2024年2月11日日曜日

団塊世代は94歳になる中学校の恩師に再び大切な事を学んだ。 The baby boomer I generation once again learned something important from their 94-year-old junior high school teacher.

  筆者1962年(=昭和37年)4月単身東京へ出て親類宅へ下宿し、世田谷区立奥沢中学校へ転校編入した際の恩師に昨日久しぶりにお逢いした。

 東京生まれながら小学校1年生の夏休み以降多感?な時期を九州という一種独特な文化風俗を持った土地で育った筆者にとって、当時の東京山の手の中学校生活は毎日がバラ色で刺激的な中学校時代だった。

 その頃英語に関して特別授業を受け持ってくださった女先生が94歳、元気でご存命なのだ。今日の話は相当プライベートな内容になる。興味のない人は外へ出て遊んでらっしゃい。

 当時の中学校は学年が替わるごとにシャッフルされ、新しいクラスメートと1年間を暮らすことになっていたため、卒業後はクラス会というものがなく同期会という形で数年おきに会合してきた。当時同期の6組のメンバーが一堂に集うのが「お約束」に成っている。

 世田谷区立奥沢中学校は一種の受験校だったため、カリキュラムが選抜クラス編成の科目もあり不規則で教員が足りなかったのだろう。講師として赴任され全6クラスを担当されたわけではないが、筆者は間違いも無くこの女先生の授業を受けた。

 健康的に日焼けした顔色をされていたので「インドネシア」という仇名を付けたくらいだから、相当授業も面白かったのだと思う。


 で、昨日2009年開催の同期会以来15年振りにその先生とお逢いした。町田市郊外のご自宅へ同期会メンバー6名でお邪魔して昔話に花を咲かせた。

 その時、娘さんと息子さんが同席下さり、われらが先生が「子どもの頃の想い出」という画集とも想い出帳ともいえる絵と文をまとめた小冊子を見せて下さった。

15年前の同期会においでいただいた際の写真を何度も何度も観てくださった。

 これを観て筆者はしばらく固まってしまった。

 齢94歳になる方が、いつ頃描かれたのか分からないが、自分の子供の頃の思い出を絵と文にして子供に残す・・、なおかつ子供たちがそれを小冊子にまとめる。素晴らしい!

 筆者も自分の子供たちに「お前たちの父親はこんなに面白い時代を経て育ったのだ!」と面白話を残そうと、このブログで「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」を連載し、なおかつそれを一冊の本にDTPでまとめ自費出版した。

 結局やっている事は同じベクトルではないか?

 この小冊子をじっくり読んで昨日は夜寝るのが相当遅くなってしまった。驚くこと限りがない。なんと先生が育ったのが東京府北多摩郡小金井村貫井新田、それって今の小金井市。

 当時の区分地図で見たら、なんと我家(三鷹市)がその東端に接しているではないか!

地図の右下の赤い丸が我が家。画面中央の小金井駅右下が小金井第一小学校

なおかつ先生の通った小金井小学校は現在の小金井市立第一小学校(明治7年~)という由緒ある小学校なのだ。

先生が6年間通った小学校を想い出しながら描かれた絵

ネットで調べたら昭和16年のgoo古地図サイトで空中撮影画像が出てきた。

中央下が現在94歳の恩師が通った小学校、写真は昭和16~7年当時。

 これ以外にも、当時の生活を示す絵で埋め尽くされたこの小冊子、非常に貴重なものだろうと思う。単純に撮った野鳥の写真を写真集にしたものとはまるで次元が違う。

 読んでいて驚いたのが、「黒マントの小父さん」・・という項。

 学校の行きかえりに小川の縁で佇む青白い顔をした小父さん。だいぶ経って聞いたらなんと太宰治だっという。

 さらには人力車や三両連結の中央線の電車が出てくる。

画家でもあった父親を送り迎えする人力車と車夫の話

 まだ三両連結だった中央線、明治39年国有化、大正7年電化(吉祥寺ー立川間)鉄道好きの筆者はこの絵が一番好きだ。絵としても非常に素晴らしいと思う。先生、職業間違えたんじゃないかと思うほど・・。

 いずれも素晴らしい記憶力と描写力で描かれている歴史的価値も大きい様な気がする。英語の先生だったのに、間違いなく美術の教師も兼任出来たと思う。

 こうして昨夜はいろいろ思うに・・、

 現代社会はネットその他の情報を容易く得られ、ライブで音楽会、舞台、伝統芸術、祭りなどを体験でき、世界中の食べ物を最高のあるいはメディアで人気が出て有名なレストランで食べる事が出来るが、全てこれってお金に余裕があれば誰にでも出来る「消費生活」ではないか?

 情報を得て知恵がついても、美味しいもの食べて満足しても、素晴らしいパフォーマンスを観て感動しても、すべてはお金を出して自分が得るだけのモノだろう?
 
 では、その得たもの、身についたものを自分は何に転化し、何を生み出しているのだろう?ほとんどの現代人は自分の知識と感性がリッチに成るだけ、批評・評論能力が増しただけで終わってしまうのではないだろうか?

 ほとんどの人たちは子供たちに何も(不動産とかお金とかではなく)残さず、自分が得た知識と感性を活用することもなく死んでいくのだ。そういった点で昨日お会いできたファミリー・親子は素晴らしいと思った。親のクリエイトしたモノを具体的な物にして残す。思うだけで、なかなか出来る事ではない。

 94歳にして素晴らしい記憶力でクリエイトした「子どもの頃の想い出」、果たしてどれだけの人がこれを実践できるだろう?

 昨夜はいろいろ考えてしまった。