八代二中の同級生はもちろん全員「団塊世代」だ。それぞれ様々な生き方をして今日を迎えている事だろう。その中で2001年に約40年ぶりで再会して以来14年間連絡を取りあっている1年11組のクラスメートが3名いる。
一人は私が毎月人吉にヤマセミの生態観察・撮影に行く際に必ず八代に立ち寄って食事をする二中時代の級長多武利明君だ。同じ「団塊世代」の人間として彼ほど波乱万丈な生き方をした者は知っている限り居ない。中学2年生の時に一人で上京して世田谷の中学校に転校した時の同級生に小説のネタになりそうな生き方をしてきた女性が居るが、多武君の半生は彼女と双璧を成すだろう。
多武君はやはり熊本市内の進学校を経て、神奈川県内の大学に進んだ。ちょうど私も専門学校を途中で放り投げて横浜の大学に在籍したので、1970年頃横浜の街中で何度もすれ違っていておかしくない奇妙な縁でもある。その後某実力政治家の秘書を務め、政治の世界の裏側で苦労に苦労を重ね、一般の人間とは比べものにならない地獄の辛さ、プレッシャーを視て味わいながら生きてきた、当然価値観も普通とは異なるものを持っている。
今日の話の中心はこの「団塊世代の価値観」について少し述べてみようと思う。何故かというと「団塊世代」が他の世代と少し違うとすれば、まさにこの価値観という部分について一番異なっているだろうと確信するからだ。
私は以前からこの「団塊世代」の価値観が他世代といささか違うという原因はその同期の数の多さに在るとみている。その数の多さが他の世代より遥かに激しい競争に揉まれ鍛えられるという環境を生み出した。その結果「団塊の世代」の価値観の根幹に生じたのが「優越感」という摩訶不思議な感情だと思うのだ。
この「優越感」という感情は人間だれしも持ってはいる。人より出世をしたい、人よりゴルフのハンデを上げたい、パチンコで隣の人より玉を多く出したい、人より長生きしたい・・・いろいろ有るだろう。決して悪い事ではない。動物としての人類の向上心の要素の一つがこの「優越感」を得ようとする為に生ずるのも間違いなかろうと思う。
チンパンジーだって他の仲間より大きなバナナを得ると喜ぶという事は知られているし、ヤマセミだって大きな餌をゲットした時はこちらに向かって得意げな姿を見せつける(気のせいかもしれないが画像を視る限りそうとしか思えない)。
で、この優越感と得るという為の努力・競争に勝つ、勝ち抜くいというプロセスにおいて数が多い「団塊世代」は他世代とは比べものにならない激しい闘いをしなければならなかったのだ。マラソンだって1000人の中で一番を獲るより3000人の中で一番を獲る事の方が遥かに難しかろう、それと同じだ。
しかも周りの競争相手がほぼ全員自分たちの置かれた環境を親や先生たちからすり込まれて理解し同じような気持ちで事に当たっているのだから始末に負えない。逆に言えばそういう環境下でしのぎを削った同じ釜の飯を食った仲間としての意識が「団塊世代」の団結力・仲間意識の強さになって表れているのだろう。還暦を過ぎてのクラス会や同期会における会場関係者たちの話として「団塊世代さんの会合は他世代とは一味違う」と言われる所以はこの辺に在るのだと思える。
実はこの「団塊世代」の優越感に対する執着心が世の中に貢献した事が随分ある事をご紹介したい。
高度成長の頃中心に日本の消費経済を押し上げた要因の一つに「団塊世代」のブーム造りが在ったのは否めない。私が世の中に出て最初に勤めた青山のVANヂャケット、そうあの石津謙介社長が始めたアイビーのVANだ。そのVANの中心的消費者群が「団塊世代」であったことは紛れもない事実。私が入社した1973年の新入社員は何と数百名、しかもその年の大学生(文系)の選ぶ日本の人気企業NO.1になっている。前年まではトップ20位にすら入っていなかった青山のファッションメーカーがトップクラス常連だった東京海上や日本航空、SONYなどを押しのけての1位になった。
この事実からも判るとおり1963年頃から流行り始めたIVYブームが大きく経済的なボリュームで経済に影響を与えたのは団塊世代が消費者の中心になった1970年頃だった。
VANの販促で使っていた通常ノベルティの残りをいまだ持っているというこの執念深さ。
VAN入社初年度の1973年は臨時ボーナスが3度ほど出たのを覚えている。臨時ボーナスと言えば米国のロックバンド・ヴェンチャーズが日本へもたらした空前の「エレキブーム」で売れに売れた国内のエレキギター・メーカー「テスコ」がボーナス23ヶ月分を出し騒がれたのもこの頃だった。
つまり、アイビーファッションで衣料が売れる、エレキギターが売れる、ギターアンプが売れる、洋楽レコードが売れる、外タレ(今や死語だが)の公演コンサートが頻繁に始まる・・・これは皆団塊世代がキッカケを造り・マスで消費に繋げたのは間違いない。
Yahoo フリー画像より、ベンチャーズ。真ん中の二人ボブ・ボーグルとメル・テイラーは既に故人。広告代理店時代1997年の長野オリンピック・プレ大会男子滑降のテーマソングを彼らに頼んだのが思い出深い仕事。1990年石垣島での海開きマンタピアのライブでも一緒。
話はさかのぼるが、自分でも日本のグループサウンド・ブームが来る2年ほど前高校生時代にエレキバンドを結成、学校の文化祭でライブ演奏を行っている。これなどもある意味同期の仲間がやらない事を先にやろうという「優越感」を感じたいが為という気持ちがメンバー達に在ったのかもしれない。
勿論当時はそんな事は自分達自身微塵も感じていなかっただろうが。アンプは自作の真空管アンプ、7189ppで出力32Wだった。スピーカーは横田の米軍放出品を中古で購入エレキギター以外は全て手造りだった。国鉄の電車の中を学校まで運んだのを今でも覚えている。
広尾高校文化祭でのステージ画像、2年F組のバンド。曲目はThis boy(インストルメンタル)、All my loving, Because(Dave clark five), And I love her,Twist & shout.
カッコいい、目立とうとする向上心のその根幹に在るのが「優越感」である事はもうお判りだろう?団塊世代の若者がこぞって他人に負けずにトラッド・アイビーファッションで実を固め彼女を得よう、デートしよう、モテようと努力する。
かっこいいエレキを買って練習してバンドをはじめよう、更に上手くなってコンテストに出て優勝しよう!これらの動きの頂点がフジテレビで始まった「勝ち抜きエレキ合戦」だ、この審査員にVANの石津謙介社長が一時出ていた事も、まさにこれらの事実を裏付けているではないか?
この「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝した英国のThe Shadowsのコピーバンドだったザ・サべージがプロになり「いつまでも、いつまでも」のヒットを出し、そのメンバーの一人がかの名優宇野重吉の息子寺尾聰である事は団塊世代であれば誰もが知っている事だ。勿論、寺尾聰も1947年生まれの団塊世代だ。
勝ち抜きエレキ合戦 フジテレビ Yahoo free画像
未だに持っている数少ない邦楽のシングル盤
エレキギターやアイビーファッションばかりではない。アイビーファッションで決めたら次は髪型だ、もう髪型の話には当の昔に縁が無くなってしまった御仁も居ようが当時を思い出しながら我慢して欲しい。V05で有名なヴァイタリス、MG5などのリキッド系整髪料がデビューし大ヒットしたのもこの団塊世代がターゲットだった。それまでは柳屋のポマード、丹頂ヘアーチックなどのグリース系・固形の整髪料しかなかった。
バイタリスと今だに使っているMG5
つまり、1964年東京オリンピック開催時に高校1~2年、中学3年生だった団塊世代が替えた世の中の動き、ブームと言われる社会現象の源に居たのは間違いない。平凡出版から「平凡パンチ」が出てこの団塊世代相手に女性のヌード折込を掲載したのが大ヒットになったのも団塊世代が色気づく高校生になる1964年頃の話。
この「優越感」を追い求める向上心の動きが、その後のスキーブーム、サーフィンブーム、テニスブーム、オーディオブーム、ディスカバージャパン国内旅行ブームに繋がって行く。これらはすべて「他人より上手くなりたい、他人より良いブランド品の用具を持ちたい、他人よりより高級なマランツやマッキントッシュのステレオ装置を買いたい・あるいは自作の音質の良い真空管アンプを造りたい、知識を得たい・・・。」がエネルギーになっている。
たとえばスキーブーム。団塊世代の仲間が集まって「今度スキーに行こうぜ!」となると自慢話が始まる。「スキーなら俺は1級だぜ、準指(準指導者の事)を目指しているよ、俺の板はロッシ(三井物産スポーツが輸入元のフランス製ロシニョールの事)のSMコンペ(※決して厭らしい事を指す訳ではない、スラロームの意味)だもん」などと自慢話に花が咲いた。スキー板もストラーダだC4だとかプロ仕様の髙価なブランド板を自慢し合ったものだ。これが極限に達するとスキー場に行く夜行列車で網棚に板を吊るす際、スキー袋ケースに入れず、これ見よがしにブランド名が見えるように板を裸で吊るしたりした。
しかもその板のテール部分に傷が少ない事でその持ち主のスキーの技量レベルを推し量ったりしたものだ。今思えば何と厭らしい争いかとも思えるがこれがまさに「優越感」というもののエネルギーの原点だったのだ。信じられないかもしれないが当時はこのスキー板の表面の張り替えサービスまで存在した。滑りに関係のある滑走面ではなく、単なるデザイン表面の張り替えと云うのだから何をか言わんや・・だ。
苗場プリンススキーのブログに出ているらしい、1985年頃のスキーデザイン フリー画像
皆の前でバッジテスト1級だと嘘をついてまで自慢してしまった挙句 、一緒に行けば直ぐに嘘がバレてしまう。慌てて隠れ特訓をして実際に1級になった友人を知っている、断っておくが決して私ではない。滑れば滑ったで「今シーズンはまだ1度しか転倒していないぞ!」などと自慢したりする競争・競争の時代だった。
このスキースクールやテニススクールがまた一つの産業になりスポーツ界の発展と構造拡大に寄与している。仲間より上手くなりたい、上手くなったことを自慢したい、これらは人数が多いからこその競争心から生み出された優越感獲得の為のエネルギーだろう。スキースクール、テニススクール、ゴルフレッスン、ゴルフ練習場などはこれら「優越感」を得たいが為の人間の向上心あればこそ潤った産業だったと言って良い。
当時、平凡出版だった今のマガジンハウス社から1977年に創刊された雑誌「ポパイ」にSURF BOY、SKY BOY,TENNIS BOYという別冊が有る。いずれもコレクターアイテムになって高値の古本になっているがこれらも団塊世代が生んだブームの一つの証だろう。SURF BOY、SKY BOY共に発行が1979年だから団塊世代は30~32歳、まさに東京ラブストーリーに代表されるトレンディドラマの出演者と同じ年齢時代だ。
2冊とも神田の古本屋街で格安で購入
仕事以外のアフターファイブに何をするかにおいても団塊世代は独自の世界を創り出したのだ。勿論自分で楽しむのが第一義的なものだが、それをやる事、やっている事で異性にモテようという目論見が有るのは当たり前の事だ。車の屋根にサーフボードを乗せて・・・というよりボルト付していたアホも居たらしいが、海に行かず原宿界隈を流してガールハント(これも死語か?)あるいはナンパする輩がいたのもこの頃の話だ。
上村一夫の「同棲時代」という漫画(当時はアニメと言わない)に代表されるような男女の新しい関係も団塊世代が中心に成した大きなエポックメーキングだ。それまでタブーとされ、勿論存在はしていただろうが表には決して出さなかった結婚前の男女関係を、平気で表に出して市民権を得、むしろそれが新しい生き方として「当たり前・普通の事」までにしてしまった。
メディア・マスコミの団塊世代以外の編集者が「団塊世代」を一つの定義づけをしたがるのは判らないでもないが、我々団塊世代はそんな一言で定義づけられるほど薄っぺらな生き方をしてきたつもりはない。一番人数の多い世代を一纏めにしようとなど思う事自体が無謀だと気が付かない今のマディア・マスコミの編集者たちの浅はかさ、不勉強が逆に際立ってしまい可哀相な気もするが如何だろう。
この項続く。