しかし、今日1日、日本では球磨川の大洪水ニュースでTV点けっぱなしの家庭も多かったのではないだろうか?メディアから流れ出る、球磨川、球磨村、人吉市、八代市のアナウンスは終日耳から離れなかった。
いつも朝6時前にはその朝の熊日新聞の情報クリッピングを送ってくださる方のパソコンEメールが来ていない。さては増水洪水で新聞配達が配達出来ないほどの状態なのだろうと思ったら、そうではなかった。後で電話で伺ったら新聞配達は来たと!しかし我が家が球磨川の増水で危なかったので、避難所へ行こうと思ったらそこへの道が冠水で行けない!そこで、ご夫婦それぞれが車で高台へ避難したという。
途中、既に道路冠水箇所があり、ご夫婦別の高台へ避難されたという。家はどうなったかまるで判らないとの事だ。現場の生々しい情報を電話で伺うと現実と報道の差はこれだけ大きいのだとマスメディア報道と現場の出来事との時差が理解できた。
朝7~9時の間に、人吉や八代在住の知人には殆ど携帯電話で連絡が付き、その無事を確認していたが、追いかけるように洪水の被害が報道されるにつれ大変心配になった。
コロナウイルス禍で今年のヤマセミ繁殖期は人吉行きを涙を呑んで中止していたが、事洪水となれば命にも生活にも関わる大事(おおごと)だ。
人吉の知り合いには高齢者も多いので、洪水の後片づけの加勢にすっ飛んでいきたいのだが、70過ぎの団塊爺が勢いだけで加勢に行っても逆効果・迷惑だとも思うし、これだけの災害だ、人間マンパワーが一人増えたくらいではどうにもなるモノでもなし、それなりの片づけ、再建のプロの手を借りた方が速いと判断し、車でいきなり無鉄砲に九州へ向けてハンドルを取るのを止めた。
高校生時代1965年(昭和40年頃)、東京からの帰省時に(自分は単身上京中で家族は八代市に住んでいた)偶然台風と大雨の影響で床上浸水の被害を二度も経験し、洪水の恐怖と後始末の大変さはしっかりと覚えている。
十条製紙の社宅の木の塀が音もなく皆倒れ、濁った氾濫水の増水の速さ、電気の危なさ、水が引く速度など経験値は大きいのだが、人吉市にお住いの方々は過去においても最低数度の経験があるようで、昨年の信州の大洪水の時ニュース報道にあった被災者ほどの恐怖の表情や嘆きは今回感じられなかった。
インタビューに笑顔が見られるほどで、皆さん覚悟と経験が相当しっかりしているのだろう人吉球磨エリアの熊本県人は。きっと県内の他のエリアの人々より復興の力も強いのではないだろうか?
元々大雨や洪水と何百年も前から闘って生きてきた地区なので、これだけ2階までの床上浸水家屋が多いにもかかわらず、死者や負傷者の数が今のところ映像から見る被害の割に少ないのは、やはり自然と共存してきた場所だからなのだろう。
時系列的に今日を振り返ってみよう。参照画像は朝のTV朝日モーニングショーだったり毎日新聞のネット上での画像を拝借した。もう朝5時過ぎのテレビから洪水のニュースは流れていた。
此処までは今朝更新した当ブログで述べたとおりだ。その後雨がやみ、ダム放水が見直され中止になったことで少しほっとした。
此処から電話をかけまくり、8名と安否確認+お見舞いを完了。2時間後にさらに7名の安否確認とお見舞い。落ち着いたのは14時頃だった。
その後、いろいろ情報が入り球磨川本流に掛かる鉄の橋などが3つも損壊流失するなど、通常ではありえない水害の全容が判ってきた。特にJR肥薩線の球磨川第一橋梁(明治41年アメリカ製)が流失してしまったのは残念だ。鉄橋の赤いトラス構造部分は川の中に在るようなので復興が可能かもしれない。
で、毎日新聞社が災害の様子を詳しく44枚で報道してくれているので、ヘリからの俯瞰s画像で現場の解説をしてみたい。過去10年以上さんざんレンタカーや徒歩で歩き回っている場所なので一発でその被害の大きさが見て取れた。人吉市民の皆さんへ最大限の復興エールを送りたい。
何処まで大きく見えるか不明だが解説を入れ込んでみた。
老舗旅館たから湯さんは大変ヤマセミ観察に関してお世話になっているので、何とか再建へ向けて協力をしたいと思う。
今朝の読売朝刊。あれだけの洪水で2人死亡とあるが、最終的には30名ほどになるのではないだろうか?人吉市の再興が気がかりだ。何とか応援する手立てを考えたい