2020年7月28日火曜日

神田神保町で人気の老舗寿司「六法」がコロナ禍で店をたたむかも知れない。The long-established sushi "Roppoh" in Kanda Jimbocho may close the store by Coronavirus damage.

 このところ、梅雨の豪雨で熊本県の球磨川流域が大災害、それも熊本地震を凌ぐ大災害となり、深く関係のある筆者のこのブログも残念ながらそれに関する内容ばかりが続いてしまった。

 ところがここへ来て、もう半年も慣れっこになって「仕方がない避けられない環境」と思い込み始めている「新型コロナウイルス禍」の影響が自分の生活環境に深く影響を与え始めている事実を昨日知った。

 神田神保町の一本裏路地に1971年(=昭和46)創業の人気老舗寿司屋「六法」が在る。カウンター13席しかない極めて小さなお寿司屋さんだ。かって新型コロナウイルスがはびこる前、今年の1月頃までは店の入り口には価格表もなければ営業時間表示などもなかった。お昼は十二時きっかりにしか暖簾を出さないし、握りはお箸を出さず、白木の一枚板のカウンターに並べられた握りを手でつまんで食べるという極めて江戸寿司の伝統を守り続けているお店だ。
レトロ喫茶「さぼうる」の左隣だ。六法寿司を食べて隣で珈琲が神田のお決まり。

 筆者がこの店の存在を知ったのは1984年2月の事。銀座の広告代理店から神田錦町の大手広告代理店へ転職して2か月が経つかどうかという頃、ある会議でお昼に店屋物のちらし寿司が届いた。出席者に対し多めに注文したのだろう、4個余った。

 で、余ったものを若手で食べて欲しいという話になり、寿司に目の無い筆者が余計に2個頂いた。つまり計3個のちらし寿司を平らげた訳だ。当時ウインドサーフィンにはまって週末は海でカッ飛んでいた35歳、それくらいは普通だった。

 当時の食欲はビョーキに近く、神田満留賀の釜飯は2個、銀座ひょうたん屋の鰻重は超大盛が当たり前という大食漢だった。エンゲル係数は極限まで達していた頃だ。今でも1.5人前を食べる。71歳の爺には多すぎると思うが美味しいものは死んでも食べたい。
一番好きな席がカウンターの中を見渡せる此処。包丁さばきなどを随分学んだ。今日は時間の関係で光物が無いが、大将は必ず好みの小肌中心に黙って光物や貝を入れてくれる。三十六年通っている特権だろうか?

 で、その3杯のちらし寿司(バラチラシ)の美味しさの衝撃が、今まで36年間筆者がこの「六法寿司」のファンであり続ける理由だ。理由は当たり前のことながら毎朝築地から直仕入れのネタの素晴らしさ、赤酢を使ったしゃりの美味しさに尽きる。

 大好物の小肌は有明海、赤貝は何処、塩いくらはカナダのそこそこに居る日本人の誰誰さんの仕込み品、サバは館山の根付き黄金サバ・・など、いちいち説明をくれる。15年ほど前から、食べ終わり頃三種類ほど築地で仕入れてきた漬物を出してくれる。女性陣に贔屓が多い理由だろうか?大将に言わせると女性陣の方が圧倒的に「味覚」が発達しているから、女性を大好きなこの私も、それが客となると気を抜けないという。

 ’80年代、行き始めの頃はカウンターに三人並んでご兄弟で握っていたが、一人は何と画家になってそちらを極めるようになったという。今はご兄弟二人でカウンターに立っているがだいぶ腰が曲がってきた。来年、今の代が五十周年を迎えるというのだから当たり前だろう。それぞれご兄弟には二代目が立派に育って居て、毎日後ろで仕込みやサポートをやっているが、彼らが当の昔に一人前に成っている事はなじみの客全員がよーく知っている。
13席のカウンターのみの寿司屋で4名がフル稼働という本来は大人気店なのだ。

 今回のコロナ禍で6月一杯まで「何とか宣言」を守って長い事昼の持ち帰り営業のみで、店を閉めていたが、6月28日から店営業を再開した。この間二度ほど持ち帰りを利用したが飲食店におけるコロナの影響をまざまざと見た気がした。メディアも酒中心の飲み屋の嘆きばかり報道するが、こういった老舗の方が実際は影響が強いのだ。メディアもいい加減だ。

 7月も終盤に入って昨日やっと九段下で打ち合わせがあったので、久々にお昼の一番客で行ってみたら、店内がもの凄い素晴らしい事になっていた。

 入り口で消毒するのは何処とも一緒だが、十三名のカウンター席をすべて大きな綺麗な布カーテンで仕切ってあるのだ。思わず「これは凄い!」と声を上げてしまった。「一体誰のアイディア?これは外人さん喜ぶわ!」といつもの大将に訊いたら顎でしゃくって「これ」というだけだったが、相棒のご兄弟かもしれないし息子さんの一人かも知れない。しかし、その滝のように流れる布の仕切りには圧倒されてしまった。



 夫婦など二人で来た客は、その仕切りを上にはね上げれば済むのだから簡単だ。

 感心して色々話を聞いたら、新型コロナウイルス禍による客の激減は信じられない程だという。小さな声で「いつまでやれるか判らない」という。三十六年通っているので筆者も古株の方だそうだ。名刺をくれという、いざとなったら連絡するからというではないか。これは軽い話ではない。

 筆者が年中人吉へ行っている事は10年前から大将も良く知っているので、今は人吉も東京も一大事だよ、年貢の納め時かなぁ?などと遠い目をするので、「ちょっと待て!早まるな!」とは言ってみたものの、出来る事といえばもっと頻繁にいくことと、この窮状をSNSで拡散する事くらいなのだ、贔屓の客としては。
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000608/

 ・・・という事で、今日のブログに成っている。もしよかったら今日にでも行ってあげて欲しい、いつものより一ランク上のランチを注文してあげると喜ぶと思う。