2017年4月14日金曜日

緊急投稿!団塊世代の野鳥撮影時のルールマナー再考察! Rule manner re-consideration at the time of the wild bird photography of Baby-Boomer genaration!

  今日、「野鳥の繁殖時の撮影と情報発信のルールとマナー」に関して意見をお聞きしたいという相談のメールを頂いたので、再び考えてみようと思う。「野鳥団体や野鳥ファンのWEBサイトでは無条件に繁殖中の野鳥を撮影するな、ネットに載せるな!と上から目線できつく諫める事が多いが何処まで守れば良いのか?」というお悩みに、筆者なりの経験と考えを述べてみたい。

 筆者は現在までこのブログでもお判りの通り、ヤマセミを中心に野鳥の生態に関して研究し観察をし、人間との共創について写真撮影をしてきた人間だ。成果の一部は先日神田のホビーズワールドさんでのみ販売を開始した「人吉市の山翡翠」にも掲載している。
ご参考= http://www.hobbysworld.com/item/20114620/

 団塊世代にも多いアマチュアカメラマンの皆さんの様な、いわゆる写真コンテストには一切参加しない。ましてやノートリだ等という事を自慢したりするような厭らしい撮影者でもない。生態観察として意味のある瞬間証拠データとしての撮影が殆どだ。過去においては日本野鳥の会の本部会員であり、なおかつ九州地方の支部に所属していた。これはヤマセミの生態観察の為でもあり、小中学校時代短かったが其処で育ったという理由もあっての事だったが、現在は退会しバードリサーチと山階鳥類研究所の会員になっている。

 数年前ヤマセミの生態研究論文を執筆するため営巣準備中(巣穴掘り)のヤマセミの行為を民家二軒越しに100mの距離から1000㎜換算の超望遠で車の中から陽炎で揺らぐ画像を撮影した。そのうえで注意深くこのブログ上で場所など絶対に判らない様に気を付けた画像・説明で解説したところ、その団体支部のメンバーが全員読めるメーリングリスト上で「繁殖に影響が在るので撮影をおやめください」と指摘されてしまった。以前珍しい変種のキジの画像を欲しいというのでオリジナルデータ画像を提供した(その後の使用方法なり報告は一切ないが)ため、個人メールアドレスも御存じなのに、ワザとそういう皆に判るいやらしい形での指摘だった。
100m離れた迷彩ブラインドネットの中から撮影。陽炎で揺れている。

 実際、ブログに掲載しても誰一人それを観てその場所に来られた撮影者はおらず、問い合わせが来てもお教えしなかったので何の影響もなく、無事に3羽巣立ったのが実際だった。

 実は指摘した方はその団体支部の副支部長だったが、こちらの意図、撮影状況などは一切ご存じないまま、強く指摘されたのだった。
 そこで、状況を説明しそのヤマセミの繁殖には何の弊害もない事をメール上で説明したら詫びられ了解されたが、そのお仲間だろう、事情も知らず「とんでもない事をしやがる!」と、散々メーリングリスト上で叩かれてしまい、結果として小さな論争になってしまった事が有った。

 しかし事情も全く分からないのに、強く非難したお仲間にしても自分のブログで営巣中の野鳥画像をさんざんアップして居り、それを別の方に指摘され慌てて削除したという恥ずかしい話だったようだ。自分には甘く、よそ者には厳しく当たるというエゴイストの典型だろう。

 更には、最初に強く指摘された方も、その後別のお仲間がさんざん営巣中の野鳥の巣の中の卵や、育雛中の給餌場面をストロボ撮影している明らかに野鳥繁殖の妨げになるやりすぎた画像を掲載した本を出版した際に「これは非常に良い本だ!」と書評を書いて人に勧めるなど、行っている事は独善的で支離滅裂だった。

 実際この時現場では、より巣穴に近い民家にお住いの方からご自宅の敷地内から観察撮影されたら如何かと勧められたが、やはりご迷惑を掛けると思いその後も100mの距離で車の中から撮影を続けたのだった。結果何の問題もなく3羽が巣立ち、1羽がアオダイショウにのまれ、1羽がカラスに叩かれ落下してテンとカラスに殺られた。自然界の生態の厳しさをしっかり動画と静止画で収録できた。人間が観察したから何らかの弊害が起きたとは思えない。
  
 これらはどういう事を意味するのか、地方だからしょうがないのか?自分の周りの野鳥生態研究者、大学の研究者および撮影の仲間で数回討論したところ、要は「ヤッカミ妬みの類」がその殆どだろうという事に成った。自分がそういうチャンスに接することが出来ないため、非難という形で憂さを晴らしているのだという事らしい。

 珍鳥や出遭うことが難しい野鳥のブログアップを見ると「やたらと公開するな、地元以外の人が殺到する!俺たちが撮影するじゃまだ!」とエゴイスティックに非難するのが多いが、これと一緒だろう。例えば春先にヤツガシラなど数日しか滞在しない旅鳥が近くに現れると、他県の野鳥撮影者の車を意図的に排除したり、明らかに嫌がらせを言ったりする行為と変わらないという事だ。地方に多いそういう輩は愛鳥家には程遠い。

 特に団体に属していると何か野鳥観察に関して支配できる、偉くなって特権を得たような気分になっているのではないだろうか?最近あちこちで野鳥団体メンバーだと判ると他の野鳥観察者たちから嫌われるという話をよく聞くのは、どうやらこういった部分が原因なのかもしれない。

  断っておくが、この類はあくまでごくごく一部の少数の人々で、所属していた九州の県支部でも独善的な者はほんの特定者4~5名に限っている。その他大半、数百名の方々は純粋に野鳥が好きで和気あいあいと観察したり撮影されているので誤解されないようにお願いしたい。論争の際も逆に30名を超える方々の応援のメールや投稿を頂き、感激した事からも良く判る。 何事においても一部だけを観て全部がそうであるかのような邪推・判断・決めつけが一番良くない。

 本来野鳥の生態を観察し研究している人間は、野鳥保護に関しては基本中の基本だから、普通時も繁殖期もどのくらいまで近づいて構わないか、離れるべきかは良く判っている。判っていなければ素人だろう。
 野鳥の方でも人間の生活領域の方が天敵・猛禽類から身を守れたり、逃げ込める場所が在るので「場」を共存しているフシがあるほどだ。
このセグロセキレイは駐車場のソテツの葉の中で営巣し無事にすべての雛が巣立った。これは車の中から撮影観察し5mも離れていな距離だ。

 やたらマナーやルールをかざす人たちに限って「野鳥に優劣・上下は無い」皆同じだ、だからすべての野鳥の繁殖・営巣には近づくな、撮るな、発表するな!と言うが、それはあまりに野鳥の生態を知らない事を自ら暴露してしまっている。カラスや近所のハトやスズメの営巣も同じなのか?高い塔の上で繁殖する完全野生化した豊岡のコウノトリも撮影するな情報発信するな・・・なのか?

 野鳥から見れば、野鳥達は人間よりはるかに怖い天敵・危機に四六時中狙われているのだ。
 同時にそれぞれ野鳥の営巣繁殖の形態は違う、撮影者が己の野鳥研究者、愛鳥家としての常識的な判断で行動すれば良いのであって、条件関係なく何メートル以上離れろ、全て情報発信するな!という一種の宗教的とも思える乱暴な指摘には従う必要はないと考えるが如何だろう?

 現に昨日朝も野川沿いの緑地帯の桜の樹の洞でシジュウカラが営巣して人通りを観ながら巣に餌をせっせと運んでいた。4m横を花見客が頻繁に歩く道路が在るにもかかわらずだ。実は野鳥は往々にして人間と共存している。
人が行きかう桜の樹の洞で営巣中のシジュウカラ

 ヤマセミにしても人吉エリアでは民家から何と6mの距離に巣穴を掘って無事に3羽巣立っている。民家から40mの距離でも同じ。中には道路横の巣穴で3羽巣立ったのを3年前2週間観察し、動画と静止画とデータを撮ることが出来た。勿論全て車というハイドの中からの観察だった。
3年前のヤマセミ巣立ちの瞬間(1羽目)2羽目は翌日。

ハイド(車の中)から撮影

 野鳥観察に関する注意事項がルール、マナーで留まっている理由は、規則にした途端、罰則が付いて回るからに他ならない。規則にしたら守るための監視が必要になる。しかしすべての野鳥の営巣・繁殖はケースバイケースで千差万別と言って良い。これは野鳥観察する者であれば誰もが当然知っている事だ。

 写真撮影の為餌付けして野鳥を近くに寄せてみたり、アカショウビンの営巣を撮りたいが為、木道を外れて長野の森林公園を荒らしたり、江津湖の様に池の真ん中に人工的な止まり木を設置し、折って来た桜の花木をくくり付けたり・・・そういう人達を現場で注意するのは勿論是非やって頂きたい。其れこそ本来野鳥団体メンバーのやるべき事だろう?
 
 一方で、福岡の大濠公園で散歩の方がパンくずを野鳥に与えていたり、京都嵐山でカモメにパンくずを投げたりしているのを規制する動きを野鳥団体から聞いた事が無い。知床でオオワシ、オジロワシに撒餌をして撮影船が非常に高い乗船代を徴収して撮影させているのを、仲間内メンバーに対しルールマナーを上から目線で声高に唱える野鳥団体メンバーはどう考えるのだ? 

 しかし、抱卵中のコチドリを10mの距離で4時間も撮影というのは状況が判らないので何も言えないが、野鳥の方は慣れるまでは確かに嫌がる様な気もするが・・、というより4時間も粘ってしまうと他のバーダーにわざわざ営巣中を教えてしまう意味でもう少し考えた方が良いかもしれない。
 繰り返すが、状況が判らないのでうっかりした事は言わない・・・。

 撮影者が絶対野鳥の繁殖の妨げになっていないと判断したのであれば、大丈夫だろう。もし失敗したり放棄したら一生その悔いは自分自身に付いて回ると思う。そうで無ければ愛鳥家でもなんでもないだろう。