この菅官房長官、女性の扱いがまことに苦手で下手な様だ。東京新聞の女性記者にやり込められ壇上で恥をかかされたことを根に持ち、その後意地悪を繰り返したという。今回の小池百合子東京都知事との件もその同列線上だろう。
小池百合子の、というより筆者も住んでいる東京を「危険だからキャンペーンから外す!」というのであれば、絶好のチャンスだから取って返す刀で「そうですね、当然だと思います、だから来年の東京オリンピック開催も出来るわけありませんね?今この場で返上いたします!」とやれば良いのだ。誰もが納得する絶好のチャンスだろう?
男と女は外観見てくれはもちろん、脳の中身はもっと違う別の生き物だという事を知らないのだろう。かの故ホーキンス博士によると「多分、人間の女性種より宇宙人の方がコミュニケーションしやすいと思う、もし居たらの話だが・・。」との事だもの。
人権など社会評価を平等にするという事とは別の次元で、別の生き物なのだからそれなりに癖を知り慣れなければ、一緒に何かをやっていけないことくらい判りそうなものだ。既に体験的にも女性の方が余計な記憶力や会話の受け答えにおける頭の回転が男より速い事は筆者も良く知っている。
菅氏は筆者と2日しか誕生日が違わない1948年12月6日だそうだ。いわば同じ団塊世代でも極めて生まれが近い御仁だが、育った環境もしくは周りにいた人間が随分違うのだろう。なんだかなぁ。
一方で、鹿児島南さつま市(=旧加世田市)の友から連絡が入った。宅配便の大きな中継所の所長だ。
人吉・球磨への支援物資の現地配達先での『受け取り拒否』が多発しているようだ。一瞬耳を疑ってしまった。
全国から善意の気持ちが入って送られた多くの支援物資が、発送者へ『受け取り拒否』という「冷たい宅配用語」で返送されてしまうのは、送った方はなんだか割り切れなくなってしまうのではないだろうか。
多分宅配先が物理的に受け取れない環境になってしまったのか、周りに分け配る手間も暇も、もちろん気持ちの余裕も無いのだろうとは思うが・・・。
これが、一人ではなく複数の人の気持ちが入っていた場合はなおさらだ。発送費などお金の問題ではないだろうと思うのだが。
所長嘆くに配達員が一番の被害者だという。発送者からは怒鳴られ、帰還した配達車から配達員がため息を漏らして事務所へ戻ることが増えたという。
自分が手伝った東日本大震災の時(知人友人が複数いた仙台地区へ2週間ボランティア応援に行った)には、それこそ全国から支援物資が山の様に届いたのだが、その仕分け現場でいろいろ経験させてもらった。個人あてに届いた支援物の余剰物資は「他の被災者の役に立てば」と10㎞以上離れた利府町のセンターへ持ち込まれていた。
仙台エリアは比較的内陸なので、あの駐機中の航空機まで流された仙台空港や沿岸津波地区の全壊市町村とは異なって、水に濡れてという被害は少なかった。
軍手、ゴム手袋、Tシャツ、タオル、水、乾電池など誰が使っても良い必需品から引き取り手がひっきりなしに物資配給所へ押し寄せてきていた。それでもそういう不用品同士の物々交換のような形で、相当な人々が相互助け合いであの当時生き延びたのだ。
今回、筆者も個人的に人吉球磨エリアの数軒の知り合い、世話に成った方々へ支援物資を送ったが、Amazonから送ったものは宣伝文句・配達日表示とは大きく違い、翌日に届くような表記をしておきながら2週間も掛かったり、酷いありさまだ。声を大きくして言う!Amazonの配達日表記は決して信じてはいけない、特に最近は翌日届くなどというのは真っ赤な嘘。
で、怒りを抑えて昨日の続き、在りし日の球磨川流域。
今日は球磨川左岸の人吉市大柿地区。この3月最後に人吉へ行った際の画像から。このエリアはニンニク畑など人吉産の特徴ある野菜を栽培していた所だ。ヤマセミに関しても最近・この春は地元のパイオニア的存在の方がほぼ毎朝巡回して天狗橋~渡阿蘇神社周辺を観察して回られたエリアだ。天狗橋(鉄骨トラス橋)、沖鶴橋(コンクリート橋)、相良橋(鉄骨トラス橋)が今回の洪水で流れてしまった事を思うと残念だ。もうこの先3~4年は以前の様な背景では観察も撮影も出来ないだろう。
多分こういった風情のある旧家屋は軒並み流れたか倒壊しただろう。
最後の人吉行きで災害直前の人吉の原風景が撮れていたのは良かった。遠くに見えるのは今回の洪水で流れてしまった人気の高かった天狗橋。
此のエリアは本来球磨川が真っすぐ流れていたものが少し蛇行している部分に当たる。今回の様に水量が多い場合真っすぐ流れてしまったのだろう。
http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/activity/kaisaisiryo/20180220shiryou2.pdf
国交省の治水計画の書類があるが、今回の水害はこのレベルの治水事業・対策では相手に成らない程の想定外規模だったという事だろう。
もちろん新たに上流部にダムがあっても何の意味も無かったろう、繰り返すが当日朝8時30分に放水を予告(結果的に奇跡的に少雨になり中止)した市房ダムのお陰で余計な犠牲が生まれかねなかったことを忘れてはいけない。
これにもし川辺川ダムが出来てしまっていて同じような状態だったら悲劇は二乗的に増えていたことだろう。
更にはコンクリの基礎がずれて崩壊寸前だった瀬戸石ダム(なぜか報道が少ない)が壊れていたら、下流部の八代市で甚大な水害に成っていたに違いない。その上、大体において今回降った水量はダムの上流より下流部の方が遥かに多いのだから、球磨川治水に関する検討は事実を元に極めて専門的な精査が必要だろうと思うが如何だろう?
まだ続く。