新型コロナでは「外へ出ちゃダメ!」「この暑さでランニングなんて気でも狂ったの?」・・・いろいろ言われながら極めてマイペースで毎日健康に居られるのも有難い事だ。一人欠け、二人欠け逝く仲の良い友を想う日々「浦島太郎」に段々近づいている自分に気が付く今日この頃。
すこし、新型コロナウイルス禍、も球磨川水害も頭から一時的に離して、自分の終の棲家・部屋の話。断捨離・終活で残すべき物の判断話などをしてみたい。
外へ出ちゃダメというが、コロナウイルスに感染しているほとんどが室内だという事実をどう考えるのだ?一般メディアのいう事は嘘ばかり。このネット記事は目からうろこだった。必読だと思うので此処でご紹介しておきたい。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202007skkm30001
コロナの話は今日は此処まで。
このブログを始めたのが筆者65歳の誕生日を迎える前、2013年5月だから64歳だった・・・と思う。わが父が56歳で病死した際、子はほぼ親の歳で死ぬ確率が高いと言われていたので、当時28歳だった筆者は「自分の人生はあと半分だろう」と覚悟したのを良く覚えている。それが、もし今年の12月まで生きていれば72歳になるので、親より16歳も長生きする事になる。
ヤマセミ中心に観察を始めて野鳥ブログとしてこれを始めたのだが、今や何というか公開日記のような感じになってしまっている。「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と称して、1948年(=昭和23年)の生い立ちから、青山のVANに就職し社会人になるまでの経緯やドジ話をまとめられたのもこのブログを始めた「おまけ」だ。小中学校時代「国語」の成績が芳しくなかった筆者にしては良く書けたと思う。筆記用具を使用しないで済んだのが良かったに違いない。未だに漢字の書き取りは苦手だ。あと10年もすれば少しは良くなると期待はしているが・・。
「終(つい)の棲家」とは良く言ったもので、今更ワーケーション(work+Vacation造語)などといういい加減な事も出来ない団塊世代にはマイホーム=マイ・ワークスペースしかない。余談だが随分前数人とワーケーションの話をしたら全員の答えが「無理っ!」
理由は簡単、そんなバケーションエリアに行ったら朝から晩まで遊び呆けてしまうに決まっていると全員が自覚しているからだった。
で、70歳も越えると身の回りに自分の年輪に合わせて色々な記録物、記念物が積み上がっているものだ。そんなもの一切ないとモノに執着しないと威張る輩は大した生き方をしてきていないんだと思う。「全部パソコンの中にデータで入っている!」と豪語する者もいるが、そんなの人生そのものがヴァーチャルな奴だから「今そのモノもヴァーチャルなんだろう?」とバカにされている。やはり過去の記録は「リアル」で残るものも多いはずだ。写真や動画くらいはスキャンしてデータとして残しているが・・・。
何を言いたいかというと、70歳を超える団塊世代にとってはマイスペースのほとんどが収納スペースに成らざるを得ないと言いたいのだ。
ゴミ屋敷のほとんどの住人が高齢者であることはこれを裏付けている。つまり、終の棲家も手狭になると、泣く泣く「モノを手放す」羽目に成る。
そこで、自分の空間を如何に整理整頓するかを筆者の例でご紹介してみたい。部屋は10畳間ほどの広さに出窓、梯子で上がるロフト(=天窓付きの屋根裏寝床+収納スペースにしている)だが、パソコン空間だけ出っ張りを設計して有効利用している。これが注文住宅の強みだったろうか。
今日のご紹介は基本的な収納に関する部分のご紹介。
このBOXは洋雑誌「Home Office Planner」でヒントを得たもの。
収納に関してはこれ以外、息子(独立して国分寺在住)が居た部屋を倉庫代わりにしている。これ以外物置(自作)に段ボール箱などに大物が収納中。
左手前のジュラルミンケースは出張でハワイを40往復したツワモノ。
これは18年前のパソコンコーナーで、今は液晶24インチ2面マルチで駆動中。椅子は18世紀のスコットランド貴族のダイニングテーブルの椅子。硬いので長時間の作業に最適。椅子と自転車のサドルは硬い方が良い。
普通の人の家に無いのがこれらのレコードコレクションと大きなスピーカーボックス。床が抜けないかと心配している。
パソコンコーナーの上部はロフトにしてベッド代わりの寝床にしている。70歳を越えて毎晩寝る際に梯子段を乗降する者もあまりいないとは思うが・・。