2020年5月5日火曜日

続・水面アングルで間近にヤマセミの採餌を観察する。 Observe the foraging of the Crested kingfisher closely at the water surface level angle again.

 連日の新型コロナウイルス禍・のさなか、メディアは三密回避・自粛生活の中で国民が一体どういった毎日の過ごし方を工夫しているか取材し報道しているが、最近どうも気になるある傾向が気になってこのブログで取り上げてみたいと思った。

 それは、3.11日東日本大震災、2016年の熊本地震以降、それらの被災者、並びにそれを取り巻く関係者や応援者の口から盛んに聞かれるメディアのインタビューに対してのコメントに非常によく聞かれる「~~に勇気をもらった」「~で沢山元気をもらった」の類「~もらった、頂いた」のフレーズの洪水だ。

 自宅で自粛中の芸能人たちが自分の部屋などで一つの歌を順番に歌いながらリレーする映像・音声がネットなどで盛んに流れたり、アスリートが自宅でトレーニングする姿をテレワーク方式でネットへ流すことがTVでも取り上げられている。これらに対しても「~~に勇気をもらった」「~で沢山元気をもらった」のフレーズがあふれている。

 小さな頃、落とすと割れると言われた78回転のレコードで、勇壮なラデツキー行進曲や軍艦行進曲を聴いて勇気が湧いた団塊爺の筆者にはとんとこれが理解が出来ぬ。

 歌手やミュージシャンたちのこれって1985年のアフリカの飢餓と貧困層解消への運動の一環「USA for Africa」として多くのアーティストが録音参加した「We are the World」に倣ったものだろう?

 これに対する当時の世界中の反応は「勇気が出た!」「私も自分で何が出来るか考えて行動を起こす事にした」「アフリカにモノを贈ろう!」「手伝いに行こう!」など具体的な自分の行動へ結びつく反応だった。決して「勇気や元気をもらった、有難う、素晴らしい!」だけで終わっていないのだ。

 その後日本においては、例えばアスリートが試合後応援者たちへ感謝を込めて「沢山応援して頂いて、エネルギーをもらった」、あるいはプロ野球やサッカーの日本代表チーム選手が勝利インタビューで「サポーターの大声援で勇気をもらった」など答えるようになった。
 これは10年以上前から「優等生的メディア受け答え」を教え込まれたアスリートたちが、インタビューアーに対する優等生的な対応として皆が判で押したようなコメントを発し、TVメディア中心に流れたのを真似たのだと思うが、いまいち気になってしょうがない。

 どうして「元気や勇気をもらった」を強調する貰いっぱなしコメントばかりなのだろう?なぜ、自分から積極的に「感動したので、自分も人々に元気や勇気を与えたい」にならないのだろう?

 話術やコメントにボキャブラリーが乏しい若者たちの単なる言葉の言い回しなのだろうか?
 勇気というものは湧き出てくるものだし、元気になる・・のであって「元気や勇気」ってそんなに人から貰うものなのだろうか?いつからそうなったのだろう?「勇気や元気」ってそんなに軽いもので、誕生日プレゼントや季節の贈り物みたいに差し上げたり受け取れたりするものなのだろうか?

 スマホで情報を受け取ってその溢れる情報を取捨選択する脳力ばかり長けてしまい、自分で勇気や元気をゼロからクリエイトする脳力がえらい勢いで退化し始めているのではないかと危惧してしまう。何でもかんでも「もらう、頂く、入ってくる」受動態人間ばかりになってしまう日本を憂える。

 今日はヤマセミの生態をご紹介する前にどうしても気になって頭から離れなかったので、コメントさせていただいた。

 で、ヤマセミの水面アングルからの生態観察は昨日の続き!採餌して獲物を叩いて咥えたヤマセミが、その獲物を飲み込まず、咥える向きを変えたのを見て瞬間次のアクションを予測した。そう、メスが飛んできたのだ!求愛給餌の様子が間近で観察できたのだ。
獲物を持ち換えてメスを呼び鳴き始めたオス。

ものの10秒もせずメスがすっ飛んできた!



欲しがるメスに対し、いったん焦らしに入ったオス。

後ろ向きにメスに餌を与えた。メスの冠羽はそう極端にねてはいないし、受け取る際に一般的によく見られる羽を広げることもなかった。

餌を与えたオスのくちばしには相当数のウロコが付いたままだ。