2024年1月5日金曜日

団塊世代は江戸日本橋界隈の文化保存活動に癒された。 The baby boomer generation was comforted by cultural preservation activities in the Edo Nihonbashi area.

  昨日正月四日、筆者は東京駅丸の内南口前の旧中央郵便局・現KITTEにあるインターメディアテックで開催中の「魚学コトハジメ展」を観て、東京駅を自由通路経由で八重洲側へ抜け日本橋方面へ向かった。

 5~6年前まではほぼ毎年新年の飾り物を見物しに日本橋界隈へ出向いていたが、コロナ過で3年間行かなかった。

 今年は久しぶりにコンデジをもって徘徊してみた。新春5日目松の内は6年振りの日本橋界隈だが、今年はタイミングが良かったのか江戸情緒あふれる商売繁盛を祈願する催事に遭遇できた。

 例年よりは動きのある江戸文化をレポートできたのでご紹介。今日はまず松飾から・・。

今から6年前同じく日本橋界隈の正月飾りをこのブログでレポートしていた。今回と比較してみて頂くと面白い。

「2018年新春恒例・東京日本橋正月飾りつけ見聞録。 This is the reports of New year traditional shop decoration display in capital Tokyo.」

https://yamasemiweb.blogspot.com/2018/01/2018this-is-reports-of-new-year.html


昨日の自分の行動の順番にご紹介、まずはKITTE(=旧 東京中央郵便局)

ここでは東大のインターメディアテクで開催中の「魚学コトハジメ展」を見学。


精密画、素晴らしい展示だった。

 この後、自由通路を通り丸の内側から八重洲側へ抜け、大丸その他の松飾をチェック。

大丸など2018年のモノと比較していただくと面白い。


富山館、今回の能登大地震の影響を相当受けているが大丈夫だろうか?

好物の氷見うどん(夏は素麵)などを買い込んだ。

老舗日本橋三越さすがだが6年前の松飾より小さくなった。

越後屋は女性のココロを掴むのが上手と言われて100年以上。

とらやさん、今年は大きな竹(笹)が無くなった。

商売家なので、とらや同様門松は斜めカットではなく金が溜まるよう寸胴切り。

 高島屋などは明日のお楽しみ・・。

2024年1月4日木曜日

団塊世代は正月3日間に自分の大切な場所が二ヶ所焼け落ちてしまった。 Baby boomer lost two of my most important places by fire in the three days of New Year's Day.

  今年の正月はとんでもないスタートで始まってしまった。特に筆者にとってとても大切な記憶の残る場所が二ヶ所も火事で焼失してしまったのだ。

 歳をとるという事はこういう事なのかとショックを隠し切れない。

 まず元旦、能登の大地震で輪島の朝市附近がほぼ焼失してしまった。地震勃発の頃筆者は弾丸登山で高尾山に登って富士山頂に沈む太陽を撮影していた。

 高尾山口から高尾駅でJRに乗り換えて東小金井に向かう車内で大地震の事を知った。筆者は何か大きな事が起きる時に決まって自宅にいない。日航ジャンボ機墜落時はハワイのマウイ島に居た。羽田空港JAL機逆噴射の時も海外にいた。3.11東日本大震災時には山口県の元きらら博会場にいた。そして今回能登の大地震の時は高尾山の頂上にいた。

 人生いろいろとはいうモノの、何でこうなのか?不思議でしょうがない。

 この輪島というのは横浜国立大学美術科のメンバーと三名でスケッチ旅行に行き数日間滞在した場所なのだ。他のメンバーはスケッチ、筆者は写真撮影。

 その朝市の場所そのものが焼けてなくなってしまったのだ。

1970年、あの大阪万博の頃だ、学生の視た当時の輪島。

最近の朝市は良く知らないが、当時の風情はこんなもんだった。

朝市そのものより、こういった風情を撮影していたようだ。

 自分の脳裏に焼き付いているのは、日本海からの潮風で妙に白っぽい町家が続く輪島の街の佇まいとこういった朝市。同様に港の船小屋の風情。硝子で出来た浮き球や干された網などの間から垣間見える漁師さんを撮影した記憶がくっきりと脳裏に焼き付いている。復興して建て替わっても、もうあの海の塩で白っぽい建物が続く輪島の景色は二度と観られない。

 1970年は金沢の民宿に泊まり準急能登路というディーゼルカーで移動した。金沢ー輪島直行の準急は1日に3本しかなかった。SLではなかった理由は終着駅輪島にターンテーブル(=転車台)が無かったせいだろうか?

 元旦にこのニュースでがっくり来ていたところ、2日に羽田空港で航空機二機の衝突事故が発生、いったい今年はどういう正月なんだ?と呆れていたところ今日になって北九州小倉でまた火事だという。つい最近二度も旦過市場で火事が在ったばかりの小倉でまた火事か?

 今度は銀天街のはずれ、鳥町食堂街だという。筆者が人吉のヤマセミの生態を観察撮影に行く際、小学校時代5年間過ごした場所だし当時のクラスメートが沢山いるので出来るだけ1泊で立ち寄ることにしている大切な場所なのだ。

 なおかつこの鳥町食堂街のほぼ真ん中に在る中華屋「耕治」は豚骨ラーメンが基本の九州に在って数少ない醤油ラーメンを出すお店なのだ。昭和30年創業という我家一家が東京から引っ越した年の開業だから非常に大切にしてきたお店。この店などはこの先も小倉に泊まった際行こうと思っていたから残念極まりない。

 同時にその並びの「だるま堂」は小倉うどん発祥の店として名が通っている大切なお店なのだが、両方とも燃えてしまったろうなぁ残念だが・・・。
2020年車で九州へ1か月行った際は、鳥町食堂街を見下ろすホテルに宿泊した。

ずいぶん昔よりキレイにしていたのだが・・。

銀天街の側道に近い場所に鳥町食堂街はある

旦過市場も二度の火災で昔の良いお店、佇まいは無くなってしまった。




 この辺りは10年前に始めたこのブログの最初の頃週末にアップしていた「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」にも書いた。

団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #19. 附属小学校時代の小倉日常生活。」

この鳥町食堂街が無くなってしまったら、小倉という場所の想い出がどんどん写真だけになってしまう。

 こうして筆者の脳裏に残っているかっての場所・ランドマークがどんどん物理的に無くなっていくのは一体どうしたことだろう?

 筆者が勤めた会社のうちすでに2社が倒産してこの世に存在しない。

 我が人生において通過した場所や会社がどんどん消えて物理的に存在しなくなって行くこの不気味。当事者でないと判るまいなぁ・・。

 なんだかとても辛く気の重い正月になってしまった。勘弁してほしい。

2024年1月3日水曜日

今年、龍年の年明けはどうもいつもと違う様だ。 This year, the beginning of the Year of the Dragon, seems to be different than usual.

 

今朝の読売新聞1面

 龍が暴れているのだろうか?今年龍年の年明けはいつもの正月と全然違う。今まで元旦から連続でこの手の大きな事故・災害が起きた事って後期高齢者入りした団塊世代も記憶がない。

 ウイキペディアで視てみると、せいぜい1956年(昭和31年)元旦新潟の彌彦神社事件くらいなもの。殺到した群衆が折り重なって圧死(124名)した事故・事件くらいだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%8C%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 したがっていつも割に静かで平和に過ごす「正月」に立て続けにこう言った大事件・大事故が続くのは非常に珍しい。75年生きて来て初めての事、今年はこの先もっと色々あるのではないだろうかといささか不安になった三が日だ。


 本来このブログはヤマセミを主軸においた野鳥の生態観察ブログなのだが、2020年7月4日の球磨川流域豪雨災害以降「豪雨災害で大変な所に鳥かよ?」と言われてしまうこと必至なのでここ3年余り訪問を遠慮している。ヤマセミ自体も球磨川流域河川を中心に復旧工事で川にあまり寄りついていない様なので、地元の観察者の方々の情報を頼りに推し測るのみだ。

 しばらくは、このブログも東京近郊中心の野鳥情報をアップし続けている。

 今日は一番身近な野鳥の天国、野川でのコンデジ撮影カワセミをご紹介。5日前昨年暮れ12月30日の撮影。撮影機種はCanon Powershot SX740HS

愛犬散歩の途中でのコンデジ撮影なので難しいかと思ったが撮れていた。 

土手下をランニングする若者が通り抜けても平気な顔していた。

夕暮れの黄色い光に生えるカワセミのオス

此のポーズが最もカワセミの全容が判って筆者は好きだ。

暫く佇んで、採餌もせずそのまま去っていった。

今年一年安寧に過ぎていくことを祈りつつ・・・。

2024年1月2日火曜日

龍年の元旦、高尾山薬王院へ詣でたのに直後に大地震! On New Year's Day in the Dragon, I visited Mt. Takao Yakuoin, but right after that, there was a huge earthquake!

 辰(龍)年元旦、後期高齢者入りの団塊爺は自宅付近で初日の出を拝み、雑煮を食ってひと段落した時、天の啓示とでも言おうか突然高尾山へ登り薬王院へ詣でて富士山の上に沈む元旦の日の入りを撮影しようと思い立ったのだ。

 元旦の日の出と日の入りを撮影なんて、この先幾度も出来る事ではないだろうと思ったのだ。

 高尾山はここ数年、年間2~3度は徒歩で登り、徒歩で降りているから勝手知ったる距離感+自分の疲労度を把握できている低山だ。

途中で野鳥を探したり写真を撮ったりしなければ、ケーブルカー駅横の登山道入り口から車も登れる1号路でケーブルカー頂上駅経由で頂上広場まで7~80分で登っている。

 高尾山ガイドでは1号路・稲荷山コース共に登り100分、下り80分とあるが、ほぼ同じペースで行ける。ただ、1号路は普通の車でも頂上施設などへの物資輸送・救急搬送に上り下りできるが、稲荷山コースは木の根っこだらけでデコボコしていて注意が必要、雨の後など時間も余計かかることが有る。

 別にこのブログで高尾山登山ガイドをするつもりはないが、ヒールの靴で登ったり、愛犬などペットを連れて登ってトラブルを起こし迷惑をかける事だけは避けてほしい。

 高尾山は東京で人気の低山登山のメッカ、本格的な登山スタイルで登る人とケーブルカーやリフトで簡単に登れる観光客も原宿や渋谷の街ファッション・ヒールの靴で登ったりする者もいる。乗り物運行が終了した後は真っ暗な急坂を下らねばならない。

ケーブルやリフトで中腹まで登りヒールの靴で頂上へ行く者が増えてきた。

 高尾山を浅草や渋谷などの観光地と同じに考え、遊びすぎてリフトやケーブルカーの運行が終わった後、歩くしかない真っ暗な急坂を下りトラブルを起こして救助を求める馬鹿者が最近増えているという。

 弾丸富士登山でのトラブルのミニ版だろうが、メディアはもっとこういう輩を非難し叩くべきだと思う。成るべくして成っているのに、迷惑をかける輩は「こんなに厳しい所だとは思わなかった」だの「他にもそういう人が居たから・・。」と言い訳するのが常だ。

 話が飛んだ!

 正月元旦という事で長蛇の列のケーブルカーやリフトを想像していたが、家を出たのが午後1時、高尾山口駅に着いたのが午後2時20分頃だったので、高尾山の登山客は殆どが下りの客ばかりだった。

 1号路を登り始め、リフト頂上駅付近を通過したのが午後2時50分頃、途中薬王院へお参りしたのち頂上広場着が15時38分なので、今回も実質60分程度で登れたわけだ。後期高齢者としてはなるべくこの先もこのペースを崩したくないが、加齢の波はそうたやすくもあるまい。自然体でこの先も望みたいと思っている。

 しかし爆睡して今朝起きて体は恒例バキバキの筋肉痛。今日一日は階段の上り下りどころか歩くのすら辛い。

 元旦二日目のこのブログは辰年元旦高尾山登山のレポートとさせていただきたい。

リフト乗り場を通過する午後2時50分頃、すでに駅は下山客で長蛇の列だった。

ケーブルカー頂上駅横の展望スペースから見た東京都心、新宿副都心とスカイツリー。

高尾山薬王寺はピークを過ぎて大きな混雑なし。念入りに健康と安全、平安を祈願したのだが、この20分後に能登半島で大地震発生、まさかお賽銭が足りなかったのか?

そこからは下り客の洪水を避けて急坂ルートを・・。野鳥はいない!

頂上広場は大勢の人だが午前中のピーク時は入場制限したらしい。

皆さんスマホで富士山に沈む日の入りを撮影

宙に浮いたダイアモンド富士 しかしちょうどこの頃、北陸能登半島で大地震が在ったのだが全く気が付かなかった。頂上広場に居た人々もスマホで情報をした者以外は判らなかったろう。

カメラの衰退はこういう場面で顕著に出ている様だ。

下りは当然登りより早い、団塊爺でも早い。

途中、登りにも撮影したケーブル頂上駅展望スペースからの東京夜景。いつもだとビル群がもっと明るいのに、正月元旦という事で高層マンション以外は真っ暗なので東京の夜景としては相当に暗い珍しい絵になった。

下りを歩く人は非常に少なく、真っ暗な中他人の明かりを頼りに・・。

 結局下りは頂上広場16:28分、麓の1号路登山口17:18分で50分で降りたことになる。京王高尾山口ー京王・JR高尾駅(JRへ乗り換え)ー東小金井(徒歩)ー自宅。元旦計2万2千歩。

2024年1月1日月曜日

辰年元旦は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)にちなんだヤツガシラで開幕! New Year's Day of the Year of the Dragon begins with Hoopoe, named after the eight-pronged serpent (Yamata-no-Orochi)!

  新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


 2024年・令和六年辰年が明けた。辰は龍とも書く。十二支の中で唯一空想上の生き物だ。  日本古来の書物・古事記に出てくる八岐大蛇(=ヤマタノオロチ)はその名の通り大蛇のはずなのだが過去描かれた絵のほとんどは八つの頭の蛇と言うより八つの頭の龍なのだ。

大蛇や蛇は「悪の象徴」で滅ぼされるのだが「龍」は神様なのだ。

 ネット上に出てくるヤマタノオロチのほとんどが八つの頭の龍。

 そこでこの野鳥を軸としたブログでは開いた冠羽が8つに見えることが和名の由来とされ、八つの頭の龍「ヤマタノオロチ」にちなんで名づけられた珍鳥ヤツガシラで今年の元旦を飾っていこうと思う。

 此のヤツガシラという野鳥、日本では春先に南から渡ってきて通り抜けていく旅鳥の一種と言われている。一部で繁殖している様だが、世界的に視て日本には生息していないことになっている。それほど出会い難い野鳥の一つと言って良い。野鳥撮影で始終アンテナを張ってその存在に気を付けている方でも、その季節性などの理由で野鳥撮影愛好家でも3%程度の人しか生では遭遇できないと言われている。

ヤツガシラの世界的分布図 Wikipedia より

 筆者は今までこのヤツガシラに三回遭遇している。一回目は3月20日熊本県熊本市西区で。あとの2回は撮影年が違うが鹿児島県薩摩半島開聞岳附近で3月30日。

 今回は熊本市西区での撮影画像から。
最初視た時は「まさか!」という感じだった。

こんなに抜けの良い場所で一羽ぽつんといるなんて・・。

草地で30分ほど地面を穿って土中の虫を放り上げて採餌していた。

このように低く飛んでは場所を移動しながら採餌に集中していた。



フワフワしながらも思いのほか速く飛べるようだった。

滅多にお目にかかれない上からのスタイル・模様が偶然撮れていた。

今年もぜひこのYAMASEMI WEB BLOGをよろしくご贔屓にお願いしたい。努力して毎日更新を続けていきたいと思っている。