2020年2月15日土曜日

団塊世代は二歳年下の妹を長年の飲酒による癌で亡くした。 The baby-boomers have lost of younger sister, two years younger, from cancer by life time drank.

 この1月27日(月)に北関東の研究所に居る際、従弟の甥から電話が入っていて「母が倒れて入院しました」という伝言があった。母とは我が妹のことだ。
 筆者は三人兄弟で、二年づつ学年が離れている。長男の筆者が12月8日生まれ、妹が2月23日(令和天皇さんと日付だけ一緒)、弟が2月13日、我が妹と弟は昔で言う所の「早生まれ」だ。此の早生まれの説明は此処では省く。ネットで調べて欲しい。
この妹・弟は親の転勤に伴う九州生活時代、小倉市(現・北九州市小倉北区)同じ福岡学芸大学附属小倉小学校で1959年から三人揃って在学したことがある。
 これはさらなる親の転勤で熊本県八代市の大田郷小学校に転校する1960年まで続いた。

 三兄弟真ん中の妹(今回亡くなった)は音楽的センスが抜群で、小さい時からピアノばかり弾いていた。悔しいので筆者も1年間だけ習ったが、どうしても音符を見ながら弾かず、頭で覚えたまま弾くので先生に何度も叱られ、業を煮やした筆者が鍵盤を指さす先生の手の上からピアノの蓋を「バン!」と閉めてしまいそれっきりに成ってしまった。

 この癖は、その後BeatlesのコピーバンドやVenturesのコピーバンドをやった際にも続き、終生ついにオタマジャクシを読めないまま音楽活動をしている。レコードで数回聴いて、旋律とか繰り返しは勝手に覚えてしまうのだから仕方がない。

 で、妹はその後日本女子体育大学へ進み、ピアノの演奏にさらに磨きを掛け、体操女子の床運動の伴奏をずいぶんやったようだ。こちらが横浜の大学に通っている時もずいぶん長い事家を空けていることがあった。「アイツ、何処へ行ってんの?」と親に訊くと地球の裏側だったり、赤道の反対側だったりしている。一度、クラスメートだと言って水沢アキが家に来たことがある。すいぶん顎がとんがった子で小っちゃかった記憶しかない。

 弟の方は筆者と同じ横浜の国立大学へ進んだが、同じ美術専攻でも愚兄とは雲泥の差で絵が上手く、両親からDNAのアート部分のほとんどを独占したのではないかと訝しんでいる。
 1964年当時(筆者は広尾高校1年生)、父親を単身赴任で八代に残して母親+子供3人居候で住んでいた東中野の祖母の家まで、弟が通う中野第三中学校のクラスメートが来たことがあった。弟・憲彦がまだ家に戻っていない放課後「こんにちは、憲彦君いますか?」と数名で来たのだ。その中の一人が松坂慶子さんだったらしい。しかし筆者は生まれて初めて高校の課外授業でスキーへ行くので、喜びのあまりスキーウエアを着て家の中でスキー靴履いて、板まで履いてゴーグルをしてストックを持ってイメージトレーニングをしていたのだが、たまたま不用意にそのままズルズル移動して玄関に出たのだった。それを見た彼女たちは「・・・・いいです、また来ます。」とだけ残してぴゅーっと帰ってしまった。生涯でただ一度の松坂慶子とのコミュニケーションチャンスはこの時失われたのだった。勿論その時はその女子中学生の一人が後の大女優・松坂慶子さんだとは知る由もない。ショックは事実を知った20年後くらいに来た。

 妹に話を戻そう。

 その後、妹は床運動の伴奏を続けながら、赤坂あたりの酒の場でピアノを弾いたりして稼いでいたようだが、団塊世代の大学生時代、自分の妹の行動など殆ど他人に近い事なので興味もなくまったく何も知らなかった。こちらも三鷹から横浜の南太田まで片道2時間かけて通う訳だから余分な時間はない。計算してみれば判ろう?往復4時間×6日=24時間、つまり毎週丸1日は通学に費やしていた訳だ。1年=51週、51日×4年つまり4年間で200日は通学に費やしていたという事。筆者が時間にケチで約束にうるさいのは、このあたりに原因があるように思う。
 だから大学・サッカー部の必須科目に近かったマージャンも、ついに覚えず逃げ切った。酒も飲めないので割り勘負け必須の飲み会も、誘えず誘われずでこれも一切無縁。

 しかし、我が妹は違った。赤坂や銀座でのピアノの弾き語りを続けることで、夜の社会やお酒の社会を人の数倍学んだようだった。いつの間にか結婚相手もその状況下でしっかりと見つけ出していたようだった。

 しかしこの頃からお酒を飲む習慣が始まっていたようで、2002年母が亡くなった際に彼女の家へ行った際、お酒の空き瓶、ビールの空き缶などが大量にあったのを見てその酒量を想像したことがあった。
 横浜の大学時代4年間西久保の商店街にある酒屋・徳島屋さんでアルバイトした経験から見ても相当な消費量だった。

 人の嗜好の門題だし、一滴も飲めない筆者はそのことには一切触れなかったが、結局はその積み重ねが10年ほど前から始まったらしい体内の変化に繋がったのだろうという事は間違いない。ほぼ女手一つで二人の子供を立派に育て上げたり、音楽教室などでのストレスを解消する為に飲酒が必要だったのかもしれない。

 結局、肝硬変、乳癌、骨癌など相当転移し多臓器不全の状態での転倒状態で自宅に訪ねてきた知人に発見されたものの、それから1週間で逝ってしまった訳だから、ある意味壮烈な死に方だったと言えよう。本人はある程度覚悟していた様だとは残された息子(筆者から観た甥)、娘(姪)たちの話。

 酒は百薬の長・・とか言って、多少のお酒は体に良い・・・と多くの人が言い訳を盾に飲むが、実は全然飲まない人に比べて少しでも飲めば体に良くないというデータが世界中で出ている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugawayusuke/20191217-00153544/

https://toyokeizai.net/articles/-/235594

https://www.bbc.com/japanese/43751566
 まして、日本人全人口の40%前後は酒を飲むとアセトアルデヒドという毒素に代わるので基本的に飲めない。すべての日本人にとってお酒は百害あって一利ない代物なのだ。
BBCの記事。

上のBBCの記事とは直接関係は無い様だ。

重病の原因になる飲酒の量との関係。「百薬の長」の根拠が完全崩壊した。

 飲めないお酒に関してと、酒飲みのいい加減さ、無礼さに関してはこのブログ100本ほどの「愚痴やクレーム話」が存在する。そのうち徐々に投稿しようと思うが、今回は我が妹も奪ったような感じのお酒。恨みは深い。奇しくもお通夜が弟の誕生日で、告別式がバレンタインデーという妙な偶然取り合わせの妹だった。