2019年9月8日日曜日

団塊世代は再びスポーツに関するメディアの報道を憂える。The baby boomer is again worried about media reports on sports.

 ラグビーワールドカップ2019が4年ぶりに日本で開催される。数日前、前哨戦として4年前奇跡の勝利を奪った南アフリカとテストマッチを行ったが41対7で完敗した。当然だろうと思うし、本来の実力の差はその程度だと思う。
4年前の雪辱を果たそうと、フルメンバーで向かってきた南アフリカに敬意を表すると共に、その相手からワントライを奪った日本チームにも敬意を表したい。

大学生時代体育会系のサッカー部で11人(実質キーパー以外の10名)が45分ハーフをフルに走り回るサッカーをさんざんやってきた筆者は、15人で40分ハーフを何度もゲームの流れをストップ・中断しながら闘うラグビーをやったことが無く、随分と縁遠い種目なのだが、決して嫌いではない。
 英国の植民地時代のルールでメンバー資格や競技規則が出来上がっている特異な種目だとは思うが、何故か決して自分ではやろうと思わない。

 此のラグビーワールドカップ、4年前はメディアの事前報道もほとんどなく、英国ブライトンで行われている事すらほとんどの日本人は知らなかった。それが南アに勝った伝説の試合直後から、異常なほどの盛り上がりになった。碌にルールも知らないくせに、自分でやったこともないくせに、「なんたって今やラグビーでしょ?」などと、昔からのファンだったと自称するにわかファンが増えた。

 渋谷のスクランブル交差点ではないが、ハロウィーンだの何だのと、すぐに浮かれる日本人は、4年前当時品薄の日本代表のユニフォームを着て、自慢しながら歩き回ったりしたものだ。しかし、今年2019年の日本大会の直前になった今、その南アとの戦いの会場周辺や日本中に赤白の新バージョン・ユニフォームが形状周辺、街中に溢れ、誰が選手で、サポーターで、物販関係者なのか判らない状態になってしまった。

今までは経験者やその応援者など、ほんの一部の熱狂的ファンのスポーツだったラグビーが、たった一戦、世界トップに勝ったことでにわかファンが増え、一見日本の代表的なスポーツになってしまう恐ろしさ。これは皆メディアのなせる業だと言って良い。

 バスケットも同様、あらゆるメディアがNBA八村、渡辺を擁する日本が相当期待持てると前景気を煽ったくせに、1次リーグ全敗で次のステージに行けないと判った途端報道が消えた。反省もせず、煽った詫びもせず、何もなかったような顔をしてマスコミは何も報じなくなる。
日本のスポーツ報道メディア・マスコミはあまりに無責任で卑怯だと思う。

 韓国開催のU18の高校生メンバーによる野球の世界大会。韓国にも負けオーストラリアにも負け5位になった。甲子園大会が世界で一番レベルの高いアンダー18歳の野球の戦いだとあれだけ自負していた高校野球メディアや張本氏含めての野球解説者たち。
大会前には一体何と言っていた?スーパー高校生たちのチームに勝てる相手は居まい?とまで報じたくせに・・・。普段日本の高校野球が金属バットで公式戦を行っているのが問題なのではないのか?「なぜ日本の高校生が世界大会に行くとロクな成績を上げられないのか?」という部分をもっとメディア・マスコミは掘り下げて報道すべきではないのか?

 こういった中で、筆者が一番ストレスを感ずるスポーツ大会が「パラリンピック2020」だ。なんで全てオリンピックと同等に並列呼称で扱わなければいけないのだ?オリンピックの一部門として処理しないのだ。

 オリンピックに比べて、絶対的な参加国数や種目や競技者人口が少ないから、当然規模は比べ物にならない程なのだ、それなのに表記・呼称扱いをオリンピックと同じようにする必要があるだろうか?これは差別でも何でもなく事実を言っている。

 健常者に対して根本的に少ない心身障害者の割合(日本は7%以下)の中で、競技者になれる人口の極端な少なさを考えたとき「?マーク」が沢山つくのだ。

 是非間違わないでほしい。これは決して心身障害者を差別をしている訳ではない事をまずお断りしておく。軽度ではあるが、実は筆者も視覚障害を持っている、先天的なもので広島の原爆を受けDNAの一部を破壊された両親からの遺伝による強度の先天性弱視(レンズで視力矯正不可能)だ。
 息子にも遺伝している。片目が0.1以下(レンズで矯正不可)というレベルで言えば身体障碍者・視力障害者10級の1の条項に当てはまる。これが今見える方の眼(現在視力1.2)が見えなくなると5級の1の扱いになる。ある意味中~重度の障害となる。
 よく、メディアに出て来る身障者ではないのに身障者の本当の考え方・気持ちを慮ったつもりでいる「健常者の解説者や専門家」には、普段から決して良い気分ではないのも確かだ。

 最近オリンピックと同等呼称を推奨し始めたパラリンピックに出られる環境に居られる障害者のなんと少ない事か?ましてや競技参加者を育成しよう、そのために障害者を増やそうなどと声高に言えるか?キャンペーンを張れるか?このパラリンピックの陰に競技などとてもできない身障者たちがものすごい数地球上に居るというのに・・。

 世界データでみると障害者数の比率グラフには先進国しか出ていない。いずれもその国が戦場になっていない国ばかりだ。いずれも武器を生産し戦争当事国に売って利益を上げている国が多い。

 イラン、イラク、イスラエル、その他中東やアフリカ、南米など戦場を多く抱える国々の、これまた多くの障害者数は何故パラリンピックに出てこないの?
 
 地雷や空爆で手足を失った子供や若者が一体どれだけいるのだ?それを無視して戦場の無い西欧先進国の障害者たちだけで「名誉を争うオリンピックの真似事」をしている今のパラリンピックはどうしても賛成はもとより「応援」や「援助」の賛同はいたしかねる。

 片足や片手を失い、その日の糧にも苦労している多くの障害者たちをしり目に、ほんの一部の選手、それもいつも決まって優勝候に上げられるような出場常連たちの為のメダルだの開会式だの、華やかに繰り広げ、「障害者たに夢を与えているって…」本当か?

 本当に障害者が多い国々からの参加者が居ない大会で、パラリンピックのメダルを数多く取って誇れるのか?

 中でも片足義足のバネを付けて、そのバネで踏み切って記録を図る陸上競技など、筆者は全く認めない。何故健康な足の方で踏み切った記録じゃないのだ?これが一番不思議でしょうがない。そんなことしたら両足バネの義足の選手はそのうち義足の性能改良で8秒くらいで100mを走れよう?

 もともとパラリンピックの原点は戦場で傷ついて障害者になった傷病兵のリハビリテーションに在るという。それなら中近東で障害者になった者たちをもっと参加させられるものにすべきだろう?圧倒的に潜在競技人口が多いのだから。

 団塊世代の軽度の障害者は台風前の日曜日大いに考えるのだ。