2014年2月1日土曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝  #11.団塊世代の事実をどれだけ一般世間は知っているのだろう?(下) Do you know what the baby boomer was ? The other generation don't know the real story of the baby boomer.

 前回まではとかく誤解されがちの団塊世代の実態、本当の中身を解説したつもりだが、今週はその個性豊かで数の多い団塊世代が歳を取るとどうなったか、堺屋太一さんも触れられなかった「団塊世代の還暦前後」について当事者として触れてみたい。

 皆さんも小学校・中学校の同期会やクラス会には参加する事もあるだろう。真面目でマメな人はきっと幹事をさせられているに違いない、この幹事はズボラな人には勤まらない。

 筆者の様に小学校4か所、中学校2か所を渡り歩いた人間は大変だ。3年生から6年生の途中まで在籍した北九州小倉の福岡学芸大学附属小学校のクラス会、世田谷の奥沢中学校、都立広尾高校の同期会には参加しているがそれ以外とは接触の機会があまり無い。
福岡学芸大学附属小倉小学校昭和35年度卆業クラスの4年生の時の遠足画像。既にこの場所折尾公園は無くなっている。

小学校卒業後、皆が高校2年生頃の小倉の母校でのクラス会画像。私は既に東京在住で画面には居ない。重工業都市・北九州小倉で育った子供たちの将来の進路希望は八幡製鉄、住友金属などの大手企業の重役や社長に成る事、あるいはその社員に嫁ぐ事だった。ジャーナリストやサービス業と云った職種は当時の頭の中には無かった。東京とはずいぶん違う環境だったろう。

平成24年東京でのクラス会開催時の画像、クラス43名中20名が東京在住だった。東京に人口が集中する理由と現実が此処に在る。

 一般的にクラス会や同期会の類は50歳を過ぎてから盛んになり65歳を境に衰退するようだ。理由はある程度はっきりとしているという。50歳前は全員まだ現役で仕事が忙しい、あるいは子育ての最後の詰めの部分だから忙しいのが一つ。それと50歳前の30代、40代の時は「その時点で人生に成功している者」しか出てこないから集まり自体が良くないという。
 「その時点で人生に成功している者」が出てくる理由は自分の今の状況を自慢したいが為であるのは勿論だ。競争々で闘ってきた「団塊世代」は昔の仲間に自慢し、「優越感を感じ」、見返し、褒めて欲しいのだ。だからそうでないものは出席などする訳がない。 

 其れが50歳を超えた途端、自分の人生の残りの時間に目途が付き、世の中での自分の立ち位置・身の丈も納得し諦めも成って「この先はもう大化けは無いな」と自覚する。途端に「あの頃のあの場所はどうなっただろう?アイツはどうなっただろう?あの娘はどうなっただろう?」の気持ちが急に湧いて出てくるという。昔から言う望郷の念に近いものだろうか?
 
 このクラス会、同窓会に出てみるとそれぞれクラスメートがどのような半生を送って来たかその顔付を観察すると良く判る。お金の有る無し、つまり裕福か貧乏かということではなく「幸せか、そうでないか」が如実に顔つきや表情に出てしまうから不思議だ。お金は無くても幸せに生きている人は柔和な顔つきで温厚なモノの喋り方をするし、そうでない人はやはりどちらかというとキツイ顔つきで喋り方にも棘があるというような話を良く聞く。

 こういう点に関しては女性の方が男性よりはるかに良く気が付く様だ。実はこの話は高校のクラスメートで人間観察アナリストをしている感性鋭い女性から教わった話。

  繰り返すが私は1948年生まれの団塊世代のど真ん中だ。最近クラス会や同期会に出たりするにつれて「幸か不幸か」は別にして、この団塊世代独特の「ニオイ」が気になってしょうがない。匂いと言っても体臭や加齢臭の事ではない、団塊世代独特の価値観が歳をとる事で厭らしい形になって仲間との会話のあちこちに出てくる「匂い」だ。「競争心」「負けず嫌い」「優越感」「上から目線的相手を見下した物言い」などがこれに当たる。

 子供の頃や学生時代は「ひたむきさ、純真さ」の表れでこれらの動きは良く評価された場合もある。しかしこれが還暦を過ぎての自慢話や昔の学校時代の上下関係(成績の良し悪し、腕力の強弱)がまだそのまま今でも生きていると思い込んでのクラス会などでの立ち居振る舞いに目に余る事が多いのだ。
   
人間は50年も経てば大化けもする、決してこれは容姿の事だけを言っているのではない。
思いもかけない出世をした人も居れば、アイツにこんな才能が有ったとは予想もしなかったなどなど。具体的に言うと作家になった人、イタリアに留学して声楽家になった人、代議士などの政治家になった人、トップ企業の役員になった人、離れ島の村長になった人などなど。その一方で行方不明になったまま消息の無い人も沢山居る。

そう云った大化けしたクラスメートなどがいて、昔と今は同じではないという事が判っているにもかかわらず、東京で昔の学生時代のクラス会、同期会などに出ると、懐かしい顔との会話の中に未だに「勝った・負けた」「お前よりオラ方が出世したけん偉か!」が頻繁に顔を出す。

何度も言うが団塊世代は戦後のベビーブームの頂点でとにかく競争!競争!で育った世代だ。試験の成績はビリに至るまで廊下に張り出され常に周りと競い合うような子供時代を送っている。その世代が大人になる過程で「優越感」を得たいが為の向上心に目覚め、常に人より優秀でありたい、特別でありたい、褒められたい・・・と思うようになっていったのは仕方がない事だろう。
ある意味それによって培われた「優越感」を得ようとする向上心・努力が数々の消費に繋がるブームを起こし日本の高度成長、消費の世界の発展を支えたのは先週までに具体的事例を述べたとおりだ。

 其れが加齢による老人性頑固症候群により増幅されてしまうのか、相手を見下した物言いや反論を許さない決めつけ論調が飛び交って、酒に勢いも入るクラス会や同期会がたびたび紛糾する。しかし、それが60歳過ぎての懐かしい会合の時でも少しも衰えずに競い合っている現実は時々一体何なのだろうと思う。

脇で視ているとそれはそれで動物園の様で面白いのだが、観察していると、大学の先生、裁判官、検事、弁護士、医者、大企業の経営者・幹部、政治家、役人を勤め上げた人間にこの手の物言いが多い事に気が付く。もちろん私のクラスメートや同期生で、この手の職種上りがすべてに於いてそういう訳ではない事だけは断っておく。

最近は嫌気がさしてあまりこの手の集まりには出たくないのが正直な気持ちだ。友達が少ない奴がお酒を飲む口実に打ち合わせと称する集まりには絶対出ない。最近は同期会本体も1~2度出れば、後は何度出ても変わり映えしないメンバーで代わり映えしない演出だ。特に女性陣は親の介護などで出てこられない状況下にあるものも多い、そういう背景から65歳を超えてのクラス会同期会は出席率が減って行くというのもこれらの要因が影響しているのだろう。
   
で、一体この上から目線現象は何故なのか考えてみたら、現役時代に長い事話し相手と対等ではない立場・地位に居たためそうなったと思われる節がある。たとえば先生・教授の類は殆どの相手が学生や生徒だ、まず知識や経験に於いて教えを乞う側の学生や生徒は教授や先生に頭が上がらない。反論しようものなら切り札の「逆らうと単位やらないよ?」の一言がある、何を言うにも諭すような上から目線の物言いに成るのはこのせいだろう。
  
医者も基本的にそうだ、患者が文句言ったり難癖つけようものなら「貴方は早く治って退院したいんですよね?長生きしたいんですよね?」との切り札を言える。
政治家や役人や検事、裁判官の類も「許可する、認可する、裁きを言い渡す」側であって「許可してもらう、申請する、裁かれる」側ではないので利権を持って上から目線で相手に対峙する人生を送ってきた。

したがってなかなか相手の話を対等に聴いたり、物事を解決するために妥協したりしたことが無いのだろう、ましてや相手より立場が下で頭を下げるなどした事も無いに違いない。これが一般の世の中の人間と歳をとってからクラス会や同期会で接するとどうなるか・・・ついつい現役時代の癖と慣れが出てしまうのだろう。
随分フレンドリーになったとはいえ大学教授の世の中での権威は絶大だ。

懐かしのジェリー・ルイスの凸凹大学教授

裁判長・判事の権限は絶大だが、一般社会常識に欠ける人が多い事も良く知られている。
 
 こういう相手と接するには会合の途中で幾度か「俺とお前は単にクラスメートだよな?お前の部下でも患者でもないよな?」と再確認させながら暗にそういう態度に成っている事をほのめかすのがコツかもしれない。
 クラス会だからこそそういう場で皆のいる前で上から目線の物言いや尊大な態度をたしなめるのも一つの方法だろうとおもう。実際やってみたら他のメンバーもそれに気が付いていたらしく、同調者が多くこれは意外に効果があった。

 基本的に還暦を過ぎたクラス会・同期会の話題のメインは病気・孫・老後のお金だ。己の状況を報告し合って「皆もそんなもんなんだ」と、自分だけが環境的に厳しいのではない事を知って皆さん安心して散会する。

 しかしそう言いながらも会話のあちらこちらに競争社会の残骸が見え隠れする。人口が多く、昔から新しいモノにはすぐに飛びつく世代だけに早くからデジタル化し家でパソコンを数台駆使しモノを造り出す事を楽しみにしている者がいるかと思えば、一方で「死ぬまでパソコンなどには関わらずこのまま逃げ切って死ぬんだ、ケータイだのスマホも要らん!」という豪の者もいる。

 若いころ憧れた高価なスポーツカーや鉄道模型、高級レース用自転車をやっと手に入れて毎日磨いて喜んでいる奴がいるかと思えば、とうとう車の免許を取る事が無い者が多いのもこの世代だという。
パソコンに関しては千差万別、デジタルデバイドも団塊世代に於いては如実に生じている。

憧れの名車を手に入れたクラスメートも居る。
 
 かくいう私も現役時代は忙しくてとても出来なかった事にあれやこれや手を出してしまい、今や現役時代よりはるかに忙しいのが実情だ。ついに昨年は自宅の4駆に乗る日数より熊本県内でヤマセミ他の野鳥撮影で使用するエコのレンタカーの方が遥かに多く乗っているような有様だ。

 今後、団塊世代が日本の経済に及ぼす影響は決して少なくはなく、色々な部分で既に検討され始めている。死を迎える介護付病院・ホスピスなどの不足、一人住まい老人の対策、墓不足、火葬場不足、相続税問題、少子化による団地のスラム化、住宅空き家問題などなど。この先この団塊世代は自分たちが死滅するまでの間、自分たちの事を一体どの様にするだろうか?団塊世代の真ん中に居る身としても当事者として非常に興味がある。