2016年10月7日金曜日

再びオナガのファミリー、レポート! Azure-winged Magpie report again !

 先日のオナガのファミリー観察撮影の続編。第2弾!

 小学生の頃恐竜図鑑で観た始祖鳥のような長い尾を持つオナガ。ニューギニアに居る29種の極楽鳥全てを撮影した、ティム・レーマンのCANONトークショーに参加した事が有ったが、彼の説明ではあの極彩色の極楽鳥の先祖は全てカラスだそうだ。

 その意味からすれば、このオナガも佐賀に居るカササギも同じ系列だ。カササギは九州、オナガは中部以東、いつの間にか棲み分けているようだ。

 先日は木に留まっている場面中心だったが、今日はファミリーで飛び回っている所を集めてみた。

 
住宅街のテレビアンテナにこれだけ並ぶのも珍しい。

今年生まれの幼鳥達は尾羽がバラバラしている。





架線に留まる際はヤマセミのそれに同じだ!

主翼の広がり方はエナガのそれにそっくりだ!


2016年10月6日木曜日

なんと、ヤマセミとスズメが空中で鉢合わせ! Oh what a moment!Crested Kingfisher and the sparrows encountered!

 野鳥の色々な生態・瞬間を観察していて、撮影時には気が付かずに通常では考えられないような場面が撮影出来ている事がある。
 今日の投稿はそんな中でもなかなかお目に掛かれない瞬間!スズメとヤマセミの鉢合わせだ。
 球磨川は人吉のはずれ「渡」から峡谷部に入り、両岸は切り立った崖となるが、人歳盆地内でもいくつかの崖沿いに流れる場所がある。
 
 今日の場面はいくつかあるその崖の一つ、矢黒の淵の南側の崖での出来事。

 もちろん、撮影自体ヤマセミの動きをレンズは追っているからヤマセミが画面の中心だ。撮影後パソコンで画像を観ていて、何故かヤマセミが崖の横でホバリングのように一瞬止まっている数枚を見つけた。一般的にヤマセミがホバリングるのは殆ど魚を狙って空中静止する場合がほとんどだ。
 しかし、この時は違った。わずか1m隣は崖、なぜこんなところでホバリングするのだろうと思って画面を良く観たら、左の方から何も知らぬスズメが飛んできているのが見て取れた。
 この4カットを観る限り、ヤマセミはこのカット4枚の最初からスズメの動きを判っているようだが、スズメの方は直前まで気が付いていないようだ。


 ヤマセミの存在を知った瞬間のスズメの驚いた姿がとても面白い!

右のヤマセミはすでに体が立ってホバリング状態に近いが左のスズメは力一杯飛んでいる。
 
様子見のヤマセミに対してスズメの方はヤマセミに気が付いていないと思われる。

此処で、スズメは上にヤマセミが居ることに気が付いたのだろう。体が立っている。

野鳥の飛翔スピードから考えると、こういう鉢合わせはちょっと考えられない。







2016年10月5日水曜日

団塊世代は封切られたビートルズのドキュメント映画を観て当時を想う。 After watching The Beatles documentary motion picture,baby-boomer think about a lot of memories.

 「EIGHT DAYS A WEEK 」というザ・ビートルズ(=The Beatles)のドキュメンタリー映画が封切られた。Facebook等で繋がっている同世代・団塊世代の仲間も既に観たもの、絶対これから行くという者、数多い。
今回のドキュメンタリー映画 HPから

同じく別バージョン

 殆どの映像がYoutubeや彼らの過去の映画・ドキュメンタリー動画・ビデオなどで既に観たものだったが、中には初めて観る映像や画像も在った。だが時代に忠実に並べて観たのは初めてだったし、意外にも全米進出が思っていたよりずい分後だった事に驚いた。

 1964年2月11日ワシントンDCでのライブなど過去においてはモノクロで音声も良くなかったが、この映画では映像も音声もデジタル合成処理されて非常に高いクオリティを感じた。コンピュータの底力を感じた。

 1964年の2月11日と言えば筆者はまだ世田谷の奥沢中学校の3年生。都立高校の入試本番直前!本来はテレビどころではないが、下宿先の東玉川66番地の親戚の家の居間で、ライブの数日後報道されたNHKのニュースでこの映像を観ている。その時は騒ぎだけを「凄いなー!」と思っただけで、曲のすばらしさにはまだ気が付いていない。英国も米国も、同じ英語圏の西洋・外人・遠い海の向こう・・という認識でごちゃまぜになっていた頃だった。

間違いなく高校受験の真っ最中。NHKのニュースだった様な気がする。

彼等の曲に頭をハンマーで殴られた様な(経験はないが)ショックを受けたのは、団塊世代の誰もが同じかもしれないがPlease Please meを初めて聴いた時だった。カモン!カモン!という掛け合いや、曲の終わりがそれまでのヒット曲、例えばフォーシーズンスの「シェリー」のようにフェードアウトして遠くに消えて行くのではなく、ジャーン!ときちんと終るのにしびれた。

 で、今回のドキュメンタリー映画「EIGHT DAYS A WEEK 」に戻ろう。

 そのほとんどは、団塊世代のビートルズ好きであれば、何らかの形で接した事のある映像や音源だったが、まとめてこうして2時間じっくり見たり聴いたりしたことは無かった。リバプールやロンドンへ行って映画のロケ現場や有名なライブハウス・キャバーンクラブ(オリジナルではないが・・)へ行ったファンも多いだろうが、一般的には此処まで順序立てたドキュメンタリーには接していないと思う。

※キャバーンクラブ(リバプール)1957年1月16日にジャズ・クラブとして開業し、1960年代にはリヴァプールにおけるロックンロール界の中心地となった。ビートルズも活動初期にここで演奏していた。 
1973年3月に閉店した後、1984年4月26日に開業当時のレンガ、設計図を用いて再建、再開されたが、場所は元々の位置の通りを挟んだ向かい側に移った。以上ウイキペディアより出典

 この映画は本編の後に米国ニューヨークにあるシェイ・スタジアム(当時日本ではシェア・スタジアムと言っていた)という野球場でのコンサートのほぼ全編をデジタル合成処理で観て聴くことが出来る。このシェイ・スタジアムのライブとハリウッド・ボウルのライブ音源は1970年代初頭に海賊版レコードで既に手に入れ聴いてはいたが、今回の映画のデジタルマスターは素晴らしい。全然別物に聴こえる。


幾度も色々なライブ時の音源を重ねてデジタル合成しただろうし、更には観客の声を合成上聴きずらい微妙な部分にかぶせる事で、逆に臨場感を増すような演出をしている、その知恵は見事と言わざるを得ない。

 モノクロ映像に着色するなどという事は今や朝飯前?明治時代にすでに人工着色、つまり人着という技法が在ったくらいだからデジタル処理を使えば何という事もないだろう。

 しかし、しかしだ。シェイ・スタジアムの演奏曲目でA Hard Day's Night演奏中ジョージ・ハリソンが、12弦のリッケンバッカーを演奏していたのに、いつの間にか途中でグレッチに替わっていたのは驚いた。ジョンはこの頃黒いリッケンバッカーしか使わないので、ジョージが12弦のリッケンバッカー360/12から演奏中瞬時にグレッチ・テネシアン(現テネシー・ローズ)に持ち替える事など出来っこない事はバンドを一度でもやった事が有る方には解るだろう。

ジョージのこの2台のギターは初期のビートルズにとって必須の画像だ。

筆者は1990年代になってやっと本物を手に入れられた。

ましてやこの映画の観客人の殆どは団塊世代でリアルタイム時代からのビートルズ・ファンだろう?筆者だけではなく誰もが見逃すわけはない。それとも逆にこの部分に関して何か新しい話でもあるのだろうか?

※筆者のビートルズに関する過去ブログはこちらなどを参照いただけると嬉しい。
     http://yamasemiweb.blogspot.jp/2014/10/blog-post_5.html


2016年10月4日火曜日

久しぶりに武蔵野の野川でカワセミ! After long time I met Common kingfisher at Nogawa-river of West side of Tokyo.

 台風18号の影響だろうか?今日の東京は32℃。せっかく衣替えしたのに何なんだこれは?一度葉と実を落とした柿の木が、二度目の葉を出し実を付けた。異常と言えば異常だろう。

 都心で2件の打ち合わせ後、夕方野川界隈を70~300mmズームを付けて昆虫・野鳥を探した。蝶はツマグロヒョウモンの♂♀が同じ花に留まるのを撮れた。ルリタテハ、クロコノマチョウ、も撮れた。真夏より今の方が数は多いようだ。
 日没後、久しぶりにカワセミに出遭った!しばらくホバリングしていたが一発大ジャンプをポチャーン!とやってくれてそのまま手前へ飛んできた。だが、既に相当暗くAFが間に合わず、悔しい思いをした。

 その少し前、アオサギが野川の中ではなく土手の茂みに向かって抜き足、差し足でにじり寄り、あっという間に草むらに首を突っ込んで山ミミズを咥えた。20cmほどの大きさの大ミミズだった。一部始終を観察できたので近々アップ予定。

 モズの高鳴きを2度アップしたが、今朝は自宅の窓から隣の大学構内を飛び交うモズを注視して居たら大きなカマキリを咥えていた。
 さっそく針葉樹の上に挿して別の樹に飛んで行った。モズのはやにえ(速贄)か?
5か月ぶり位のカワセミ♂既に日没後。

暫らくホバリングして

長距離ダイブをやって川上にすっ飛んで行った。

梢で高鳴き中のモズ。

最初は木の葉かと思ったが、よく見たらオオカマキリだった!

大きな針葉樹の梢から梢を往復しているモズ君。此処に居座るのだろうか?


2016年10月3日月曜日

モズの高鳴きが止まらない! We are still hearing Shrike high squeaking.

 一週間前、武蔵野の満開近いコスモスの上でモズが高鳴きをしているという内容をブログアップしたので、ここ暫くモズに注意を払っていた。

 そうしたら、ちょうど渡って来てすぐの今、どうやら自分の縄張りを持とうとしているのかカップリングを急いでいるのか、とにかく良く鳴く。朝から鳴く!
 キイキイキイ!と鳴いたりキキキキキキキ連続音で鳴く。
 野鳥が連続音で鳴く際はたいがい仲間や家族に危機・危険を知らせる場合が多いのだが、モズの場合は違う様だ。

 野川沿いのモズのテリトリーを目視で測ってい視ると距離200m程で一羽ずつが木の梢に留まって盛んに鳴いている。そうこうしていて近くの梢に別の個体が飛んで来て高鳴きをしようものなら、さーっと飛んで行って口論しているようだった。

 野川のコスモスも満開になり、更にモズの高鳴きも盛んになる事だろう。
これは武蔵野の野川沿いのミッション系大学キャンパスでの撮影。



雨続きの合間に一日だけ晴れた日の朝、綺麗に飛んでくれた。



既に日没後の暗い中、いつまでも鳴いていたモズ!


2016年10月2日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝#19」 1981年頃の30歳代若者たちの一般風俗文化 In 1981 Baby-boomer's customs & cultures.

 沖縄で方言と解釈の違いに赤っ恥をかいた我々「ウインドサーフィン沖縄ワールド運営スタッフ」は、ホイチョイプロダクション制作「気まぐれコンセプト」そのままに、広告代理店という一般社会からかけ離れた感のある特殊な世界で、どんどん脱皮を繰り返し進化を続けていくのだった。

 そんな中、激動の60年代の文化風俗満載時期と異なって、文化風俗無毛の時代と言われた70年代の名残を残し、色々な意味でこの頃の日本は黄金のバブル期に入るほんの少し前の状態だった。しかしまだ、テレビのトレンディ・ドラマはスタートする前だったが、「トレンディ」という言葉が生まれる直前の要素は実はこの1980~81年頃に生まれていたと言って良い。

 田中康夫の「なんとなくクリスタル」がベストセラーになり、その本あるいは後追いの写真入りで人気店舗紹介するマニユアル本が飛ぶように売れた。
 そのカタログ文化にかぶれ・浮かれた若者達をメディアはクリスタル族と呼ぶようになった。
 勿論我々プランナーやディレクターといった職種の人種は、それらの演出側に居たのだが、広告代理店社員の大半は先陣を切って、このクリスタル族の事情通に成りたがる若者で溢れていた。
1981年田中康夫、なんとなくクリスタル。田中康夫にはマガジンハウスの雑誌ポパイからスタッフが分離した、同じ東銀座の雑誌オリーブ編集部で何度も一緒になった。

まだマハラジャなどのド派手なディスコは出現していなかったが、夜な夜な六本木界隈を徘徊する「浮かれた若者たち」の数は日を追って、ばい菌のように増殖していったのが、ちょうど此の頃だろう。

 これに呼応するかのようにファッションの世界ではPARSONS=パーソンズを皮切りにデザイナーズ・ブランドが出現!これ以降DCブランドが全盛期に入る。いわゆるハウスマヌカン(要は単なる店員)を軸としておかっぱ頭に黒づくめのファッションスタイルがもてはやされる時代に突入した。
当時をイメージして描いてみたが、少し違うかもしれない。

皆ロボットのように同じ雰囲気で、痩せて背の高いおかっぱの女性が尊ばれ、背の低い者やグラマーで昔から男子が憧れた美女・可愛い顔の魅力的美人達は正当に評価されない時代が暫く続いた。特に筆者はこの時代を「本物の美女達の暗黒時代」として嘆き悲しんだものだ。毒舌で有名な芸能人などは「ブスの反乱!」あるいは「ブス達最期の革命」等と言って笑いを取ったのも今となっては懐かしい。

 ブス=個性的な・・・という、事実を曲げて表現する手法が生まれたのもこの頃ではないかと怪しんでいる。同時に日本語が正しく真意を伝え難くなった元凶だろうとも思っている。ニッポン男児の若者たちの審美眼が、この当時から狂ってしまったまま今に至っているのは実に嘆かわしい。
こんな特集が後に出たくらいだから・・・・。

此の頃のおかっぱ頭は今となってはクレラップのTVCFでしか観られない。
  YOUTUBEより= https://www.youtube.com/watch?v=jzjEbhkj4tw

 銀座一丁目に在った広告代理店「中央宣興=今はもう無い」は中堅どころの広告代理店だった。強力なコネを持つワンマン社長の元、電・博などには到底及ばないまでも、当時の国鉄、車メーカー、録音テープメーカー、海外化粧品、大手ファミリーレストランなど有名なのクライアントを数多く抱えていた。
外資のトリンプから中央宣興へ移った際の辞令、年収は当然随分減った。

東京の一等地、花の銀座一丁目に在った本社ビルは土地ごと自社ビルで、国内の広告代理店に在っては稀有な存在だった。
 羽田に向かうモノレールの「東京流通センター」という、いわば首都東京のチベットとでもいうべき僻地から、銀座一丁目というまさにホイチョイプロダクションの「気まぐれコンセプト」に出てくる「白クマ広告社」のような感じの代理店に移れた筆者は、今振り返ってみれば人生の黄金時代を過ごしたのだった。

今はもう無い中央宣興ビル(現在取り壊しが終わり新しいビル建築)

 文具の伊東屋(文房具屋の匂いを捨てた最近の変わり様は少し腹が立つ!)は歩いて500歩!明治屋も似た様なもの。大手銀行は通りを隔てた目の前。スキーの神様・杉山進の店も歩いて何歩の世界。銀座一丁目の角には名鉄二ューメルサというファッションビルがあるし、何を言っても自社ビルの目の前が地下鉄有楽町線の駅なのだ。

 昼時ともなれば、いらっしゃいイラッシャイの掛け声とともに、それこそ人気店紹介のマニュアル本に出て来るような有名店が目白押し。一通りランチを食べるだけで3カ月はかかろうというもの。ステーキの高松、フレンチの銀座レカン、鰻のひょうたん屋、餃子の天龍(個人的には美味しいと思った事が無いが)、ビルの谷間を抜けて行くベトナムラーメン、魚料理の三州屋、松屋デパ地下のスパゲッティ壁の穴、同じく松屋裏のスケベニンゲン。天麩羅、寿司、釜飯に至ってはもうばい菌のようにこの界隈に存在していた。

銀座4丁目交差点から銀座一丁目方向を撮影

 しかし何故かこれだけ美味しいものを腹いっぱい食べても太らなかった当時に戻りたい!

 この会社に勤めたら、もう他の会社に等行く気がしないだろうと思った、…その時は。

2016年10月1日土曜日

オナガが近くに寄って来た! Azure-winged Magpie came too close !

 西日本には居なくなってしまったというオナガだが、武蔵野では徐々に増えているようだ。特に今年は武蔵野の住宅街で繁殖をしたらしく、この夏は朝からギャーギャー騒がしい事この上ない。

 姿形は化石の始祖鳥のように尾が長く(だからオナガなのだが・・・)野鳥としては非常に美しいのだが、その声たるや先祖の恐竜そのもの。

 三鷹を中心とした武蔵野では特に野川周辺で最近繁殖が集中しているようだ。オオタカに連れ去られたり、自然淘汰は行われているのだが、繁殖環境条件が余程良いのか?

 尾の長い野鳥とい言えば、以前このブログでアップした緑色の外来種ワカケホンセイインコも毎日武蔵小金井の小金井公園と世田谷の大岡山に在る東京工業大学構内の塒を往復している。尾の長い野鳥は今や武蔵野の名物になり始めているようだ。

 今日の撮影時、ヒヨドリの群れがいきなり大挙押し寄せて国際基督教大学構内へなだれ込んできた。いよいよ秋も本番?急に気温が下がったせいか、毎夕飛び交っていたコウモリが全然飛んでいない。季節は正直だ。
多分今年生まれた若鳥だろう、頭のてっぺんが如何にもまだ子供!


 ヤマセミの幼鳥と同じで、まだ人間への警戒心が少ない。

普通の住宅の庭の木の実を盛んに食べていた。


これほど傍で撮影できるのも武蔵野だからか?