2019年5月25日土曜日

 団塊世代は浅草三社祭を初めて見物・撮影してみた。  I visited and took several photos the Asakusa-Sanja Festival for the first time.

 先々週の神田明神祭に引き続いて、浅草三社祭を見物。同じように祭りの様子を取材、一部撮影をしてみたが、それぞれ違う雰囲気、ノリ、佇まいに、いろいろ勉強できて面白かった。

 例によって、格好の撮影対象なので多くのアマチュアカメラマンが押し寄せ、重たい一眼デジタルを1mほどの支柱の先に付け、少しでも高い見通しの良いアングルから撮影しようとしていたが、結局はノールックで撮影するので思ったような画像は撮りにくいようだった。

 なおかつ、そのほとんどは同じようなアングルの画像になるので、自分だけのユニークな成果が上がるとはとても思わない。むしろ後ろのカメラマンたちに邪魔で迷惑になるだけ。沢山いる係員達に横へどくように幾度も注意を受けているのが目に付いた。

 結局接近して迫力なり参加者の表情を収録するには、コンデジや小型のカメラを駆使して近寄った方が遥かに速い事が良く判った。

 「浅草三社祭」という絵ハガキのような画像を収録したければ、もうこの先はドローンで5~6m上空から広角レンズで狙いながら、手元のモニターでアングルを決めるしかないだろう。事実上アマチュアカメラマンなどがドローンを飛ばして撮影などご法度なので、そういう画像は望むべくもない。

 よしんば、偶然そのようなことが出来ても、三社祭の事務局のプロたちが撮影する「お決まりの」画像と何ら変わらないモノが撮れるだけだろう。やはりアマチュアは自分でテーマを決めて他には無いアングルなり「瞬間」を切り取るしかないだろうと思った。

 よほど事前にその祭りの物理的概要を調査し数年にわたり熟知して「好アングル」を発見し、事前ロケハンを行い「狙い」を決めて掛かって準備しなければ、一朝一夕には納得した絵は撮れないと思った。その上での計算された「渾身の一発」でもない限り、己の瞬間判断と偶然のチャンスを生かしたスナップを数多くものにするしかないだろうと思って現場に臨んだ。

 いろいろな写真コンテストで上位に入る作品の多くはそういった事前の苦労が沢山あるに違いない。更にその上でコンテスト関係者とのコネクションが生まれ評価されていくのだろう。

 こうして初めての浅草三社祭の会場に赴いたのだが・・・。

 各町内の町神輿が200基も練り歩く神田明神の祭りとは違い、浅草神社の3基の神社神輿がそれぞれの方向へ散るこの祭は、根本的に撮影ポイントも狙いも、神田のそれとは全然違うだろうと事前に予測出来ていた。

 この江戸の二つの大きな祭り、撮影するにあたって一番違うのは背景だ。神田の場合は背景はビル街。それに対して浅草のは浅草寺や仲見世、雷門と言った日本建築・風景が背景になる。その点で狙うアングルや背景もおのずから全然違うと思いカメラ機器の種類やレンズも神田の場合とはいささか違うものを選んで臨んだ。

 普段ヤマセミの生態写真を主に撮っている筆者は、1970年代からスキー、アイスホッケー、ウインドサーフィン、スノーボードと「動く被写体」を主に仕事に関連して撮り続けてきた。神社仏閣や風景・生物、あるいは人物描写などはほとんど経験ないし、祭りや花火大会に至っては皆無に等しい。

 ただ、雑誌ポパイ、オリーブ、ターザンなどマガジンハウスのお手伝いで取材に同行し、編集者やディレクターの「頭の中」は横で観ていて少しは勉強したつもりだ。
 雑誌オリーブの創刊2号のハワイ取材や、ポパイのオーストラリア・ニュージーランドロケ、ターザンのオレゴン州縦断ロケなどに同行し学んだ「雑誌的取材画像」のポイントが今回の神田や浅草の祭り撮影に非常に役に立ったような気がする。

 「何を、どう撮るか?」を常に頭に入れて、祭りの進行の先を予測しながら、足でチャンスを稼ぐしかないだろうと思った次第。1mの撮影棒や低いながらも脚立を持ち歩くのは足手まといであることがすぐに判った。

 新聞や雑誌に一発だけ出す画像やコンテストの入賞狙いの写真と、好きで勝手に撮る写真は全然違う。今回初めてこれらにチャレンジして多分来年は今年の経験がもっと生きた「絵」が撮れるような気がした。
何故役員の方々がカンカン帽をかぶっているのか訊きそびれてしまった。しかし他の祭りにはない「浅草三社祭」の雰囲気はばっちりだった。当日現場でこの集団を見た途端、何故か「人物を撮るのは絶対にモノクロが良い!」と思ってしまった。理由は今でも判らない。直感的なモノ?色がついてカラフルだと、そっちへも眼が行ってしまい人々の表情の印象がボケてしまうような気がしたのかもしれない。

カメラを気にせず自然体でいてくれるのが、さすがの伝統の祭りだと思った。

いろんな人々が参加する祭り。やっぱりモノクロで良かったと思う。

訊いてみたら皆さんの法被は40年以上使い続けているそうだ。筆者と同じ団塊世代が多いのにも驚かされたし嬉しかった。いろいろ話を聞いている中で「人間てーのは足腰が命よ!」の一言には大いに納得した。

水をかけ掛け木づちで締め込む、こういう祭りの一部分を次回は狙おうと思う。

昼休みの食事処はもうそのままドラマの一シーン!

女性の肌の色気と匂いはモノクロの方が感じやすいと思った。

現代の祭りはスマホなしでは在り得ない。しかし何故、遠い景色を撮っているのかと思いきや、実は皆さん全部自撮りなのだ。

祭りより自分に夢中?

雷門と自分を如何に入れ込むか・・・だろう。

祭りでは数多い外人観光客が全然目立たない、気にならない。

 普通に撮ったカラフルな画像も良いが、何故か渋谷のハチ公前の交差点の様だったり昔あった田舎のよろず屋の店頭?今でいえばドン・キホーテの店内のように思えて仕方がなかった。

 メディア報道の絵ならこれで良いんだろうとは思うが・・・。アームの先にカメラを付けて撮るとこんな感じ?でもちょっとした工夫と知恵で同じようなアングルは狙える。もちろん日ごろの鍛錬とスタミナは必要。

確かに日本の伝統色一杯の祭りではあるが、筆者的にはモノクロの方が遥かに「祭」を感じさせるような気がしてならない今回の初経験だった。