2015年4月25日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #108.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、入社3年目で海外出張.その4

 ナッシュビルは南北戦争終了の頃には中西部でも結構な大都会だったようで、其の名残が町の中心部ブロードウエイ(と言ってもホンの500mしかない)に残っている。今は其の殆どがカントリーミュージック関連のお店とナッシュビル土産のお店になっている。
 1975年当時は今よりはるかに開拓時代の面影が残る古い建物が多く、高いビル等ひとつも無くてナッシュビルに来る途中立ち寄ったミズーリ州のスプリングフィールドの中心部に良く似ていた。今は双方とも近代的な高層ビルが林立していて俯瞰で撮影するとそちらの新しい高層ビルの方が目立ってしまう感じだ。
ネオンが点くころのブロードウエイは知らないが町並みは変わらないようだ。Google画像

 このナッシュビルでの2日間、実は1日は此処まで同行してくれた成田さん、若林さんの弟さんとゴルフをやる事に成っていた。しかし初日中心部で見つけたレコード屋に筆者の心は釘付け状態に成ってしまっていた。で、後生だから1日このレコードショップでレコードを選ばせて欲しいと若林ヘッドに懇願した。朝、レコード屋の店頭に車から落としてもらい、夕方ゴルフが終了後ピックアップしてもらう事にした。若林ヘッドからは「何ていう奴だお前は!お前みたいな変わり者、見た事無い!」と言われてしまったが、心は堅かった。
40年前の記憶だと道路の反対側で平屋だったような気がするが、自分の過去の記憶が色々な部分で左右逆の事が多いので、この通りなのだろうと思う。反対側に移転したのかもしれない。

 何故って、日本のレコードコレクターの間では当時でも1万円以上もする超貴重盤が沢山在って、何と1枚99セントなのだ。当時の価値で米国1$は日本円で270円程度だったから、99セントといえば250円くらいって事?つまりは相場の40分の1で手に入ったという事。しかもニューヨークやロサンゼルスのレコード店では探しても、新品はまず絶対に見つからない代物達。ナッシュビルという田舎の大都会だったからこそ、同時にC&W音楽が主産業の一部だったからこそビニールを被った手付かずの新品在庫が残っていたのだ!此れを神様のお導きといわずに何と言おう?
コレクターズアイテムの中でも特に女性ボーカルグループは特別のファンが多い。

 正直、一日居座ったLawrence & Brothers Record Shopのオーナーや店員さんたちも筆者が選ぶレコードのアーティスト(C&W歌手ではなかった)を殆ど知らなかった様だ。 こちらが昼休みに一緒のランチのホットドッグをサービスされた際の会話で何故オールディズ・レコードを漁っているか説明したほどだった。遠い東洋からやってきたウエスタンスタイルの格好をした若者が、終日店内でレコードを漁っているというのは彼等からしてみても、さぞ不気味な存在だったろうと思う。 立場を代えて考えれば判って頂けよう。片言の日本語を喋る金髪の若者が着物を着て下駄履いて、日本のレコード屋さんで演歌のレコードを片っ端から感激しながら選んでいるのと同じ、だから彼等からすればもう完全にビョーキに見えたのではないかと思う。

 お昼のホットドッグは店のオーナーの驕りだった。あまり根つめて選ぶものだから気の毒に思ったのかもしれない。大きなマグカップに薄めのアメリカン・コーヒーと、どう考えても日本の倍の大きさはあろうという大きなホットドッグに、これまた大きめのサイコロ状のオニオンがボロボロこぼれんばかりに乗っかっていた。最初は食べきれまい?とタカをくくっていた彼らだったが、江戸へ戻れば筆者はアイスホッケーのフォワードだよ?アッと言う間に平らげ、更に勧められた半分もペロリと食べてしまった。


 パンも美味しかったが、実は中に入っていたでかいソーセージのなんと言う美味しさよ!此れじゃ日本が戦争に負ける訳だ・・・と思わざるを得なかった。半分冗談だが今回の米国ツアーで「日本が米国相手の戦争に負けた訳」が判ったように思える事が幾度も在った・・というより、米国という国をもっとよく知っていたら絶対に戦おうなどとは思わなかっただろうにと思った。それほど色々な文化や常識が違う国だったのだ、たかだか建国200年のアメリカ合衆国なのに。

 しかしアメリカのコーヒーはあまり美味しいとは思わなかった。最初にセントルイスでコーヒーを飲んだ時に思わず「何だ此れ?薄くて味がしない」といった途端、若林ヘッドの顔色が変わったのを見逃さなかった。自分の大好きなアメリカを馬鹿にされたと思ったのだろうか?でも人間の味覚は千差万別だ、好みというものは皆異なる。あのローマの空港で生まれて初めて飲んだエスプレッソの感激とは全然違う只のお湯のようなコーヒーに思えてしまったのだから仕方ないだろう?若林ヘッドは暫く口をきいてくれなかった。

 結局、Lawrence & Brothers Record Shopには1日半居座って、結局100枚以上のレコードを購入した。船便で我が家に送る段取りをしたら、後20枚おまけで好きなのを選んで良いから・・・と言う。もう大喜びで泣く泣く捨てた30枚の中から20枚を復活させ同梱した。計120枚のコレクターズ・アイテムのレコードは1ヵ月後に東京の三鷹の我が家に届いたのだった。

 あれから40年!綾小路きみまろじゃないが、ネット上、YouTubeにLawrence & Brothers Record Shopを見つけたときの驚きと感動は半端ではなかった。「&Brothersが消えてはいるが、 当時のままの店内、雰囲気。インターネットのおかげでお金では買えない悦びを得ることが出来た。 https://www.youtube.com/watch?v=k8Z0Q-ZmIhM

 この親切なお店に少しでも恩返しをしようと日本のレコード屋さんにこの貴重なお店を紹介した事があった。静岡が本社のレコードショップ・チェーン「すみや」が渋谷に出先の事務所を持っていた。当時ちょうど其処の1フロア上に在った歯医者に通っていたので、時々其の事務所に顔を出し、レコードバーゲンの手伝いを行っていた。
 横浜の岡田屋(現モアーズ)のお店などでバーゲンを行う前日に、品揃えや値札マークを付ける手伝いをする事で、珍しいレコード取り置きリーチをさせてもらっていたのだった。値付けに関してもあまりに安すぎたり高すぎたりするモノは変更のアドバイスをしていた。で、其処の社長にこのナッシュビルの宝の山を紹介したら、なんと暫くして現地に出張し、お店の裏の倉庫の在庫を殆ど買ってしまったらしい。2000年以降会社の事業体が変わり一時はナスダックに上場していたけれどいつの間にか廃業したようだ。この「すみや」とのお話はまたいずれ詳しくしよう。

 半年して御礼なのだろう、Lawrence & Brothers Record Shopからレコードが沢山届いたが全てC&Wのレコードだったので全て感謝をこめて若林ヘッドに進呈してしまった。あの時無理やりゴルフに付き合わされていたら、正直人生少し変わってしまっていたと思う。
コレクターズ・アイテムの中でも結構高値になっているフィル・スペクター系、500ドル以上。

同じ頃の女子ボーカルグループ系、此れもマイナーレーベルで貴重盤

真ん中のシフォンズ、「He's So Fine」は後にBeatlesのGeorge Harrisonが「My Sweet road」で殆ど同じメロディを使用した為裁判になった原曲。このブログを書くので調べたら右端のシフォンズ現在何と1枚400ドルもしていて驚いた。以上全て現存コレクション。

 このナッシュビルで購入したレコードの中で一番の成果はフィル・スペクター・レーベルのThe Ronnetes, The Crystals, その他女性ボーカルグループDixy Cups,The Chiffons,その他The Four Seasons, Peter&Gordon,Lesly Gore など日本ではオリジナルはなかなか手に入らないものばかりだった