2023年1月28日土曜日

団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。 Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist.

 団塊世代の筆者は、広告代理店の各種イベントを企画・運営・・実施する仕事上、携帯電話を持ち歩くのは一般の人より早かったように記憶している。

 当初の金属の塊の様に重たいNTTのTZ-803型を会社から与えられて長い事使用した後、ガラケーの携帯端末を愛用してきたので、スマホに変えたのはTVドラマや映画の中でほとんど出演者全員がスマホを当たり前のように使用し始めた2012年(普及率50%近く)から10年近く経ってからだ。
筆者が会社から与えられ使用した初期の携帯電話。

 理由は色々あるが、ノートPCをデイパックに入れて背負って徘徊していた時代が長く、ガラケーをスマホにしたところで、携帯端末では音声通話、ショートメール、歩数計くらいしか使用しなかったのがその主な理由だ。これはこのブログでも幾度となく述べている。

 筆者など天気予報ですらあまりスマホで確認しない。天気など山や海でもない限り数分で概況が変わる訳もない、そんなに短時間で変わるものならスマホの予報など当てにするより空を見上げた方がよほど正確だ。都会人とは違い長い事海でウインドサーフィン、山でスキーやスノボをやって来たものは観天望気含め、生の空模様でこの先1~2時間の予想は自分で判るものだ。

 一方で団塊世代はほぼ100%が老眼だ。その団塊世代がスマホに飛びつかなかったのは当たり前だろう?字が小さすぎて読めやしない!
 50歳くらいの時に組んで演奏練習したインストルメンタル・エレキバンド(古いね!)の名前が「ザ ローガンズ」だもの。推して知るべしだ。

 すべてをスマホに入れて「おサイフケータイ」だの「アドレス帳」だの「カード決済機能」「各種クーポン」だの便利がっていた友人がそのスマホを失くして「人生終わった!」と嘆くのを幾度も目の当たりにしている。自業自得だろう?

 一方では歩きスマホと正面衝突して怪我を負った者、知人には居ないが、歩きスマホのままホームから転落して電車に轢かれて死んだ者などスマホに関していい話を聞かない。

 そんな中、先日新型コロナやワクチンに関する本が本屋にまとまってコーナーなどが無いのは何故?というテーマでブログを書いた時、吉祥寺の本屋軒を回った際に目に留まって買い入れたのが今日のテーマ・ネタ「スマホ脳」だった。

都心へ出る際は電車の中で読んだが、本の向こうに座る人々を眺めながら超納得!

また別の日に読み返している際も状況は似たようなもので、心の中で笑ってしまった。

 10年ほど前からスマホ自体の存在に危うい感じと物理的危機感を感じていた筆者は「我が意を得たり!」状態で、全面的にこのスウェーデンの若い精神科医が述べる一言一句に賛同したのだ。

 一番の理由は、今までずーっと筆者自身が抱いていた各種疑問、危機感を裏付ける事への解答が多くの証拠と共にたくさん書かれていたのだ。
 過去のこのブログで、朝から晩まで四六時中手から離さず小さな液晶画面を見入るスマホ使いの事を「スマホジャンキー」と勝手に呼ばせてもらった筆者が間違っていなかった事を証明してくれた点でも嬉しかった。

 まず最初に目からウロコだったのがこれだ。

 彼がスマホに関して説明するにあたり、人類がこの世に出てから今まで引き継いできた20万年間に渡る世代を2ページ見開き一杯に1万個の点で表している。いかにも精神科医らしい具体的で解りやすい説明だ。

 1万個の点は今まで人間が経てきた20万年に及ぶ「世代」だという。スマホの出現はその1万個の点の一番最近(=最後)の点だという。図で示すこの説法はショックだった。※アンディッシュ・ハンセン著スマホ脳より

 で、一つの点が1世代を表すという事はバアさん、母親、自分の3代は3つの点ということに成る。これで説明できるのが水道や車がある現代・近代の人間は最後の点、つまり現在から8個前(=8代前)からの歴史だという。真空管のコンピューターや航空機が出来たのが点3個前から、いわば団塊世代の祖父母の時代だと説く。

 そうした中で、スマホはどうなる?なんと点1個(=現在)に過ぎない、1万個の世代を生きてきた人間がスマホを手にしたのは、最後の点一個。つまり9999個の世代はスマホなんてものには全く縁がなかったと説明するのだ。

 ちょっと乱暴な見方かもしれないが9999世代が長年培ってきた「人間固有の生理的行動、人間工学的仕組み」の中にスマホという便利ながら人間が四六時中夢中になる「物」は存在していなかった。
 これが急に出現しても、人間はそれを使う事でそれまでの「常識・習慣・生態」から急にスマホの持つ「習慣性・利益効果」に順応できるわけがない。数多くの無理・ストレスが生じ、少なからずの悪影響・障害となって災いをもたらしている・・・。と説くのだ。

 このブログでは、この中から琴線に触れた、あるいは皆さんにもぜひ知ってほしい「怖い事実」に絞り込んで明日以降のブログに続けたいと思う。

 別に筆者は新潮社の回し者でも著者のアンディッシュ・ハンセンの親類縁者でもないが・・。まあ本をリアルで読んでいただくのが一番だと思う。

 今までスマホに関してこういった観点で分析した学者・知識人はいなかった。ましてやiPhonアップルの人間や、NTT Docomoの人間たちもスマホの便利さや、スマホがなければ社会から取り残される等とスマホ デバイド(かってのデジタル デバイド同等の意)を叫んで半強制的にガラケーからスマホに乗り換えさせた。いまから10年以上前2011年~2012年頃の話だ

 筆者の場合はこの沈みゆくタイタニック号から一斉に争って逃げ、海へ落ちるネズミ達のような一団には加わらず、10年間様子をうかがっていたが、使用料金、ランニングコストが1/3に成る、更にはガラケーからスマホへの機種変更料金がゼロ=只キャンペーンと聞いて1年半前にスマホに替えた。

 しかしスマホ替えて1年半、相変わらず音声通話、ショートメール、歩数計、天気予報程度しか利用しないので料金は2,000円/月のラインを越えていない。
健康保持のため毎日チェックする歩数計、この画面は遠出した日のデータ。

 要は、端末機器がガラケーからスマホという形態になっても使用内容・頻度が変わらないので「歩きスマホ」はもちろんしないし「スマホジャンキー」に成ったりもしない。

 ましてやリアルで目の前にコミニュケーション相手が居るのに、その相手を無視して手に持ったスマホから来る別のコミュニケーション相手には関わらない。大体失礼だろう?目の前の相手に・・。

 このあたりのスマホを扱う事で人間関係が終わった友人・知人、今またスマホ経由のSNSなどで友人・知人を失いそうになりつつある現実は今後の続編で・・・。