2014年2月7日金曜日

イソシギのダンス! The dance of Common sandpiper.

 海辺の磯に居るとばかり思っている「イソシギ」は実は山奥の河川に多く生息する。ヤマシギが山地中心に生息しているのとずいぶん異なる。イソシギに接したのはハリウッド映画でエリザベ・ステーラー、リチャード・バートンが共演した映画「イソシギ」の中だった。海岸で保護した鳥がイソシギだったので当然50歳を超えるまでイソシギは海岸に行けば観られると思い込んでいたのだ。
 話は違うがこの映画のテーマソング「Shadow of your smile」はお気に入りの一曲だ。アストラット・ジルベルト、フランク・シナトラなどの唄ったバージョンがお気に入り。

 さて、実際のイソシギは人吉の球磨川や川辺川の土手に居るとほぼ毎日視る事が出来る。クサシギ程大きくはないが、セキレイ類と同じで尾羽を上下させながら歩き回る。今日の画像はその中で小さく飛びながら採餌をする様子を収録した画像。

 One day, I was watching Crested kingfishers at Kawabegawa river site. Then, suddenly Common sandpiper passed through in front of me with dancing.  I remembered "Common sandpiper" of the Hollywood movie and theme song "Shadow of your smile".

イソシギの歩きは非常に小股で早い。

水の中でも泳いだり歩けば簡単なのに水に足を浸けたくないのだろうか?

義経八艘跳びの要領?

チョコマカ動く姿は少し練習しないと撮れない。

クサシギは余りこのような動きはしないようだ。

2014年2月6日木曜日

カケスとミヤマカケス(エゾカケス)の比較 Eurasian jay and subspecies of Eurasian jay which live in Hokkaido only.

 カケスはカラスの仲間でオナガなどと一緒の関係。広く仲間を探すと、なんとあの39種いるニューギニアの極楽鳥もカラスから派生した種だそうだ。日本ではフウチョウと呼ばれつい最近までTVの自然環境番組などでその求愛ダンスが話題になった。

私がCanonのレンズを使用している事からCanon本社から連絡があり、ハーバード大学で動物学を学んだ博士ティム・レイマン氏(53)が極楽鳥の写真展をCanonの展示スペースでやっていて、講演会もやるので是非お出でください・・・というので先週30日(木)に行ってきた。


http://cweb.canon.jp/gallery/10th/memory03/index.html

彼の生い立ちその他はネットから検索してみて頂くとしてここで詳細は省くが、撮影の姿勢、仲間との撮影上の工夫、撮影した結果の何に感動するのかは自分と共通点が在って納得した部分が多かった。ただ、外国人らしい大胆で大がかりな撮影準備には驚かされた。ブラインドを使ったり、カメラレンズに迷彩プロテクターを付けたり、わが国でもあちこちでやっているのと同じ手法も使うが、ニューギニアの道なき道を行く為、ヘリコプターで機材などを運ぶ為、熱帯雨林を伐採してヘリの着陸地点を地元民に造らせたり、極楽鳥の求愛ダンスを撮るために3台のカメラを設置しすべてでストロボをたいてパソコン制御で撮影する様は少々行き過ぎを感じた。その部分は私の理念からすると多少違和感が在った。

 しかし講演終了後、彼にヤマセミの写真集を渡し今後の交流を確認して貴方の極楽鳥はカラフルだが私の研究観察しているヤマセミはモノクロだと話して大笑いした。彼もやはり自分で最近動画収録も始めた様で4Kで収録した動画から静止画像を切り出す方法で今後は生態観察の画像を収録するような事を言っていた。とにかく生態観察はいつ被写体が珍しい動きがするか判らないので予知能力とそれに素早く反応する感性と自分のフィジカル(肉体スキル)を研ぎ澄まさねばならないとまったく同じような心構えをしている事が判って面白かった。

 話が逸れたが、カケスやオナガは我が家の周りでも朝からうるさい時がある。いずれも姿かたちとは裏腹にジェージェー、ギャーギャー先祖の恐竜の声そのままなので可愛らしいとは思えない。
 北海道の千歳付近で撮影したミヤマカケス(エゾカケス)と比較しながら観て頂けると嬉しい。


非常に特徴的な頭部の模様が個性を引き立てている。

カケスの特徴は頭のてっぺんのコバンザメの吸盤の様な部分と白目の真ん中に黒点の眼。

極楽鳥と同じくカラスが先祖というので少し親近感がわいた。

此処までは本州、長野県で撮影したカケス。

千歳空港の東部の牧場で撮影したミヤマカケス。本州のカケスと異なる点は頭部のコバンザメ状のシロクロの模様が茶色ベースに成っている事と、目の玉が白地に黒点ではなく、普通の茶色い目玉の様だった。何かが違うと思いながら撮影はしたもののパソコンで視るまでは良く判らなかった。







2014年2月5日水曜日

エナガは何とも可笑しくて可愛い! I think the Long-tailed Tit is very funny and charming !

 一昨年自費出版した写真集「江津湖の野鳥」にも掲載したが尾羽の長いエナガ(英名: Long-tailed Tit)は非常に身近な野鳥だ。しかし撮影するとなるとその落ち着きのないチョコマカした動きがなかなか良い画像を撮らせてくれない。近くに居ながらなかなか満足できる絵が撮れない。今回の人吉撮影行では人吉の街のど真ん中に在る中川原公園で寒さで手も震える中1回だけ良いチンスがあった。基本的にこの野鳥は木の枝の股に巣食う小さな蜘蛛や大好物のアブラムシ等を食し小さな群れで行動するが小鳥の多種との混合群れで移動しているのに良く出くわす。ズリーズリーという鳴き声が聴こえたらその群れにシジュウカラ、コゲラ、ヤマガラ、メジロなどが一緒になってついてくると云う事が多い。

 人吉市内では秋から冬期にかけて多く見かけるようだ。温泉旅行ではあるまいが、夏はあまり見かけない所をみると夏季は山岳エリアか郊外に居るのだろう。寒くなると少し暖かい街中に出てくるのかもしれない。昨年はキクイタダキとシジュウカラと混成群れで移動していた。

 I took photos of this wild-bird at Edzuko of Kumamoto city few years ago. This bird moves so fast. It was so hard to take photos of these wild birds. Usually They live in a mountain and high-land area. But in a winter time They come to lower field area.
 
数年前江津湖で偶然撮れた後にも先にもこの1枚しかない羽根を広げたエナガの画像。

此処からが今回の人吉での撮影画像、こう云う感じで今まで見つめられたことは無かった。

夏よりは動きが落ち着いていてこちらの様子を見ている時間が長かった。

横に成るとさすがに尾羽の長さが想像以上だが、以前この尾羽の無い個体を撮影した。単なるダルマみたいだったが他の個体と一緒に元気に行動していた、換羽だったのだろうか?

冬期はなかなか餌が少ないようだ、蜘蛛やアブラムシだけでなく木の実も食するらしい。

2014年2月4日火曜日

カラス対猫の息を呑む睨み合い、なんとカラスの勝利! The hostility of the crow vs. the cat ! After moment winner is the crow.

 人吉の畑でカラスの鳴き声がうるさいのでそっと近寄ってみると、猫6匹とカラス4羽が対峙していた。ちょっとした合戦場だ、野鳥ファンとしてはカラスの応援をせざるを得ないが一方で猫も嫌いじゃないので高見の見物と決め込んだ。最初猫は首領と思われる大柄な猫の呼びかけに遠巻きにしていた輪をだんだん縮めて中央にまとまってきた。
 カラスの方はちょっと飛んで距離を置いたり、また早足で猫の方に突っかかる仕草をするなど、なかなか好戦的で頼もしい。不謹慎だが壮絶なバトルを期待してしまった。

One day at Hitoyoshi city of Kumamoto Pref. this January I saw the hostility of the crow vs. the cat !  At the first moment I thought they start the big fight on a field. But after few seconds, The boss cat leaves the place. After this, I think crow is stronger than the cat. isn't it?

 しかし、しばらく硬直状態が続いた後、双方のリーダーが数歩ずつ前に出て大将戦のような様相になった。で、猫のボスが構えの姿勢に入ってまさに飛びかからんとした次の瞬間、一瞬目を外した猫は緊張感を完全に解いてしまい、カラスとは二度と眼を合わさずカラスの横を歩いて去って行った。もうこれは完全に睨み合いにカラスが勝ったとしか思えない一部始終だった。カラスは強い!
畑の芝生広場はその後カラス4羽に占領されてしまった。

現場はちょっとした映画の一シーンの様だった。それぞれの間隔・位置が闘いの場らしい緊張感のあるもので、その後を予想して思わずワクワクしてしまった。
At first time it seems like one scene of the slight movie.

暫らく、騎兵隊とアパッチの闘いの様な様相だったが、大将同士の一騎打ちの様に双方から体のデカいのが近寄ってきた。
Boss cat came to crow.

猫はカラスにまっしぐらだが、カラスの方は正面から見据えず斜に構えている。これは光永さんに教わった野鳥の眼の機能によるものだろうか?
Crow doesn't look at the cat straight.

猫の方は一発で飛びかかれる距離を見計らったのか?
Cat decided the jump position.

完全に次の瞬間を準備している。

しかし、次の瞬間猫はクルッと踵を返し、
Next moment, cat turned his head 180 degrees.

何事も無かったようにカラスの横を通り抜けて去って行った。他の猫もこの大将に続いて無言で去って行った。気が付いたら最初双方がうるさく鳴いていたのが、この瞬間だけは全く声が聴こえなかった。カラスも猫も全員かたずを呑んでいたんだろうか?
 After this all of cats were leaving the place. Crow got win from the cat.



2014年2月3日月曜日

阿蘇の草原でコミミズクのバトル! Aerial dogfight of the short-eared owl.

 先月24日付けで報告した阿蘇のコミミズク画像のもう1台のカメラの画像にコミミズクのバトルが写っていたのを昨日発見!とっさにカメラを向けたものの超逆光なので諦めていたのだが、神は見捨てなかったと見えて何とかバトルの様子だけは判るので掲載させて頂く。

 日本野鳥の会の方々の金魚の糞に成って指導されるままにコミミズクの採餌を待つこと1時間半。観察、撮影班は全部で10名ほども居たろうか。西の太陽の方向にコミミズクが100~150m程の距離で出現。熊本空港に向かう航空機も北側に見える傾斜のある広い草原だ。

 出現情報でも訊かない限り出遭い難い野鳥だが、ラッキーな事に初めての試みで撮影できた。まったくをもって熊本在住日本野鳥の会熊本県支部の山田さんご夫妻のお蔭!感謝に堪えない。その日の朝9:00まで人吉市内でヤマセミを撮影していたのだが車で125km、約2時間走って阿蘇山系に到着したのだった。一日でヤマセミのバトルとコミミズクのバトルを撮影できるとは奇跡に近いと思う。今年のラッキーをこの日一日で使い切ってしまったかもしれない。しかし画像そのものよりこのような自然が豊富にある熊本県を羨むと共に生でそういう現場に居られた幸運を感謝するしかなかった。やはり一人で視るより同好の志と共に歓びを分かち合えることが素晴らしいと思った。



逆光の中ホバリングから餌を見つけて急降下しようとしているコミミズク

そこへ90度真横から別の個体が現れた。

次の瞬間、まっすぐ体当たりに近い形で突っ込んでいく。

突っ込まれた方は不意を突かれたが体をひねって急上昇。

接触は無かったものの間一髪!その間に狙われた餌は逃げたのだろうか?





2014年2月2日日曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝  #12.団塊世代の定年後の実情は千差万別?(番外) True story after the retirement of the Japanese baby boomer generation.

  クラス会や同期会での色々な経験値から来る話をしたが、ここから先は別に団塊世代に限らず全世代に共通の話をしたい。

 これはあくまで自分の経験値でモノを言っているのだから、「おまえ、それは違う」という方もいるだろう、いるに違いない。しかしそうであれば「いいね!」だの「それマジですか?」などの2~3行のコメントで賛成・反対するのではなく、自分でブログを主宰して何故そう思わないのかを堂々と主張すればよい。

 色々なブログを閲覧していると意見を述べている主宰者に対して悪意のある挑戦的な2~3行のコメントを高飛車に浴びせかける人がいる。
 更にまたそのコメントに対して見ず知らずの第3者が本質から外れたような挑発言葉を羅列し連鎖反応的にブログを本質から離れたところで「炎上」させるということが有るようだ。
 他人の提供する場所(=ブログ上)で自分の氏素性が判らない・見えない事を良い事に、言いたい放題、滅茶苦茶をやるってのはどうも卑怯で好きでない。

 無責任なバーチャル・ネット世界特有の現象だろうが、たいがいは教育レベルの低い品の無い人の行為だとは思う、しかし情けない話だ。だから私は大半の真面目な閲覧者を保護する意味でも氏素性を顕わにしない人からのコメントは受け付けていない。
昨年5月15日に始めたブログもWEB本体と合わせて8か月で約4.5万ページのアクセスを頂いた。そのうち約26%が海外。
※注⇒2024年9月25日現在98万3562回の累計アクセスを頂いている。

ブログ更新情報を拡散するためにFacebookやTwitterなどのSNS(=ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にも登録して活用を始めたが、300名程度のフォロワーさんからのショートコメントは全て期待と友好的内容でそれなりに効果を上げつつあるようだ。
※注⇒10年後2024年9月現在のX=旧Twitterは1,475人のフォロワーさんで1日平均3~400アクセスをいただいている。

ただほとんどの方がスマホなどのモバイル端末(持ち運びが簡単な小さな通信端末装置)だが、こちらはデスクトップやラップトップのパソコンの為、時間的な時差が生ずるのは仕方がない。
したがってSNSは情報拡散、ブログPR目的に徹している。これらの効果を自分にとって有効的にするには情報マーケティング・リサーチが非常に重要である事を現在勉強中だ。しかし学べば学ぶほどこの世界は面白い。
写真撮影や野鳥関連の方々中心に300名弱がフォロワーさん。

同時に、幾つかのブログの人気ランキングのサイトが有るが、あくまで全体でのデイリーアクセス数(=BLOG管理サイトのアカウント数)を上げるためにPR拡散用に登録している。

したがってその各サイトの人気順位などに関しては興味が無い。このブログランキングはアクセスした人が「いいね!」のかわりにミニバナーをクリックしてその数を競うもので幾らでも作為的なコントロールが可能だしそのブログにアクセスした頻度数のデータによるモノではないので、順位自体にマーケティング的意味合いは無いようだ。要はランキングサイト自体へのバナー広告主獲得が主な理由なので商業的な意味合いが高い。
国内のブログ総数は多いものの実際生きているのは20%以下だと云う事が良く判った。

本来のアクセス数は自分のブログの管理サイト自体が出すアナリストデータで閲覧者の数や地域、時間帯を推し量らねばならない。お陰様で当ブログは連日150名平均(=2024年4~500名/1日)のアクセスを頂いており、海外からも30%程度のアクセスが来ているので当初の目的は達している模様。毎日観て頂いている閲覧者の皆様には日々感謝している。

 話は変わって、団塊世代にとっても非常に重要なお金に対する人々の考え方の違いを述べてみたい。

あるクラス会で、長い事経済畑で生きてきたクラスメートが団塊世代に対して経済の講師をした時に会場内が収拾つかない程混乱したらしく「団塊世代は数が多くて、お金に対する考え方が人によってずいぶん違うんだよなー、バラバラで一纏めに出来ないんだ」という事を呟いていた。

育った家が裕福だったから、貧乏だったから?就職した職業が安定した大会社や官公庁だったから、あるいは逆に天候や株の上下に左右されるような不安定な職業だったから?しかし、これらは経済のプロに言わせるといずれも違うという。

 それを脇で聴きながら思った、人間はある一定のまとまった自由にできるお金、たとえば100万円を目の前にした時に二通りの発想をするグループに分かれるのではないだろうか?

 一つのグループはその100万円のお金を如何に無駄なく効率良く活用するか消費を前提として考えるタイプ。これに対してもう一方のグループは、そのお金を元手にいくらに増やせるか、どうやったら倍に出来るか・・・を考えるタイプ。

 此処で断っておくが、これはあくまで人間性と発想タイプの問題なのでどちらが正解・不正解、あるいは良し悪しを決めようという訳ではない。ご自分の胸に手を当てて考えれば自分がどちらの性格を強く持った人間かお判りだろう。

 前者のタイプはモノを購入する際ネットの「価格ドットコム」のサイトでとにかく同じモノなら一番安い所で買おうとするだろうし、後者のタイプは同じ「価格ドットコム」のサイトを視るにしても買う基準は値段よりいつ手に入るのか、今後その商品は品薄になるのか転売は可能か等を優先して選ぶのではないだろうか?

 これらは全て価値観の個人差に帰結する事だと思っているが、人との付き合い方、自分の友達がどちらのタイプに属するのかを考えてみると面白いかもしれない。

 またまた話は変わって、団塊の世代のリタイヤ組にも共通して言える事。「現役引退後は何をする?」
定年退職、あるいはそれ以外でもリタイヤして現役を退いた際に起こるもろもろの価値観の変化の話。この大きな変化、ある意味カルチャーショック、価値観ショックに付いて行けずに「鬱、自閉症、無気力症」に陥る人が団塊世代に結構多いという。

特に大きな会社でライン(=タテ社会)の管理職を務めていた人、つまり部長とか課長とか役員だった人。部下の数を誇ったり組織の大きさを誇っていた人。あるいは官公庁で偉い地位に居た人。

こう云う人たちは名刺の肩書が立派で~役とか~官とか付いていた気持ち良さをリタイヤ後も忘れられずに「元〇〇」などと既に通用しない肩書きを表記したがるものらしい。個人の魅力より名刺の肩書きの方が重要だった人たちだ。

 そういう人たちがリタイヤするとどうなる?今までの自分への評価は上司・同僚・得意先を筆頭に、関連会社の人々、時にはマスコミ取材陣達だった。

 それがリタイヤと同時に自分を評価する人達は家族・親類縁者・クラスメート、あるいは近所の人々・・・・という事になる。

 以前どんなに有名で大きな会社の役員であったろうが、行政の役人だろうが、偉かろうが、リタイヤしてしまえば名刺の肩書は一切関係なく、既に偉くも無く、ただの町内会の新人と云う訳だ。リタイヤ直後はこの立ち位置の落差、価値観の差に落ち込むという。

 同時に会社にとって俺は絶対に重要な存在だった、会社は俺が居なきゃ動かなかった、いたからこそ我が愛する会社は順調だったのだ・・・。と思い込んでいた人ほど町内に戻りただの親父扱いされた時の環境の変化がショックになるらしい。

 しかもそういう人間ほど、若い時にいずれ己の身にそういう変化が来ることを予測していなかったし準備もしていなかった人が多い。

 会社一途に、せいぜい付き合いゴルフと飲み会とテレビのドラマ鑑賞位しか趣味が無かった人間ほど、リタイヤした後に何をしたらいいか判らず、カミさんが行くコンビニにまでついて行って、「濡れ落ち葉族」などという不名誉な称号を貰ったりする。

 団塊世代は人数が多いせいで競争、競争に揉まれて来たが故、会社人間、仕事人間が多くそういう種族が生まれたという。つまりは60~65になれば会社と縁が切れる、現役と縁が切れる事は自分自身はるか10年以上前から判っていたにもかかわらず、何の準備もしてこなかった。その挙句の事だからあくまで自己責任なのだ。

 何をして良いか判らない、自分が何をしたいのかが判らない・・・これでは今どきの若者が「自分が将来何をしたいのかが判らないんです」と悩んでいるのと全く同じじゃないか?

 一部のメディアでは例によってそういうグループを「団塊燃え尽き症候群」と一纏めにして呼ぶらしいが、それは少し違うと思う。あくまで世代は関係なく個人の資質や先見性・価値観や己の危機管理能力の問題だと思う。
日経BP誌のデータだが項目が実態に即しているとは思えない部分もあってあくまで参考に。

 私は東京で生活しながらヤマセミと云う野鳥に狂ったが為に、年に10回も熊本県に通い、ついには日本野鳥の会熊本県支部に入会させてもらった。色々やっかまれて5年も経たずに退会したのだが・・・。

 このブログにしても、始めて8か月が過ぎたが最近毎日平均150名程度の方々のアクセスを頂いているが、その約半分は熊本県の方々だ。

 その熊本県の野鳥の会の方々で団塊世代あるいはそれ以外の諸先輩方には「濡れ落ち葉族」らしき方は一人も見当たらない。何をしたらいいか判らん等と言う方は一人もいない。東京の様なコンクリートジャングルと違って、春夏秋冬季節の移り変わりを自分の視聴覚など五感で感じながら生活できているからだろうか?

 自分の生活するエリアに自然環境が在る事が如何に大事か、最近良く判った様な気がする。超高層の億ションなどという都心の真ん中で毎日毎晩大都会の夜景を眺めながらしか生きられないライフスタイルは自分にはとても出来ない芸当だ。

 一般的に言って小学校の時から成績だけを追い求め、学力だけを研ぎ澄ませてきた人間ほどその他の芸術(音楽・美術)スポーツなどの専門領域、ともすると遊びのジャンルに分類されてきた領域のスキルなり実践意欲に欠けているような気がする。

 これは日本の教育システムが戦後の団塊世代で「受験戦争」という言葉を生み出した頃からの傾向だろう。だから私は20年以上も前から主張してきたのだが、普通の学力成績(国語・英語・算数・理科・社会)のトップも、音楽ジャンルのトップ、美術ジャンルのトップ、体育スポーツジャンルのトップも公平平等に同じレベルで褒めて評価するべきだと思う。

 そうすれば進学・受験の年齢の時に普通の学問では芽が出なくても、絵画・デザインの部門でトップになれば学力トップの人間と対等の将来が開ける・・・という意欲エネルギーの源に成り得ると思うのだ。

 欧米での芸術・スポーツのスキル保持者に対する尊敬の念、あるいは評価の素晴らしさと日本におけるそれがなぜこうも違うのか理解に苦しむ。だからアート、スポーツ、料理などの世界を目指す若者はニューヨークやパリと云ったそのジャンルの特技者を正当に評価してくれるところに出て行ってしまうのだろう。

 日本のメディアはそういう海外で評価されたものはチヤホヤするくせに、自分たちでは評価できないと云う情けない状態が続いているのが実態だ。日本のあらゆるジャンルの有能な頭脳が国外に流出するのもこれと全く同じだ。
随分昔の事だが信州大学で一芸に秀でた人間の入学を許可した時期が在った。これなどまさにそれを実践してくれた先駆けだったのだが、しばらくして残念な事に中止されたようだ。

 主要5科目で良い成績を上げればレベルの高い学校へ入れ大企業に入って出世できる・・・という単純な論理のレールに乗って突進したのが団塊世代の「受験戦争」だったのであれば、これからの世の中はそうではない新しい生き方、新しい価値観、新しい評価基準がもっと大きく世の中に出ても良いのではないだろうかと思う。

※この項終了。次週からは昭和30年頃・九州の小倉時代のお話。まだ人力車に似た輪タクが走っていた頃(決して冗談ではない)

2014年2月1日土曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝  #11.団塊世代の事実をどれだけ一般世間は知っているのだろう?(下) Do you know what the baby boomer was ? The other generation don't know the real story of the baby boomer.

 前回まではとかく誤解されがちの団塊世代の実態、本当の中身を解説したつもりだが、今週はその個性豊かで数の多い団塊世代が歳を取るとどうなったか、堺屋太一さんも触れられなかった「団塊世代の還暦前後」について当事者として触れてみたい。

 皆さんも小学校・中学校の同期会やクラス会には参加する事もあるだろう。真面目でマメな人はきっと幹事をさせられているに違いない、この幹事はズボラな人には勤まらない。

 筆者の様に小学校4か所、中学校2か所を渡り歩いた人間は大変だ。3年生から6年生の途中まで在籍した北九州小倉の福岡学芸大学附属小学校のクラス会、世田谷の奥沢中学校、都立広尾高校の同期会には参加しているがそれ以外とは接触の機会があまり無い。
福岡学芸大学附属小倉小学校昭和35年度卆業クラスの4年生の時の遠足画像。既にこの場所折尾公園は無くなっている。

小学校卒業後、皆が高校2年生頃の小倉の母校でのクラス会画像。私は既に東京在住で画面には居ない。重工業都市・北九州小倉で育った子供たちの将来の進路希望は八幡製鉄、住友金属などの大手企業の重役や社長に成る事、あるいはその社員に嫁ぐ事だった。ジャーナリストやサービス業と云った職種は当時の頭の中には無かった。東京とはずいぶん違う環境だったろう。

平成24年東京でのクラス会開催時の画像、クラス43名中20名が東京在住だった。東京に人口が集中する理由と現実が此処に在る。

 一般的にクラス会や同期会の類は50歳を過ぎてから盛んになり65歳を境に衰退するようだ。理由はある程度はっきりとしているという。50歳前は全員まだ現役で仕事が忙しい、あるいは子育ての最後の詰めの部分だから忙しいのが一つ。それと50歳前の30代、40代の時は「その時点で人生に成功している者」しか出てこないから集まり自体が良くないという。
 「その時点で人生に成功している者」が出てくる理由は自分の今の状況を自慢したいが為であるのは勿論だ。競争々で闘ってきた「団塊世代」は昔の仲間に自慢し、「優越感を感じ」、見返し、褒めて欲しいのだ。だからそうでないものは出席などする訳がない。 

 其れが50歳を超えた途端、自分の人生の残りの時間に目途が付き、世の中での自分の立ち位置・身の丈も納得し諦めも成って「この先はもう大化けは無いな」と自覚する。途端に「あの頃のあの場所はどうなっただろう?アイツはどうなっただろう?あの娘はどうなっただろう?」の気持ちが急に湧いて出てくるという。昔から言う望郷の念に近いものだろうか?
 
 このクラス会、同窓会に出てみるとそれぞれクラスメートがどのような半生を送って来たかその顔付を観察すると良く判る。お金の有る無し、つまり裕福か貧乏かということではなく「幸せか、そうでないか」が如実に顔つきや表情に出てしまうから不思議だ。お金は無くても幸せに生きている人は柔和な顔つきで温厚なモノの喋り方をするし、そうでない人はやはりどちらかというとキツイ顔つきで喋り方にも棘があるというような話を良く聞く。

 こういう点に関しては女性の方が男性よりはるかに良く気が付く様だ。実はこの話は高校のクラスメートで人間観察アナリストをしている感性鋭い女性から教わった話。

  繰り返すが私は1948年生まれの団塊世代のど真ん中だ。最近クラス会や同期会に出たりするにつれて「幸か不幸か」は別にして、この団塊世代独特の「ニオイ」が気になってしょうがない。匂いと言っても体臭や加齢臭の事ではない、団塊世代独特の価値観が歳をとる事で厭らしい形になって仲間との会話のあちこちに出てくる「匂い」だ。「競争心」「負けず嫌い」「優越感」「上から目線的相手を見下した物言い」などがこれに当たる。

 子供の頃や学生時代は「ひたむきさ、純真さ」の表れでこれらの動きは良く評価された場合もある。しかしこれが還暦を過ぎての自慢話や昔の学校時代の上下関係(成績の良し悪し、腕力の強弱)がまだそのまま今でも生きていると思い込んでのクラス会などでの立ち居振る舞いに目に余る事が多いのだ。
   
人間は50年も経てば大化けもする、決してこれは容姿の事だけを言っているのではない。
思いもかけない出世をした人も居れば、アイツにこんな才能が有ったとは予想もしなかったなどなど。具体的に言うと作家になった人、イタリアに留学して声楽家になった人、代議士などの政治家になった人、トップ企業の役員になった人、離れ島の村長になった人などなど。その一方で行方不明になったまま消息の無い人も沢山居る。

そう云った大化けしたクラスメートなどがいて、昔と今は同じではないという事が判っているにもかかわらず、東京で昔の学生時代のクラス会、同期会などに出ると、懐かしい顔との会話の中に未だに「勝った・負けた」「お前よりオラ方が出世したけん偉か!」が頻繁に顔を出す。

何度も言うが団塊世代は戦後のベビーブームの頂点でとにかく競争!競争!で育った世代だ。試験の成績はビリに至るまで廊下に張り出され常に周りと競い合うような子供時代を送っている。その世代が大人になる過程で「優越感」を得たいが為の向上心に目覚め、常に人より優秀でありたい、特別でありたい、褒められたい・・・と思うようになっていったのは仕方がない事だろう。

ある意味それによって培われた「優越感」を得ようとする向上心・努力が数々の消費に繋がるブームを起こし日本の高度成長、消費の世界の発展を支えたのは先週までに具体的事例を述べたとおりだ。

 其れが加齢による老人性頑固症候群により増幅されてしまうのか、相手を見下した物言いや反論を許さない決めつけ論調が飛び交って、酒に勢いも入るクラス会や同期会がたびたび紛糾する。しかし、それが60歳過ぎての懐かしい会合の時でも少しも衰えずに競い合っている現実は時々一体何なのだろうと思う。

脇で視ているとそれはそれで動物園の様で面白いのだが、観察していると、大学の先生、裁判官、検事、弁護士、医者、大企業の経営者・幹部、政治家、役人を勤め上げた人間にこの手の物言いが多い事に気が付く。もちろん私のクラスメートや同期生で、この手の職種上りがすべてに於いてそういう訳ではない事だけは断っておく。

最近は嫌気がさしてあまりこの手の集まりには出たくないのが正直な気持ちだ。友達が少ない奴がお酒を飲む口実に打ち合わせと称する集まりには絶対出ない。

最近は同期会本体も1~2度出れば、後は何度出ても変わり映えしないメンバーで代わり映えしない演出だ。特に女性陣は親の介護などで出てこられない状況下にあるものも多い、そういう背景から65歳を超えてのクラス会同期会は出席率が減って行くというのもこれらの要因が影響しているのだろう。
   
で、一体この上から目線現象は何故なのか考えてみたら、現役時代に長い事話し相手と対等ではない立場・地位に居たためそうなったと思われる節がある。

たとえば先生・教授の類は殆どの相手が学生や生徒だ、まず知識や経験に於いて教えを乞う側の学生や生徒は教授や先生に頭が上がらない。反論しようものなら切り札の「逆らうと単位やらないよ?」の一言がある、何を言うにも諭すような上から目線の物言いに成るのはこのせいだろう。
  
医者も基本的にそうだ、患者が文句言ったり難癖つけようものなら「貴方は早く治って退院したいんですよね?長生きしたいんですよね?私の言う通りに出来ないのであれば他の病院へどうぞ」との切り札を言える。

政治家や役人や検事、裁判官の類も「許可する、認可する、裁きを言い渡す」側であって「許可してもらう、申請する、裁かれる」側ではないので、利権を持って上から目線で相手に対峙する人生を送ってきた。

したがってなかなか相手の話を対等に聴いたり、物事を解決するために妥協したりしたことが無いのだろう、ましてや相手より立場が下で頭を下げるなどした事も無いに違いない。これが一般の世の中の人間と歳をとってからクラス会や同期会で接するとどうなるか・・・ついつい現役時代の癖と慣れが出てしまうのだろう。

随分フレンドリーになったとはいえ大学教授の世の中での権威は絶大だ。TV今日のワイドショーでも「○○大学教授・・・の肩書が言うんだから、我が局の報ずるところは正しい」と胸を張るがいささか怪しいものだ。

懐かしのジェリー・ルイスの凸凹大学教授

裁判長・判事の権限は絶大だが、大学という閉鎖社会の教授陣含めて一般社会常識に欠ける人が多い事も良く知られている。
 
 こういう相手とクラス会などで接するには会合の途中で幾度か「俺とお前は単にクラスメートだよな?お前の部下でも患者でもないよな?」と再確認させながら暗にそういう態度に成っている事をほのめかすのがコツかもしれない。

 クラス会だからこそそういう場で皆のいる前で上から目線の物言いや尊大な態度をたしなめるのも一つの方法だろう。実際やってみたら他のメンバーもそれに気が付いていたらしく、同調者が多くこれは意外に効果があった。

 基本的に還暦を過ぎたクラス会・同期会の話題のメインは病気・孫・老後のお金だ。己の状況を報告し合って「皆もそんなもんなんだ」と、自分だけが環境的に厳しいのではない事を知って皆さん安心して散会する。

 しかしそう言いながらも会話のあちらこちらに競争社会の残骸が見え隠れする。人口が多く、昔から新しいモノにはすぐに飛びつく世代だけに早くからデジタル化し、家でパソコンを数台駆使しモノを造り出す事を楽しみにしている者がいるかと思えば、一方で「死ぬまでパソコンなどには関わらずこのまま逃げ切って死ぬんだ、ケータイだのスマホも要らん!」という豪の者もいる。

 若いころ憧れた高価なスポーツカーや鉄道模型、高級レース用自転車をやっと手に入れて毎日磨いて喜んでいる奴がいるかと思えば、とうとう車の免許を取る事が無い者が多いのもこの世代だという。
 パソコンに関しては千差万別、デジタルデバイドも団塊世代に於いては如実に生じている。2011年に急速に普及したスマホ(筆者はずーっとガラ系で良いと思っている)だが、何でもかんでもスマホで済ます時代がすぐにも来そうな気配だ。現金など使わなくなるのでは?

憧れの名車を手に入れたクラスメートも居る。
 
 かくいう私も現役時代は忙しくてとても出来なかった事にあれやこれや手を出してしまい、今や現役時代よりはるかに忙しいのが実情だ。ついに昨年は自宅の4駆に乗る日数より熊本県内でヤマセミ他の野鳥撮影で使用するエコのレンタカーの方が遥かに多く乗っているような有様だ。

 今後、団塊世代が日本の経済に及ぼす影響は決して少なくはなく、色々な部分で既に検討され始めている。

 死を迎える介護付病院・ホスピスなどの不足、一人住まい老人の対策、高価な葬式を避け簡素化する動き、葬儀参列者の減少、宗教に関わる出費を無くすための墓仕舞い、散骨葬、樹木葬、火葬場不足、相続税問題、少子化による団地(特にエレべーターの無い団地)のスラム化、住宅・土地空き家問題などなど。

 この先(20年の間に・・)この団塊世代は自分たちが死滅するまでの間、自分たちの事を一体どの様にするだろうか?団塊世代の真ん中に居る身としても当事者として非常に興味と不安がある。