自分の母子手帳から昭和の終戦直後・昭和23年頃の生活諸事情を推し測った前回のこのブログだったが、今回は更に時が進み昭和30年(=1955年)前後の日本の世情がどうだったかを見てみたい。
その資料は神田の古本屋街で仕入れた「家庭便利帳=東京PR連絡協議会発行」という昭和30年頃の日本の首都東京での生活水準(=単位表記)を示すマーケティングデータなのだ。
現在、日本における数値的生活水準を調査しようと思ったら、各省庁のバラバラなデータを収集し自分で統一したデータに翻訳しなければならない。
当時の日本の各省庁のデータは年度がまちまちだったり、括りの単位が違ったりでバラバラだった。総務省辺りがそれらをまとめて一般国民に判りやすく公開すべきなのだが、戦後まだ10年の段階でそれを求めるのは酷だったのだろう。
しかしさすが首都東京、戦後10年で「東京PR連絡協議会」なる組織が立ち上がって、今回手に入れたような資料を発行している。役所も戦後復興で一生懸命だったのだろう、頭が下がる。
ところが現在Googleその他ネットでこの組織をググってみても、何もヒットしない。更にはこれに準ずる一般用資料・小冊子・WEBサイトは何処にも無い!東京都庁はこういった面では残念ながら退化してしまったとしか思えない。
「家庭便利帳」右・表一、左表4。白木屋デパートの広告がある。
作成に当たって当時の東京都の主要組織が皆入っている。第1号=創刊号らしい。公共の為に役所と企業(JTB、東京ガス、東京電力など)が一緒にこういう物を作っている。今はどうだろう?こういったサービスは無いのでは?誰の発案なのだろう、当時の都知事は安井誠一郎氏だが・・・。
まだ、公共の場所だろうが何処だろうが「タバコ喫煙」は普通の事だった頃。
たばこの一服が美味い時は健康だ!と書いたり、ご家庭の気軽な贈り物に「たばこ」を・・と勧めたり、常識がこれほど違う世の中だったのだ。70年経つと色々な常識が変わるモノなのだ。
昭和30年、東京タワーもまだ工事に入っていないし、高速道路も無い。テレビの普及台数は10月段階でNHK受信契約が10万代の時代だ。まだまだメディアはラジオ・新聞が主流。世の中すべてがアナログの時代。今とは情報のスピードが余りにも違う時代だった。
政治の世界もラジオと新聞、週刊誌。しかもその頃在った週刊誌は「サンデー毎日」「週刊朝日」程度で文春砲や週刊新潮は翌年昭和31年=1956年の創刊だ。価格も50円、60円が一般的だった。
この情報スピードの差は、60年経った今年の参院選でさらに加速した。
このようにリアルタイム=ライブで伝わるSNS中継が主流になると、ライブの段取りが大変な一般TV局からの情報はもう時代遅れになり、スマホでSNSやネット情報で「今」を知る時代になるだろう。スマホの威力は恐ろしいものがある。これはまた別の機会に掘り下げたい。
今回の参院選で数々の既存大手メディアの偏向報道、情報操作が露呈してしまい、いま大きな曲がり角に差し掛かっていると言って良いのではないだろうか?
今後既存の大手メディアは「偏向報道や作為的な操作」が出来なくなり、「世論を誘導してきた暗黙の情報操作特権」を失うことになってしまう。
こうなると民放テレビは呆れるほどのコマーシャルの多さと、お笑い芸人がひな壇に並ぶバラエティ番組ばかり(既に数年前からそうだが)でテレビ離れが急速に起こる気がする。
この項続く。