MLB、昨日のドジャースVsパドレス戦は久しぶりに手に汗握る良い試合だった。筆者にとって日本人選手が活躍するMLBの中継を観るのは野茂英雄、イチロー、松井秀喜以来久しぶりだった。しかも相当久しぶりに最初から最後まで見届けた。
今回のPSシリーズで一番印象的なのは、1勝2敗でドジャースがパドレスに追い込まれ、試合後インタビューを受けた大谷選手が「後が無いとか、追い込まれているという感じはない、2連勝すれば良い・・。」という超前向きな姿勢だった。
これを聴いて、日本人も変わったなぁ…と思った。
此の前向きな姿勢を少しでも持ちたいと、筆者は昔から思っていて1995年前後、47歳ころからランニングを始めていた。
きっかけは子分末席格で数多くのご指導を頂いた故・寛仁親王殿下の一言「シンジョー、お前ちゃんと毎日体動かしているか?昔の日本人は1日10㎞は歩いたんだぞ」のお言葉だった。
殿下は完全な体育会系で、ことスポーツに関しては厳しい方だった。飯山市のビルケバイネル・スキーレンネ(=2Lのペットボトル2本を背負ってクロカンスキーで山を越えるレース)の事前現地視察の際も、恐るべき速さで先へ行かれ、完全初心者(筆者始めてまだ二日目)のこちらがやっと追いつくと、すぐに「行くぞ」とコースを行ってしまわれた。
こちら初心者のヘバテ具合を完全に把握して、クロカンスキーの進むペースを調整してくださっていたのだ。無言のハッパと心配りを入れつつ・・・。
で、殿下が癌治療で入院されている時にお見舞いへ行ったら「ちゃんと走っているか?」と逆に励まされ、戻った日から走り始めたというのが「事のはじめ」だった。
ここからが今日の本題。
現役時代は三鷹から都心のオフィスへ出て、得意先やプロダクションやイベント現場を移動することで1日平均1万2千歩は確実に歩いていた。それがリタイヤ後は一気に1/3以下に落ちるのが平均らしい。要は歩く頻度も距離も激減する訳で、脳にも体にも非常に良くないという事が医学的に証明されている・・・と数年前読んだ「運動脳」に書いてあった。
筆者は自身の体調で何となくそう感じていた。
確か毎日欠かさず歩くと、体調は非常に良い。室内でランニングマシーンやウエイトトレーニングをするなどまっぴらな性格(小さい時から多動性自閉症と言われた)なので、外を歩いたり走ったりすることが自分に向いていたのだ。しかも1人でコンデジカメラを持って走り、昆虫や野鳥、植物、空の雲・夕焼けなどを撮影するというのも多動性自閉症特有の行動らしい。
※ https://junior.litalico.jp/column/article/061/ 多動症・自閉スペクトラム症
何処を歩いても良いのだが、江戸時代の日本人の1日三里程度(=10~15㎞)は無理としても、1日1万歩(二里ほど)は何とか出来るのではないだろうか?とカウントを始めたのが21世紀に入った2001年頃だった。
まだこの2000年頃は、トレッキング、だとか運動脳、だとかいう言葉は世の中に一般的では無かった。しかし近年になって「歩くことこそ人間という動物の健康基本」という事が判ってきた。筆者にとっては実践が先で、理論と説明・エビデンスが後から付いてきた感じだ。
新聞などでもトレッキングなど歩くことの良さ、健康寿命という言葉も出てきた昨今、ベッドで寝ながら何とか寿命を全うするのではなく、例えば極端だが野川で写真撮影して歩いて帰ってきて玄関でこと切れるような生き方で筆者は寿命を全うしたいと思っている。