2023年12月31日日曜日

団塊世代は2023年、自分にとっての激動の一年を振り返ってみた。 In 2023, baby boomer looked back on the turbulent year for my own.

  団塊世代の筆者は2009年企業勤務から離れて、好きな研究に没頭し始めて以来毎年色々な事が起き、決して平凡な一年を過ごしては来られなかった。

 毎年毎年何か面白い事が起きたり、新しい人との出会いが在ったりで、普通一般の人同様に変化に富んだ一年を送っているつもりだった。

 しかし今年は今までにない、良い意味でも悪い意味でも相当に変化に富んだ一年だった。

 特に頑丈だと自負しているフィジカル面でいろいろな障害・不具合が生じ、未だかってないほど体調面で悩まされた一年だった。しかし、それは単純に加齢からくるものではない様なので、まだまだ注意することで防げる不具合だった。

 まずは年明け早々の右手首の腱鞘炎。正確にはドケルバン病と言う手首の痛み。原因を調べるとPCでマウスの使い過ぎその他と出ていた。同時に野鳥の写真撮影で重たい望遠ズームレンズを片手で振り回すので、それの影響かと思っていた。

 ありとあらゆる膏薬・消炎剤湿布を試したが、大きな効果は無かった。ドケルバン病と判ってYoutubeなどでのリハビリ実演をみて試したが、リハビリ体操・ストレッチよりもっと根本が判明。痛いのは右手首だが、ツボは右手肘の手首に近い部分を通っている筋と神経に原因があると判明。そこをマッサージし揉むと随分良くなった。

 専用の親指固定サポーターを使用し、余計な力が右手首や親指に掛からないようにしたら半年経った夏頃にはだいぶ良くなった。

 しかし、この年末12月6日にこの冬の干し柿作りで柿を剥いたらまた痛みが復活してしまった。何のことは無い、PC・マウスや重たいカメラが原因ではなく、柿剥きが良くなかったのだ。 

 しかし今年は去年の半分以下しか柿の数が無かったので助かった。今年初めの頃の様な寝ても起きても痛いという状況にはなっていない。

 一時は右手で何もできず、実はトイレでお尻をいつもの右手で拭けなかった。幸い筆者幼少の頃はギッチョで左手でいろいろやっていたので、左で拭くことは何でもなかったのだが右利きの人は大変だろうと思う。


 次に、7月5日から13日の9日間にも及ぶ写真展。数年かけて心と実際出展する写真そのものの準備で気が張っていたのが、開催にこぎつけて安心したのか開催2日目の夕方突然体調不良に陥ってしまった。

 こういった大きな責任ある催事のオープン前後に体調がおかしくなることは、決して生まれて初めての事ではなかったが、風邪症状が悪化し3日間食事を摂れず水を飲むだけで寝込んでしまった。熱は無い、頭痛も無い、ただ声が出ない。咳が出る鼻水が出る・・。

 その後、副鼻腔炎に進み1か月間以上鼻声が治らなかった。これは生まれて初めての事だった。医者にも掛からなかったがネットで調べて漢方薬で何とか回復した。

 このおかげで、7月から10月までの4か月間、1日10,000歩以上歩くこと叶わず、この4ケ月間の月間は1日平均8,000歩程度止まりだった。しかしそれも11月12月挽回できたのと、それまでの余剰歩数の貯金が在ったので年間累計では1日10,000歩オーバーで今年も終える事が出来ている。

 その後は、歩いている時の膝カックンだの、朝起きて膝から下の筋肉が痛いだの多少の障害が出る日があるが、75歳を超えて後期高齢者になった為・・と、上手く付き合う予定。

 決してコロナワクチンの副作用だとは思いたくない。たった1回しか打っていないもの、そうそう副反応があってたまるかと言う感じ。

 こういったフィジカル障害は多少起きたものの、入院だの手術だの投薬だのの重病には今の所、表向きなっていない。体内のどこかで静かに深く進行しているかもしれないが、在っても騒ぐつもりもない。75歳超えれば何か在っても当たり前だもの。

 11月中に行った脳のMRI・MRA検査では異常は全くなかったが、認知症やアルツハイマーはこの検査では判らないので、実は相当進行していたりして・・。

 ちなみに日本人の平均寿命が75歳を超えたのは1986年だという。50歳を超えたのが1947年、筆者が生まれる前の年だというではないか。

 

 こうして、2023年令和五年の今年、フィジカル面では今までにない障害が起きた年になったが、悪い事ばかりではなかった。3,000円だが宝くじにも当たったし、頂き物もやたら多かった。梨にリンゴにミカン。新米10㎏に晩白柚に自然薯。更に年の瀬には名古屋コーチンにタラバガニ。

 それよりなにより、生まれて初めて本格的な写真展に誘いを受けて参加させて頂いた。それも筆者が一番尊敬し、一生懸命「感性と技」を学ぼうと努力している写真家さんからの誘いだった。


 これは、今年1年の悪しき出来事を差し引いても数百倍の余りある、筆者にとっての大事件だった。素人の写真好きが日本を代表する写真家さんに声を掛けられ一緒に写真展を行うって、そうそう在る事ではないだろう? 

当日のレポートブログ(ご参考)「野川公園サービスセンターに案内状を置くことを断られた野川の写真展、大盛況です!」

https://yamasemiweb.blogspot.com/2023/07/photo-exhibition-of-nogawa-which-was.html

 何と、九州時代の小学校同級生から中学校同期、高校のクラスメート、後輩、美術専門学校の後輩、大学のクラスメート、更には社会人になって3か所の会社同僚まで駆けつけてくれた。つまり筆者の人生の各パートにおける友に数日の間に逢えた・・というのが凄い体験になった。
家族親族を加算していないが人生における各時期の友に出逢える奇跡。

 さらに、来場頂いた写真家さんの知り合いの中からカメラメーカーのカメラ設計者、凄腕のイラストレーターさん(実は阿佐ヶ谷美術専門学校の我が後輩でもあり、同時に我が親友の県立北九州高校の後輩でもあり、なおかつこの3人とも北九州小倉育ちという奇遇なご縁)など素晴らしい方との出逢いもあり、色々な意味で非常に大きな出来事だった。

 つまり、単なる普通の同窓会やクラス会では経験できない事がたった一回の写真展で起こったのだ。その意味からすると奇跡的な一年だったと言って良い。

 どこぞの公募の「何とか展」にすら応募もしたことがない筆者が、期間中1,000名弱の来場者に見て頂ける写真展に参加できたのだから、ある意味人生において最大の出来事と言って良いと思う。

来場者のデータなどをレポートしたブログ ご参考「写真展「私たちと野鳥の楽園・野川」開催レポート その2.」

https://yamasemiweb.blogspot.com/2023/07/report-on-photo-exhibition-we-and-wild_15.html

 此の写真展で得られたモチベーションはまだ半分以上残っているので、このまま年明けまで突っ走れると思うのだ。

 今年1年を振り返って、喜怒哀楽の激しい一年だった事、大晦日の今日は静かに反省しようと思う。