2016年4月20日水曜日

残雪の裏磐梯でゴジュウカラに遭遇。 I encounter Wood nuthatch at Ura-bandai high-land of remaining snow.

 案の定、熊本地震の震源が南西部へ移動し始め、とうとう昨日は八代市中心部に近いエリアに震源が移動した。特に夕方~夜にかけて震度5強、5弱と連続して大きな揺れに見舞われた。

 最初の一撃、14日熊本市で震度7の際、当日電話は繋がらなかったので翌日電話で八代市在住の旧友に安否確認し見舞いメールを送った。そうしたら「平気!平気」とか強がりを言っていたのが、さすがに今日は怖かったと見え毎晩車の中で寝て過ごすと神妙だった。エコノミー症候群にならないよう是非注意してもらいたい。

住んでいる所がどれほど揺れやすいか推し量るサイトを見つけたので、是非ご紹介したい。簡単なのでそれなりの数値だろうが結構優れたサイトだ。
http://www.asahi.com/special/saigai_jiban/ 

 あの東日本大震災3.11後の東京に在っても震度5強、5弱を3時間程度の間隔で連続して感じることは無かった。これは震源から2~300kmは離れていたからだろうと思う。震源近くと遠い場合では避難する必要が在るか無いかの大きな差が出る。

 普段、主に自分の家、自分の寝床しか知らない人程、こういう天変地異の緊急時の環境変化に対応できない。よく枕が変わると寝られない・・・などと言う人が居るらしいが本当だろうか?そういう人達はまずこういう際は真っ先にパニくって冷静さを失う。ストレスも溜り、やたら人に当たるようになる。あのモグワイが、ギズモになる様なものだ。

 年中旅をして、寝る所が毎日変わったりする経験を積むと、環境変化に慣れて車の中はもちろん、列車の荷物棚やコンクリートの床に新聞紙1枚で寝たりもできる。八代に住んでいた中学生時代、東京行きの寝台特急はやぶさの指定券を買った際は、八代駅の切符販売窓口前に並んで徹夜し、まさにこのコンクリ床に新聞紙1枚だった。

 今の情況を見る限り、広告代理店時代からの癖なのだろうか、エアーウイーヴ等の高反発マットレスパッド等のメーカーは避難所生活中の高齢者・病人などに自社製品を無償提供してデータを採れば良いのに・・・と思うのだが。

 鹿児島県の畳業者が熊本の避難所生活の方に畳を支援したという。い草生産日本一の八代市は畳の完成品が無いのだろうが、PRには最高のタイミングだと思う。知恵を働かせて救援と実利を兼ねる行動を何とかとる努力をすべき時だろうと思う。

…という事で今日の野鳥たち!


裏磐梯雪原ツーリングのレポート、3日目は森の人気者ゴジュウカラ。

クロカンの板を履いて残雪原を進み、遠くにシジュウカラと樹の洞を発見!

少し近寄ると中へ入ったり出たり、巣穴かと思いきや、開口部から雨水が入る角度で穴が開いている。これでは巣穴にできない。

これは水が貯まった洞らしかった。色々な野鳥が水を飲みに来る森の水場だった。

ご存じゴジュウカラはキバシリと同じで木肌を重力を無視して動き回る。

そうして、時にはこういう感じで遠くを見つめて物思いにふける・・・訳はない。



2016年4月19日火曜日

残雪の裏磐梯でベニバラウソに遭遇。 I encounter Red eurasian Bullfinch (P.p.cassinii) at Ura-bandai high-land of remaining snow.

  熊本の地震の震源が中央構造線に沿って移動しまくり、いつ収束するか先が見えない状態になって居る。むしろ、近いうち3.11の様なメガ地震が来てしまうのではないだろうか?という恐れの方が強くなっているという話も聴こえてきた。
 今現在リアルタイムで難儀されている熊本の人々には、とても面と向かって言える事ではないが、あの3.11で何時間も真っ暗な家路を歩き、長い事理不尽な計画停電や断続的に起こる余震に怯えながら生活した関東や東北在住の人間にとっては真剣な話だ。

 熊本出身の芸能人女性が熊本市内で苦労している身の上をブログだかツイッターに書いたら「苦労しているのはお前だけじゃないんだぞ、ヤメロ!」という書き込みが地元から出たので彼女はブログを止めたというが、可哀想な事をする奴も居たものだ、何も止めることは無いだろうと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160418-00000066-dal-ent

 3.11の時、関東エリアでは今ほどSNSは普及していなかったが、そういう他人の情報発信に無責任な中傷や文句付けるような書き込みは無かったと思う。人のブログを見て妬んだり、悔しいと思ったり、腹が立つなら見なきゃ良いだろう?見るか見ないかの選択は出来るのだから・・・。

 自分の意見は自分の主宰する情報発信TOOL(自分では作れないのかもしれないが・・・)で言うべきだろう。 ひょっとして熊本にはこういう精神構造の輩が多いのだろうか?自分の熊本の友人・知人は非常に良い人ばかりで、この手は一人もいないのだが・・・。

 しかし、いつまでも全国からの救援物資が避難所に届かなかったり、市内のコンビニやスーパー店頭には飲料水やパン類が無いというので、熊本市内、近辺在住の友人数名にペットボトル2Lの飲料水を数箱づつ送った。一部集配していないエリアもあるが数日遅れであればネットで購入して送れるようだ。

 ・・・・という事で明日もまたTV報道から目が離せない。

 今日は昨日の雪の裏磐梯の続き、ベニバラウソだ。







 このベニバラウソは自分では何だか見た事のない知らない野鳥だった。福島県のバーダーに教えられて初めて珍しいのだと知った。彼の話だと来る年と来ない年があるという。ヒレンジャク、キレンジャクよりも気まぐれで、いつ何処に来るか判らないらしい。ラッキーだった。

 実は、この朝(6時半頃)はまだ太陽も低く雪原の雪も堅くてクロカンの板を外しても歩けるほどだったのだが、陽が昇りちょうど雪原の雪が緩み始めた時だった。クロカンの板を外して歩いていて両ひざまでズボッ!と埋まってしまった瞬間顔をあげたら半分逆光の中此の野鳥が目の前に居たという訳だ。

 ベニバラウソから見れば、真っ白い雪原に腹ばいになった迷彩色のイグアナのような物体が朝日の中でうごめいているように見えただろう。いやー、しかし順光で撮りたかった。





 

2016年4月18日月曜日

残雪の裏磐梯でアカゲラに遭遇。 I encounter a great spotted woodpecker at Ura-bandai high-land of remaining snow.

 4月初旬、まだ雪が残る裏磐梯高原の休暇村周辺でクロスカントリー・スキーを履いて移動しながら野鳥を観察。桧原湖の氷も部分的に融けかかって黒くグズグズして居たが、クロカンスキーを履いて居れば問題は無い。これで7回目のクロカン撮影行だ。

 最初は1999年、JR東日本と福島県のタイアップ・デスティネーション・キャンペーンで1000人のクロカンスキー体験ツアー、夜は木で出来た和楽器の女性楽団六華仙の演奏会を楽しむって趣向だった。

 当時、まだスポーツ事業局に所属していたのだが、コンベンション事業局の部長の要請でプレゼンテーションを行い、13倍という競争を勝ち残ったのだった。提案したは良いが、1000人分のレンタル・クロカンスキーなど一体どこに在るのだ?と一瞬ビビったが、在る所には在るものだ、長野県飯山のスワロースキーさんから借りられた。1996年頃クロカンスキーに一時嵌まってしまい、飯山市で毎年行われていたビルケバイネル・スキーレンネというノルウェーの伝統的クロカンレースに3回連続で出ていた。その経験がプレゼンに生きたのは間違いない。なんでもやっておくものだ、何処で何が役に立つかわからない。

 最初の時は、大会の運営側として前々日から準備に入っていたのだが、今は亡きスキーの師でもあるお髭の皇族殿下から「お前、明日のレースは出るんだろうな?」と半分強制的に出されてしまった。だから急遽前日の夕方初めてクロカンスキーの板を履いて、駐車場の雪の上で練習し、何とその14時間後には本来自分も運営すべきレースに出たのだった。1996年の事だった。

 長年アルペンスキーやスノーボード流行っていたので、感覚的にはすぐ慣れたが、膝から先だけ前に行くのでお尻が後ろに残って何度しりもちをついたことか。しかし5Kmの一番短いコースで真ん中ぐらいの順番だったから、48歳の新人としては良い方だっただろう。

にわか練習の割にはゴール後に笑顔なので多少は余裕だったのか?

 それ以降、暫くはレースにも出ていたのだが、2005年過ぎから野鳥を撮影するようになり、春の雪原で野鳥を求めてクロカンの板が役立つことに気が付いた。カメラバッグを背負って幾度か裏磐梯や霧ヶ峰に足を運んだ。今日はその中から最近のアカゲラ。

 雪の無い地方ではまず不可能な撮影スタイルだろう。次回は北海道で試そうと思う。

重たい荷物を背負ってのクロカンツアーは、少し慣れてから出ないと無理。

太陽の向きとコースを常に考えて午後の森で野鳥を探す。





 この森にはアオゲラもいるし、ある時はベニバラウソにも遭遇したことが有る。雪で覆われた平地は下からの照り返しで撮影も結構難しい。コントラストが強すぎてうす曇りくらいの方が良いと思えたのも、10年程前のこの撮影行からだった。







 
 

2016年4月17日日曜日

団塊世代が考える観光活性化「2016熊本地震・臨時編」

 熊本の群発大地震は異様な展開で、大きな震度を保持したまま震源地が移動するという地震学者もあまり経験の無い事態となって全く先が読めない。このまま日本を縦断する中央構造線に沿って東に移動すると、豊後水道を越え愛媛県に達することも有り得ない事ではない。針の様な伊予半島には伊方原発が存在する。稼働していないとはいえ大地震の振動で水ガメに入っている燃料棒が破壊されればどうなるか?有り得ない話ではない。
震源地が移動する特殊なケース。 Googleより

 とうとう、今日は学校は違うが中学時代の同期で嘉瀬川の南、嘉島町の鯰に住んでいた同い年の知人(友達のクラスメート)が犠牲になってしまった。非常に気が重い。
 河野大臣が「屋外に避難している全員を今日中に屋内に退避させられるように指示・・・」とあったが、自分の東日本大震災時の経験から言うと揺れが連続して続いている際はとてもじゃないが屋内に居られるもんじゃなかった。カタカナでは表現できない不気味な音が続き、揺れていない時でも何だか常に揺れている気がして落ち着かなかった。

 自分が育った八代市でもとうとう死者が出てしまった。昨日30名ほど送っておいた地震見舞いに半数ほどの方からポツポツと無事を知らせる電話やメールが入ってきているが、それどころではない方もいるのだろう、気になる。

 3.11の際に1か月後比較的低レベルの除染ボランティアと裏磐梯での子供たち屋外学習の引率・教育ボランティアに参加したが、津波で破壊された海岸エリアには怖くてどうしても行けなかった。直下型で倒壊の恐怖と津波で破壊され流された現場へ行く恐怖は少し違うかもしれないが、恐怖を覚える事に耐えるには限度が在る。体力の疲れより気力の疲れの方が骨身に染みる。当時物事の判断やコミュニケーションに余裕がなくなるのを幾度感じた事か。

 それを考えると、犠牲者の近くに居る方や、同僚が亡くなった東海大学の学生諸君はこの先相当大変だろうと思う。

 テレビを観ていて今までと如何にこの熊本地震が違うか良く判った。キーンキーンといういつもの警報音と共に、緊急地震警報が2か所も同時にテレビ画面に出るのを初めて視た。
非常に珍しい2か所同時の緊急地震警報

 それに、ある時の緊急地震警報は、その警戒エリアが「九州・四国・中国」というとてつもなく広いエリアが対象だった。
あまりに広い範囲の警戒情報

 同時に阿蘇のカルデラ火口原の北側と南側にそれぞれ分かれる分岐点が完全に破壊され、何度も自分で渡った阿蘇大橋が崩落、影も形もなくなってしまっていた。

 野鳥観察に外輪山や南阿蘇休暇村に隣接した野鳥園へ良く行くのだが、ここを通らない場合は俵山のトンネルを抜けて行くか、外輪山の縁を通るミルクロードを行くのだが、現在はどちらも通れないという。もはや大分県側から入るしかないのだろうか?阿蘇のカルデラの中が孤立するというのは大変な事だ。

 東北の3.11の現場で苦労された方や、2004年の新潟中越地震で苦労された方から言えば何処も一緒だ一緒だと言われるかもしれないが、余震の頻度と大きさは今回の熊本は最も酷い状況だと思う。しかも地震の震源が浅いのだ、警戒警報より揺れの方が早く来てしまう。人口密度から言っても熊本市は政令指定都市になったばかりだから相当大変だろう。精神的なプレッシャーは如何ばかりか遠くから察して見舞うしかない。

 少しでも早い揺れのおさまりを願うばかりだ。被害に遭われている方には重ねてお見舞い申し上げたい。



※全国で毎日平均250~300名ほどの方々に見て頂いているこの野鳥ブログだが、毎回ブログ更新告知を行っていた日本野鳥の会熊本県支部のメンバー専用のメールを通じての告知が、今回の2016熊本地震で避難生活を余儀なくされ苦労されている方の気に障ってしまったようだ。大変申し訳なかった。地震が少ないとされてきた熊本エリアで、これだけの地震は初めての経験なのだろう精神状態が普通でないのは良く判る。

 そこで今日からその野鳥の会メーリングリストへの更新情報告知をやめようと思う。野鳥の会の熊本県メンバーの方は平均十数名程度の方が観て下さっているようだが、出来ればURLをお気に入りに入れてBOOKマークして頂ければ幸いだ。毎回メールに出ているURLをクリックするだけで楽だったのに、と言われる方もいらっしゃるのは充分存じているが、時期が時期だけに自重しようと思う。

 もちろんほぼ毎日野鳥の生態話を中心にアップする努力をしているので、タイトルを視て選んで、今後も気に入った時だけ観て頂けるだけでも筆者は大変嬉しい。 
 今までどおり気に入って賛同を頂いたり、「それ違うだろう?」というブログ内容に対する全国からのお叱りは右下の「お問合せ~」からコミュニケーションマナー、常識を守って個々にメールを頂ければ幸いだ。いつも手厳しい北海道のS様、N様、日光のフクロウ様、信州のH君!今後も是非お手柔らかにお願いしたい。

 どうしても熊本の話が多くなってしまい、全国からの問い合わせに対応できずに申し訳ないといつも思っている。
 努力して他のエリアの野鳥話や経験話をアップするので今後に期待して頂ければ嬉しい。野鳥話の時よりアクセス数が1.5倍多くなる「団塊話」は週2回週末限定だが、これだけまとめろという多数の要望には、現在WEB本体にバックナンバーを一括で掲載し見やすくする方法を考えているので、もう少しお待ちいただければ幸いだ。


2016年4月16日土曜日

団塊世代が考える観光活性化「八代市の場合・その7」

 一昨日起きた「2016年熊本地震」では多くの犠牲者が出てしまい、怪我をされたり生活環境を奪われた方も多数出てしまった。ほんの少しの間だったが同じ熊本県八代市で小中高生時代を送った者としては今も友達が多く、他人事とはとても思えない。一日も早く余震が収まり、安心できる環境に戻って欲しいと思うばかりだ。

 東京に居ても、非常に奇遇な一晩だった。一昨日4月14日(木)20時58分武蔵野の自宅のデスクで熊本の友へパソコンメールを打っている時だった、ドン!と突き上げるような衝撃に続き少し揺れた。東京直下型震度2の地震だった。震源地は東京23区の真下。

 しばらくしてNHKニュース9が始まりその地震が画面の上の部分に出た直後だった。いきなりそのニュース9の画面に久しぶりにキーン・キーン・キーンという刺激的な警戒音と共に緊急地震警報が出た。最初に飛び込んできた文字が「熊本」だった。アナウンサーの「熊本地方!」の声と共に思わず席を立った。
最初の余震を知らせる緊急警報。

 たった今メールを打っているこちらが震度2で少し慌てたのに、打つ先が今度震度7だという。いったいどういう事だ?こんな偶然はそうしょっちゅう有る事ではない。

 そのテレビの画面では見慣れた熊本の夜景がめちゃくちゃ揺れてグルグル景色が回り、ライブカメラが軸を中心に回ってしまっていることを表していた。最後の方で熊本城の天守閣が土埃を上げながら逆光に浮かび出て姿を見て、その瞬間「屋根瓦が揺れて落ちているのだな?」と直感した。3.11東日本大震災の時の昼間の画像と同じだった。しかし今日になって400年前に造られた木造の宇土櫓がちゃんと壊れず鯱も乗っているのを見て感動してしまった!震度7に堪えて立っている!

この土煙で瓦が落ちていると直感した。

朝になって無残な熊本城の天守閣の画像が放送された、鯱が無い!

 熊本の益城町震度7、自分が育った八代市は震度5強、これだけで直感的に高校時代地理や地学で習った中央構造線が動いたな?と思った。

 関東に比べれば比較的地震の少ない熊本県で、此処半年前辺りから県北の菊池市辺りで震度1~2の地震が多発していたのが気になっていた。これは日本野鳥の会熊本県支部のメンバー専用のメーリングリストに、毎日野鳥情報、大気汚染情報、地震情報を投稿してくださる地球環境と生物全般に詳しいベテラン・メンバーのお陰で知ることが出来ていたのだ。

 これらの群発性地震と今回大地震と震源は同じ地下10~11kmだったので間違いなく関係があったと思われる。詳しい事は専門でないので省くが、地元の布田川断層・日奈久断層という活断層は本州中部のフォッサマグナ辺りから続く中央構造線の延長部。
赤い横長のラインが中央構造線 Google画像より

 もちろんあの3.11の時と同じで直後は暫く携帯電話も固定電話も通じなかった。熊本の知り合い約30名にBCCでお見舞いメールを打ち、深夜遅くまでテレビにかじりついたのは当然の事だった。その後は寝床に昔のトランジスターラジオを持ち込んで朝までつけっぱなしで状況を聴き続けた。

一日も早い復帰を願うばかりだ。

 どんなに観光活性化を図っても、新幹線は止まる、在来線も止まる、高速は九州道も南九州道も通行止め!これでは球磨川沿いの一般国道ががけ崩れで寸断されれば、人吉など陸の孤島になってしまう。

 現代人は在来線の鈍行より新幹線、長距離バスよりレンタカー。どんどん目的地までのアクセスが良くなり時間短縮で、旅の形や醍醐味はすっかり昭和の時代とは違うモノになってしまった。あの1970年から始まったディスカバーJAPANは一体どこへ行ってしまったのだろう?
当時の国鉄が米国のDiscover Americaを真似て始めた大プロジェクト。

 メルヘンチックなワンピースを着た美女たちが籐で出来た旅行鞄を下げて、古めかしい駅舎をバックに並んで思い思いのポーズで記念撮影。窓を開けて短い停車時間で駅弁売りから芸術的やり取りで駅弁を買う醍醐味は一体何処へ行ったのだろう?

 九州新幹線が出来るというので、熊本県一の工業都市・八代市商政観光課は考えた。この九州新幹線が開通することで、一体八代市には観光客が来るようになるだろうか?それとも八代市の人間がどんどん外へ出ていくのに便利になるだけだろうか?

 今日の熊日タイアップシリーズ第7弾の話は八代市にやって来る大都会暮らしの観光客が一体何を求めてくるのだろうか?受ける側は何に気を付けるべきだろうか?という話。観光客は、価値観も違えば味覚も異なる事を理解する必要がある。

熊日新聞に掲載したタイアップ記事の第7弾!



 八代市で小中学校の生徒だった時代は、自分の周りの環境こそ世の中の平均=普通だと思っていた。だから中二で上京し、親類の家に下宿して朝食の茶の間で納豆が出た時に「何だコレ?腐っているのでは?」と言って大笑いされた。
 初めて納豆という食べ物を見たのは、それが生まれて初めてだった。これと同じで、九州育ち、八代育ちの友達が兄弟で上京し浅草の大黒屋の天丼を注文してその真っ黒で塩っ辛い味に驚いて二口で食べるのを止めたというのは非常に良く判る話だった。

 生まれて育った環境が違うと、味覚も価値観もすべてが違うのだ。これは良い悪いではない、ある意味違う星で育ったと思わなければ理解できない。どちらが正しいとか間違っているとかの話ではないのだ。

 郷に入っては郷に従え・・という言葉が在る。しかし、観光客にこれを押し付けては可哀想だ。そこに引っ越してきて住む人間には其処のローカルルール、マナーに慣れてもらう必要が在る。新参者の常識に地元がいちいち合わせていては大変だ、新参者に慣れてもらうのが合理的だ。しかし観光客は違う。お金を落としてくれるのだから観光業で成り立っている客商売側は、その観光客の我が儘を理解しなければいけない。
八代とは価値観も常識も大きく異なる環境の大都会生活者・・・・。

コンクリートジャングル東京などから来る観光客をどう捉えるか?

 受け手が「おもてなし」のつもりで、良かれと思って行う行為が、実は観光客側からからすると「小さな親切、余計なお世話」だったりするケースが多々あるのだ。この細かいすれ違い、行き違いが観光活性化の非常に重要な部分だったりする。次回はその点を少し述べたいと思う。


2016年4月14日木曜日

キクイタダキを全国で観察する その2。I observe a golden-crested wren in the whole country. Part2.

 昨日は季節の野鳥の話が入ったが、今日はキクイタダキに戻ろうと思う。本州中部以北では年中見かけるし、雪の積もった奥日光界隈でも針葉樹周りでキバシリなどと一緒によく見かける。ヒガラと混成群を形成しているのではないだろうかと思う事もあった。

 今日のキクイタダキは南九州・熊本県人吉市の球磨川土手で撮影したもの。この時は一羽で行動していたが、エナガとシジュウカラと一緒にいた記憶だ。

 日本で一番小さいくせに、ちょこちょこ動く野鳥なので撮影家泣かせだがこの時はなぜかこちらを気にしたのか、時々止まってじーっとお見合いをしたほど。ラッキーだった。








もう、九州では桜の時期を越えると出遭えないかもしれないが、この鳥に遭うとなぜかホッとする。癒し効果満点の野鳥だ。







2016年4月13日水曜日

季節の変わり目を感じさせる野鳥。 The wild bird which lets you feel the turning point of the season.

 昨年の秋に球磨川の土手で「今年初見のツグミ!」という投稿をしたと思うが、そのツグミたちが揃ってわたる準備をしていた。場所は信州だが長距離を戻る前の腹ごしらえだろうか、まっていた。

 毎年この時期になると、我が家の隣の大学構内でもヒヨドリとツグミが混成で群れを作り、やたらとうるさかったりする。これは鳴き声ではなく昨年の秋に散った木の葉をひっくり返す音だ。一度南阿蘇の野草園で早朝何かのガサガサする大きな音がして不気味に思ったら無数のイカルの群れだったことがある。

 今回はツグミとマミチャジナイの混成群だった。普段は草原や公園の地べたで胸を張って凛々しい姿で回りを見回すツグミも群れになると学校の修学旅行のようだ。マミチャジナイは少し離れてポツン、ポツンと居る転校生のように見えた。山岳地帯でのワンシーンだった。
 





まだまだ桜前線は麓までも来ていない所々雪の残る八ヶ岳中腹のレポート。