比較対象物が多く、充分同じ場所の時代の流れによる経過比較が出来て意味深いと思う。単なる観光旅行とは違うセンチメンタルジャーニーの魅力と意味を少しでも理解して頂けると嬉しい。

まずは、英国のセンチメンタルジャーニー編から・・・・。
航空機の中から眼下のロンドン中心部を撮影したもの。コンデジの性能が良くなって、こういう画像が簡単に撮れるのも嬉しい。テームズ河から国会議事堂、ナショナルギャラリー、Beatlesの映画「Let It Be」の最後に屋根上でのライブシーンがあったが、そこからの眺望に映っていたロンドンBTタワーも左の方に見えている。

1972年ロンドンのテームズ河に架かるロンドンブリッジから観た東方下流のタワーブリッジ、右側の軍艦は巡洋艦ベルファースト(記念艦)

2010年英国航空ショー(Farnborough Air Show)の際、毎日渡ったウォータールー橋から観た上流、国会議事堂ビッグベン方向。テームズ河の河の色はちっとも変っていなかった。

日本橋三越の店頭に鎮座しているライオン像はこのネルソン提督の像の立つトラファルガー広場に在るものだ。毎回ナショナルギャラリーへ行くので、同じ様なシーンを毎回撮影出来ている。さすが英国!40年経ってもほとんど何も変わらない証拠がこの2枚の写真だ。左の写真の石の柵は今でも在る。右の2010年の場合多少撮影ポイントが右なので、ちょうど柵が切れているだけ。

ピンクフロイドのLP(アニマルズ)やThe Beatlesの映画HELPでも停電の場面で出て来たバタシー火力発電所。1972年は最盛期の活動中だった。現在は何度も再開発の話が立ち上がっては消えているようだ。

1972年BOURNEMOUTH滞在中に撮影したドーバー海峡に面した海岸通りを散歩する老人二人。

30年経って、自分も高齢者の入り口に掛った2001年、仕事で同行した友人と共に似た様な状況で記念に撮影してもらった1ショット。手摺りが出来、街灯が変っている他はあまり変わっていなかった。1972年同様フットボールのイングランド・リーグではマンチェスター・ユナイテッドが圧倒的に強かった。
 
カメラをデイパックに載せてセルフで撮影!30年前の老人たちとほぼ同じシーンを撮る事が出来た。上の写真を持って行った訳ではないのに、昔の場所も背景もほぼ間違っていない!これがセンチメンタルジャーニー独特の効果だろうと思う。
当時鉄道に興味があった筆者は、盛んに英国の鉄道写真を撮っている。当時も今も英国の鉄道は東京の地下鉄銀座線同様第3軌条から電気を取っている。
Beatlesの映画「A Hard Day's Night」からまだ8年しか経って居なかった1972年は映画の中に出てくるような列車がまだ走っていた。

写真がデジタルでカラーが当たり前に成ったからではなく、最近の英国の鉄道車両そのものが物凄くカラフルに成った。

ロンドン、ウォータールー駅も出入りする車両のお陰で非常にカラフルに成ったようだ。こうした自分が興味を持ったもののNOW&THENを楽しむのも、センチメンタルジャー二―の楽しみ方だろう。