あれだけ貴乃花に対し上から目線で厳しい言いがかりをつけた池坊女史は大衆の返り討ちに逢い、集中砲火を浴びてさっさとメディアから退散してしまった。これらすべて既存の4媒体含めネットも加えた国内メディアの成す業だろうと思う。
昨日ビートたけし執筆(たぶん口述筆記)の新書「バカ論」を読んだ。中身はそう多くない。普段ビートたけしがテレビで言っている事を文字にしただけだろう。バカの文字が多すぎて少し嫌だったがそれも計算の上での表現だろう。速読1時間もあれば読み切れる本だ。
このビートたけしは1980年代の漫才ブームでツービートとして出てきて人気を博し、ベースに在る豊富な知識と頭の回転の速さと兄へのコンプレックスからドンドンその才覚を出した団塊世代でもトップクラスの人間だ。
団塊世代ではない少し年上のタモリと比べると、音楽面が抜け落ちている事や孤高の存在で生きるタイプと違って、グループで存在感を出せるという点で質も品も異なる人物だ。
特に有名人男女のプライベートを追及取材した挙句「一線は越えたのか?」だの「世間に対し責任はどうとるの?」「一言お願いします!逃げるんですか?」などテレビ画面を見ながら思わずTV音声を消したくなるようなレポーター・記者達の品の無さ、何か世の中の代表者のような思い上がり口調。これらが世界から笑われている日本のメディアの最前線だと呆れるビートたけしのストレートな提言が小気味良かった。
中でも一番同調できたのが「じゃぁ、お前がやってみろよ!」のくだりだ。筆者もこのブログでも過去に何度も登場させた一億総評論家気取りのおかしさ。音楽会・コンサートが終わって「今日のはイマイチね?ミスタッチも多かったし・・。」と訳知り顔でしゃべくる自称音楽通のオバサン達。人気の絵画展から出てきて「やっぱりピカソには敵わないわね?」と持論を展開して得意顔の自称美術通。
自称音楽通の方は譜面を読めるのか?自分で何か楽器をハイレベルで演奏できるのか?美術通の方は何か絵を描けるのか?彫刻でも出来るのか?好き嫌いや自分の芸術観、自分の印象はいくら言っても構わないが、作品の出来の良し悪し、プロのアーティストの上手い下手を実際アーティストの片割れでもない素人が、そう簡単に知ったように言うものではないだろう?
同じ様な事をビートたけしが述べている事、全く腑に落ちた。本文121ページに出ている。
世の中の評論家になって良い人は、少なくともその領域の熟練者・経験者であるべきだろうと思うが如何だろう。野球選手上がりがサッカーを評論できるか?逆にサッカー上がりが野球を評論して良いと思うか?これをオカシイと思わない今のメディアは何処か狂っている。
話は替わるが、毎年楽しみにしているNHK総合TV正月3日放送の新春東西お笑い寄席特別番組を観ていて思った事。今や大御所になった桂文珍がここ数年全然面白くない。非常に残念だ、視聴者を馬鹿にしているとしか思えないのだ。此処5年間ほとんど同じネタで部分修正はあるものの殆ど同じ内容なのだ。
自分が芸能人としては早くから電脳化をしている事をネタに入れ込んでパソコン初心者たちに受けていたが、それも聞き飽きた。最近は嫌味にも聞こえる。例えば仕事中パソコン操作で自分のモニターの矢印が動かない事に戸惑うパソコン初心者「あらぁ?おかしいな」と言うが、ハッと我に返り隣の人のマウスで一生懸命操作しているドジで笑わせたり、出世も止まり窓際族の自分達オジサンに「ウインドウズも無いやろう?」と笑わす。もう5年以上もこれだ。
20年前は「おヨネ婆さんシリーズ」「関西弁はイタリア語?」など東西文化の違いを主流に毎年違う面白いネタで笑わせ、当代一の噺家だと贔屓にしていた。関西大学文学部の講師をやった辺りから天狗にでも成ってしまったのだろうか?それとも毎年行っている自分の独演会のお客さんへの義理でメディアではネタを公開しないのだろうか?
この辺りは綾小路きみまろに似ているとも思えるが、年にたった一度の事なのだからもう少し違うネタを披露しても良いのではないだろうか?それとももう新しいネタが生み出せなくなってしまったのだろうか?
毎年同じネタで高座に上がるこれを許すNHKも他のメディアももう少し何とかして欲しい。最近のお笑い芸人の品の無さ・ボキャブラリーの少なさ、それを意味もなく持て囃し使い捨てするメディア。TV局。テレビ離れの速度が早まっている現状、ビートたけしが「バカ論」で言う通りだ。