2024年10月18日金曜日

カワセミが水面ギリギリを高速で飛ぶ姿! A kingfisher flying at high speed just above the water's surface!

  首都圏は一昨日・昨日と西の空が雲で覆われ、彗星の観察撮影は出来なかった。全国から撮ったままの画像や、色々見やすいように加工・画像処理したような画像がアップされている様だが、いずれも実際、生の肉眼ではあれほどはっきりは見えないのが実情だ。

 で、今日のブログは昨日の続き、身繕いしていろいろパフォーマンスを見せてくれた馴染みのカワセミ君、今日は水面ギリギリを高速で飛ぶ姿をご紹介。

15分ほどじっくり身繕いをした後、野川の左岸から右岸へ移動のカワセミ。

こうしたカワセミの水面ギリギリの高速移動は目で追えても撮影は困難。

~500㎜の長いZOOMでは捉えにくいと思う。

今回は中程度の70~300㎜をAPSCのEOS7DMarkⅡで追った。

だんだん遠くへ行くのでフォーカスしやすい。

一旦休息してさらに川上へ

普段肉眼で追う姿をレンズで捉えられた。

2024年10月17日木曜日

2日前は明治神宮、昨日は野川で顔見知りのカワセミ二に遭遇。 Two days ago, I encountered two kingfishers I knew well at Meiji Shrine and yesterday at the Nogawa River.

  一昨日は15時のミーティングの前、昼頃久しぶりに明治神宮御苑へ入り、顔見知りのカワセミと遭遇暫く目線を合わせたが、昨日は車検の車を東八道路のクルマやへ預けた後、野川沿いに調布までカメラを提げてウォーキング。

 御塔坂付近でいつものカワセミに遭遇。他に人が居ないのでゆっくり対応。

 人吉でのヤマセミへの対応と同じで、野川でもカワセミと眼が合うとゆっくり左掌を振って合図をしてきた。毎回これをやる事で眼が合えば暫くその場でくつろぐのだろう、羽繕いなどを始める。

 今回も、最初ジーッと眼が合ったが、手を振ると暫く撮影者を観た後、羽繕いを始めた。筆者はあまりこういった仕草は撮影しないが、今回は撮ってみた。

 そうしたらペッ!とペリットを出した。生態の良い瞬間を撮れて満足、手を振って別れた。

いつもこの辺りを縄張りとしているカワセミ。人気者だ。

野鳥は上からの脅威に敏感だから、上から目線を合わせるとたいがい飛び去る。しかし昨日はジーッと目線が合ったので動かず左を広げて振った。数秒ジーッと見たままだった。

場所を変えて手すりに体をあづけてブレないようにして撮影。

カワセミの方はリラックスして入念に羽繕いをしていた。

そのうちペリットを吐き出し

こちらへ向かって飛び出してきた。飛翔シーンはまた明日。

2024年10月16日水曜日

久しぶりの明治神宮御苑・水連の池でカワセミ。 Kingfishers at the pond of Suiren, Meiji Jingu Gyoen after a long absence.

  ひどく暑かった真夏は避けていた明治神宮。昨日久しぶりに入ったが昨日も都心の気温27度で10月も半ばというのに夏日。植物がそれぞれ1か月遅れで咲き、なおかつ生えている植物の巨大化でこの夏の異常さが判る自然の佇まい。

 さでさで、久しぶりのカワセミは如何におわす・・と思ったら水連の池で盛んに動き回っていた。普通野鳥の活動はまず早朝、次に夕間詰めというのが一般的な常識だが、真昼間12時に明治神宮のカワセミは動き回って採餌していた。

 もはや明治神宮境内は外国!日本人の比率は20%を切っているのではないだろうか?とくに酒樽コーナーで立ち止まっているのは全部外人さん。


素通りするのが日本人!

500円払って入る御苑の南池(なんち)は完全秋モード。

オーよく来たな!何してた?とは言われなかったが・・。


ダイブ、パフォーマンスは盛んにみせてくれた!


飛び込むのが水連の隙間なのがいつもの年と違った。


残り水連の花の上を行くカワセミ、そう年中撮れるシーンではない。

2024年10月15日火曜日

三鷹を通過中のエゾビタキのフライングキャッチを撮影。 Photographed a flying catch of an Ezo Flycatcher passing through Mitaka.

  概ね天候に恵まれた秋の三連休、それぞれ思い思いの過ごし方で充実した3日間だったろうと察する。

 筆者は、三鷹付近を通過中のエゾビタキ、フライングキャッチの観察と撮影。同時に太陽の後ろを廻って再び姿を現した紫金山・アトラス彗星の撮影で終日屋外に出ずっぱりだった。

 ニュースではノーベル賞の受賞ニュースや、MLBのポストシーズンの試合で日本人選手の活躍を盛んに報じているが、秋の連休に付きものの渋滞情報は特になく、紅葉にはまだ早いという事でわりに地味な三連休だった。美術館も写真展も3か所廻ったが、そう大して混んでいないと感じた。暦の操作で三連休が多くなったこともあるかもしれない。


 で、地元三鷹の野川沿いで通過中の旅鳥エゾビタキ。この三連休もフライングキャッチが盛んに行われていた。前にもこのブログでも述べたが、過去エゾビタキは九州の阿蘇山中、人吉の球磨川沿い、北九州小倉の森林公園、奥日光戦場ヶ原などで数多く遭遇・撮影しているが、今回ほどまとまって十羽ほどが盛んにフライングキャッチする姿は初めて観た。

月も出ている日没時なので画像は観難いがご容赦!十数羽の群れ

キョロキョロ見回して、一直線に羽虫へ飛び出すエゾビタキ

こちらへ向かう際は2カットでピンが合わなくなる

左の上に見える点が獲物

だんだん近づいて

パクリと捕まえた瞬間

反転して



下方へ!

落下スピードに乗って、最初の枝に戻るのが通常のフライングキャッチ。

2024年10月14日月曜日

団塊世代は紫金山・アトラス彗星の撮影に挑んでみた。 Boomer me tried to challenge photograph the Purple Gold Mountains and Comet Atlas from Capital Tokyo.

  米大リーグMLBのポストシーズンを熱狂させている日本人選手の活躍騒ぎにかき消されているのだろうか、世紀の天体ショーが意外に注目されていない様だ。

 その天体ショーというのは彗星・紫金山・アトラス彗星の事だ。

 10月初旬太陽の裏に廻り込みかかった頃から天体・宇宙関係以外の一般メディアでも注目を浴び始めていたが、連休の12日頃から再び夕方西の地平線にその姿を現すようになった。

 筆者は天文系の写真撮影は全くの素人だ。地球が自転することにより起きる天体の移動を追跡・追従する三脚や装置・追跡アプリの存在は知っているが、視たことも使ったことも無い。

 何とか流星群・・とメディアが騒ぐ都度、夜空を眺めて撮ってみようかとも思うが、明るい街灯だらけの住宅街では必ず撮れるという頻度での被写体出現が保障されていない限り、夜の外出はしない。

 土星と木星が接近した際は、1,000㎜超望遠(500㎜+2.0EX使用)を三脚に固定して撮影。木星の衛星(ガリレオ衛星)や土星の輪っかを捉えたことはある。

 しかし、筆者は野鳥撮影と日常のコンデジ・スナップ撮影が中心だ。ある程度のカメラ機材は在るが、「動かない被写体」はあまり撮影してこなかった。三脚使用も年に数度。

 しかし、昨日の夕方、太陽が沈む西方向の雲が少ない事を予想し、国分寺ハケ線と言われる多摩川の河岸段丘最北部の崖を目指した。今日はその天文撮影初心者の彗星撮影レポートをご紹介。

実は10月2日の早朝、登る太陽の直前見えるというので調布飛行場へ行ったが雲に覆われてしまい残念ながら撮影できなかった。

 2日前12日(土)の夕方、5階建ての駐車場の屋上から待ってみたが、西側雲が多く撮影できなかった。目の前に6本横たわる高圧線電線も邪魔だし、2度目のチャレンジも失敗に終わった。

 で、昨日の夕方、三度目の正直成るか?と野川沿いに現在通過中のエゾビタキを撮影しつつ、国分寺ハケ線の崖の上に向かった。

何と西方向の雲は非常に低く、夕方日没後の奇麗な放射状フレアが観られた。

何とこんな時期に花火大会も見物できた。

そうして、18時を回った頃、肉眼でうっすらと彗星が見えた!

 思いのほか尾が長かった。1997年2月のヘールボップ彗星には明るさで及ばないが、尾の長さは同じくらいだろうか?

 彗星そのものはアップで撮っても大きさ比較が出来ないので、周りの景色を入れ込むのがお約束!というのは良く判った。ネットに投稿されているのは殆ど海岸線や山の上からの撮影。こうした三鷹の住宅街からの撮影画像は少ないかもしれないが、昨日は奇麗だった。

2024年10月13日日曜日

団塊世代にはとにかく歩くこと・走る事をお勧めする。Boomers we advise to walk/run every day anyway.

  MLB、昨日のドジャースVsパドレス戦は久しぶりに手に汗握る良い試合だった。筆者にとって日本人選手が活躍するMLBの中継を観るのは野茂英雄、イチロー、松井秀喜以来久しぶりだった。しかも相当久しぶりに最初から最後まで見届けた。

 今回のPSシリーズで一番印象的なのは、1勝2敗でドジャースがパドレスに追い込まれ、試合後インタビューを受けた大谷選手が「後が無いとか、追い込まれているという感じはない、2連勝すれば良い・・。」という超前向きな姿勢だった。

 これを聴いて、日本人も変わったなぁ…と思った。

 此の前向きな姿勢を少しでも持ちたいと、筆者は昔から思っていて1995年前後、47歳ころからランニングを始めていた。

 きっかけは子分末席格で数多くのご指導を頂いた故・寛仁親王殿下の一言「シンジョー、お前ちゃんと毎日体動かしているか?昔の日本人は1日10㎞は歩いたんだぞ」のお言葉だった。

 殿下は完全な体育会系で、ことスポーツに関しては厳しい方だった。飯山市のビルケバイネル・スキーレンネ(=2Lのペットボトル2本を背負ってクロカンスキーで山を越えるレース)の事前現地視察の際も、恐るべき速さで先へ行かれ、完全初心者(筆者始めてまだ二日目)のこちらがやっと追いつくと、すぐに「行くぞ」とコースを行ってしまわれた。

 こちら初心者のヘバテ具合を完全に把握して、クロカンスキーの進むペースを調整してくださっていたのだ。無言のハッパと心配りを入れつつ・・・。

 で、殿下が癌治療で入院されている時にお見舞いへ行ったら「ちゃんと走っているか?」と逆に励まされ、戻った日から走り始めたというのが「事のはじめ」だった。

 

 ここからが今日の本題。

 現役時代は三鷹から都心のオフィスへ出て、得意先やプロダクションやイベント現場を移動することで1日平均1万2千歩は確実に歩いていた。それがリタイヤ後は一気に1/3以下に落ちるのが平均らしい。要は歩く頻度も距離も激減する訳で、脳にも体にも非常に良くないという事が医学的に証明されている・・・と数年前読んだ「運動脳」に書いてあった。

 筆者は自身の体調で何となくそう感じていた。

 確か毎日欠かさず歩くと、体調は非常に良い。室内でランニングマシーンやウエイトトレーニングをするなどまっぴらな性格(小さい時から多動性自閉症と言われた)なので、外を歩いたり走ったりすることが自分に向いていたのだ。しかも1人でコンデジカメラを持って走り、昆虫や野鳥、植物、空の雲・夕焼けなどを撮影するというのも多動性自閉症特有の行動らしい。

※ https://junior.litalico.jp/column/article/061/ 多動症・自閉スペクトラム症

 何処を歩いても良いのだが、江戸時代の日本人の1日三里程度(=10~15㎞)は無理としても、1日1万歩(二里ほど)は何とか出来るのではないだろうか?とカウントを始めたのが21世紀に入った2001年頃だった。

携帯端末の歩数計が記録してくれてすでに22年が経つ、今年も何とか・・。

 雨だったり、疲れを感じた日は迷わず休む。脳や体調にストレスを感じたらやめる。競争・勝ち負け・記録更新ではないのだ。あくまで老化を遅くするため年平均1万歩/日を目指す。一歩も歩かない日があっても、歩数が多い日の貯金でクリヤーすれば良い。

 まだこの2000年頃は、トレッキング、だとか運動脳、だとかいう言葉は世の中に一般的では無かった。しかし近年になって「歩くことこそ人間という動物の健康基本」という事が判ってきた。筆者にとっては実践が先で、理論と説明・エビデンスが後から付いてきた感じだ。

愛読書のど真ん中に置いてある「運動脳」「スマホ脳」

騙されたと思って読むことをお勧めする、特に高齢者の諸君は。

 そうして、歩いたところを地図で再確認する。次に同じ場所をもっと楽しく歩くため。

地元三鷹近郊でも基督教大学とスバルを大回りすれば1万2千歩以上になる。

JR国立駅から京王聖跡桜ケ丘まで寄り道しながら南下すると約8㎞強。1万歩越。

暑い日はそれなりの防御を行う、団塊世代の身なりに注視する人など誰もいない。

暑い日のランニングの際は水着で幾度も頭から水を被ることが必須。

 新聞などでもトレッキングなど歩くことの良さ、健康寿命という言葉も出てきた昨今、ベッドで寝ながら何とか寿命を全うするのではなく、例えば極端だが野川で写真撮影して歩いて帰ってきて玄関でこと切れるような生き方で筆者は寿命を全うしたいと思っている。


大手の新聞が取り上げるという事は、既に相当数の実践者が居るという事。

2024年10月12日土曜日

専門家ほど生成AIに脅威を感じ、科学に疎い素人ほど平気で飛びつくようだ。It seems that the experts are about generative AI, the more threatened they feel, and the less science-savvy laypeople jump on it with impunity.

  今年のノーベル物理学賞をAIの専門家が受賞した。

https://www.nikkei-science.com/?p=74090

 とくにこのうちジェフリー・ヒントン博士は、かってGoogleの非常勤研究者だったが2023年辞めている。

 その理由が「⇒2023年5月1日、AIの発達が自身の想定を超えており、その危険性について話せるようにと、Googleを退職したことを明らかにした。※ウィキペディアより

 ヒントン博士は、悪意のある者による意図的な悪用、人工知能による技術的失業、そして汎用人工知能による人類滅亡のリスクについて懸念を表明している。彼は、最悪の結果を避けるためには、AI利用において競合する者同士が協力して安全ガイドラインを確立する必要があると指摘した。」※以上ウィキぺディアより抜粋。

今年のノーベル賞・化学賞もAI関係者(活用者)が受賞した。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2024/chemistry/article_01.html

 これらの動きは、すでにこの世界が生成AIによりその使用結果による素晴らしい成果と、その逆の恐るべき事態の発生を同時に実現・予期していると言って良い。

 脅威・怖さをまるで考えようとしない「便利で楽だからどんどん使っちゃう」という人々により、より速いスピードで世の中が混乱するという懸念が科学に強い人々の間で問題視されている。しかしメディア報道は現実の事態から相当遅れ気味のような気がする筆者なのだ。

 スマホがそうだった、歩きスマホ、スマホ依存症、スマホ近眼、スマホ脳。客はスマホを持っているのが当たり前という前提での世の中の仕組みを強引に進める飲食ビジネス界・NHKテレビニュース。スマホ普及率は2024年確かに90%程度だ。しかし残りの10%1千万人以上はスマホを使わない生活をしている。これを切り捨てて良いのか?飲食店・NHK・・。

 何で画面のQRコードで詳しい説明を読み取らなきゃいけないのだ?・・スマホ中毒の人間たち、視聴者はスマホを持っていて当たり前と強引に放送を進めるNHK。これらがこの先どうなるか?

 此の脅威を予測する科学者たちの声を、メディアも通信機器製造メーカーも電波供給会社もビジネスの邪魔だと無視し続けている。数年先の地球と人類がどうなるかイージーで無知蒙昧な人類はまだ気が付いていない気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=VASywEuqFd8&t=3s 

このブログで幾度もご紹介したスマホの世界を予言した2016年のアニメ 「スマホに依存した恐怖の世界の終わり」


 写真を重用する筆者にとって一番身近な生成AIは、もし活用するとすればその画像処理、画像制作・クリエイティブ作業にある。

 しかし実は生成AIを使わずとも画像処理ソフトAdobe Photoshopなどで、充分あるレベルまでの画像処理は出来る。例えば二羽のコウライアイサ♀(日本では飛来数の極端に少ない希少種)の写真画像をベースに色々な画像処理を単純アプリでいじってみよう。最新版ではない20年以上前2002年発売のAdobe Photoshop 7.0を引っ張り出してきて動かしてみた。

元になる二羽のコウライアイサ♀の写真画像。

少し青味かけて水彩画でワトソン紙に描いたように見せる。

色は戻してタッチを少し繊細に・・・。

更にビビらせた画像

クチバシと足の赤みを強調したイラスト風

ステンドグラス風にも、生成AI使わずに簡単に出来るのだ。

 こうして、写真をベースにイラストを描き上げるのは、奄美の自然を描いて人気の田中一村(明治41年栃木県生まれ、のち奄美大島へ移住)なども後期・晩年は写真撮影した画像をベースにイラスト画を描いている。

 しかし単に写真を参考にモノを描くのとは異なり、IT、AIを使用してのイラスト化はオリジナリティにおいて「他人の力」を借りたパクリの境地に近いと筆者は思う。

 2020年(実施は2021年)東京オリンピックのエンブレム事件を覚えておいでだろうか?
Aの作品とBの作品の良い所を合わせて新しいC作品を作れば、それは全く新しいオリジナル作品なのだ・・という論理で、広告代理店が日常進めてきた「悪しき常識」が世間から叩かれた事件だ。アートディレクター、イラストレーター、デザイナーが血祭りにあげられた事件。

 生成AIはこれをA・B二種の作品どころの騒ぎではなく、世の中全ての作者判明・不明の画像情報を得たネットの画像倉庫、何百万点の中から抽出されたオリジナルを掛け合わせたりし、MIX加工してオーダーへの最適な画像を出してくれるというものだ。

 この便利さ、楽さ加減がクリエーターのクリエィティブ力を発する必要が無い状況を生み出すことで、純粋なアーティストが世の中から激減することを暗示しているような気がする。「いわゆる本物の天才!」という人類は今後、もう出てこないかもしれない。

 広告代理店のシステムから言えば、絵心などまるでない営業担当が、クライアントからの要望を訊いて「こんな感じのこういうモノを作ってよ!」と言葉でオーダーするだけで生成AIがいくつもサンプルを出してくるって寸法だ。

 只し、もともと絵心が無い営業担当は出来上がって来た作品の良し悪しを判断出来る訳ない。だからクライアントへプレゼンで候補作品を提出する際は、アートディレクターの存在が必要になろう?アートディレクターの立位置と作業プロセスの順番が変わるだけかもしれないが・・。

 生成AI系のデザイン画もイラスト画も、要はネット界に存在する画像の最大公約数の合成に過ぎないものだから、無味乾燥、魅力も味のないものになろう。

 それを「凄い!」だの「いいね!」だの平気で思う今後の人類。感性やアーティスティックの分野では脳の退化が始まるのだろうと予測する。その意味からすればアートの世界での同類ジャンルでの差別化も難しくなっていくだろうと思う。

 筆者が個人的に試してみたいのは、同じ生成AIソフトシステムを使用して全然別の二名、男女だったり20歳代と70歳代の二人だったりが「○○のような絵を描け!」とそれぞれ別の言い回しで指示した場合、まったく同じものが出て来るのか否か?どうなんだろう?

 同時に、著作権のもんぢ亜も今後どんどん解釈が変わっていくだろう。
生成AIで作った画像や文章は、そのままビジネスシーンで利用して問題無いのでしょうか?」にそこいらへんへの今時点での答えが在るようだ。

 こうなると、絵やイラストの世界は生成AIにかき回されてしまうだろうから、パソコンのフォント通りに印刷された文字ではなく、毛筆で書かれた同じ漢字でも形も墨の色も違う書道の作品が、人類最後のオリジナルフリーハンドのアート作品になる日もそう遠くないだろう。