2021年7月25日日曜日

団塊世代が考えるTOKYO2020の存在感とこの先。The presence and future of TOKYO 2020 as the baby boomers think.

  筆者は基本的にTOKYO2020に関しては誘致段階から開催には反対してきた。理由は色々あるが、コロナ過だからという事以前のもっと大きな別の理由が原因だ。現在コロナ禍でなくても誘致・開催には反対だった。

 そもそもオリンピックという国際スポーツ競技大会に関して一般の人々はどういうイメージを持っているのだろう?筆者が昔から今に至るまでに認識しているオリンピックは次の通りだ。 

 元々近代オリンピック創成期は(ハンマー投げ、やり投げ、アーチェリー、射撃、ボクシング、レスリング、馬術、フェンシング、バイアスロンの射撃、自転車競技、水上競技、ヨット)など、軍隊において敵を殺したり倒したりするための軍事訓練に必須の種目がメインだった。したがって初期の種目のメダリストは軍人もしくは軍人上りが多かった。

 その後、ボール競技、バレーボール、バスケットボール、ハンドボール、サッカー、テニス、など球技が加わり、更にテコンドー、空手、柔道など新たなアジア地域の開催地に則した新しい種目が導入されたと考えている。

 ここまでがいわゆるハードなスポーツなのだが、1985年のアメリカ・ロサンゼルス大会以降、商業化しスポンサーありきのオリンピックに成って来たころから、ゲーム性の強い種目、遊びをベースに発展し、(ウエアや用具がスポーツ・マーケティング的に売れて商売になる種目)が加わるようになった。

 野球、ソフトボール、ゴルフやスキー、スノーボード、スケートボード、サーフィン、ビーチバレーなどがこれに相当すると考えている。

 合わせて、スポーツドリンクやスポーツ用具・用品・シューズ等の企業がスポンサーの主力に名を連ねるように成った訳だ。

 これら商業ベースでオリンピック開催がお金になるという事から、開催権は利権に成り、それを主管するIOC国際オリンピック組織委員会のメンバーは特権を有し、そのメンバーによる開催希望国への汚職や裏金騒動が日常茶飯事になり、近代オリンピックは地に落ちたと思っている。

 これらは2000年頃、ある学校でスポーツマーケティングの講師を依頼され2年間ほど講義を持つ中で調査し学んだ事だ。

 それに加え、筆者は1964年の東京オリンピックを生で体験し、それも一般の人々より深く関わったがため、今回のTOKYO2020に関しての考え方は一般的なメディアが騒ぐのとは相当かけ離れていると思っている。

 表面的に森喜朗氏の個人的資質の問題や、実務能力が無い為政者がそれぞれの組織の長、事務総長、広報担当に君臨している悲しい事実だろう。

 更には雰囲気とイメージでしかオリンピック開催を捉えていない本格的アスリート経験のない前総理、現総理の問題など我が国にとっては最悪の人材の元、誘致され準備されてきた今回のTOKYO2020。

 しかし大きな問題は、そういった為政者たちの質の悪さ、無責任体質、自分では何も出来ないのに良い悪いの評価をしたりする悪癖、それを突けない無力なメディア・マスコミに在ると思っている。海外のメディアは非常にその辺り鋭く突いて鋭くコメントを発信し続けている。

 あとは、大きな国際スポーツ大会の開催も情報も殆ど無かった1964年当時、開催された東京オリンピックへの期待とその感動は今とは全く比べ物にならない。敗戦後打ちのめされていた日本人の心が国を挙げて灰の中から立ち上がる動きと相まって、それこそ言葉としては無かったけれど国と国民が「絆」をもって盛り上がったのだ。

 それに比べ、

、今は毎日どこかで何かしらのスポーツ種目で大きな国際、ワールドカップ(サッカー、ラグビー、バレーボール、スキー、スノボ、ウインドサーフィンなどなど。)や世界選手権大会(体操・水泳・、地域の選手権大会(サッカーヨーロッパ選手権大会・コパアメリカなど)が開催されている。ラグビーのワールドカップなどは数年前全国民が体験したばかりだ。

 こういった国際大会は世界中にメディアを通じてその模様が同時発信され、TVのみならず、PC・スマホでいつでもリアルタイムのライブや事後でもYoutubeを観られる。

 そういった現在のTOKYO2020と57年前の東京大会では「オリンピック」という名の総合種目の国際大会としてのその注目度において、’64年の1/10も無いだろう。筆者思うに正直言ってその役割はもう終わったと思っている。

 この差をまるで判っていないのがスガーリンこと我が国の菅首相だ。彼個人の1964年のオリンピックへの想い出や感動を貶すつもりは毛頭ないが、その感動を演説で今の若者たちに説いて、同じ様な感動を期待しろと言っても理解されまい。余りに状況や価値観が違うのだから。

 このあたりを考えた時、これまでのアスリート達の苦労や気持ちを第一に!という「アスリートファースト」の合言葉で大会開催を推進してきた者達は、世の中で多くの新型コロナウイルス患者が生死の境をさまよっている中、感染者が重い後遺症に苦しめられている中、更にはいつ自分が感染するか判らないと数多くの国民が恐怖におののいている事実と大会開催を天秤にかけて、一体どちらが優先順位で上位に成るべきなのか?判っているのだろうか?

 昨日の夕方のTBS報道特集は、このあたりを突いた、日本のメディアにあっては結構まともな報道をしていた。ネットでも良いから再放送でご覧になって頂けると良いと思う。

http://www.tbs.co.jp/houtoku/index-j.html 

NHKでは絶対に報道しない事実・真実が報道されていた。

 人の命や感染拡大の不安と、アスリートの為に開催する(本当は金を払ったスポンサーと放映権を買ったTV局の為)のとどちらが一体人道的な判断なのだ?国内のメディア報道は今までのオリンピック批判・非難報道からいきなり手のひら返しで「池江リレーで出場!」だの「お家芸、柔道でメダルラッシュ!」と恥も外聞もない報道に終始している。

 その一方でアスリートたちも、世間の感染拡大中のコロナ過でのTOKYO2020強引開催への非難、開催による感染拡大への憂いとアスリート達への「何故平気でやれるの?」を敏感に感じているのか否か、体操の内村が鉄棒から落ち、水泳の金メダル候補瀬戸が予選落ちし、メディアやJOCが期待するのと裏腹にアスリートは100%の力を出しきれていない。

今回はメディアが煽るのとは真逆の酷い結果に成りそうな、嫌な予感がする。

 話を少し戻し、今回のTOKYO2020に関しての筆者の考え方。

 このような状況下で歌舞音曲の極みのようなTOKYO2020開会式が多くの国民の非難の中、強引に開幕された。筆者自身は高円宮久子妃殿下の素晴らしいプレゼンテーションと「お・も・て・な・し」とで誘致が決まった当初から今回開催には反対してきた。

 昨日もこのブログで申しあげたとおり、今回の誘致開催に反対する理由は特に安倍首相の「福島原発は完全にコントロールされている」「夏の東京は暑くない」など世界へ大ウソをついての誘致だったからだ。福島原発の放射能禍から国民の眼、世界メディアの眼を逸らす狙いであることが明白だからだ。これは今も変わらない。

 しかし国内の大手メディアは大会のスポンサーでもあるので、自分たちの首を絞めるような追及や調査・提言はしない。しかし数多いトラブル・不備・懸念を隠しつつ強引に開催にこぎつけても、毎日ボロボロと組織委員会の不備・いい加減さ、オリンピック担当大臣や組織委員会会長、事務総長たちの無責任・無能発言・朝令暮改のドタバタが出て来て、さすがにメディアもあまりに酷いがため報道せざるを得ない状況となっているのだろう。

 特に丸投げされた下請けの「電通」の実務力の無さは目を覆うばかりだ。1990年代の地方博覧会全盛期に培った博展関係・大型イベント実務経験者がもう社内には残っていないのだろう。アウトソーシングを進めた結果、リアルの現場での「経験値・判断力」を持った人材が日本の大手広告代理店から殆どいなくなってしまったと見て良い。

 バーチャルでPC上で処理する事ばかりに長け、テレワーク多用で「生の現場」から離れたディレクター、プロデューサーが「やったつもりと、出来たはず」で現場が大混乱!というのが今回のTOKYO2020の様な気がする。

ここまで放映権を取ったTV局に媚びへつらう組織委員会には呆れるしかない。

 既に海外著名メディアから、こぞってTOKYO2020は開催前に既に失敗している・・・と言われ始めている。この先どう報道されることやら・・・。一体どこが「おもてなし」なの?

筆者は以前からこのブログでも述べているように、オリンピックはギリシャのアテネでこの先ずーっと行えばいいのだ。全く同じような発想は既に随分前から出てきているが、今回もネット上で投稿を発見した。

 相も変わらず、レベルの低いTV報道その他国内メディアは「日本メダルラッシュ!」だの「金確実!」だの煽ってアスリートにプレッシャーをかけ、国民に期待させ始めている。毎度のことだが・・・。この先の酷さを注視しなければいけない夏の暑さよ!嗚呼。