2015年4月11日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #104.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、一社員から観た石津謙介社長.その5.

 石津社長は何を行うにしても、思い付いた時が行動する時だった。これは筆者にとっても生涯教訓として踏襲させて頂いている。例えば旅行に出てお土産屋さんの前を通ったり、その場所にしかない珍しいお店、美術館のスーベニアショップ等で気に入ったものが在ったとしようか。よくあるパターンとしては「今此処で買わなくても、帰りに買えば良いや、あるいはもっと良い物がこの先に在るだろうからそれを買おう」と思うのだが、それに成功した例がなかった。つまり、今其処で「良いな此れ!」と思ったら、即購入しておかなければ買いそびれるというのだ。
 この「思う→即行動」の心掛けはチャンスを逃さない。此れを実践できたのがヴァン ヂャケット入社後初めての海外出張時に嫌というほど身にしみて感じた。

 その自分の初めての海外出張には事前にひとつの面白い話があった。当時ヴァン ヂャケットでは、定期的に社員をアメリカを中心としたエリアに入社年度順に出張させていた。社員の見聞を広げるのと、自社が扱っている商品のオリジナル背景・匂いを学ぶ機会を与える意味で業界でも珍しい存在だったというか、石津社長の理念が社員を育てる意味でそうさせていたのだろうと思う。

 此れは販売促進部内で見聞した話だが、ある時主力商品のダッフルコートが生産遅れか暖冬で大量に余ってしまった。主力商品だけに、さーどうするって事に成って販促部に解決方法等が持ち込まれた。販売を促進する部署だから当然の事だが、未だかってそのように具体的な商品の即売り上げに直結するように切羽詰った案件は持ち込まれたことが無かった。其処で販売促進部は出入りの広告代理店・電通の子会社や博報堂に解決方法を提案するよう要請した。
 今風に言うならばソリューションって奴だろうか?話が飛ぶが最近は簡単な言葉を横文字を使う事によって、さも自分達が高度な別の事をやっているかのように見せて、優位に立とうとしたり高い費用を請求するのが大手広告代理店のビジネス手法でまったく好きになれない。
VANブランドも、Kentブランドも当初はメルトン1枚仕立てが多かった。

 しかし、電通も博報堂も即効果のある提案は何もしてこなかった。VANさんお得意のプレミアムを付けて売りましょうだの、販売員にインセンティブを付けてダッフルコート1着売る度にいくらかの報奨金を与える方法等、今までヴァン ヂャケット現場が既に行ってきた手法しか提案してこなかった。勿論TVコマーシャルを流し宣伝する方法も提案して来たが、1着売る為に同額の宣伝費用が掛かるような馬鹿な提案を平気でしてくる事自体「門前払い」だった。広告代理店という所は自社が儲からない提案は絶対にしない仕組みになっている事等、まだ筆者は全然知らなかった。
 得意先が助かる、喜んでくれる提案であればその時儲からなくても信頼感を得て、その後大きな利益に繋がる仕事を出してくれよう・・・等とはこれっぽっちも考えない所だったのだ。此れは21世紀になった今も全然変わっていない。

 結局拉致が上がらず困っていた所、社内で誰かが社長に提案した。「社内の全社員に解決策を提案させて、もし其の案が効果的と判断され採用されたら、其の発案者を世界一周の海外出張に行かせてやるってのは?」という企画が通り、全社員にアイディアを提案させた事があった。約1週間の提案期間を経て幾つかの案が提出されたのだが、其の中に1件素晴らしいものがあった。その内容とはこういうものだった。
当時はダッフルコートと言えばキャメル、グレー、紺の3色が基本だった。

 「ダッフルコートですよね?トラッドの定番でしょ?我がヴァン ヂャケットの製品は伝統的なタイプだから、色はグレー、紺、キャメルですよね?で、来年もまったく同じものを造って売るんですよね?来期はトグルボタンの数が増えるとか、裏地にタータンチェックのキルティングが付くなんて事は無いですよね?じゃあ何も今年無理して売る事は無いんじゃないでしょうか?一旦商社に買い取ってもらい、保温保湿倉庫に保管してもらい、気温変化を見ながら来年秋に商社から買戻し、一番売り場が欲しい時期・タイミングで売り場に投入すれば一発で完売すると思います。」という提案だった。勿論こんな提案は広告代理店から等出て来る訳が無い。此れを「塩漬け」と呼ぶように成ったそうだ。流行性が少なく商品そのものに変化が在ってはいけないトラッド系の商品だったからこそ出来た話だった。勿論提案者が世界一周の海外出張に出かけたのはいうまでもない。

 筆者も1975年若林ヘッドの鞄持ちでアメリカへ出張する事になった。入社3年目で海外へ出張させてくれる会社は、バブル前の当時としてもまだなかなか無かった時代だ。おまけに行く先のUSA=アメリカ合衆国は翌年1976年の建国200周年(=バイセンテニアル)を控えて沸き立っている時期だった。
当時日本で発売されたアメリカ建国200年祭関連ムック本

 この海外出張が筆者に与えたものは実に大きかった。それまでに本や雑誌、あるいは人から聴いた話で想像していた「アメリカ」と、実際に自分の眼で視た「USA」は随分と違った。眼から鱗の連続!

 筆者の海外出張はアメリカ本土、サンフランシスコから入って、セントルイス(ミズーリ)、ニューヨーク、ワシントン経由でナッシュビル(テネシー)、フェニックス(アリゾナ)、ラスベガス(ネバダ)、サンディエゴ(カリフォルニア)、ティファナ(メキシコ)、ロサンゼルス(カリフォルニア)といった長旅だった。確か2週間程の行程だったと思う。ちょうど機内ではSugarloafのドント・コール・アス(Don't Call Us, We'll Call You)が何度も流れていた。ビートルズのI feel fineのフレーズを使った何処と無く聴きなれた曲だった。だからアメリカ大陸を横断する機内から視たUSAはこの曲と共に甦ってくる。     https://www.youtube.com/watch?v=i4njPe2_rho