2020年8月24日月曜日

続々・真夏のヤマセミはどうしていたか?3年前の例をご紹介! How was the midsummer of the Crested kingfisher ? Here's an example from three years ago!Vol.3.

  7月の球磨川豪雨災害の後、肥薩線八代ー人吉間の復興に関して、余程の肥薩線再生・利用プランを地元から提案し、署名活動でも始めないと・・・とこのブログで投稿したが、今朝の読売の朝刊にそれに関する記事が出ていた。もっともな事が書かれている。一読をお薦め。

 やはり、鉄道の復興再開は利用者が見込めない場合は非常にむづかしいと出ている。筆者もそう思う。

 この肥薩線復活の件は3日前8月21日のこのブログの冒頭でも書いた通りだ。昨日のこの読売朝刊の記事にダブるような部分が相当あったように思う。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/08/midsummer-cattle-egrets-were-gathering.html

 昭和三十七年、八代二中の頃から鉄道ファンの筆者としても、感情的・情緒的になくてはならない鉄道路線復活を願うだけでは肥薩線は戻らないような気がしている。コロナウイルスじゃないが「経済が回らねば鉄道会社は破綻する」と思っている。ただ陳情や要望だけでは鉄道は戻らない。この件は現在資料・データを整理中なので二回程度に分けて今後このブログでアップ予定。

で、週明けは再びヤマセミのお話。

 「真夏のヤマセミシリーズ 第3弾」は親を凌ぐ大きさと闘争力を身に着けた幼鳥と、それを諫める親鳥の葛藤編!

 8月にもなれば、5月に巣立った幼鳥も自分で採餌し、意気軒高の盛りになる。そうなると親の言うことなど聴かないようになる。ちょうどこの頃が親との争いを繰り返し親のテリトリーから追い出されることになる。幼鳥は単独だが、親はつがいだ、敵う訳もない。

 今日の連続画像で、その辺りの生態を視て頂ければ嬉しい。

母親のヤマセミが川中の岩に着いた・・・。

それめがけて左から幼鳥が鳴きながら突進する。羽を広げて応戦対応する母親!

まぁ、まったくなんて子なの?…という母親の声が聴こえそうなシーン!

悪戯なのか、この時期の普通の生態なのかまだ判らぬが、他のカットも精査中。

母親の目の前をかすめて威嚇した幼鳥だが・・・。

右から父親が血相変えて「お前、お母さんに何て事を!」と突っ込んできた。

この後の父親のせっかんはまた次回以降!こうご期待。

2020年8月23日日曜日

続・今回の豪雨災害人吉市の復興は人吉市単独で考えても無理だと思う。 It would be impossible reborn alone Hitoyoshi city from this heavy rain disaster. VOL2.

  昨日の投稿で、まだ専門家の今回豪雨災害のデータ検証・分析も終わっていないのに、川辺川ダムが在ったら~という事も視野に入れた政治家中心の会議が始まることを憂えたが、何と筆者の考え方を後押ししてくれる治水専門家の大御所のレポートを昨日の投稿数時間後に発見した。

 球磨川流域の今後を考える全ての方は、まずこの専門家の指摘するレポートをよく読んでいただきたい。数値データを駆使し、証拠を上げながら解り易い解説をしている。今回の豪雨災害に関しての国土交通省・熊本県・各自治体、などのデータ分析結果とどのように違うのだろう?是非早く比較したいものだ。

https://www.nacsj.or.jp/2020/07/21000/?fbclid=IwAR1lFYhQoXzquSs5ySXA7b7wnoj30a3KlKo8UM7d2SRvZVOmq8N-QAYn4-I

 もし、川辺川ダムが在ったなら防げたかも・・などと、データも検証せず、専門家の意見も書かずに思う政治家や行政関係の方々は是非このレポートを知っておくべきだと思う。

 これを読んでもなお「川辺川ダムを造るべきだ」と言い張るのであれば、造った後に今回のような豪雨災害が再び起きた際は当然提唱者・賛同者は責任を取らねばならない。3.11の東日本大震災の時の福島原発の東電幹部のように「想定外だから仕方がない」とはもう言えない事を肝に銘ずるべきと考える。ネット時代の今、すべてのネット記事・発言は記録が残るから逃れられない。

 特に以下は、この新潟大学名誉教授の大熊孝先生のデータ分析後の今後の球磨川治水に関する考え方だ。非常に納得する内容だったし、京都の桂離宮の高床式の話もご存じだった。具体的で非常に重要な事をたくさん述べられている。素人の筆者がこのブログでレポート・提案したようなことに非常に近い内容もあった。

8月15日付の筆者のブログはこちら

http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/08/7-3verify-kuma-river-july-heavy-rain.html



 「4.今後の球磨川治水のあり方について

今回の洪水では、人吉の青井阿蘇神社(国宝)の楼門や拝殿が1.5mほども水没している。1200年の歴史を持つ同神社の記録に、そのような浸水記録はないとのことである。今回の洪水位は過去最大といって過言でない。今回の災害は、「本家の災害・分家の災害」の概念から見るといわば「天災」である。

しかし、世界的な豪雨の頻発から見ると地球温暖化による「人災」というべきであろう。このような時にこそ、巨額の費用で建設されるダムには役立って欲しいと考えるが、上記で見たようにほとんど水害軽減には役立たなかった。

さらに、今後、地球温暖化の加速より今回を超える豪雨は頻繁に起こると考えていい。今回、市房ダムは「緊急放流」が検討されたが、何とか回避できた。今回は豪雨の後12日間継続(7/15現在)の長雨となったが、これが逆であったのなら、「緊急放流」は免れなかったであろう。今後、計画を超える豪雨によってダムの「緊急放流」が頻発する可能性が高い。その観点からもダムに依存する治水計画は基本的にやめた方がいいと考える。

それでは、このような大洪水にはどのように対処すればいいのであろうか?氾濫危険地域に人が住まないことが究極の水害対策といえるが、今後の人口減少を想定しても、その実現は無理であろう。結局は、氾濫地域に人は住み続け、大洪水には避難し、被害を最小限に押さえる以外に方法はないと考える。

人吉の河道流下能力を河床掘削により現況より高める必要はあると考える。しかし、下流に狭窄部があり、谷合には多くの集落があるので、それには限界があり、河道から洪水が溢れることを前提とせざるを得ない。

その場合、両岸に水害防備林を造成し、氾濫流の水勢を弱め、土砂をろ過する方法が次善の策であると考える。その上で、建物を耐水化するしかないと考える。

京都の桂川右岸にある、桂離宮は洪水が溢れることを前提として、水勢を弱め、土砂をろ過する「笹垣」と呼ばれる水害防備林を造成し、書院は高床式にしてある。それによって、400年を経ても建物と庭園の美は維持されてきている。

球磨川においても、少なくとも200~300年のスパンで持続可能な治水策を考えるべきである。200~300年のスパンで治水を考えるならば、ダムは必ずや土砂で満杯となり、治水容量はゼロに帰す。また、ダムは川の物質循環を遮断し、川の生態系を破壊する。治水の手段としてダムは選択肢から外すしかないと考える。

なお、水害防備林については、すでに1997年改正の河川法第3条で「樹林帯」として位置づけられている。この20数年間で、樹林帯を治水計画の中に取り入れた河川はない。むしろ水害防備林の伐採が進んでいる。写真2は、川辺川にあった水害防備林が2019年「国土強靭化」という名目で伐採され、今回の洪水で被害が拡大している状況を示している。

今後の人口減少の中で、川沿いに土地を確保して、水害防備林を造成していくことこそ治水の根本でないかと考えている。なお、遊水地を設けることも一つの治水策であると考えるが、今回の洪水では水田地帯を中心に至る所で氾濫しており、実質遊水地の機能を果たしていた。この水田地帯を治水的に遊水地に位置付ける場合、その治水効果を吟味し、農業の持続可能性を考慮しながら、慎重に検討する必要があろう。」


※ 果たして、この専門家の名誉教授の説明に具体的数値や証拠を合わせて反論できる方がおられるだろうか?

 具体的な数値や証拠を元に川辺川ダムが在ったれば今回の豪雨災害は防げた⇒だからやはり川辺川ダムを建造推進するのだと言わねば、単なる建造売り上げ=利益機会の獲得・建造ビジネスを得られるというダム建造経済活性化願望に過ぎないという事になろう。

 長年治水・水害を研究されてきた専門家の名誉教授の見立てが以上だ。これ以上の判り易い解説を今回まだどこにも発見できていない。

 どうだろう?この部分だけでも説得力は大きいと感ずる。筆者のような素人が考えた事と同様な内容も数か所あり頷きながら幾度も読み返した。さすが理路整然とした説明解説素晴らしいと感じた。皆さんは如何だろう?                     

                                   この項続く


 

2020年8月21日金曜日

今回の豪雨災害人吉市の復興は人吉市単独で考えても無理だと思う。It would be impossible reborn alone Hitoyoshi city from this heavy rain disaster.

   今回の豪雨水害で水没した人吉市中神地区でかって撮影した昨日のアマサギの投稿へ数人の方から連絡を頂いた。皆さん此処や大柿地区にアマサギが頻繁に飛来していたことをご存じの様だ。やはり水没した大柿地区のニンニク畑付近でも、春先の田起こしの時期、耕運機の後ろを付いて回るアマサギの群れを幾度も撮影した覚えがある。

 本題に入ろう。

 今回の球磨川豪雨災害からの復興プランを「よそ者の素人だが人吉市中心に球磨川流域の事を常に心配している元広告代理店の団塊爺」として考えたので、このブログで数回にわたり投稿してみたいと思う。

 川辺川ダムさえあったれば今回の豪雨災害を防げたか・・も検討材料に入れる再検討会議が始まるとの新聞報道があったが、今回豪雨災害の水量データ、専門家、学者の分析判断はまだしっかりと出ていないのではないか?

 その専門家のデータ分析結果・判断がまだ出ていない段階で治水の素人=政治家が集まって治水再検討会議を開くことに非常な違和感を感ずるのだが如何だろう。

 早くも「川辺川ダムがあった場合も考慮して」・・という無知な政治家達が始めようとする会議を、順番が逆だろうと諫めもせず何も考えずにそのまま報道する新聞の無能さを感ずる。ダムを是が非でも造らせたいとの意図的な匂いを横眼で視ながら、次のステップをさっさと進めようと思う。


今日はその第1回目。

第1回目のテーマは

 「今回の災害を機に、人吉球磨エリアの『強みと泣き所』を正確に把握認識する事」

 何をするにあたっても、まず己を良く知り、強みと弱みを忖度やエコ贔屓なく知り、理解する事が一番大切だという事。クラウゼビッツの『戦争論』にもあった「己の戦力と敵の戦力を知らずして戦いを挑むのは愚の骨頂」。地域で成り立つにはその地域全域でのマーケティング戦争に勝たねばならないのだから。

 普段、日常生活が問題なく進んでいる時にこういう事を言い出せば「わざわざ平穏無事に暮らしているに事を荒立てるな、せからしか!」と言われてしまうだろう。しかし、こういう一大事の直後は「何とかせんばならん!」となるだろう。実際に歯が痛くならなければ歯医者に行こうと思わないのと一緒だ。

 今回の大災害を、行動するにわざわざ窮地を演出したり「きっかけ、チャンス」を導き出す必要が無い千載一遇のチャンスととらえて、次世代の人吉・球磨の人々の為に行動すべき時だと思う。

 筆者には具体的な実例がいくつもある。一番身近なのが2003年の八代市だ。この年九州新幹線の新八代ー鹿児島中央間が部分開通した。この2年前、八代二中時代のクラスメートから頼まれて、同い年だが八代一中出身の山際洋徳氏に引き合わされ、八代市の地域活性化にを支援する事に成ったのだ。

 当時山際洋徳氏は八代市の名物商政観光課長、筆者は東京の大手広告代理店プロデューサー。たまたま「2006年世界女性スポーツ会議くまもと」の企画運営実施の準備で頻繁に東京から熊本へ出張していた頃だ。同時に2007年全国育樹祭(阿蘇みんなの森で実施・担当)のプレゼン準備などでも訪熊(県庁や熊日広告社)を繰り返していた頃。

 時の八代市長中島隆利氏は広い視野をお持ちだった。山際洋徳氏に連れられて最初にお会いした際「外からの眼で公平に八代市を丸裸にして欲しい」と言われたものだ。
 外からの眼と言われても、今は東京で生活している筆者だが小学校は八代市立太田郷小学校の卒業生だし、隣の二中で一年間は過ごしている。父親が十条製紙勤務だった関係上八代市において筆者は全くの「よそ者」ではない。

 で、九州新幹線が全然開通した際に八代市がどうなるのか、どうすれば新幹線が通る恩恵を得られるだろうか?その為には事前に何をしておけばいいのか?という大命題を頂いたのだ。
 これは個人的にいつも考えていた事だったし、駅前ミック珈琲店の出水マスターともお店に行く都度、年中話し合って議論していた事だったので意外とスムーズに色々な事が走り出した。

 結果として、まず日本中の国民(=八代市にとっての観光客)から「八代市」はどう見られているのだろう?どのように認識されているのだろう?怖いけれどありのままを知る事が大事ではないか?という提案に勇気をもって賛同して頂いたことからすべては始まったのだった。

 すぐさま対面アンケート調査を東京・大阪・広島・北九州・福岡で実施した。それぞれ繁華街だが地元の人が多い場所を選んだ。例えば大阪で言えば御堂筋や心斎橋付近は観光客も多いだろうと天神橋商店街の両サイドの出入り口で行った。

 このアンケート調査の結果、八代市役所の方々は相当なショックを受けることになる。何故なら地元で全国区で名が通っているとばかり思っていた「我が郷土の名物・名産」が殆ど認知されていないことを知るのだ。
 今まで全国で知られているだろうと自慢していた全国花火大会が大した知名度もなく、アユや生産高日本一のトマトへのイメージがゼロ!という結果に腰を抜かしたという。更には水俣などと混同され「公害」のイメージがあるなど夢にも思わなかったらしい。このあたりはまた別の機会に詳細を・・。

 実は、このアンケート結果にはもう一つ別にとても怖い結果が在ったのだ。それは東京・大阪・広島・北九州・福岡の5都市で対面式の本格的な街頭アンケートを行った結果、「八代市」と紙に大きく書いて読んでもらったところ「やつしろし」と読めた人の割合が異様に低かったのだ。どこのエリアにおいても30%前後しか正確に読めず、残りの60%以上ほとんどが「やしろし」と読んだのだった。八代亜紀さんのイメージなのだろう。

 決して寒河江市(さがえ)だの姶良市(あいら)といった難読の市名ではないが、地元でないとまず判らないのかもしれない。
 考えてみれば、関東では天草を「テングサ」と読む人が多い。平成の大合併でできた茨城県の我が本籍地も「行方市」と書いて「なめがたし」と読むが、そう読む人は少ない。「ゆくえし」と読んでしまうのが普通らしい。

 人吉・球磨、あるいは人吉市単独でこういったインターネトを介してではなく、街中で実地のリサーチを行えば、思いがけないというか信じたくないような結果が出るかもしれない。しかしそれを怖がらず乗り越えれば「人吉市」が実際観光客など全国の人々からどう見られているのか、どう捉えられているのかが判る意味で非常に貴重な財産データに成ろう。この結果は一旅館の営業戦略・PR戦略にも大きな影響・効果を上げる事は間違いないと思われる。

 話を戻して、これら八代市の調査で出てきた事実は当時の八代市長・中島隆利さんも相当ショックだったようで、これは市にとっても由々しき事なれば、新聞へのアンケート結果公表はしばらく見合わせようという事になった。
 全国各地における自分の市の名前の認知度があまりに低いという事は、市のPR活動不足の逆証明になってしまうからだろう。

 この事により「市のPR活動に力を入れなければこの先大変な事になる」という事を、当時の商政観光課のスタッフ全員が実感したのだろうと推察する。1,300名のアンケートデータ原本がそのまま手元にあったので、広告代理店と言えば疑われがちな「嘘」や「やらせ」が一つもない事は課の全員が認識していた。

 実はこの件のさわりは過去において数年前一度人吉市のトップの方々にも説明した経緯がある。当時はまだ人吉一大事の頃ではないのでもうすっかり忘れ去られていると思うが、今回の「一大事」人吉・球磨の立ち位置とその潜在能力を知る意味で判り易いマーケティング調査から始められては如何だろうか?

 一般的にマーケティングと言えば専門的に聞こえようが、難しい理論やデスクワーク・統計ではなく生の市場調査と現状把握さえしっかりと自分たちでやれば怖いものは何もない。 マーケティング会社・経済研究所などという肩書のグループに丸投げ外注しても実際に地域活性化など成功したためしがない。現実はそう甘くはないし最低でも3~5年のタームは必要だ。
 自分の足と目で現場を見て自分の「所」がどういった強みと泣き所を抱えているか知って初めて「打って出る案」が出来ると信じている。案が出来るまで早くて1年、準備・周知徹底(PR)で1年、実働実売準備で1年。どんなに早くても3年という時間はかかる。本当は5年は必要だろう。役所で言えば5年間同じ部署で選任できるようなシステムが無いため、いつまで経ってもこういった長いスパンの計画が成り立たないのだ。

 しかし八代市の場合ある意味それが功を奏して、現在に至っている部分もあると言われた。あの県内一の工業都市で観光資源が見当たらない八代市ですら何らかの変化を出来たのだから、観光資源豊富(住んでいる人には判っていない部分が多いが)な人吉・球磨エリアは大きな潜在能力を秘めていると筆者は前々から思っている。

 先日、秋葉原の全国物産SHOP「ちゃばら」という所を調べてみた。
平日の昼でも人は結構入っている。


 秋葉原のJR高架のガード下だが全国の物産コーナーが在って、ブロックごとに分かれているが熊本県南コーナーは在るものの演出が不十分すぎてただ商品を並べてあるだけ。それに比べて四国高地の四万十町は四万十川ブランドが確立されており圧倒的な存在感を示していた。これは明日のこのブログで詳細画像レポートするが、高知県の一町村に熊本県南エリアが完全に負けている現状は筆者もほぞを噛む思いだった。

真夏のアマサギは田んぼで集っていた。 Midsummer the cattle egrets were gathering in the rice fields.

  人吉・球磨エリアの文化・産業の復活へ向けてアイディアを出すべく資料集めなどを行っているが、さる新聞メディアによると地元の団体幹部が集会で「地元の市町村に負担がない様に鉄道を復活させてほしい・・。」などと述べた・・と出ていたが、これはちょっと違うのではないだろうか?

 肥薩線が通った明治42年頃の話であればまだ解るが、明治・大正・昭和・平成と来て今は令和の時代。交通インフラも技術もモータリゼーションのおかげでスピードも格段に進歩し、鉄道利用者は激減している。

 そのような状況下、鉄道会社が採算を度外視して大赤字必須の鉄道を地元のサポート無しで復活などする訳が無かろう?鉄道会社は慈善事業ではないのだ。地元の要望、必要理由、活用努力(=実質的な乗車利用が伴わなければ意味がない)の約束無しに、開通前も後も地元の協力・負担一切なしに鉄道会社が「はいそうですか!」とばかりに費用全部持ち出しで復活などさせる訳がないと思うが如何だろう。

 沿線でSLに向かって旗を振るだけでは売り上げは一円にもならない。駅まで歩いて列車に実際乗って「移動」をする生活方式を少しでも復活させることが先ではないだろうか?車利用のおかげで若いうちから足腰が弱っているのが現代の地方生活者だ。東京に住んでいれば都心へ出て仕事や用事を済ませて戻ると、一日間違いなく一万歩以上歩くことになる。わざわざ球磨川土手をウォーキングなどせずとも健康は保てるのだ。今回の災害は色々な意味で鉄道の再利用・見直しを行う良い機会ではないだろうか?鉄道遺跡だけ大切にするだけでは鉄道会社は潰れてしまう。

 現在の利用頻度、肥薩線の運営経費に対する利用売り上げを視れば「管内でも有数の大赤字路線」であることは間違いなかろう。普通であれば今回の災害を機に廃線にしてもビジネス的にはJR九州は咎められる事はない。国鉄時代とはすべて訳が違うのだから。

 今回豪雨では球磨川沿いのほとんどすべての住民・産業がダメージを受けた。単に鉄道の復活、道路の復活だけ他人任せにして「沿線住民」は何も努力・負担・協力しないなどという話があるだろうか?繰り返すがJR九州は慈善事業で鉄道運営をしている訳ではない。自分達は普段鉄道には乗らず車であちこち行くのに、いざ肥薩線が無くなってみると不安になるのだろうか?勝手なものだ。

  筆者も人吉に滞在している最中に熊本市や八代市へ用事や会合で行く際は酒も飲まないのに、人吉駅前駐車場に車を置いてかわせみやませみ号やSL人吉号、あるいは朝一番の快速利用で移動した。今後ももし行けるようであればそうする。

 肥薩線に関して言えば、「八代・人吉両市を含め沿線各地の文化・観光・ビジネス・産業活性化をこのような復興プランで今から努力する、それには肥薩線の復興が必須・鍵なのだ・・」という青図面を立案提出しなければJR九州に失礼だろうと思う。人吉市だけ、あるいは球磨村だけでものを考えては球磨川流域の復興は成り立たないと信ずる。水上村から八代市に至るまで球磨川沿いが協力して地域活性化を行わなければ本当の意味での「陸の孤島」に成ってしまうだろう。あのインカの空中都市(実際は避暑地で最大人口750人程度だった)マチュ・ピチュだって孤立したが故に絶滅してしまったのだから・・・。

 無条件に鉄道が在って当たり前の時代は国鉄時代に終わったのだ。終わらせたのは自分達車利用者達だろう?肥薩線を修復・復活させてほしいのであれば、少なくとも老若男女、沿線住民全員の復活嘆願署名活動でも始めるべきではないだろうか?


 と、いう事で今日は真夏のアマサギのご紹介。撮影場所は今回の球磨川氾濫で壊滅的打撃を受けた人吉市の中神地区の田んぼだ。筆者は随分このエリアで野鳥の撮影をさせて頂いた。

中神地区は完全農耕地なので一般の人間は立ち入ることが少ない。左端はダイサギか。

この画像の上部にうっすらと見えるグレー部分が球磨川本流の土手道路だ。



真夏の田んぼの中は深い。顔だけ見える感じ。

中型のサギだが亜麻色のカラーはとても特徴的。

飛び行くアマ先の先に何かが居る?

よく見たら赤とんぼと並走していた。真夏の球磨川界隈。

2020年8月20日木曜日

続・真夏のヤマセミはどうしていたか?3年前の例をご紹介! How was the midsummer of the Crested kingfisher ? Here's an example from three years ago!Vol.2.

  間違いなく朝5時の空気は秋を感じさせるように成っている武蔵野・三鷹の佇まいだ。体内時計のせいか、筆者は朝5時きっかりに目が覚める。プラスマイナス5分と違わない。前日就寝は22時~23時台が多いから6時間は寝ている。最近は夜中にトイレへ行くことは殆ど無い。昼間1万2千歩程度歩くか走るかしているのが良いのだろう。

 昨年末から朝400gほどの野菜サラダを作り三食毎にそれを分けて摂取している。これで体重が半年で6㎏減少した。暑さ故冷たい飲み物を保温ボトルに入れて常時補給していたら軟便に成った。暖かい珈琲をボトルに入れて飲み始めたら軟便が治った。体は正確なものだ。

 フィジカル面はこういった感じでキープできているが、脳の方が時々変になる。喜怒哀楽、やる気とだらけ気が交互に来る。三日間カメラ片手に出歩き徘徊するかと思うと1日中カウチで録り置きの洋画をDVD化しつつ見入る、それもうたた寝を繰り返しながら・・・。

 これら加齢による不安定な状態が、コロナウイルス禍の自粛だの炎天下のマスク歩きで余計激しくなっているように思える。屋外を移動中はマスクはしない様にしているが、屋内ではそうもいかない、忖度マスクしていないとマスク警察の眼がうるさい。

 8月も20日だというのにミンミンゼミが絶好調だ。いつもなら既にツクツクホウシの合唱になる頃なのだが梅雨明けが遅く暑いので季節が2週間ほどずれているのかも。


 こう考えると真夏のヤマセミは自由闊達で羨ましい。3年前の記録を今しばらくご紹介したい。まずはヤマセミの飛びながらの排泄から・・。ヤマセミは年中軟便だ、別に常時採餌や身繕いで冷たい川に入るからではないと思うが。ま、もっともサギにしても他の野鳥にしても皆水のように軟便だ。ただ粘り気はアル。だから脱糞時の連写は面白い画像を残してくれる。さぞ本人は気持ち良いだろう。

判っていて撮影したものではない。飛び方が少しブレーキがかって見えたので連写した。

結果、脱糞の様子が撮れていたもの。空中脱糞は幾度か撮影している。

多分水中に落ちた途端釣りの撒き餌のように成り、鮎以外の魚が寄ってくるのだろう。

昨日の二羽のヤマセミの続編が出て来た。同じ日の4分後のカットだ。

4分間追い回し続けていたのだろうか?元気だなあ。

土手では既に赤とんぼがワンワン飛んでいてホオジロが早朝から囀っている。8月の球磨川。

2020年8月19日水曜日

真夏のヤマセミはどうしていたか?3年前の例をご紹介! How was the midsummer of the Crested kingfisher ? Here's an example from three years ago!

  今年は3月以来の新型コロナウイルス禍に加え、先の7月球磨川豪雨災害とで人吉へ赴いてのヤマセミ観察が一切出来ていない。この先、来春まで難しいだろう。ひょっとすると人吉へはもう二度と行けないかもしれない。それほどこの災害とコロナウイルスのダブルパンチは痛いのだ。

 8月というと、例年ツバメは既に幼鳥の巣立ちが終わり、独自での採餌が可能になっている頃だ。ブッポウソウも南へ帰る体力づくりを親子で展開している頃だ。

 ヤマセミに関しては、まだ幼鳥は独立せず、親と一緒に行動をしていることが多いものの、自己主張が非常に強くなり、頻繁に行動を共にしている親鳥と争う姿が球磨川本流で見受けられる頃だ。

 過去におけるヤマセミに関する文献を視る限り、繁殖が終わるとヤマセミは親離れをはじめ、つがいもオスとメスが次の繁殖期に至る間バラバラに生活するとなっているものが多い。

 しかしこの10年間の生態観察記録や画像・映像を見る限りつがいの親は通年で一緒に行動しているし、新たなつがいになったその年巣立ちの新米ヤマセミは、新たな自分の縄張りを形成する頃だ。ただ、これは球磨川流域のヤマセミに限る特有の生態かも知れないので断言はできない。

 そういった真夏のヤマセミの生態を表すいくつかのデータ画像を少し掘り出してみようと思う。今回は2017年の8月の画像。

ヤマセミの主翼は実は思いのほか大きく長いのだ。



鳴きながら飛び回るときのヤマセミは相当興奮している。

こういう時のスピードは非常に速い。

やたら飛び回るので少し引いて周りをを視たら、あとから追いかけているもう一羽を発見!

2020年8月18日火曜日

真夏8月の熊本~宮崎県境山麓はこんな佇まい。Border prefecture of Kumamoto and Miyazaki in mid summer August, Nature scene looks like this.

  昨日・今日と静岡県の浜松市で過去最高気温同等の41℃超えだったとか。東京都心がヒートアイランド現象で高温化する事だけで地球温暖化を叫ぶのはちょっと違うように思っていたが、海に近い浜松市で二日連続こういう最高記録を出すというのは、ドライ・フェーン現象効果とはいえ、温暖化は間違いないように感じて来た。宗教がかった環境団体とメディアが騒ぐ二酸化炭素由来という原因は別として・・・。

 8月のこの頃、人吉でヤマセミを観察し始めて3年目の2012年、初めてブッポウソウという渡り鳥を生で観る事が出来た。ブッポウソウそのものの姿形など、全然事前基礎知識なしで「ひょっとすると居るかもしれない」と言われた界隈10㎞四方を巡回して遭遇したものだった。時は2012年の真夏8月中旬だった。

 いったん宿に荷物を下ろして夕方散歩がてらカメラを提げて集落外れを徘徊していた時の事だった。最初はそれが何であるか判らなかったのだが、上空をブツブツ、ゲッゲッ鳴きながら飛ぶ主翼に白い斑点のある野鳥が10羽以上居るのを視て初めてブッポウソウに違いないと認識したのだった。

 夕方6時過ぎ、まだ暑い気温と突き刺すような鋭い光の夕陽を浴びて飛び回る姿を追い回して撮影し、夜泊まった山間の民宿で首が痛くて仕方がなかったのを覚えている。

 今年2020年は繁殖が上手くいったか否か不明だが、標高2~400mの山奥の自然は平地とはいささか異なっている様だ。その辺りを踏まえつつ8月中旬の熊本県~宮崎県県境の自然をご紹介。

県境の市房山が見え隠れする街道沿い。

何故かまだねむの木の花が咲いていた。

ツマグロヒョウモン♂

アオスジアゲハ


ブツブツ・ゲッゲッ言いながら大型のヤンマや甲虫をフライングキャッチしていた。



今まで見たことが無かった赤いクチバシと赤い足。しばし見とれた。