今まであまり一度に走行距離の長いドライブはしたことがなかった。長野オリンピック直前にスノーボードの国際大会などを企画運営するため、東京ー斑尾高原ー盛岡雫石ー北志賀よませー東京といった2000km程の出張ドライブはあったが、スタッフ同乗で単独ドライブではなかった。
その点今回は、全て高速使用、早朝スタートで目的地ヘは昼前到着というスケジュールだったので肉体的疲労は殆どなかった。思えば一度は自分で車を運転して日本縦断を試みたかったが68歳にして実現できたわけだ。目的地近くの空港で借りたファミリーカーの運転と、ホイールベースの長いスバルのツーリングワゴンでは如何にドライブが違うか良く実体験出来た。ツ^リングワゴンの意味がやっと判ったような気がする。都会均衡をチョロチョロ走るだけで車の機能や性能を論ずる車番組や車記事が如何にいい加減なものであるかも理解できた。
今回は自分が小学校1年生、つまり1955年、昭和30年に父親の転勤によって引っ越して来た小倉市(当時)の中心部を朝散歩した画像をご紹介。
昭和35年に天守閣が再建された小倉城も実はその時以来の再訪なので、何と57年振り!
思いのほか立派な小倉城だった、今まで遠くからしか見た記憶がなかったが、熊本地震で崩壊した熊本城の天守閣とほぼ同じ頃(1959年、熊本城は翌年)再現されている。この城の傍でその昔「小倉博覧会」が開かれたのを覚えている。
南蛮造りの天守閣が他の城とは違うエキゾチックさを出している。天守閣は上へ行くほど建物が小さくなるのが普通だが、此処小倉城は最上階にしっかりと大型の建造物が載っている。
実は、この小倉城は両サイドを大きな現代建築物に挟まれているので、城だけの撮影はアングルが限られてしまう。撮り方が難しい城だと思った。
細川忠興が基本を造り、小笠原氏の時代になって完成した小倉城と城下町。1837年の城内出火の為焼け落ちた天守閣は長い事再建されなかったらしい。
こちらは城内の八坂神社の外壁だが、いざという時の攻防用の砦機能も備えていたようだ。
一度に九人がお参りできる様に9本の鈴緒(すずのお、すずお)が下がっている。北九州界隈では最大の参拝者が来る。筆者も小学校時代は1年生~5年生まで5回初詣に行っている。
朝6時の日だまりで寝込んでいる神社猫。
珍しい建造物があったが、おみくじ販売の事務局のようだ。
昭和30年、東京から引っ越してきて当時の小倉駅(今の西小倉駅)から社用車で十条製紙の社宅へ向かう際この勝山橋を通った。其のときこの橋の上にずらーっと並んだ輪タクがとても珍しかった。既に東京には無かった。今はその同じ橋の向こうを新幹線が走っている。57年の年月の流れはやはり大きい。
何度も来ている小倉の銀天街だが、こんなものを初めて見つけた。
筆者が小倉に着た頃はこんな感じだったのだろう銀天街。