2019年8月31日土曜日

団塊世代の世相分析・愚痴コラム、VOL.2  Baby boom generation's social analysis, grumble column, VOL.2

 1週間前、このブログで愚痴った韓国情勢が思わぬ方向へ進んでいる。先週筆者はこう述べた。
 「そもそも、昔から朝鮮という国の人間の考え方の根底には『恨=ハン=恨み』というものが根強くある。これは「自分が上手く行かない事、自分が不幸な事、自分が辛い事、自分が悲しい事などを全て他人のせいにする。」というように解釈できる。 
 しかも、その「恨」は一生続く。いつまでも言い続ける。だから何かに関して一旦和解したつもりでも「過去を水に流しての和解」ではない。また何かあればそれを持ちだす。ゴールポストを動かし続ける…と言われる理由はここにある。」

 これに同意を頂いたのかどうかは定かではないが、未だにこの日のアクセスがトップを続けている。

 そうしたら、2日前文在寅大統領の閣議の冒頭演説のニュースが流れた、「一度反省を言ったので反省は終わったとか、一度合意したからといって過去の問題が、すべて過ぎ去ったのだと終わらせることはできない」と述べ、一度の合意で歴史問題は解決しないとの考えを示した。


 まさにこれは、筆者が先週土曜日のこのブログで述べた「恨」の考え方そのままではないか。驚いてしまった。

 これでは、イスラム教圏アラブ諸国の常識と闘っていつも政治決着がつかない欧米のキリスト教圏の人々の「嘆き」と同じではないか。
 この「嘆き」とは、西欧諸国の人々がイスラム教圏の国や会社と「契約・約束・条約」をいくら書類を交わしても無かった事にされてしまう事を指している。

 西欧人から見れば約束を違えたり、守らなければ「話が違うではないか?嘘をつくな!」と怒って交渉するのだが、アラブ人達はこういうそうだ。「何?我々はウソなどついてない、約束をした後で新しい別の真実が生まれただけだ、その理由はアラーの神のみぞ知る事なのだ。」

 今回の日韓問題で、如何に国や地域で文化・常識の違いが大きいか思い知らされた。

 筆者が住んでいる東京は日本中、あるいは世界中から移住してきた人々と日夜接する為、人には色々な考え方がある事を実体験として思い知らされている。多くのトラブルの経験もある。
 同時に筆者は、30年間広告業界勤務で、業務上海外出張などで欧米からアジアに至るまで色々な国々に滞在した。国内においては勿論各県・地方を訪れた。未だに行っていない県は高知県だけだ。野鳥撮影含めて沖縄から北海道の果てまで旅をする現在は、更に知人友人も増え地域文化にも精通できるようになった。

 特にヤマセミの撮影でこの10年間に50回以上訪問した人吉市のある熊本県は、小中学校時代短かったが生活した八代市もあり、特に思い入れが強いのだ。ウッチャンが父親役でナレーションをしているNHK朝の連ドラ「なつぞら」は毎回欠かさず観ているし、全国育樹祭でご一緒した常田富士夫さんとも懇意にさせて頂いた。

 その熊本県在住のごく親しい友人から、15年以上前八代市の観光活性化を仕事としてお手伝いした頃、しみじみとぼやかれた言葉を今回思い出してしまった。思い返せば2007年の全国育樹祭の際にも実は常田さんから似たようなお話を伺っていたのだ。

 その彼が言うには「朝鮮に昔から近かった熊本県には朝鮮民族の『恨』の影響を受ける文化風俗が未だに残って居る」との事なのだ。筆者にはそれを聴いた当時、全く何の事だか判らなかった。彼の様に知識が無い自分は『恨』自体を知らなかっただけではなく、熊本県では他人を羨む、嫉む・・という風潮が他県より強いという事自体、自分的に実感が無かったのだ。

 しかし、「自分が上手く行かない事、自分が不幸な事、自分が辛い事、自分が悲しい事などを全て他人のせいにする。しかもそれはいつまでも繰り返し続く、過去を水に流す風潮が無い・・。」を実体験として理解できる事をその後今日に至っていくつか知ったのだ。

 2016年の熊本地震直後、当時属していた野鳥関連の団体熊本県支部のEメールグループで、地震2年前から毎日このブログの告知をしていた際、グループの中に被災者が居て「人が被災して辛い思いをしているのに、楽しそうな投稿を繰り返しやがって、止めろ!」というクレームを全員宛公開投稿されてしまった。一人へのクレームを皆が読める公開でこれ聞えよがしに投稿するあたりにメールマナーの無さや無知さ、同時に東京からきて参加しているよそ者に対しての排他的意図が感じられた。

 それゆえ、まともには反論もせず相手にもせず、ただ詫びてその後はメール上での告知を止めた。
 止めたらヤメタで今度は筆者のブログを楽しみにしてくださっていた多くの方々から「何で止めちゃうの?」という投稿が個人宛、公開部分で「ヤメロ!」とクレームした人への諫め投稿なども出て、軽い騒動になってしまった。

大きな地震の際の死者・被災者に本来一定の割合で比例する関連死の数が、他の大きな震災に比べ何故か桁違いに多いのも熊本地震だけの特徴だ。
関連死と言うモノは全体の死者数が多ければ多いとは限らないようだ。何故だろう?

 Eメール登録メンバー全員が視る事の出来る共通部分への告知は「今日はこういう内容」というたった一行のURLだけなのだ。(※クリックすればその日の投稿サイトに飛べるようにしてある)

 他のメンバーの話だと「俺が被災しているのに他所から来て楽しそうにしやがって・・。」という恨みを込めてのクレームは、熊本県人にはありがちな事だから気になさらないようにと慰められもした。
 しかし、熊本市、八代市、人吉市、葦北郡いずれにおいても自分の周りには人情篤い良い人ばかりで、それまで、そんな変な意地悪な人が一人もいなかったので驚いた次第。

 確かに野鳥撮影者の中には変わった人が多いのは良く知っている。しかしそれは全国どこでも同じだ、特に熊本県内に意地悪な者が多いという証拠はどこにもない。(※これはあくまで表向きの話)

 しかしだ、人の投稿が気になるなら、URLをクリックして内容を観なければ良いだけの話なのだ。いわばTVでお笑い番組をやるという新聞のTV番組欄を見て気に入らなければTVのスイッチを入れなければ良いだけの話だ。きっと余程他人に対して嫉み深い人だったのだろう。

 これも原因の一つで、よそ者の筆者が地元の方同士の争いの原因になってはと思い、暫くしてその野鳥団体の熊本県支部は脱退したのだが、50名を超える方々から慰留メールや電話を頂いた。

 この経験は、一人のクレームだけ見て全体を決めつけてはいけない…という事だった。後で判ったことながら、そのクレーマーは県外からその団体支部に参加させてもらった筆者への、排他的グループの一人だったという事だけの話なのだが、『恨』の原点が此処に在ったのかと今に成って気が付いた次第

 もう一件、別の事で「そうか!」とガッテンした事もあった。これは熊本県のメディアが報ずる「水俣病事件」の事。1956年水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)が流したメチル水銀による歴史上非常に大きな公害事件なのだが、これに伴う裁判その他の新聞記事が地元の新聞に非常に多いのだ。


 これは熊本地震に関しても同様。これは当該県なので当たり前ではあるが、『恨』さながらにいつまでも沢山長く続くのだ。この事はもちろん自分でそう感じたのは最近の事で、その友人から愚痴こぼしの話の中で出て来て知った事だった。

 過去の忌まわしい事件を忘れてはいけない、今後への教訓として脳裏に刻まなければいけないのはもちろんだ。
 合わせて、被害者救済・補償を迅速にしなければいけないのは勿論だが、水俣事件の場合、熊本県内でいつまでも異様にその報道露出が多い。この異様さは地元の一般の人々には慣れてしまって解らないだろう、当該県だし他の地域との比較上の問題だから・・。

 しかしそれをぼやいた友人は業務上観光関係の仕事をしている人間だった。観光活性化の仕事もしていた筆者には痛いほどそれが良く判った。新潟のイタイイタイ病や四日市の喘息公害、阪神淡路大震災などのメディア報道は其処まで長くネチネチとは続けない。特にコラムや社説では。事実の羅列や、地震で壊れた施設が復旧したり建て替えられたという前向きな情報は出て当然だろう。

 その友人曰く、いくら熊本の明るい・魅力情報を熊本県がメディアで県外・国外に発信しても、イメージが未だに「熊本県は水俣病」という負の遺産に引っ張られているというのだ。それは地元新聞のコラムや社説が「水俣病事件」を「あれから50年・・水俣病患者は今…」、など事あるごとに取り上げる事で全国に「熊本県には水俣病の影響・被害がまだたくさん残って居るのだ・・」と思われている事が明らかだという。実際そう思われてしまっている事実がここに在る。

 2003年に筆者が八代市の依頼で、八代市のイメージ調査を東京・名古屋・大阪・広島・北九州・福岡の6カ所で対面形式で行った。「八代市と聞いて何を最初に思い浮かべますか?」という設問だったが結果、トップは断トツで八代亜紀だった。これはある程度予想しては居たのだが、第2位になんと「公害」が出てきたのにはびっくりした。3位が「鶴」、鹿児島県出水市のツルを感違いしているのだ。この結果は残念ながらその友人の「悩み」の証明に成ってしまっている。
 熊本県の事であれば「水俣病=公害」のイメージが水俣市以外の八代市だろうが何処だろうが、未だに付いて回るという事なのだ。それ程メディア報道は水俣病と熊本県のイメージ定着に強い影響を与えているという事なのだろう。いわば風評被害の種を自らマイナス情報発信して撒いてしまっている典型なのだ。
地元熊日新聞と八代市が九州新幹線開通を記念して、観光活性化に関するタイアップ記事を20本連載した。筆者が執筆したので非常によく覚えている。まだくまモンも、クルーズ船も、特急かわせみやませみ号もなかった時代だ。

 県内の知識人や学識経験者(ほとんど実態はいい加減な場合が多いが)に、「水俣病を忘れず被害者に思いを寄せることはよか事、エラか」と褒められる事で担当者は満足だろう。しかし、その一方で全国の観光客からは「熊本県にはまだ水俣病の影響があるんだ」というマイナスの眼で見られていることにそろそろ気が付いても良い頃だと思う。

 今や新聞記事はネットで全国でリアルタイムで見られるし、ラジオは「らじこ」というアプリで日本中のFM放送・AM放送が聴ける。地元新聞に何を書こうが、遠くから来る観光客は知るまい・・・と思っているととんでもない事になる。現にこの筆者がそういう問題情報をブログで発信・拡散している。こんな野鳥の生態中心のブログでも1日あたり2~300アクセスは平均して頂いている。更に野鳥生態情報より、団塊世代の愚痴こぼし世相談義的内容の日の方がアクセスが多かったりする。ネット情報の伝達力は今やバカに出来なくなっていると思うが如何だろう?

 中国からのクルーズ船が八代港に来る刹那的なブームに甘んじて、根本的な熊本県全体の観光資源再開発、情報発信の整理をしないと10年後、贔屓の県がどうなっているかが気になる団塊世代の筆者だ。

 今日は週末なので観光活性化に知恵を絞っている我が親友の悩みと、それがこちらにもヒシヒシと伝わって来る『恨』文化の一つをご紹介してみた。

 たった今、これを打っている窓の外で初めて「クマゼミ」の鳴き声を聴いた!三鷹市にもとうとうクマゼミが現れたのだ!

2019年8月30日金曜日

真冬の道東エリアの野鳥ネイチャーフォトブックを編纂中なのだ。 I 'm just processing for publish the photo book of the wild-birds and nature around the east of Hokkaido in winter.

  色々な方々の協力と支援のお陰で、今まで印刷部数は別にして、10冊以上の写真集を自費出版出来ている。これは65歳に成った折、生きている間に10冊の本を作る!と思い立って以来の事だった。

 欲が深いのだろう、ヤマセミ関係の写真集を4冊、ヤマセミ以外の野鳥やフィールドの写真集を3冊、人からの依頼を含めて英国やフランスの旅行写真集を2冊、大変ユニークなスマホ画作家の作品集や早稲田大学理工学部研究室プロジェクトを2冊。ハワイでのウインドサーフィン国際大会運営の合間に撮った世界のトッププロのウエイブライディングの写真集など、既に全部で12冊にもなっている。

 印刷方法のデジタル化含めて、入稿をパソコン処理で出来るようになった時代の進み具合と時流に上手く乗れたお陰だろうと思う。勿論パソコンの師匠はじめ、良き友に恵まれている環境面の充実も見逃せない。

 ここ数日、現在編纂中の道東の自然と野鳥の写真集の候補の中から、いきなり勢いのある野鳥の画像ではなく、道東・根室界隈の自然環境などをご紹介してきたが、今日あたりからその実際の自然の佇まいをご紹介し始めようと思う。

 筆者はプロの写真家ではない。超高級のカメラを使って大仕掛けで撮影など出来ない、いわば一般の旅行者に毛の生えた程度のレベルで少しカメラ機材が多い程度で自然界を捉えているだけだ。

 したがって、普通の人には手の届かないレベルの画像は一枚も無い。プロの専門家から見ればどれもが捨てカットレベルなのだが、筆者の技量ではこれで充分なのだ。勿論ナショナル・ジオグラフィックスなどの写真は大昔から憧れているし、星野道夫氏や嶋田忠氏のような観るだけでため息の出る様なプロ写真もあるが、残念ながら筆者にはとても手が届かない。

 しかし、自然の瞬間・佇まいを見つけるチャンスだけは平等だ。筆者の撮影した画像はそれなりに意味のある自然界での生態の一部と思って頂けると嬉しい。







道東は大自然の中に人間の営みが点在している感じで、普段コンクリートジャングルでうごめいている人間にとってはとても心を洗われる。

2019年8月29日木曜日

厳冬期の道東港で野鳥の生態を終日観察! Full-day observation of wild bird ecology at Eastern Hokkaido fisherman's harbor in the most cold winter season !

 今年はサンマ漁が相当不漁らしい。例年の20%も獲れていない上、身も痩せていて良い値が付かないという。しかし今年初めて大型船の秋刀魚の水揚げがニュースで流れたのが根室の花咲港だった。

 もちろん冬期花咲ガニで非常に有名な花咲港は根室半島の台地(根室半島は全体が台地で平均して海抜30m以上ある)から太平洋側に下った所に存在する。ここで食べた蟹チャーハンの凄さは筆舌に尽くし難い。 チャーハンのお米より蟹肉粒の方が多く入っているのではないだろうかと思う程の凄さ。満足感300%以上だった。

 そんな花咲港は実は海鳥の天国。風向きにも寄り、何もいない日もあるが真冬であれば南風の日は少なく、殆どが真北から吹くため根室半島がブランケとなり北風を遮断してくれる。そうなると海鳥は花咲港を始めとした太平洋側の漁港に集結する。

 その港の中では上野動物園の様に数多くの種が仲良く風よけをしている訳ではなく、弱肉強食の世界が繰り広げられている。今日はそういったレポート。

根室半島は後方の崖の様に台地となって細長く連なっている。

北風除けの漁港内は静かなものだ。右下署名の上にはウミアイサのつがいが見えている。
時折、オジロワシが急降下してカモメの幼鳥を脅かしていた。

ウミアイサが豊富な構内の魚をゲットしてこれ見よがしに咥え直し!

ハッと振り返ったその方向から・・・、

カモメの幼鳥が襲い掛かってきた!獲物の横取りを狙って。

もう一羽いたメスは潜って逃げる。

餌を咥えて潜れないのか、メスのウミアイサは逃げる逃げる・・。

幼鳥とはいえ食欲旺盛・獰猛なカモメ・・・。

さあこの後はどうなっただろう・・・。


2019年8月28日水曜日

風連湖の氷下漁、トーサムポロ沼漁業と冬の野鳥達。 The winter wild birds around the under ice fishery of Lake Fooreng, and Tohsampolo swamp fishery.

 今朝はまず豪雨・洪水に見舞われている北部九州、特に佐賀県佐賀市の方々にお見舞い申し上げたい。ヤマセミ撮影などの第一人者、佐賀グリーンテニスクラブの石井様などテニスコートは大丈夫だろうか?

 さて、今日のブログは昨日の続き・・・。

 昨日、風連湖や根室周辺の厳冬期の様子をご紹介したが、反響の大きさに驚いている。
 特に根室半島の遠景にはあまりの荒涼とした雰囲気に行くのを躊躇してしまうが・・・、というメールまで頂いてしまった。
 しかし、別にバスを乗り継いで歩いて行くわけではなく、レンタカーなのでこの手の風景は幾らでも愛でる事が出来る。

 今日はその風連湖での氷下漁、そうして納沙布岬へ行く途中のトーサムポロ沼でのアサリ漁などと、その周辺における野鳥の状況を大雑把にご紹介。今後の厳冬期における道東野鳥の生態への入り口と考えて頂けると嬉しい。

 此処で、あくまで申し上げて置くが厳冬期の北海道の道路は全面凍結・圧雪アイスバーン状態である事を念頭に置いて運転されんことをお願いしたい。運転には慣れっこの地元の方でもこの状態だ。

 北海道の場合、チョットスピードを出して滑るとこういう感じで雪原まですっ飛んで行ってしまい、思わぬ大事故になる。1990年代サホロスキーリゾートでのスノボの世界大会運営後、私が預かっている自動車メーカーのオフィシャルカーを、帯広から釧路港までスタッフが廻送していた際やはり雪道ですっ飛んで廃車に成ってしまった。

 車は電柱ステイに正面から突っ込み廃車になってしまったが、運転スタッフは無傷、助手席同乗者は鎖骨骨折で済んで責任者の筆者はクビに成らずに済んだ。

 こんな雪道で飛ばしても野鳥に笑われるだけだ。 
トーサムポロ沼は根室から納沙布岬への一本道途中の汽水沼。ハクチョウ他野鳥類は多い。ひょっとすると左の丘の上に居る人影はこの地の観察第一人者新谷さんかもしれない。

前の画像を少し引くとこのトーサムポロ沼名物のアサリ漁を観られる。

通年で豊富な海の恵みを得られるようだ、養殖しているのだろう。

風連湖に戻ると氷下漁の引き上げ中。やはり猛禽類やカラスが後ろで雑魚を残していくのを待ち構えている。

 氷下漁の残り物は附近の道の駅や民宿の裏で撒いたりする。勿論猛禽類などはこれを待っているが、ある日も無い日もある。

 道の駅や民宿もこれらの漁協から食料(魚介類)をほぼ毎日・定期的に購入しているし、オーナー自身も漁協のメンバーだったりするので、持ちつ持たれつの関係だ。
 野鳥類もそのおこぼれにあずかり、結果として観光客の目の保養にもなり、根室観光資源の一部になるのでいわゆる「共創」が成り立つのだろう。
 昭和初期から行われてきた、釧路のタンチョウの餌付け保護活動よりははるかに原始的だが、保護活動にもなっていると思う。これに問題が有ると思うなら、撮影に行かなければ良いだけの話。

 知床半島・羅臼から出る流氷猛禽類餌付け撮影船の高額フンダクリ・ビジネスとは一線を画す大自然の営みだと思う。

沖の氷下漁の上がりを待つオオワシの群れ。

我慢できないオジロワシが漁師の横から餌をかっさらって行く。

こういう時はオオワシもオジロワシも無い。

沖から戻って来る漁師さんには、たくさんの猛禽類始め野鳥達が金魚の糞状態で追いかけて来る。

2019年8月27日火曜日

道東・根室附近の野鳥環境は素晴らしいと思う。 I think that the wild bird environment around Nemuro of Hokkaido is wonderful.

 けっこう日にちが経ったが、北海道道東・根室のバードランド・フェスティバルに参加した際の画像をやっとじっくり精査する事が出来た。
 ヤマセミ研究のまとめが遅々として進まず、その他のエリアの野鳥の画像精査が碌に出来ない毎日で少々焦って来ている。

 精査出来ない量の野鳥撮影などするものではないとは思うのだが、そこはそれ、欲が深いのかもっと良いチャンスがあるのではないだろうかという期待感で毎日を過ごしているせいか止まる所を知らない。

 よく銀座などでバッグ類の有名ブランドのお店から買ったばかりの紙袋を下げて出てきたのに、今出たそのお店のウインドウの商品をまた食い入るような眼付で観ている女性に呆れていたが、人の事は言えないと思う。

 その道東・根室界隈の環境だが冬が素晴らしい。いわゆる観光地的な景色を愛でるのであれば冬以外の方が素晴らしいと思うのだが、こと野鳥に関して言うならば真冬が良いと思う。

 遮る木の葉も無い、背の高い草もなくただ白い雪原が広がるだけなので野鳥は丸裸状態?撮影者にとっては天国の様な環境だろう、吹雪さえなければの話だが・・・。

 筆者が参加した根室バードランドフェスティバルは、実はほとんど開催できない程の冬の嵐に見舞われた。しかし倍以上の日程を組んで行ったので非常に多くの野鳥を撮影出来た。

 道東には納沙布岬~温根沼(オンネトウ)~春国岱~風連湖~野付半島といった野鳥の多い場所が連なっている。勿論レンタカー、それもスタッドレスタイヤ完備(現地では当たり前)の四輪駆動車を借りるのが正解だ。6日間の雪道走行距離が800kmを超えるのもおかしくはない程だった。

 北海道といえばシマフクロウやシマエナガなど野鳥撮影愛好家の方々にとって憧れの種も多いが、そういう限られた希少種を収録に行くのは絵葉書で見てエッフェル塔を確認に行くようなものだからあまり個人的には好きでない。

 やはりその土地ならではの野鳥の生息環境を知って、それを背景に野鳥の佇まいを撮影したいと思う。割に今回はそれが出来たと思っている。アップも良いが、引いて背景も写る様に苦労したつもりだ。

 まずは、氷で閉ざされている道東の様子からお届けしようと思う。一通りご紹介したものは、人吉のヤマセミ同様、限定部数自費出版の写真集にしようと考えている。
 
根室半島は盲腸の様に日本で一番東方向へ飛び出た細い半島。

津軽じょんがら節の背景よりさらに荒涼とした厳冬の風景が広がる。

しかし、よく観察すると沖の岩にオオワシを発見、撮影可能。

あるいは、走っていて電柱に留まるオオワシを間近で撮影も可能。

何も網走や知床まで行かなくても流氷の一部は根室でも観られる。

夕暮れ時なら追うものが違う撮影愛好家の恰好の被写体も現れる。

風連湖などは結氷した雪原にエゾジカの群れなどが毎日現れる。

そのエゾジカの向こうに見えるのがこの地独特の氷下漁の仕掛け場だ。

 その収穫時にはご覧の通り近くの樹木にオオワシやオジロワシが集結して、売れない雑魚を漁師が投げる(捨てる)のを待っている。これが道東ならではの野鳥撮影の「場」なのだ。

 持ち込むカメラの種類で乗船料が違う、流氷観光撮影乗合船から撮影する知床のやらせ餌巻き野鳥撮影とは違った、氷下漁の漁師との共存生態を通した本物の猛禽類の姿が此処では観察可能だ。

 カラス⇒トビ⇒オジロワシ幼鳥⇒オジロワシ⇒オオワシ幼鳥⇒オオワシ、時々キタキツネ、といった獲物を捕る自然界の掟・順番が見て取れるのもこういった大自然ならではの事。

 勿論厳冬期、氷点下15度以下の環境で3時間以上粘れる体力と装備を持っていないと無理ではあるが。更にはカメラのバッテリーも普段の半分以下で消費してしまう事も考えて行かないと、とても収録は難しいだろう。
 

2019年8月26日月曜日

ヤマセミの幼鳥はギギという毒針を持つ魚にだけは手こずる様だ。 The young Crested kingfisher seems to have trouble with the fish called Gigi with poison spine.

 しばらく九州南部は雨が続くという予報が出ている。毎日連絡を頂く人吉の先輩の方々からの情報では、最近ヤマセミの姿を見る機会が少ないという。時間帯の問題なのか暑さのせいで木陰に隠れているのか・・・。

 過去10年間の撮影データを見ても、8月というのはこちらも余り現場へ行っていないので合計20日ほどしか観察記録が無い。
 いずれも球磨川本流より支流部の方が撮影記録も多い様だ。

 今日ご紹介のシーンは2か月前今年の6月ヤマセミの幼鳥教育の際の給餌シーンだが、ギギという背骨に毒針を持つナマズの様なヌルヌルした底魚で幼鳥が相当手こずっている場面。

 此のギギという魚は球磨川には多く、ヤマセミは勿論ゴイサギやアオサギなども好んで採餌する魚だ。但し漁師さんは背骨の毒針に刺されて手が腫れた経験をお持ちの方も多く、網にかかってもすぐに捨ててしまわれるようだ。海のゴンズイの様なものだろう。オスは真っ黒でメスは褐色の不気味な風体の魚だ。
 
最初は親から給餌された獲物に相当手こずっているのが見えた。

幾度か取り落してしまい、その都度拾い直していた。

場所を変えて岩に叩きつけること数十回。

それでもダメらしく、餌を咥えたまま親鳥の元へ・・・。

しかし餌を咥えて広い球磨川の真ん中を移動するなど飛んでもない事。トビなどに咥えている餌をいつ襲われるか判らないので、親鳥は必死に「バカね!来るんじゃないよ!」と叱咤している。

その剣幕に幼鳥はビビッてランディングを失敗!

餌を咥えたまま岩からずり落ちそうに・・・。

間一髪!餌を咥えて踏みとどまった。

まだ完全に親離れ出来ていない幼鳥だが、

ひとまず、落ち着いたので親は離れて他の幼鳥の様子を見に・・。