2023年5月1日月曜日

団塊世代は初めて首都圏での本格的写真展準備にてんてこ舞いだ。 Baby boomers are busy preparing for a full-scale photo exhibition in the Tokyo metropolitan area for the first time.

  目標とし、その撮影姿勢・行動、作品からいろいろ盗んでは学ばせて頂いているベテラン写真家さんに「一緒にやらない?」と言われて半信半疑のままコロナ過で実施が延び延びになっていた写真展。ついにこの7月上旬開催されることに成ったのは既報のとおりだ。

 彼は一時「辺境の地写真家」とも言われて、世界中のおっかない辺境を回って撮影活動した方。一般的にはハワイとサーフィンに関しての大御所で超有名だ。

 カヌーイストの故 野田知佑さんともマブダチで色々写真集を出されている。かの星野道夫氏ともアラスカで荒野の撮影後一緒にボロボロの格好でヒルトンホテルの玄関を入ろうとしたら、「どうぞ裏へお廻りください」と言われてしまったという伝説をお持ちの方。

 更にはあの9.11で崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルを1960年代も終わりの頃ビルが出来上がるまでをニューヨークに張り付いて撮影した人物として歴史に残る写真家さんだ。

 筆者が特にこの方に惹かれたのは、作品のジャンルの幅広い恐ろしさは勿論だが、その写真撮影に対する他の写真家さん達とはまったく異質の「被写体への向かい方・探す努力」「制作に関しての独自の工夫・ユニークさ」にある。その感性とセンスは誰も追いつかないと思う。

 あの映画の小津安二郎監督がローアングルで、必ず画面のどこかに赤い被写体を置く‥・・といったような、独特の効果・アングルを瞬時にして造り上げる効果も、その多くの作品から勿論学ばせて頂いている。

 それは彼が高校時代、多分修学旅行の際、奈良は東大寺南大門、あの金剛力士像で有名な門を、誰もがするように正面から全体を撮るのではなく、その門前で竹籠に花束を入れて売る女性たちを左横から撮っている写真に驚かされて以来、その天性の「人とは違う狙いの凄さ」に脱帽し続けている。

 修学旅行の高校生が、普通そういう写真を撮るか?己の修学旅行時の写真を見て、その「雲泥の差」に愕然としたのを覚えている。

 一般の人の写真撮影の機器がバカチョンカメラ(=馬鹿でもチョンと押せばだれでも撮れるカメラ)と言われた使い捨てレンズ付きフィルムから、一眼レフ~コンデジと変化し、ついには誰もがスマホと呼ばれる携帯端末液晶越しに撮る様になった現在、そういう被写体を撮る高校生など全国を探しても何処にもいない世の中になってしまった。

 それだけ、色々学ばせて頂いた筆者が「一緒にやろうよ!」と声をかけて頂いて有頂天にならない訳がない。これってクリント・イーストウッドやハリソン・フォードから「一緒に映画作らない?」と言われたに等しい話だ。

 で、最初は有頂天が持続していたが、実際どういう写真を出せば良いか・・の段階になってその奥深い恐ろしさを感じ始めたのだ。

 相手は巨匠。写真道成るものが在るとすれば、しっかりと基礎・基本から実務・実績迄長い年月の蓄積をお持ちだ。なおかつ他の著名な写真家さん達とは比べ物にならないほどの幅広いジャンルの実績がある。その写真集を観れば良く判る。撮らないのは裸の女性だけではないだろうか?

 一方こちらは、中学校時代父親から譲られた蛇腹カメラ、カールツァイス・スーパーイコンタ(フジフィルム・スクエアの写真歴史博物館に展示されている・1942年ドイツ製)で八代駅の操車場で蒸気機関車や離合停車する上りと下りの寝台特急はやぶさを撮影して以来、仕事の一部として60年間写真を撮って来たというだけの、いわばアーティスティック度ゼロの記録写真専門。

 ただ、仕事柄・大会時・イベント時に動くもの(=アイスホッケー、スキー、スノーボード、ウインドサ-フィンを撮影して来た「クセ」が幸いして、2006年からは同じく動く・飛ぶ野鳥の撮影を開始。特に2010年以降は熊本県南部を流れる球磨川の流域に棲むヤマセミ(=山翡翠)という希少種の野鳥の生態に魅せられ、そのユニークな生態を研究するついでに撮影しまくったというだけなのだ。

 それに合わせて地元三鷹・調布・府中・小金井といった多摩地区を流れる野川での野鳥を中心とした動植物を撮り、その写真が数多く溜まっているという事なのだが、今回はそれが功を奏したようだ。要は筆者の役割は、その野川の自然・野鳥中心の動植物画像。

 要は、大東京にあって国分寺はけ線の崖から湧き出る地下水が絶え間なく注ぎこむ清流、一級河川ながら小川・・という環境を紹介する写真展のサポート役という訳だ。

 まだ開催までは2か月以上あるが、2か月なんてイベントの準備期間としてはあっという間の時間。相当馬力を上げて(古いなぁ)作業をしなければいけない。このブログではその途中経過を時々ご紹介しようと思う。

 まずは、「地元野川流域はこんなに自然が豊富」という基本テーマに沿った画像を選ぶところから始まった。そのテーマ・趣旨に関しては数回打ち合わせを持っている。

 で、昨日はこの1週間でやっと自分で撮った画像の半分ほどの中から「これなんかどうだろう?」と思われるものを汎用型A$プリンターでプリントしたものをお持ちして、並べて視て頂いた。色などは勿論一般的な普及型のレベルの色。

 筆者のパソコンも相当ポンコツだが、一応筆者の野鳥撮影画像は2台の外付けHDに同じものを収録してある。外付けHDにしている理由は勿論PC本体がイカれた時の事を考えてと、本体に4TB× 2ブロックもの容量が無い為。

 2ブロックというのは撮影年別(2006~2023)で1ブロック、もう1つが野鳥の撮影場所(国内外)で1ブロック。クロスチェックでいつどこで何を撮ったかが判るようにしているのと、機械は壊れて当たり前という事からの相互バックアップにもなっている。

 野川と言えば何と言っても「カワセミ」だろう。野川に出て歩いて野鳥がほとんど何も居なくてもカワセミだけは居る。出逢わない日は100回行って数度だと思う。

 2006年筆者が一番最初に撮影したカワセミの画像がこれだ!恥ずかしいが野鳥の飛ぶ速さをまだ知らなかったため、右端にかろうじて写っている。

この1枚がきっかけで筆者は野鳥撮影にはまった。2006年の事だった。

 昨日の打ち合わせで、初めてプリントアウトした「撮ったままトリミング以外何の加工もしていない次元の低い候補メニュー」を40枚ほどお持ちした。

 「シンジョーさん、こんなんじゃ駄目だよ!」と当然言われると思いながらお見せしたら、意外にも「いいなぁ、これなんか皆驚くよ!」と言ってくださったモノが数点あった。


もうこの一言でこの1週間の不安と緊張がほぐれて、昨夜は心ゆくまで爆睡だった。

 しかし、団塊世代74歳になって無常の喜びと充実した時間を過ごせて、昨日は久しぶりに超満足だった。打ち合わせ後、テンションが上がったまま調布のアトリエから野川沿いに三鷹井口までまたまた歩いてしまった。これで4月も閉じ籠りが多かった割に1日平均1万歩はクリヤーした。

 このブログでは写真展開催までの裏側のプロセスと、展示から落選作にした作品をこのブログで少しづつご紹介する予定。写真展で展示される画像よりはるかに落選作の方が多いから数的には全く困らないと思う。


 時折ポツリ来る天気だったが、日没時の暗い野川でやはり居たのはカワセミ。繁殖期はあまり川に顔を見せないが、昨日は居てくれたので超高感度で荒れること覚悟で橋の上からシャッターを切ってみた。街灯が既に全部点灯している時間だ。





 やはり、野鳥は図鑑のようにジーッと留まっている所ではなく、動いている時こそ美しいと思う。「航空機と野鳥は飛んでいる時こそ美しい!」という筆者の理念そのもの。