昨日は80年目の終戦記念日8月15日。団塊世代の筆者は子供の頃から昭和20年8月15日の玉音放送の映像は幾度となく観る機会が在った。
NHKのアーカイブ番組で観る事が一番多かったろう。自分が生まれる前の話なので遠い事のように感じてきたが、今回80年目の昨日は違った。
さすがに今回は「生きている間に、あの玉音放送の現場に同じ8月15日の正午に居てみよう。80年前あの時其処に居た日本人は何を考え何を思ったのだろう?」を体験してみたかった。ちょうど暑い日でほぼ快晴の天候も同じだった。
しかし、観光客は2~30名いたがほとんど外人で、日本人で筆者と同じような考えを持ってこられた方は推測するに正午の黙祷者含めて数人しかおらず、取材に来ていた共同通信他TVメディアの人たちも取材対象があまりに居ないので相当焦っていたようだ。
筆者が観た限りでは、そういう取材要請を殆どの人々が断っていた。観光で来た子連れのファミリーなども終戦の日の取材と聞いて、「子どもの写真を撮られたり、違う内容で報道されそうなのでお断りします」とはっきり拒絶していたのが非常に印象的だった。
先の参院選以降、大手既存メディアへの国民の「猜疑的な見方」が相当なものだという実感を持った一瞬だった。
今回は戦後80年目というが、昭和で言えば100年目なのだ。昭和20年+80年=昭和100年。
思えば長く生きてこられたものだ。で、考えてみれば昭和23年生まれの筆者はあの玉音放送のたった3年後生まれ。その前後年に生まれたのが筆者など団塊世代なのだ。
今から3年前といえば安部元首相が暗殺され、かの石原慎太郎氏が亡くなった年。新型コロナ、オミクロン株が蔓延し10万人/1日という最盛期だった頃、ついこの間の話ではないか?
筆者の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」にも書いたが、これから先の時間は遠く長く感ずるが、過ぎ去った時間はあっという間に感ずるのだ。ご参考⇒2013年12月8日のブログより
https://yamasemiweb.blogspot.com/2013/12/today-i-became-sixty-five-years-old-and.html
「人間まだ来ていない先の日程は長く感ずるが、過ぎてしまった過去の日々はあっという間に感ずる・・・という事。次の東京オリンピックは7年も先だという事で遥か彼方に感ずる。その時まで命が有るかどうかも判らないと思う人も多いだろう。65歳になれば誰しもそう思うのが当たり前だ。しかし、今から7年前の事はつい昨日の事のように感じてしまうものだ。」
要は、筆者含めて団塊世代は戦争が終わって日本の世の中が精神的・感情的にも物理的にもまだまだ混乱しっぱなしの状態、敗戦から立ち直っていない状態で生まれ出た訳だ。
これを機に、少し団塊世代の筆者が戦後どういう状況下で育って行ったのか、いくつかの保存してある資料を基にご紹介してみようと思う。
戦後80年目の終戦記念日、昭和100年目の同じ日を記念して書いてみるのも良い機会だと思う、特に団塊世代の方々には「思い出した、そうだそうだった!」と思って頂けると嬉しいが・・。