今日は10月31日、昨夜はマスメディアが、いつもの渋谷でのハロウィーン乱痴気騒ぎを期待して盛んに何か起こらないかな?と期待しながらレポーターを派遣しているが、要は新型コロナウイルス禍終息への報道をする一方で、メディアがこういったハプニング、ニュースネタを期待している事がモロ見えの1日だった。
こういったメディアの「ヤラセでも良いから、何か話題性のあるニュースネタが起きないか?」でそれに先導された若者たち、無法者たちが盛り場に群がっている・・という構図は既に皆が認識し始めてしまっている。若者たちを煽る一方で「困った奴らですねぇ」という自分で火を付けておいて、必死に消火活動をしている姿をアピールする、最低のマッチポンプ行動が日本のメディア・マスコミなのだ。
例えば自民党総裁選では当初小・石・河連合ともてはやし、絶対的有利と持ち上げておきながら、岸田総理になった途端「河野だと危なかった・・。」だの、「終わってみれば負け組・冷や飯組」とたたきに叩いた。メディア=ブンヤ(新聞屋)と言われたころからマスコミ・メディアは「卑しい職業」と言われる所以が其処に在る。
そういったメディアの誘導、洗脳、世論づくりの中、衆院選挙が行われようとしている。
今週末はそんな中、色々主張する政党や議員たちの中で、「おかしくないか?言っている事」の一つ、男女同権を主張し、「大臣を男女同数に!」などと自民党総裁選でぶち上げていた野田聖子(内閣府特命担当大臣、女性活躍担当大臣、こども政策担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣。)大臣だが、自民党総裁選の頃から非常に違和感を覚えていた。
例えば、今回の衆院選挙でもいい、全国で男女同数が立候補しているか?そうして男女同数が当選しているか?もしそうであって全国の国民が選んだ国会議員の男女比が50対50なら、大臣の数は男女同数に近くても良いと思う。でも、あくまで男だから、女だから大臣にするのではなく、その人の技量と能力と性格を視て総理が選ぶべきであって、「男女同数公平を持って尊ぶべし・・。」で選んではいけないと思う。
つまり、「国や郷里のために立ち上がろう!」という女性の立候補者数も少なく、女性議員の当選者数も少ない国会議員の中で大臣だけ同数になどしようとするのは不公平だろう?は逆にこれとんでもない男性蔑視になるのではないか?
「大臣を男女同数に!」・・などと言う前に経ねばならない事や、やらねばならないことがあるだろう?
世界の経済大国の米国、中国、それに日本、どれを見ても女性大臣数や女性国会議員数は世界の相当下位に位置している。これを短絡的に恥ずかしい、おかしい、こうであってはいけないと言う者たち、報道するメディアの何ノーテンキな事か。
逆に言えば、女性比率の高い国々の歴史や特徴を良く考えて欲しい。今までの国の成り立ち、習慣・常識、物の価値観、伝統があり歴史の長い日本と異なってどういった国々なのか。
そういう背景を視もしないで、日本は「世界から遅れている」だの「女性蔑視の国」だの騒ぐ人々を取り上げてメディアが報道するのはどこかおかしくないだろうか?
今日の投票をこういった事実などをよく考えて行いたいものだ。
ネットに出ていた女性の政治世界への進出データのごく一部をご紹介。