2023年1月31日火曜日

NHKの「ダーウィンが来た!」でブッポウソウとアカショウビンの採餌シーン! The foraging scene of the Dollarbird and the red kingfisher in NHK's "Darwin came!"

  一昨日日曜日、1月29日19:30からのNHK総合TV「ダーウィンが来た!」でブッポウソウとアカショウビンの採餌シーン撮影の一部始終、その大変さや苦労を放送していた。

 ハッと気が付いて、出だしの20秒ほどは欠けたが、ビデオ録画収録できた。もちろんPC上でNHKプラスにアクセスする事で暫くは再放送を観られるのだが・・・。

 番組を観ながら、2020年の球磨川大洪水・コロナ前人吉市で10年に渡りヤマセミを観察・撮影している時、遠征時に幾度となくブッポウソウの観察撮影を繰り返し、地元の野鳥事情通(超人Kさん)の協力を得てアカショウビンの繁殖~巣立ちまでを静止画+動画で収録できたことがすぐ頭に甦った。

 この番組のような事を自分自身で行ってみると如何に大変か?良く判る。筆者の静止画と異なってNHKは動画だから余計大変だろう。

 もちろん撮影に関しては最新機器+助っ人撮影者数名のチームなので、筆者のような短期個人での撮影とはレベルも次元も全然異なる。個人の筆者としては1週間も同じ所に滞在して追いかけることは経済的に不可能だ。数日が関の山。

 ある意味羨ましい限りだ。小学生の頃、将来大きくなったらNHKの海外撮影隊のメンバーになりたいと憧れたのを想い出した。

 ただ、プロのNHKでもこれだけ大半な事を、レベルは全然違えど自分でやって来たことに誇りを感じた。嬉しくなった。 

ダーウィンが来た! 1.

ダーウィンが来た! 2.

ダーウィンが来た! ちょっと品が無い=NHKプラスの番組案内タイトル

NHKのブッポウソウ採餌シーンの一つ、赤いクチバシの先の黒い点が獲物。

筆者のブッポウソウ急降下採餌シーン①

筆者のブッポウソウ採餌シーン②

筆者撮影のブッポウソウ急ターン画像。

ダーウィンが来た!のアカショウビン採餌

筆者撮影のアカショウビン採餌

同上

 プロの映像クルーが自分と同じ苦労をして、素晴らしい映像を収録しているのを間近で観られて大変感動したので、今日のブログは当初予定していた内容を変更して急遽割り込み投稿させて頂いた。
 NHKの素晴らしい映像製作チームにエールを送りたい!

2023年1月30日月曜日

年明け初の高尾山詣出、寒くて野鳥が少ない山頂付近。First pilgrimage to Mt. Takao at the beginning of the new year. Birds are not so many, because of cold .

  昨年末12月30日に続いて高尾山に徒歩で登り降りをした。今回は一人ではなく旧友と共に。

 年明けから体調がすぐれなかったが、色々検査したり半日人間ドックを経て「登ってみよう」という気が湧き、実行した。1か月に二度目の登山に成るが、毎日歩きで登る人が結構いる様なので、これでも頻度は初心者並みだろう。

 今回は頂上展望台から陣馬山方向へ尾根を進んだが、あまりの野鳥の少なさに閉口。一丁平で諦め下山した。 

 下山もいつも降りる稲荷山コースが工事で通行止めなので1号路を下りた。

 野鳥は常駐の種が殆どで、これといった目ぼしい成果はなかった。春先の繁殖期が来るまでは仕方が無いだろう。

冬の空気の密度が高い時の東京遠景はきれいに写る。

朝9時前の高尾山から見た都心

もちろん富士山もいつもより近くに見えた。

江の島も展望台含めてはっきり見えた。

旧友と待ち合わせたケーブル山頂駅展望台で最初に目に付いたコゲラ

ベンチ下にシジュウカラ、観光客のおこぼれ採餌か?

土手の法面でヤマガラ

沢山いたメジロ

やたら飛びまくっていた。

一丁平でシロハラが採餌中。

2023年1月29日日曜日

団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。その2. Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist. Part2.

  スウェーデンの若い精神科医が書いた「スマホ脳」3回読み返してますます納得した。筆者「小説・随筆」は昭和の時代、文庫本狂いと言われるほどよく読んだ。小学校時代は図書室の貸し出しランキング2位だったこともある。

 しかし50歳を過ぎて「作り話」はほとんど読まなくなった。ノンフィクション、事実に基づいた本しか読まなくなった。事実に基づいて書いた小説、例えば司馬遼太郎の「坂の上の雲」や日本海海戦のロシア側のバルチック艦隊ロジェストヴェンスキー提督の実話(妻に宛てた手紙に基づく実話)などはむさぼるように読んだ。

 何故か作り話は面白いと思わなくなったのだ。特に直木賞・芥川賞になった小説はどれも1/3も読まないうちに飽きてしまうようになった。

 数年前お笑いタレントが書いて賞を獲った作品など、これを選んだ審査員たちの脳を疑ったものだ「大丈夫か?」と。もちろん筆者の方がオカシイのかもしれないが・・・。

 二歳年上だった影山民夫など、第99回直木賞を獲った「遠い海から来たCOO」などより、実話エッセイを集めた「普通の生活」の方がはるかに面白いと思うのだが・・。

 話が冒頭から飛んでしまった。オイラ認知症だろうか?

 自分の経験、自分の知っている数多い人々、友人知人を頭に浮かべながら、この「スマホ脳」を読み返す都度、いちいち納得できる内容に幾度もうなずく自分が居た。

 筆者の周りには生で逢う友人知人が少なくとも20人いる。

 Facebookで繋がっている者はそのうち16名。あとは携帯端末のシートメール、あるいはPCのEメールでのコミュニケーション。音声通話は緊急時以外はめったに使わない。

 筆者が長い事ガラケーからスマホに替えなかった理由は昨日のこのブログで述べたとおりだ。電源を入れればまだ動くが、通信はもう出来ない。

 これがFacebook を通じてメッセンジャーや投稿内容でコメントのやり取りをする相手となると、リアルで逢わない(逢えない)人が別に20名ほどいる。一度も生で対面したことが無い人も数人含まれる。年賀状のやり取りは長い事100名を上下していたが、最近減ってきた。

 確かにFacebook で知り合ったバーチャル・コミュニケーション相手が存在すること自体は人類の歴史上、今、すなわち現在が異常な時なのかもしれない。

 かって人類のほとんどが狩猟民族だった頃には会った事もない相手と仮想空間で相対するなどという事は想像もしなかった事だろう。昔は人類は生身の「敵」もしくは「味方=仲間」のどちらかしか存在しなかった・・とスウェーデンの精神科医は説いている。

 話の後半はスマホの弊害と、スマホを通じてSNS,Facebook などを駆使することでうつに成ったり、精神を病んだりする、あるいはそこまでいかずとも「幸せではない、満足ではない」状態に人々が陥るという怖い話に広がっていく。

 筆者自身もスマホに関わる案件で大きな「違和感」を感じた経験が幾度かある。

 その一つは10年ほど前25年振りで再会した旧友と山のヒュッテに泊りがけで行った際の事。標高1700mの高原で何故か電波が通じる所だった。湿原の木道で野鳥を観察・撮影している最中、ほぼ半分の時間をそいつはスマホを駆使していた。時には木道にしゃがみこんで、時折大きな笑い声で・・。一体山に何しに来たんだ?という疑念で同行を後悔しっぱなしだった。

 夜はもっと酷かった。昔話、共通の友人のその後など人生の話をしようと楽しみにしていたのに、そいつは布団にくるまって、ド近眼の目でスマホの画面を見続けていた。液晶がそいつの顔を青白く照らし不気味だった。山へ来たことを目一杯後悔させてくれた。

               © KADOKAWA ASCII Research Laboratories, Inc. 2023より

 山を下りてFacebookからそいつを消し去ったのは言うまでもない。

 目の前にリアル=生のコミュニケーション相手が居るのに、一生懸命スマホの液晶を通じて他人との会話に見入る人間は決して「友」・・・どころか「人間」ではない。既に当時そいつは「まぎれもないスマホジャンキー」になってしまっていたのだ。

 無礼・失礼を通り越して「怒り」すら湧かなかった。多分スマホジャンキーの当人は何も感じなかったのだろう。判っていなかったのだろう、もちろん反省などしないはず。社会的に言えば欠陥人間の最たるものだと思う。

筆者がスマホジャンキーを言い始めた頃の有名な動画 Youtubeよりhttps://www.youtube.com/watch?v=VASywEuqFd8 


 昨今は「ググる、」などという言葉も存在するが、この精神科医はググった内容は決して身に付かないという。この件なども「目からウロコ」の一つだった。集中力、集中することの重要性、スマホでランダムな内容をググってばっかりいると、幅広い多くを知ったような気に成るが何一つ覚えちゃいないという怖い話だ。

 筆者は大学時代サッカーの試合前、あるいはウインドサーフィンで風を待っていて風が上がってきたとき、アイスホッケーの公式試合前、胃が痙攣しカラ戻しのような状態でゲーゲーやる。森戸神社裏でゲーゲーやると「あっ!シンジョーさんのゲーゲが始まった!風が上がるそ」と笑われたものだ。

 これを医学的に言うと萎縮性胃炎で、集中すると胃に血液が不足して萎縮痙攣を起こすのだそうだ。もう50年以上この肉体的・生理的特質は変わらない。
 ある意味スマホやGoogleを使い慣れても、集中力が大切だというポイントに関しては筆者は全く問題ない様だ。

 スウェーデンの若き精神科医は「スマホは私たちの最新のドラッグだ」と言っている。

 8年ほど前、このブログで「スマホジャンキー」という言葉を初めて使ったが、まんざら間違いではなかったと今思っている。


 で、もう一つの経験は、自分では殆どFacebook投稿をせず、人の投稿(画像・写真・コメント)を観るだけ。時折その投稿内容や投稿者の投稿意図とはまるで関係なくウケを狙ってだろう発せられるピント外れのコメント。

 各投稿者の思惑・意図(普通Facebookの投稿は皆さん結構真面目)を無視した空気感阻害コメントは「投稿という座」の後味を悪くするし、投稿者に失礼な場合がある。

 スウェーデンの若き精神科医はこう言っている。

 他人の投稿の写真やコメントを観るだけで、自分では写真もアップしないし投稿しない、議論にも参加しないユーザーは積極的なユーザーより精神状態が悪く成る様だ。(147p)

 実はFacebook上での積極的なコミュニケーションは9%程度で、ほとんどが尽きることのない潮流のようなコメントや、画像を次から次へとただ観ているだけなのだ。(147p)

 昨日の投稿部分の最初の方で、「人間はスマホという最先端の機器に順応できるようには発達してきていない・・。」とスウェーデンの若き精神科医が言っていると述べた。

 例の1万個の点(=20万年間の世代)のうち9,500個の点、つまり過去9,500世代において人類は次のような状態だったと言っている。

① 当時全人口の半数は10歳になる前に亡くなっていた。(当時の自然淘汰)

② 当時は50~150人で暮らし、コミュニケーション相手もその数が精いっぱいだった。

③ 当時は移住が当たり前で一所に長くは住まなかった(=食料の関係上住めなかった)

④ 当時は生涯で出逢う人間は200名程度、多くて1,000名以下だった。今はスマホ他端末、ネットを通じて数億の「他人」とバーチャル上で逢う事が可能だ。

⑤ 当時の平均寿命は30歳だった、現在は7~80歳までそれが伸びた。

 何を言いたいかというと、こうした人類の長い歴史で人間に備わった生理機能・思考能力・脳のキャパシティは、数量的にスマホ、SNS、特にFacebookなどのコミュニケーション機器・ソフトに順応出来るようはなっていない・・・。と力を込めて言っているのだ。

 無意識のうちに筆者がFacebook 友達登録の人数を常時100名以下にコントロールしてきたこともこれらに通じる部分があったと安心した。もちろん1000~2000人とFB友達の多い方もいるが、筆者はそんな数覚えていられないしケアできない。

 あくまで筆者の個人的理念だが、友達である以上はリアルでも逢う事が出来、あるいは過去において逢っていて、なおかつどこかで共通世界・共通感覚・共通価値観を持てる人とだけつながっていたいと思うのだが・・・。

 筆者が10年前から思っていたスマホに関する違和感、Facebook に対する違和感はスウェーデンの若き精神科医この辺りと非常に共通するものがあると感じた。

2023年1月28日土曜日

団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。 Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist.

 団塊世代の筆者は、広告代理店の各種イベントを企画・運営・・実施する仕事上、携帯電話を持ち歩くのは一般の人より早かったように記憶している。

 当初の金属の塊の様に重たいNTTのTZ-803型を会社から与えられて長い事使用した後、ガラケーの携帯端末を愛用してきたので、スマホに変えたのはTVドラマや映画の中でほとんど出演者全員がスマホを当たり前のように使用し始めた2012年(普及率50%近く)から10年近く経ってからだ。
筆者が会社から与えられ使用した初期の携帯電話。

 理由は色々あるが、ノートPCをデイパックに入れて背負って徘徊していた時代が長く、ガラケーをスマホにしたところで、携帯端末では音声通話、ショートメール、歩数計くらいしか使用しなかったのがその主な理由だ。これはこのブログでも幾度となく述べている。

 筆者など天気予報ですらあまりスマホで確認しない。天気など山や海でもない限り数分で概況が変わる訳もない、そんなに短時間で変わるものならスマホの予報など当てにするより空を見上げた方がよほど正確だ。都会人とは違い長い事海でウインドサーフィン、山でスキーやスノボをやって来たものは観天望気含め、生の空模様でこの先1~2時間の予想は自分で判るものだ。

 一方で団塊世代はほぼ100%が老眼だ。その団塊世代がスマホに飛びつかなかったのは当たり前だろう?字が小さすぎて読めやしない!
 50歳くらいの時に組んで演奏練習したインストルメンタル・エレキバンド(古いね!)の名前が「ザ ローガンズ」だもの。推して知るべしだ。

 すべてをスマホに入れて「おサイフケータイ」だの「アドレス帳」だの「カード決済機能」「各種クーポン」だの便利がっていた友人がそのスマホを失くして「人生終わった!」と嘆くのを幾度も目の当たりにしている。自業自得だろう?

 一方では歩きスマホと正面衝突して怪我を負った者、知人には居ないが、歩きスマホのままホームから転落して電車に轢かれて死んだ者などスマホに関していい話を聞かない。

 そんな中、先日新型コロナやワクチンに関する本が本屋にまとまってコーナーなどが無いのは何故?というテーマでブログを書いた時、吉祥寺の本屋軒を回った際に目に留まって買い入れたのが今日のテーマ・ネタ「スマホ脳」だった。

都心へ出る際は電車の中で読んだが、本の向こうに座る人々を眺めながら超納得!

また別の日に読み返している際も状況は似たようなもので、心の中で笑ってしまった。

 10年ほど前からスマホ自体の存在に危うい感じと物理的危機感を感じていた筆者は「我が意を得たり!」状態で、全面的にこのスウェーデンの若い精神科医が述べる一言一句に賛同したのだ。

 一番の理由は、今までずーっと筆者自身が抱いていた各種疑問、危機感を裏付ける事への解答が多くの証拠と共にたくさん書かれていたのだ。
 過去のこのブログで、朝から晩まで四六時中手から離さず小さな液晶画面を見入るスマホ使いの事を「スマホジャンキー」と勝手に呼ばせてもらった筆者が間違っていなかった事を証明してくれた点でも嬉しかった。

 まず最初に目からウロコだったのがこれだ。

 彼がスマホに関して説明するにあたり、人類がこの世に出てから今まで引き継いできた20万年間に渡る世代を2ページ見開き一杯に1万個の点で表している。いかにも精神科医らしい具体的で解りやすい説明だ。

 1万個の点は今まで人間が経てきた20万年に及ぶ「世代」だという。スマホの出現はその1万個の点の一番最近(=最後)の点だという。図で示すこの説法はショックだった。※アンディッシュ・ハンセン著スマホ脳より

 で、一つの点が1世代を表すという事はバアさん、母親、自分の3代は3つの点ということに成る。これで説明できるのが水道や車がある現代・近代の人間は最後の点、つまり現在から8個前(=8代前)からの歴史だという。真空管のコンピューターや航空機が出来たのが点3個前から、いわば団塊世代の祖父母の時代だと説く。

 そうした中で、スマホはどうなる?なんと点1個(=現在)に過ぎない、1万個の世代を生きてきた人間がスマホを手にしたのは、最後の点一個。つまり9999個の世代はスマホなんてものには全く縁がなかったと説明するのだ。

 ちょっと乱暴な見方かもしれないが9999世代が長年培ってきた「人間固有の生理的行動、人間工学的仕組み」の中にスマホという便利ながら人間が四六時中夢中になる「物」は存在していなかった。
 これが急に出現しても、人間はそれを使う事でそれまでの「常識・習慣・生態」から急にスマホの持つ「習慣性・利益効果」に順応できるわけがない。数多くの無理・ストレスが生じ、少なからずの悪影響・障害となって災いをもたらしている・・・。と説くのだ。

 このブログでは、この中から琴線に触れた、あるいは皆さんにもぜひ知ってほしい「怖い事実」に絞り込んで明日以降のブログに続けたいと思う。

 別に筆者は新潮社の回し者でも著者のアンディッシュ・ハンセンの親類縁者でもないが・・。まあ本をリアルで読んでいただくのが一番だと思う。

 今までスマホに関してこういった観点で分析した学者・知識人はいなかった。ましてやiPhonアップルの人間や、NTT Docomoの人間たちもスマホの便利さや、スマホがなければ社会から取り残される等とスマホ デバイド(かってのデジタル デバイド同等の意)を叫んで半強制的にガラケーからスマホに乗り換えさせた。いまから10年以上前2011年~2012年頃の話だ

 筆者の場合はこの沈みゆくタイタニック号から一斉に争って逃げ、海へ落ちるネズミ達のような一団には加わらず、10年間様子をうかがっていたが、使用料金、ランニングコストが1/3に成る、更にはガラケーからスマホへの機種変更料金がゼロ=只キャンペーンと聞いて1年半前にスマホに替えた。

 しかしスマホ替えて1年半、相変わらず音声通話、ショートメール、歩数計、天気予報程度しか利用しないので料金は2,000円/月のラインを越えていない。
健康保持のため毎日チェックする歩数計、この画面は遠出した日のデータ。

 要は、端末機器がガラケーからスマホという形態になっても使用内容・頻度が変わらないので「歩きスマホ」はもちろんしないし「スマホジャンキー」に成ったりもしない。

 ましてやリアルで目の前にコミニュケーション相手が居るのに、その相手を無視して手に持ったスマホから来る別のコミュニケーション相手には関わらない。大体失礼だろう?目の前の相手に・・。

 このあたりのスマホを扱う事で人間関係が終わった友人・知人、今またスマホ経由のSNSなどで友人・知人を失いそうになりつつある現実は今後の続編で・・・。

2023年1月27日金曜日

クロガネモチの実にやっとヒヨドリが寄り付き始めた。 The brown-eared bulbul finally began start to eat the Round Leaf Holly fruit.

  昨日の高尾山登山3万歩の筋肉痛が朝から酷くて、今日はかって「巨人の星」で飛雄馬が嵌めさせられていた「大リーグ養成ギブス」を全身に張り巡らされているような感じだ。

 通っている西荻窪の歯医者さんへいつものように吉祥寺から歩いていくのだが、1か月前から気にしていたある公園のクロガネモチの大木の赤い実にヒヨドリが群がり始めていたので、しばし観察の後撮影してきた。

 一般的に野鳥は赤い実は季節の最後まで口にしないと言われている。よほど他の実が食いつくされてほかに食べる木の実が見当たらないと赤い実は口にしないというが、何処まで本当だが判らない。

 言われてみれば、南天の実、ピラカンサ(=トキワサンザシ)の赤い実も春先まで残ってはいるが、いずれ野鳥に食べられるようだから、まんざら嘘でもない様だ。

 そういえばムラサキシキブやコムラサキなどは正月前にほぼなくなっている。

 今日のブログはやっとクロガネモチの赤い実に群がり始めたヒヨドリ。

武蔵野市の小さな公園の一角に生えているクロガネモチの大きな樹

年末から見事な赤い実を鈴なりにさせていた。

きちんと標識も付けられている。

得意そうに赤い実を咥えたヒヨドリ

嬉しそうでもある。

ヒヨドリの舌も意外に長い!

赤い実を咥えて

取り落としても

反射神経は素晴らしい!わざと遊んでいるのか?

2023年1月26日木曜日

カラスの急降下に似て、トビも似たようなことをするのだが・・。 Similar to how crows swoop down, The kite raptor do similar things...

  近所のカラスのクルミ割り動作に結構なアクセスを頂いている。あまり見かけない生態なのだろうか?北海道の札幌でも似たような行動を目撃されたと情報を頂いている。

 やはりすべてのカラスだけではないようなので、カラスが個体別に進化過程にあるのではないかという見方もできるかもしれない。

 今日は10年ほど前、熊本県の阿蘇外輪山の草原で、トビが木の枝を落とし、その落下と同スピードで自分も降りて、地上すれすれでそれをキャッチするシーンを目撃、撮影したのでご紹介。

 トビが暇を持て余して遊んでいるとはとても思えなかった。





もちろん、これが撮影出来たのは、これを知っていて撮りに行ったのではなく、コミミズクを撮影に行って、出を待っている時に偶然目撃し、撮影出来た非常にラッキーな事だった。



2023年1月25日水曜日

毎朝の愛犬散歩でカラスの知恵を幾度も目撃!  Witnessed the wisdom of crows many times while walking my dog every morning!

  筆者、在宅の際は欠かさず早朝日の出時刻に愛犬散歩をするのがここ20年の日課になっている。もちろん散歩愛犬自体は二代目。九州の小倉に引っ越して以降、我が家には子供の頃から犬がほぼ常時家族の一員。白い雑種(ベル='55-'61)、コリー(ラッド='61-'72)、ちび(雑種='82-98)、ジャンプ(茶芝='98-'16)、ペロ(黒柴'18-現在)

 この愛犬は全て貰ったか、拾ったかのどちらかで家族の一員になった。

 その愛犬つれての日の出散歩。必ずコンデジカメラを持って動き回る。コースは愛犬が勝手に好きなコースを先導していく。大体5パターンのどれかを進む。糞をする場所は大体10か所のどれかと決まっている。

 こうして回遊する際に、住宅街に常駐する野鳥の縄張りを通ることになる。毎朝決まった時間にほぼ同じ格好(衣類・帽子・持ち物)で動くので、縄張りの主人(=野鳥、猫、犬、時に他の散歩犬主従)とは顔馴染みだ。

 必ず出逢う野鳥はキジバト、ヒヨドリ、カラス、ジョウビタキ(冬のみ)、スズメ、シジュウカラ。いずれも余程近づいても逃げない。カラスに至っては3mの距離で逃げない。眼を合わせば避けるが、飛ばずにチョンチョン足で遠ざかる。

 今日はその見知ったカラスの知恵をご紹介。簡単に言えば何処からか持ってきた山グルミ(=胡桃)の実を電柱の上、あるいは電線の上から道路に落として割り、実を食べるのだ。

 なかなか割れない場合は道路上において、朝の牛乳屋や通勤の車が轢いて割ってくれるのを待つ・・といった知恵者なのだ。

 電線から落下させ、何処かへ行ってしまわないように、あるいは他のカラスに横取りされないように、ほぼ同じスピードで落下する胡桃に寄り添うのだ。見ていて面白い。

電線から勢いを付けて落下しながら咥えた胡桃を放す。

で、胡桃の後を追う。

幾度も繰り返す

これを出来るカラスと出来ないカラスが居る。

割れた胡桃を確認し

何か気配を感ずると

咥えて飛んでいく。

このあたりの電柱の根元や道路上には胡桃の殻が散乱している。

これが山グルミ(=胡桃)

もちろんカラスの知恵はこれだけではない。木の小枝を使って木の実を穿り出すカラスもNHKの「ダーウィンが来た!」で幾度も観たし、線路上に置き石をするとんでもないカラスも居る。それを駆逐するタカを飼って操作していた鷹匠(女性)が怪我をしたというニュースを昨日観たばかりだ。