2014年8月2日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #54.」 実録高校・学校生活 その10.普段の生活も悪戯の連続。

 関西・四国方面の修学旅行から戻って暫らくは、大きなイベントも無く受験地獄の現実に戻された高校生たちは、1年半後に控えた大学受験へ向かって気合を入れ直していた頃。しかしこちらは緩み切った遊びモードからの脱出は全く兆しすら見えず、毎日イソップ物語のキリギリスの様な状態だった。

 そんな頃、幾つかのとんでもない事件を引き起こしてしまった。奥沢中学校時代、紙の筒のロケットを東京から神奈川まで飛ばした話を覚えているだろうか?・・・と言っても、多摩川の左岸側から右岸側の河原に飛ばしただけなのだが。そのインチキ科学への興味が沸々と再燃し、よりデカいロケットでより遠くへ飛ばそうではないかと云う気持ちが高まってきた。
中学校の時と同じ大きさで造っていたら今頃このブログなど書けなかったと思う。

そこで前の時は2B弾のシューッという花火のような部分の粉や黒色火薬などを内緒で調合し燃料棒の竹輪を造ったのだが、今回は2B弾が爆発する所の銀色の火薬を集めて水で練って竹輪を造ったのだ。
2B弾は中学校の時と同じ値段だった。

 プロセスは省くが、当時は小平市の鈴木町にある賃貸し一戸建て住宅に居て、テスト版の小型ロケットに点火したのは11月の曇った日曜日だった。庭に小さな雨どいで造った発射台に長さ15cm程の小さなロケットを乗せて、以前と同じく導火線替わりの接着剤の帯に黒色火薬を撒いて点火したのだった。  一瞬、青白い光が走った、と同時に思わず眼をつぶったので何も見えなかったが、顔一面に細かいモノが当たった記憶は在った。しかしその瞬間耳が聴こえなくなり、「キ~ン!」という大きな耳鳴りだけが聴こえたのは覚えている。気が付くと庭に尻餅をついていて、近所の家の窓と云う窓から人がこちらを指差しながら何かを言いながら視ていた。

 庭に面した我が家の部屋からは、母親が険しい顔付で口をパクパクさせながら、何かを言っているのは見えたが、音がまったく何も聴こえなかった。  部屋に上がって鏡を見たら、ロケットの部材に使った紙の細かい破片が、顔面の前面に40個ほどへばり付いていた。幾度も顔を洗ったが、4本の擦り傷と蒼いアザは1週間取れなかった。医者にはいかなかったが、少しでも眼をつぶるのが遅かったら、間違いなく失明する所だっただろうと自分では思っている。  
 
大きな耳鳴りが3時間続いて、その後は水の中に潜ったように何かに耳が塞がれた状態だった。翌月曜日に成って高校へ登校したが、耳がほとんど聞こえない状態。酷い風邪を引いて耳が聴こえなくなったと嘘を言い、授業ではあてられる事を免れた。  要は今回のトラブルは基本中の基本、火薬と爆薬の違いを知らなかった為のとんでもない初歩的な事件だった。ロケットの燃料に無知が原因で、順次燃焼していく火薬の替わりに瞬時に爆発するダイナマイトを詰め込んだのだ。只でさえ先天性弱視で左目の視力が0.1以下なのに、ちゃんと見えている右目を失ったら人生がそこで終わるって事だった。

  自宅では一人でこんな事をやらかしていたが、学校では皆で力を合わせて悪戯をした。先生には一人一度しか通用しない「動く黒板消し」という技がある。これは目標の先生の動きと癖を熟知しないと出来ない。更に教室の一番前の両端に座っている者の協力が無ければできない技で、まず黒板のハクボクを置く棚の両端に画鋲を押し指す。で、黒板消しの皮で出来た紐の部分に黒い木綿糸を結び両サイドの画鋲を経由して両端の担当者に持たせる。次に先生が入ってくるドアの方の黒糸は床に這わせて目立たないようにする。


 先生が入って来て授業を始め、黒板に色々書き始めたら臨戦態勢・スタンバイだ。沢山字を書く先生の場合ほどひっかかり易い。先生と云うモノは黒板に向かって字を書いている時に、何度も生徒が座っている方に上半身を反転して振り返るものだ。其処で、字を間違えた瞬間が勝負時!
先生はベテランに成れば成る程、間違えた時に黒板消しの場所を視て確認しない。大体の勘でそのあるべき場所に手を伸ばす。もうこれは熟練の技でいつものつもりで黒板消しに手が伸びる、見事にぴったり伸びる。そうして、その手が黒板消しに届くか届かないかの瞬間、左右の担当者の阿吽の呼吸でスルスルと黒板消しをどちらかへ3~5cmずらす。すると先生は勘が狂ったと思って、眼で追わずにもう少し手を伸ばす。

 そうすると今度は反対方向の者が糸を引っ張り、逆方向へ黒板消しをずらす。2度が限界だ。もう教室は爆笑の渦と化す。もちろん一人の先生に一度しか出来ない究極の悪戯。しかし、先生が怒ったのを観た事が無い。一緒に笑ってしまった先生も居た程だ。この程度で怒っていては逆に生徒に馬鹿にされるのを知っているのだろう。
左右の担当者の「阿吽の呼吸」が大事だった。真剣にやった。

  担当の先生がお休みだとかで自習の時はもう野放しの悪戯天国だった。大学の休講程は頻繁になかったが、学校を抜け出て買い食いする者、近所の国学院大学の学食に行って食事や喫茶を楽しむ者。どれだけ遠くまで行って帰って来られるか競いだす者、そうして、そのまま帰ってこない者。

いろいろ遊んだ。中でも大好評だったのが、教室の窓から箒とバケツと雑巾を紐でくくって人形を作り、階下の教室でやっている授業の先生の似顔絵を描いてバケツの頭に張り付け操り人形のように一瞬ぶら下げるのだ。
 これも3回ほどしか出来ない。最初はそーっと教室の後ろの方に降ろす、時間は約3秒。気が付くのは下の教室の窓際の席の者だけ。次は真ん中辺りにほんの瞬間降ろす、これでほぼ下の教室の全員気が付く。もう下の教室の下級生は大喜びで3度目を期待する。3度目をやって、どっと大声ではやし立てる声が聴こえたら我々の教室のメンバーは全員教室から出てしまう。下の教室の先生が怒鳴り込んで来ても肝心の教室には誰も居ないって寸法だ。 くそまじめな女子が居るとまず協力してくれないから、この悪戯は我が教室が体育の授業で女子が更衣室に行ってしまい、居ない時を見計らって行う事が正解だった。

だんだんエスカレートして、カツラを付けたり誰かのスカートを穿かせたこともあった。

  一方、何処でもやっている悪戯はレベルが低いと云う事で、余り広尾高校ではやらなかった。たとえば先生が入ってくるドアの上に、濡れた雑巾やチョークを一杯付けた黒板消しを挟んでおいて、先生がドアを開けると頭上に落ちる様にしたり、ビロードを張った先生の椅子に画鋲を上向きに入れてお尻にチクッと刺さるようにする、謂わば悪戯のクラシックだ。これらは当の先生達も心得ていて、他のクラスではこれを見抜いた先生がいきなり教室の後ろのドアから入ってきたりして、バレタ事が有ったらしい。
学校悪戯の定番はレベルが低いとの理由でやらなかった。

 椅子画鋲に関しては何処かのクラスがやったらしい。しかし保険の女先生が座ったのだが、何の反応も無く、それ以降その女先生は「不感症」と言うあだ名で呼ばれたという噂だ。