文化祭の直前ある日の放課後、コの字にレイアウトされた広尾高校の校舎の特徴を生かして、出場バンドの一斉練習を行う事に成った。1年生にはまだバンドが無かったので2階が教室の2年生、3年生で順番に校庭に向かって各教室の窓を開け放って演奏をした。
噂を聞き付けて放課後居残った全校の生徒たちが、各自木の重たい椅子を教室から持ち出して、校庭に座ってこれを聴いたのだ。詳しくは記憶にないが各バンド2曲づつを演奏したと思う。
校庭の生徒たちは演奏クラスが変わるごとに、少しづつ椅子の向きを変えて聴き入った。実は我々は人に生で聴いてもらうのはこの時が初めてだったので、珍しく緊張した。
しかし思いのほかうまくいって、沢山の拍手を貰えたので、それから数日の間はもう自分自身ビートルズそのものに成りきっていた。
ところが、文化祭の当日だか翌日だか近所の町内会の世話人が「うるさい!」と学校にねじ込んで来たらしい。したがって翌年はもう出来なかった。
A組JAZZバンドの放課後練習 我々も同様に連日練習した。
バンドは出来たが、ステージに出るには曲目紹介をする司会者が必要だった。懐かしの「ロッテ歌のアルバム」で言えば、「一週間の御無沙汰でした~」で有名な司会の玉置宏みたいなものだ。
これを誰かに頼まなければいけない。女性じゃなきゃ駄目、美人じゃなきゃ駄目!と言う勝手なメンバーの全員一致の条件で、同じクラスにいる全校1番のマドンナに白羽の矢が立った。
が、本人に訊いたら既に上級生セミプロ級バンドの司会に既に決まっているというではないか。
そこは同じクラスメートを差し置いて上級生のバンドかよ?と説得し、我々の司会もお願いする事にした。
実は文化祭とはいえ、多くの人前でスポットライトを浴びて、演奏する曲目をしっかりと間違いなく紹介するのは度胸が要る事なのだ。まずは上がってしまう。声が上ずる、曲名は忘れる・・それが初めての経験ともなると、たいがいは散々な事に成る。
しかし、彼女は何年も前からやっているかのように手際よくこなしてくれた。
左が大トリ(最後)の演奏をした我々のバンドの時の司会者(クラスメート)、右が我々の前に演奏した1学年先輩たちの演奏時の司会者(〃)。
人気者の彼女に衣装早替わりで頑張ってもらったが大好評だった。ちなみに左の画像で後姿は筆者。
こうして着々と本番への準備が進み、いよいよ文化祭2日目の我々のステージが始まるのだった。この辺りは芦原すなお原作の映画「青春デンデケデケデケ」とほぼ同じだろう。今を時めく浅野忠信なども出ている結構良い映画だ。ただ我々の選曲には、まちがっても原作に出てくるような三田明の「美しい十代」は無かったが・・・。