2021年12月26日日曜日

団塊世代は子供の頃の写真をデジタル復活させ楽しむ。 Baby boomers enjoy digitally reviving their childhood photos.

  団塊世代であれば誰しも自分の幼少期に親が写真を撮ってくれて、アルバムに貼り付けてあるだろう。昭和30年代であれば四隅に紙焼きの写真を留めるポケット式のコーナー紙片があったろうし、もう少し経つと1ページを覆う透明なフィルムと台紙に薄くノリの付いた間に紙焼き写真を挟んで保存するコクヨのフォトアルバム、フリーなどにまとめたものだ。

 しかし経年変化や湿度でノリと写真がくっついてしまい、剥がしたら薄く写真の表面だけがかろうじて残ったりする。いずれにせよモノクロ写真は黄ばみセピア色に成っているものがほとんどだ。

 大瀧詠一じゃないが、~想い出はモノクローム♪色を点けてくれ♪と言っても始まらない。勿論現在はIT技術・色々なアプリで、いとも簡単にモノクロ写真画像を人着(いわゆる人工着色)の様にカラー写真っぽくできなくもない。

 しかし自分の頭の中の昭和30年代、40年代はやっぱりモノクロだろう?無理に色を付けるより、写真をシャープに、セピア色をコントラストのはっきりした当時の白黒にして拡大した方が意味が有ろうと言うもの。勿論好きだったあの娘だけトリミングして拡大も可能だ!

 またあるいは写っている人物などより、当時の鉄道車両や背景の建物・景色(=今は既に無い)に眼が行く方も多いかもしれない。

 いずれにせよ、昔の写真アルバムをそのままにしておくより、想い出深い意味のある写真だけを選んでデジタル再生し、新たなフォトブックに仕立てる楽しみを電脳化した団塊世代は持っているのだ。そうしてこの作業の過程で思わぬ新事実や思い違いを発見したりするものだ。

 筆者など、現在の友が我が妹と60年以上前、幼稚園時代同じ写真に納まっているのを発見し、友と共に腰を抜かしたものだ。

 いずれ、徐々にその方法論をこのブログでもご紹介したい。画像処理ソフトとスキャナー(=複合インクジェットプリンターについているレベルで充分)さえあれば今すぐにでも可能だ。

昭和28年東京北区にある飛鳥すみれ幼稚園の運動会。筆者は66年前卒園のOBなのだ。

同上、近隣の小学校で開催。手前右から二人目筆者。

 幼稚園のジャングルジム。筆者は年長組の男子をこの上から突き落として謹慎となった。しかしクラスメートの女子を叩いて虐めたので仕返しをしただけ、悪くない。筆者右上。

 一旦は祖母(お茶の水幼稚園の教員だった)がこの幼稚園の対応に怒り狂って筆者を退園させたが、いつの間にか復帰していたようだ。この通り無事卒園している。3列目右から3人目。

 たった1学期しかいなかった東京学芸大学附属追分小学校(数年後に竹早校・小金井校へ統合され廃校となった)の入学式。当時の母親がほとんど和服であることが凄い。これは転校した九州の小倉市(現・北九州市)でも同様だった。

その小倉市(当時)の祇園祭。馬借町附近。この列の何処かにそろいの浴衣で筆者は居る。

 1961年の八代駅、寝台特急はやぶさ、東京―西鹿児島間を走る当時日本で最長路線の特急だった。13歳で単身上京下宿した筆者は此の寝台列車で八代ー東京間を一人で15往復はしている。当時は八代駅構内を中学1年生なのに自由に出入りして撮影していた。1961年の事だから後のSLブームのはるか前だった。線路内立ち入りで今だったら大騒ぎだろう?

帰省時に八代駅で列車を降りても、待っている親をほったらかして写真撮影していたようだ。

1962年春の奥沢中学校遠足(バスで城ヶ島)途中の休憩時の画像。先生たちより向こうを走っている古い京急の車両が懐かしい。スリーサンズの「ハーバーライト」で始まるラジオ関東の「ミュージックトレイン」を毎日聴いていた頃だ。

全共闘封鎖中の横浜国大美術科で自主授業中、クラスメート全員を撮影した時の1カット。「焼いたら1枚頂戴ね・・。」ではなくて、たぶん「撮るのやめてよ!」と言われているのだと思う。

 上記いずれもスキャナ~でスキャンし、画像処理ソフトでトリミング、ゴミ取り、シャープネス、コントラスト修正、色調補正などを行ったモノ。元の紙焼き写真は名刺サイズのものも多い。

 モノクロ時代の写真って程よくピンが甘くて、レコードで言えばオルトフォンのカートリッジで真空管のアンプを通して聴くような妙な懐かしさがあるように思うが如何だろう?