筆者は中学校1年生まで小倉市(=現北九州市・福岡県)、並びに八代市(=熊本県)で育った。したがって、年中大自然の中で遊びまくっていた。暑い九州で今と違って冷房なども全く無い環境で過ごしていた。自分にとっては3校目の国立大学の附属小倉小学校は教室に灯り(電気)が全く無く、プールも無い貧相な施設だった。
だから夏は海水浴場(山口県の吉母、北九州市の馬島など)か小倉市内の紫川上流で泳いで水泳が達者になった。余計な事だがそれ以降海だろうが川だろうが、昔から水中では水中メガネなど使わず裸眼で目を開けている。
これはウインドサーフィンをやり始めて非常に役立った。ハワイの海や小笠原の海で水中に投げ出された後、サメや毒クラゲなど水中の脅威から身を守るのに水中が見えるというのは大切な事なのだ。
そういった自然環境で育ったため、最近の都市部での「猛暑日・熱帯夜」さわぎがどうも分からない。東京に移って住み始めて60年以上が経ったが、冷暖房が完備され人間は野生の生活環境から「何でも心地よい環境」に慣らされてしまったようだ。
自宅からバス停までが唯一「純自然環境」で、バスの中~鉄道の駅構内~電車の中~地下鉄~都心の駅~地下道~ショッピングビルや美術館。全て今の時期強烈な冷房・空調が完備されている。
昨日は関東一円で40℃超えが続出した。我が家も玄関先の寒暖計が42℃オーバーだった。今朝5時の愛犬散歩時にも既に30℃超えだった。此の寒暖計玄関先の木陰(常時日陰)地上1.5mに設置してあるモノ。
暑さ寒さへの個人耐久レベルは住んでいるエリア、外出の頻度で変わる。何でもかんでも電気で動く生活環境インフラ、自然大災害や発電・送電トラブルなどで長時間停電した際の事をどう考えているのだろう?非常に気になる。
話が長くなったが、今日の話は筆者大好きな「鮎」という魚の話。
自分が一時期育った熊本の八代、そうして2010年から10年間山翡翠(=ヤマセミ)という希少種の野鳥の生態を観察撮影するために計300泊以上した人吉市を流れる日本三大急流の球磨川。餌の苔を含めて生息環境が良いためか極めて大型の鮎が育つ。
しかし大型の鮎が美味しいかというと、決してそうではない。実は稚鮎~20㎝くらいが一番美味しいと筆者は思う。何でもデカけりゃいいと思うのは鮎を良く知らない人だろう。
当然、人吉市も八代市も鮎に関わる産業が盛んだ。むろん完全天然の鮎ばかりではなく球磨川漁協が苦労して稚鮎を育て、上流まで運んで放流するという方法を取っている。海から遡上する鮎の全部はかっての荒瀬ダムや瀬戸石ダムを越えられない。手助けが必要なのだ。
型が大きいためか、ダイワ、シマノといった釣り具の竿メーカーがその竿の耐久性をテストするため毎年人吉より上流で合宿をしに来るという。
しかし、こういった太公望には超有名な球磨川流域だが、その料理に関してはイマイチ全国に名が広がっていない。球磨川流域で鮎料理を楽しみに来る観光客はまず居ないだろう?
宣伝上手な四国の四万十川などと違い、メディアでその名声を聴くことは殆ど無いのが実情だし、これだけ通った筆者でも鮎料理天国のような実感がない。
いわば素材だけは良いものの、宝の持ち腐れだ。
この辺りは熊本県という県民気質、モノの考え方の特殊性にその原因の一端があるようにも思う。球磨焼酎という伝統的で嗜好の強い人にはたまらぬ手に入り難い米焼酎がある。しかし熊本県の物産PRに関してメディアに載るのは熊本産のワインだったりする。
東京の蕎麦屋で焼酎のメニューを見ると、鹿児島の芋焼酎、宮崎と大分の麦焼酎ばかり。熊本の米焼酎・球磨焼酎には出会ったことがない。PRが下手すぎる。
筆者体質的に酒は飲めぬが、地元に数十社ある球磨焼酎蔵元を差し置いて、2カ所しかないワイナリー(=製造元)をメディアに載せ世界へアピールする気風・・おかしいと思うのは筆者だけだろうか?
米を原料とする球磨焼酎群
これと同じ話が今日の鮎の話。
八代でも人吉でも宿に泊まって「鮎」を食べたいというと、そのほとんどが「アユの塩焼き」だけだ。人吉に泊まった際、東京他から来た親友たちをもてなした際、「鮎料理は何がある?」と訊いたら「塩焼き」だけだった。さぞ色々な料理を食べられると期待して来た友は皆ガッカリしていた。
宿で出される定番鮎料理、天然か養殖か判らない・・。
他では見られない大型の天然鮎を地元の知人宅でふるまった。
天然鮎だからこそできる「胴抜き」の食べ方、我が友は大喜びだった。
土産には包装が変わった八代の頼藤さんの駅弁「鮎屋三代」にも喜んでもらえた。
しかし、それ以外の鮎文化は何もなかった!
名がとどろく鮎の名産地でその食文化がそこまでなのかと、ジャーナリストの友は何も書いてくれなかった。八代も人吉も水害の多い球磨川の災害の事ばかり嘆きメディアに露出する。それもいつまでも・・・。
球磨川・川辺川水系でダムを撤去して自然が戻るのはもちろん大賛成で、今後も推進を応援したい。しかし環境に配慮したという穴あきダムの川辺川ダムだって、出来て、もし穴が詰まってうまく作動しなかった場合の影響責任は一体誰が取るのか?
荒瀬ダムが撤去されて喜んだものの河口付近の名産青海苔が絶滅し、今は養殖に頼るしかないという弊害も起きている。これは2020年の豪雨水害の為だとも言われているが、詳しい調査結果を知らない。
やはり大きな河川はそれに伴う産業の活性化が一緒におこなわれねばなるまい?メディアに載りやすい案件だけではなく、外から人に来てもらうための食文化も同時に考えていかねば地域発展は無いと思う。これは全国の観光地など地域活性化を手掛けて来た筆者の一種職業病のようなものかもしれないが気になる案件だ。
いくら自然が豊かでも、それだけではアフリカのセレンゲティ草原と同じだ。野生動物が豊富だけで終わり。サファリの客と動物写真家が喜ぶだけ。
球磨川流域は違う、そこで生活し商売する人が多い。その人々が生きていける食文化を何故開発促進しないのだろう?昔から不思議でしょうがなかった。
国内には鮎料理文化は京都を中心に数多く存在する。アユの「塩焼き」と「甘露煮」それと「うるか」くらいしか頭に浮かばないようでは鮎の名産地の名が泣くだろう?
個人的に鮎の美味しさを色々考えて、自分でも作ってみられる食文化、ご紹介してみたい。もっともっと球磨川流域の料理人は「鮎料理」を勉強すべきじゃないだろうかというのが今日のお話。
京都から奈良へ行く近鉄の駅で売っている鮎寿司(※夏期のみ)
幾度もお世話になった京都粟田山荘(数年前閉店)で出て来る小鮎の塩焼き。
皇族園遊会などでふるまわれる弁当など
一番人気の鮎の粽寿司(焼き鮎季節商品)
これら、日本の優れた鮎食文化!球磨川流域の方々は一体どれだけ勉強しているのだろう?球磨川流域へ来る「客」は全国での鮎食文化を色々知っているのだ。
これらは自分でも真似して似たようなモノを作れるのだ。更には四国の河川で造られる一夜開きなど、手間が面倒くさいと作らないのだろうが、そんな事では河川から得られる「食文化」は育たない。
天然鮎は寄生虫など心配でもあるが、新鮮なものを使用し良く塩と酢で締めれば大丈夫。
好きな鮎だもの、色々自分で作って食べて研究してみた。
アユの塩焼き、鮎寿司は誰にでも出来よう?
筆者のような素人でも、工夫すれば粽寿司だって良い商品に出来上がる。プロなら出来ない言い訳を考える前に試作を!商品化する場合は一度火を通したものを使用する方が良いかも。旧福槌(現有職)も焼き鮎を使用している。(※7月など季節商品)
中型の鮎はこのような姿寿司にも出来よう。
大振りの笹、巻くイグサ、球磨川流域の名産じゃないのか?
大鮎の一夜干し、アジよりデカい!押し寿司と違い腹部分が弱いので、。背開きにしなければ形が整わない。この辺りは少し難しい魚だ。
鮎の開きは天日干しの手作り感が人気に成ろう。川魚はあまり干し過ぎると身が無くなってしまうので干し上げの塩梅が難しい。
団塊世代は子供の頃ヒモジイ思いをして育った。必要は発明の母。球磨川流域の食文化少しでも今より育てて欲しいと思うのは出過ぎた事なのだろうか?