2022年8月13日土曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#6。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #6.

  今日は台風が関東・東京直撃らしい。でも今朝はまだ晴れ間がのぞき、風は昨日ほど強くない。嵐の前の静けさだろうか?無事に過ぎて欲しいが・・。

昨日の銀座裏通り、台風前の強風の塊が抜けていた。

今朝6時過ぎの三鷹の空。時折にわか雨、右下の雲が台風の速い雲。

 ■人物の撮影(描写)について・・・・。

 筆者には4歳年下の画家で学校の先生を長年やっていた弟がいる。

 大学も全く同じ横浜国立大学の同じ教育学部美術専攻科を出ているが、絵の才能ははるかに彼の方が勝っている。

 大体からして人物を描けるという事をとってみても彼の方が数段上だ。真面目に黙々と描くタイプで、私のように気まぐれでいい加減な性格ではない。

 筆者などは絵画室(油絵室)で前の日に描きはじめた自分のキャンバスが翌日登校してみて見当たらず探しまくった事が有る。

 要は前の日、自分が描いた制作途中の油絵が判らないほど毎日気分が替わるという恐ろしい性格をしている。だから一日で描き上げられる水彩ばかり好んでやっていた記憶が有る。要は描き始めのインスピレーションが2日と続かないのだ。
 ましてや教授が「こうやって、この部分を強調して・・。」などと筆を入れたらもう絶対後を続けなかった。人が描く絵と、自分のそれは絶対に違うはずだ・・という確信があったのだ。

 映画の看板の俳優の顔を描くのや、銭湯の富士山の描き方を教わるのとは絶対に訳が違うと思ったのだ、それは今も変わらない。

 少し話が飛んだが、この優秀な弟が在学中、「絵が描けなくなった」と頭を抱えた事が有った。「兄貴よう、俺もう絵をやめようと思う」これには驚いた。

 一体どうした?何なんだ?と相談に乗った。

 話の概要はこうだ。

 自画像を一生懸命描いたのだが学校で他の仲間たちから「似ていない、何かが違う」と言われて潰れそうになったという。あまりに落ち込んでいるので話を聞きながら作品を見せてもらった。瞬時にピンときた。

 「お前さー、どういう方法・手順で自画像描いてんの?」と描き方を訊いたら鏡に向かって自分の顔を見ながら、その横にワトソン紙を水張りをしたボードに向かって描くのだった。

 そこで、弟に説明をした、「あのね?鏡は左右が逆になっているの判るよね?だからお前が描いている自画像は左右が逆なの。

 だからこうやって描いた自画像を鏡に映してみてご覧、これが他人が見ているお前の顔、すごくよく描けているよ問題ない!俺なんかにゃ絶対描けないね」

 弟は翌日大学でそうやって皆に自画像を鏡に映して見せた所もの凄い反応だったという。怖いといったクラスメートがいたという。 翌日から弟は天才と呼ばれるようになったらしい。

ゴッホ自画像の一つ、ウィキペディアより転載 
 
 写真もこれと同じだ。「私は写真映りが悪いの、だから写真撮られたくない」と言うご婦人が多い。
 「私、写真映りには自信が有るの!」と言う御仁には滅多に出遭ったことが無い。もしいたら普段からあまり良くご自分の顔をよく見ていないか、余程眼が悪いかどちらかだろう。

 つまり、人間は自分の顔を鏡に映った顔だと小さい時から思い込んでいる。左右逆の画像が自分だと思っている訳だ。

 特に人間の顔は真ん中を中心にして左右対称ではない場合がほとんどだ。どちらかの眉が上がっていたり、どこかの副総理ではないが口がゆがんでいたり。

 完全に左右対称の顔というのはなかなかいない。女優さんでいえばかって活躍していた香椎由宇さんという方が左右対称顔で人類学的にも稀有だという事で見本になったという噂があったらしい。
香椎由宇さん 出典= https://rank1-media.com/I0002249/&page=2

 要はそれほど左右対称がいないのだから、生まれてこの方見続けて見慣れた鏡の自分の顔と左右が入れ替わった写真では「コレなんか違う・・。」と思って当たり前なのだ。が、決して左右対称顔がそうでない人より「優れている」と言っている訳ではない。

 繰り返すが、写真に映った顔は見慣れた鏡の中の自分ではなく鏡とは左右が逆の本当の姿だから「違う、似ていない、アタシャこんな顔じゃない!」になる。
 この辺りを「写真映りが悪いから・・」と尻込みする御仁に説明してあげると非常に納得する。

 一方で一般に普通の人々は撮れた他人の写真を視て、「良く撮れているじゃない?」と批評する事が多いが一体これは何を褒めているんだろうか?たいてい笑っていたり楽しい場面での記念撮影だからだろうか?

 高いカメラだから良く撮れているとカメラに感心しているのか?撮影者の撮り方が良いから誉めているのか?

 これが自分の写真だった場合、諦めていた期待以上に自分が良く描写されているから自分で自分を歓んでいるのか?

 写真館で撮った写真がいまいち死んだように写っているのとこれら仲間同士で撮ったスナップに近い写真を比較すると「人物」の撮影はそれなりに非常に難しい世界である事が良く判る。

 人物を描写するというのは油絵でも写真でも結局は同じ悩みが有るような気がしてきた。特に描写された被写体がモノ言う場合は特に大変だ。

2022年8月12日金曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#5。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #5.

 ■ 誰のアドバイスが一番か?

 
  
写真撮影をしていて、誰のアドバイスが一番か?これは誰もが悩みつつ迷う課題の一つだろう。筆者の場合は1964年~1990年のフィルム時代はCanonを使用していた。1973年以降仕事系にはFTb、AE-1、F-1、と使い続け、遊びやスナップ用にT-30~T-70辺りを多用していた。もちろんすべてがフルサイズカメラの時代だ。※ハーフサイズは除く。

 これがデジタルになった2000年~2008年頃はOlympusを使用。理由はフイルム時代にはなかったフォーサーズなどというセンサーサイズのおかげで望遠レンズの倍率が35㎜フルサイズ換算で2倍になるという一点に惹かれたのだ。デジタルカメラに関しての実務経験の少なさがその原因かと思われる。

 野鳥撮影初期の頃には結構望遠の倍率が一番有効だと思い込んでいた時代だ。

 デジタルカメラが普及し始め、その機能と仕組みに関して初心者の頃はビックカメラやヨドバシカメラの売り場の人当たりの良さそうなお兄さんの話や、キャノンやオリンパスのショールームのスタッフにアドバイスなどを訊こうと思っていた時期も有った。

今やショールームを訪れる消費者の方がスタッフより実践ではスキルが高い。
 
 しかし、いずれも上から目線で「俺はメーカーの人間だよ?お前より俺の方が詳しいに決まってるじゃん?」的な物言いや態度でいずれもなじめなかった。

 決めつけたものの言い方、製造者、「販売者が買い手より製品に関しては詳しいの当たり前だろ?」的な態度がとにかく嫌だった。
 高いお金を出して物を買った客に対しこれほど平気で偉そうにダメ出しをする業界ってカメラ業界が一番じゃないだろうか?

 最近は知り合って以降、自分の中でその存在が非常に大きくなっているプロの写真家さんの一挙手一投足を手本として、我が行動を常に振り返っている。

 もちろん一緒に同じような被写体を撮影している同好の先輩たちの経験談も重要視する事にしている。

 要は・・。

 まずカメラショップ(大販店のカメラコーナー)店員にいろいろ意見を求めて試した結果、売り場に居る販売員・スタッフは決して我々と同じような被写体、特に野鳥の様な動く被写体を
同じ回数撮影していないことを知ったのだ。

 更に言えば、なかなか出遭う事自体が難しい野鳥相手の撮影など、まったくしたことが無い者ばかりであることが判明。現場の苦労などまるで判っていないのに等しいのだ。

 だからこちらが求めているシチュエーションでの「要求・機能・耐久性」を全然理解できないことが分かったのだ。店員さんは残念ながら皆さんカタログにはカッコいいプロが撮った画像が使用されているのに、野生動物相手の撮影の実態とその大変さに関してはまったくのド素人である事が良く判った。

 レンズに関してもデジタルカメラのボディに関しても、ほとんどが「売るためのセールストーク」の域を脱せず、親身になって具体的な相談になど乗れるレベルには無い事が判明。

 繰り返すが、ある意味実践的撮影に関しては殆ど素人だという事がよく判った。偉そうに決めつけたような物言いをする販売員に対して、「じゃアンタは実際どんなものをどう撮影しているのか?」と訊くとほとんど口ごもるか下手すると怒り出す。


 一方で主要メーカーの場合、ショールーム、相談コーナーに居る説明員も実際自分で撮影に行っていろんなものを撮影している人は極端に少ない
。

 自社製品のマニュアルの中身は精通しているのは当たり前だが、他社の同クラスとの競合部分の実践比較などを訊くとマニュアル上での数値などの比較はできるが、実際構えて撮ってパソコンで処理する際に・・・などと話し始めるととても困った顔をしてしまう。

 ましてや自分で撮った画像の写真集などを見せて、このシチュエーションの場合もっとこうするためにはどうしたら?と聞くと全然判らないと言われてしまう。

 要は販売員や説明員は自分で実際年中撮影している訳ではないので、実際の場面での取り扱いやアドバイスに関しては目から鱗・・的な説明を期待しても無理という事。細かい事訊いちゃダメ。

 所詮は造る側の「こうであるつもり・・・、こうなはず・・・」だからプロカメラマン並みのアドバイスは期待してもダメ!という事。もう少しこのあたり実戦経験のスタッフを用意して欲しいと思うのだが如何?店頭で客と「撮影知識の戦争」初めてどうする?

 たとえが良いかどうかわからないが、迷彩服着た兵士とネクタイ締めた事務官が新しい武器に関して言い争い始めたら、兵士が勝つに決まっているだろう?使うのは兵士なのだから・・。


 ここに1957年発行のCanonUSAが米国で販売していた機種のハードカバーの説明マニュアルが有る。その当時の新型2機種の取扱説明書であり、撮影に関するアドバイス、実例まで入れた立派なモノだ。

 Canonが如何に米国でそのメーカーとしての信頼度を得ようと努力していたか判るものだ。今の1億総カメラマン時代に有っても、この様な手厚い、解りやすい説明書を付けるのがメーカーとしての本来の姿ではなかろうか?

 消費者側はもう諦めてしまっているが、1本100万円、軽自動車と同じような価格のレンズやボディを売るのであればそれに見合った「ケア」が求められてもバチは当たるまい。

 昨今の新製品に関するメーカーから消費者への情報サービスは、この1957年に出されたCanon USAによる新製品マニュアルの足元にも及ばないだろう。

1957年頃発行のCanonVとIVS2のカタログ兼マニュアルだ。
 
日本では発売されていないようだ。
 
被写体にあのシュバイツァー博士が出てくるのだ、驚いた!
 
小学校時代誰もが偉人伝を読んで尊敬する人物のトップだった人。

 さらにもっと驚いたのが、このシュバイツァー博士を撮ったのがあのユージン・スミスなのだ。W.Eugene Smith

 で、さらに腰を抜かしたのがそのユージン・スミスが「サソリとハエ」という自然界の生物を撮影していたことだ。
まさに、筆者などが常に考えている「シャッターチャンス」をCanonもユージン・スミスも考えていたという点だけにおいては少しほっとしたカタログだった。

2022年8月11日木曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#4。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #4.

  昨日2022年8月10日東京が今年15回目の猛暑日を記録。人間の出す二酸化炭素が原因か否かは定かでないが、近年気温が上昇している事は間違いない様だ。

2日前までの報道、実際は昨日10日の猛暑日。

 1920年から2019年の間の東京23区内の最高気温その他のデータがあった。ご参考。


 いつは中世にも暑い時期があったし、グリーンランドが今の様に氷で覆われて居なくて緑の大地グリーンランドと呼ばれていた時代もあったという説が有るほど、地球の環境は気温が相当変化してきたようだ。数日前から続く東北の線状降水帯・豪雨も2年前は南九州に掛っていた訳で、日本列島全域が気象変異でいつでも環境災害を発生する可能性があるという難しい時代になったようだ。災害に遭われた方々にお見舞い申し上げたい。

 話は昨日までの続き・・・。

 専門家ではない、ごく普通の人々・特に団塊世代の写真撮影愛好者の方々に、筆者が勝手に思い込んでいる写真撮影についてのあれこれをランダムに述べてきたが、最近写真の世界がどうもおかしくなってきているように感ずるので今日はそれを述べたい。


 写真と云えば演台のようなものに寄り掛かった坂本龍馬の画像や、江戸末期・明治維新の日本の風俗写真がまず日本における最初の頃の写真と認識する方が多い事だろう。

 神田の古本屋街の神保町交差点を九段方向へ行ってすぐ、岩波ビルの2階のお店(泰川堂)などに明治・大正以降の日本の絵ハガキ写真などを売っている。これらを観ると観光地写真や当時のビル・町並みなどの写し方などがよく判る。一度行ってみるととても面白い、学ぶことが多いと思う。

 一度など航空機の大きなイベントを担当していて、昔の航空機の古い写真を物色していたところ、代々木練兵場での軍事祭典記念の絵葉書が有ったので買い求めた。裏に記念切手が貼ってあり初日カバーだった。切手・コイン収集のお店に持っていったら13万円で買うという!2千円で買ったモノが13万円!アベノミクス以前の話だが、足で稼ぐと神田の古書街にはまだまだお宝が眠っているかもしれない。

また話が飛んだ。悪い癖は治らない・・・・。

 写真と云うものは結婚式などの家族催事や学校の卒業記念、子や孫の運動会、遠足の様子が一般庶民には近い被写体だった。
 次にマルベル堂などの芸能人スターのプロマイドなどが近い存在だろう。以前銀座にあったがもうないかも。先日浅草のアーケードに在った。

 しかし一番需要が多く技術的にも発達したのは軍事利用の写真と報道関連の写真だ。これらの両方から派生していながら一般の写真家・写真メディアがもてはやしたのが有名なフランスの雑誌の表紙を飾った「ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』」だろう。


 軍事報道写真の権化として、「瞬間を捉えた奇跡の秀作」とカメラ雑誌中心のマスコミがこぞって賞賛し、日本の写真業界もそれがあたりまえ、それを知らなきゃモグリだと言わんばかりの常識を写真愛好家たちに植え付けてきた。特にフィルム時代の写真界の大御所は殆どがそうだったと最近になってあちこちでそういう記事を目にする。
 

 しかし今年(2013年)沢木耕太郎氏がNHKなど主要メディアで問題の『崩れ落ちる兵士』の嘘とねつ造、撮影者も実は彼の相棒の女性カメラマンであった事などを理路整然と説いた。権威と一部の中心的人間で牛耳られていた写真界の常識をひっくり返してくれた事は一般素人ながら非常に小気味よかった。 

 絵画にしろ写真にしろその背景は「訴えたい何か」を如何に説得力ある「画像」で相手に伝えるかというものだろう。

 ピカソのゲルニカにしろ、コップの底に顔が有っても良いじゃないか!の岡本太郎にしても同様だと思う。したがって演出・作為はその「構図」はもちろん「瞬間」をどう表現するかで決まってくる。
ピカソのゲルニカ

岡本太郎・万博1970太陽の塔

 だからやみくもに撮影しまくった中から良い写真・画像を選ぶのは超初歩的スタイルで、撮影前にすでに何を狙い、どういうシチュエーションでシャッターを切るか熟考していなければならないと思うのだ。

 だから黒沢明監督が映画を造る前に相当量の絵コンテを自分で描いていた事を知った時、自分の考えは間違っていなかったと腑に落ちたのだった。

TOP MUSEUM東京都写真美術館での黒澤明絵コンテの展覧会。

 ロバート・キャパの場合も自分自身を名前まで変えて、アメリカ人の報道カメラマンの様に演じ、自分が撮ったのではない写真で、しかも本当の戦場の撮影でもないのにそういうフレコミでメディアに画像を載せてしまった。当時無名で貧乏で、有名になり金を稼ぎたい一心での行動だろうが、レタッチ屋に画像の処理を依頼したり、パソコンで必要以上に彩度を上げたりしてしまう今のアマチュアカメラマンの行動に通じる「何か」が有るような気がしてならない。決して良い事ではないだろう。

この話には更に奥の奥が有る。

 NHKが取り上げ、これだけ話題になったこの沢木耕太郎氏のドラマチックな暴きは、実は当の昔6~70年前から欧米の写真業界・著名なカメラマンの間では「でっち上げ・嘘」であるという事が常識化していて、日本のメディアや写真業界が知らなかっただけだという話もある。

 永年広告代理店勤務の経験値からすればタイミング良く「ロバートキャパ生誕100周年記念展」を開催している動きとこれらが連動していないとはとても思えない。世の中はこんな事ばかりだから、余程自分の眼を開いて「真実は何処にあるか?」を自分で判断しなければならない時代だという事だろう。

2022年8月10日水曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#3。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #3.

  やたらシャッターチャンスを重要視する記述が多いので、なぜだろうと思われたのではないだろうか。筆者がシャッターチャンスを重要視する理由は大学時代の絵画・油絵の単位を危うく取り損ねそうになった或る事件が発端となっている。

 横浜の大学の教育学部・美術専攻科に在籍中、油絵の教授から「シンジョー君は人物を描かないが何故かね?」とよく言われていた。

 確かに筆者は美術科にあって裸婦のスケッチだとか、お互いを描きあう対面描写がすごく苦手、というより嫌だった。歩いている人を描くのも嫌いだった。どこの美術専攻科の学生もそうするように、人体スケルトン=骸骨骨格の全身像から絵を描き始めたのだが、全然身が入らないかった。だから描く油絵は海だとか横浜の丘の景色、果物などの静物が多かった。

 そうこうしているうちに、ついに油絵の教授・國領經郎さんから「きちんと人物を描かなければ単位は上げられないよ!描かないまっとうな理由でもあるのなら話は別だがね・・・。」と言われてしまったのだ。

大学1年生の時、全共闘が全校封鎖中に國領教授ほか数名の教授を伊豆のキャンプ合宿に招待した際、夜のテントの中で國領先生が筆者を描いてくださった宝物。

 さあ困った。3日間の間に我が人生は方向転換せざるを得ないかもしれないのだ。しかし、3日間どころか1時間もかからず、筆者は上手い言い逃れを考え付いてしまった。

 3日間の猶予の後、全学年の美術科学生のいる前でその理由を述べる一種の裁判の様な集会が開かれた。

 筆者は余裕を持って堂々とそこでこう述べた。「人間を描かない理由を説明します、人間が美しい・魅力有る素晴らしい時はどんな時か・・・大口を開けて笑っている時、感動のあまり泣いている時、悲しくてマスカラが涙で流れている時、怒髪天を突くような怒りの時、つまり感情を目一杯あらわにしている時だと思う・・・・しかし歴代の名画にそんな絵が有るか?笑っているか否か問題になるようなモナリザがせいぜいではないだろうか?

 ここで聴衆からどよめきには及ばないがザワツキが感じられた。「シメタ!」と思い、調子に乗って少し大きな声で続けた。

 何故、歴代の名画に無いか?それはそういう瞬間をモデルに求めることは不可能だし、一瞬の筋肉の動きや目の表情のナセル事だから油絵で描く事自体が難しいのだと思う。

 したがって僕はそういう人物を描写するには「写真撮影」という方法が一番適していると思う。昔は写真と云う技術が無かったので肖像画や似顔絵という技術が発達したが今は中世ではない。写真も美術の一種だと思う、それが一番生かされるのが人物描写ではないかと思う。

 写真であれば1/250秒で瞬間を捉える事が可能だ。被写体が笑った直後に怒っても泣いても、シャッターチャンスさえ逃さねば連写でその瞬間を切り取れる。絵画にこれが出来るだろうか?」

「常にこの事が頭にあったので僕は描かなかった・・・。」22歳にしては生意気だったとは思うが、今でもこの考えに変わりはない。確信犯だもの。

 この後ほぼ全員が拍手し、「私もそう思う」「気が付かなかったが、自分は人物描写が好きだ」という者も出た。しかしほぼ全員が、一つの考えではあると同意してくれて教授は単位を授けざるを得なかった。

 これが私がシャッターチャンスの重要性をまず挙げるという根拠になっている。「瞬間」を切り取る!これが画像が迫力を持つか否か、ヤマセミが死んで見えるか?生きて見えるか?・・の分かれ目になると思っている。

 基本的に航空機も野鳥も空を飛ぶ物。格納庫や飛行場に駐機している航空機より飛んでいる航空機の方が美しい、野鳥だって木の枝に留まっている時より、水に浮いている時より空を飛んでいる時の方が遥かに美しいし主翼のフォルムや色もよく判る。

前がカワセミ、後ろがヤマセミ もう二度とないシャッターチャンスだ。

 だから筆者は航空機も野鳥も飛ぶ姿を画像に収めたいと思うのだ。現在までの野鳥の画像に飛んでいる姿が非常に多い理由がこれだ。

 色やピントは有る程度パソコンの画像処理で調整、増幅できるが、シャッターチャンスだけはパソコン処理できない。撮影者の撮影時の経験値と技量、努力と精進が確実に出てしまう。

 どんなに高いカメラやレンズを持ってしても、広告宣伝用の商品などのスタジオ撮影と違って自然物相手の撮影は撮影者の技量・経験+事前調査・研究に運が味方しなければ成就しない。

 
1972年横浜国立大学教育学部・美術専攻科在学中の自室。

2022年8月9日火曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#2。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #2.

 今朝は1948年生まれ同い年のオリビア・ニュートン・ジョンの訃報でびっくりしてブログ投稿が遅れてしまった。

 1975年VAN時代出張でアメリカ大陸を横断し、ナッシュビルのCMA(=Country Music Association)スタジオでオリビアと初めて会い、日本の雑誌MEN'S CLUBの取材をした。

https://yamasemiweb.blogspot.com/2015/04/3_21.html

 すごく綺麗な人だが意外に背が低かったのが第一印象。まだ1975年頃26歳(こちらも26歳)の彼女はカントリーシンガーのジャンルに入っていた。

 自分で買った彼女の最初のLPにジョージ・ハリソンが歌っている(曲はボブ・ディラン)IF NOT FOR YOUが入っているのが好きだと言ったらメチャ喜んでくれた。

 1週間後ラスベガスのディナーショウで前座(メインはSmothers Brothers=窒息兄弟という漫談デュオ)で出ているオリビアに再会。楽屋でハグされた。

 過去において西洋の女性にハグされたのは、彼女とプロウインドサーファーのケルビー・アノだけだ。ケルビーは顔に細かい金髪の髭が生えていたが、オリビアは良い匂いがした。

 自分で撮ったステージのオリビアの写真、結局雑誌メンクラには掲載されなかったが、しっかりと取ってある。また一人世界の団塊の世代が消えていった。R.I.P

ラスベガスのディナーショウで席から撮った26歳のオリビア。

 前回撮影会でパソコン画像処理を自分でできないというオッサンが多かった話をしたが、撮影自体は問題なくできるので高齢者のアマチュアカメラマンの増加傾向は今後も続いていくことだろう。同時に撮ったデータをプリントしたり、まとめて写真集にするビジネスも増えていくと思われる。

 筆者は既に大小合わせて20冊、写真集を制作している。PCでの画像ソフト使用によるDTP(=Desktop Publishing=パソコンでデザイン・レイアウト・入稿原稿まで行う事)の90%を自分で行う事が出来るからだが。勿論それが出来るようになるまでには親友ともいえるパソコンの師がいるからに他ならない。

一番最近の筆者制作による自費出版写真集8冊。すべて非売品。

 しかし苦労してPCのイロハを下積み生活で覚え、失敗の繰り返しで覚える必要が無い、すべてお金で済ませる写真集作成ビジネス・システムが今どんどん活性化している。ただしメニューは千差万別で、費用対効果を考えると有名な大手出版社が手掛けるこの手の自費出版ビジネスは、べら棒に高いと言って良いだろう。

 デザイン作業、印刷の原理、印刷の各作業、それぞれ印刷という特殊なモノづくりの仕組みとコストを知らない素人(=写真撮影だけ行う)さんは良いようにボラれているようだ。

 DTPや自費出版の話はもう少し先にして、今はカメラで撮影する場面の話に戻そう。

 撮影の楽しみは、先ずシャッターを押す事から・・・。

 被写体として一般的でまず皆が撮り始める手近なモノは「風景」「花」「神社仏閣」「街並」「祭」「日常生活」など、一度失敗しても何度でも撮り直しが効く被写体に集約されると言って良いだろう。それをどういう感じで撮るかに個人の差、センスの差、その画像をブログやSNSで発信した場合の受けの反応の差が出て来ると思われる。インスタ映えする・・などという次元の世界がこれだろうと筆者は思う。

 空の雲、渚に寄せる波、引く波、草原の風にそよぐ草、朝焼け、夕焼けの湘南海岸、虹、ダイアモンド富士、パール富士、家族の笑い顔、ペットとの絡み、品の良いインテリア、観葉植物、カップ、家具と光。良く女性の主宰する軽快なブログなどに出て来る画像だ。

 スマホで撮ろうが一眼デジで撮ろうがフォーサーズだろうが、APSCだろうが、フルサイズだろうが、ピンが来ようがブレブレだろうが、撮れた結果から逆に効果を醸し出す撮影方法。キレイであれば良し、気に入ってもらえれば良し、いいね!ってしてもらえれば正解!

 しかし、これらはちょっとカメラをかじれば誰もが出来る世界だし、特にスマホであれば出来た画像も狙った通りでなくても結果が良ければOKという感じでイージー。

 したがって撮っている方も、撮ったモノを見ている方もブログやSNSにこれらの被写体を繰り返し多用し続ければ、いずれすぐに飽きてしまう。その意味からすると「ドラえもん」ではないが、ポケットや引き出しが多い方が良いに決まっている。「私はこれが好きっ!」とわざわざ撮影テリトリーを狭めてしまうより、何にでも挑戦、慣れなくても嫌でもやってみる!が正解だろう。


例)近所の神社の古瓦に落ちた紅葉に当たる木漏れ日・・。


 これが少し進むと「撮影が困難な四季折々の風物詩」「祭り周辺の人物」「SL蒸気機関車・鉄道・航空機(基地際など)」そうやたら撮影するチャンスが多くないジャンルに入っていく。

例)パリエアショーのユーロファイター戦闘機デモ飛行


 さらに進むと「山岳、水中撮影・スポーツ・海外のたたずまい・出会い難い野鳥・・・」など被写体に近づくにも自分自身の労力・撮影苦労が大きな部分を占める難易度が高いジャンルに進んでいくのだろう。

例)ロンドン・ノッティングヒルの住宅

 極限は、自宅や近所や檻の中にはいない動物(珍しいヤマセミのような野鳥もこれに含まれる)・希少生物・人の居ない山奥へ入り込まないと出会えない動植物など撮影が命がけな被写体。

 人間であれば著名な方、高貴な方、あるいは芸能人・政治家など有名人など被写体そのものにたどり着くのが非常に至難な被写体。こういったなかなかシャッターチャンスが無い被写体。

例)裏磐梯で巣穴から外を覗くアオゲラ

 少なくともカメラで何を撮りたいのか、自分のスキルと経験値で撮れるのか?自分の体力・スキル、財力、時間を天秤にかけて進むべき道を決めていくのが普通のことだろうと思う。

 しかしこの方向を自分では決めかねて「私はどうしたらいいでしょう?」というアマチュアカメラマンがなんと多いことだろう?
 自分個人の考えより、お友達の何さんがお祭りの撮影に行くので自然と私もついて行くようになったんですが・・・実は私は人ごみが嫌いなのよねー・・・」というような自主性のない話などがそこいらじゅうに転がっているから不思議だ。

 撮れた写真を褒めてもらいたい、誰かに煽ててほしい、自分は数多いアマチュアカメラマンの中で初心者だとは思うがセンス面でまったく底辺なのか?
 それとも、そこそこ行けそうなレベルなのか?あるいはまさかとは思うが、ひょっとして天性のセンスが有ったりして・・・などと勝手に思いを巡らせているのが昨今のアマチュアカメラマンの実情ではないだろうか?

 よくある話で、海外から来る観光客に日本の印象をどう思うか聞かないと心配になるマスコミの御仁がいるが、それと同じなのだろう。
 要は自分自身に自信や確固たる信念がないので何かにつけ不安でしょうがないに違いないと見ている。その極致がコンテストにやたら応募するアマチュアカメラマンだ。


 コンテスト応募専門のカメラ雑誌まで発刊されるほどだもの、カメラ業界は人の心理をよく読んでいる。

 挙句の果てにはコンテストで良い評価を得られるように撮った画像に化粧を施すようなレタッチ屋さんだとか、レタッチの技法本まで出始めている。
 まるで整形施術そのものではないか?「枝被りしていても、後でレタッチで消せば良いんだ」という変な常識が一般化するに至ってはあんまりだとは思わないか?

 一番多いパターンは、自分が撮影した画像の良し悪しを検討・研究し、次の撮影にどう生かしていくか、次のテーマをどうするのではなく、仲間内で腕が上がった下がったの競争を始めてしまうアマチュアカメラマン達だ、カメラもゴルフも一緒なんだろうか?

 撮った写真を見てほしい、褒めてほしい、それの極致がブログへの掲載だ。ちょっとパソコンをかじって画像処理ができるようになったらもう大変!必要以上に彩度を上げ、「綺麗!」に撮れたと自慢したくなる。
 しかし歳を取るほど鮮やかさに歯止めが効かなくなり、どんどん彩度を上げて行ってしまう。秋の紅葉時期の観光案内パンフの紅葉の色と一緒!
 まるで香水を付けすぎて自分が自分の匂いに鈍感になってしまい、不安になってついつい周りが避けて通るほどたっぷり香水を付けてしまいヒンシュクを買う女性と一緒だ。

 神田にある日本で唯一のバードウォッチング・専門店で野鳥の写真集の最近事情を聞いた。そうしたら今は野鳥の写真集はなかなか売れないという。
 要は人が撮った野鳥の写真をいくら見ても自分がそういう凄い野鳥に出遭える訳ではない、さらにはそういった凄い画像を撮れるとは思えないからジェラシーを感ずるとの事。

 アマチュアカメラマン達でも掲載された写真が野鳥の巣の中を写したり、明らかにストロボを当てて撮影した作為的な画像は「自然保護の面からも明らかに違反だよな?」と判断する普通の心は持っているようだ。
 
 動物園に行ってユニークな顔をした動物の写真を撮るのも一つのスタイルだろう。しかし、野生のままの動物を自然体で撮影しようとしたら、撮影中に蜂に刺されたり、毒虫にやられたり、山ヒルに食われる、あるいは蛇を踏んづけるくらい当然のリスクなのだ。

 しかし、そういうのは絶対に嫌だが何とかならないか?としつこく聞いてくる人もいた。残念だが絶対に何とかはならない!本物のシャッターチャンスは決してそこいらには転がっていない。

この項もっと続く、

2022年8月8日月曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again.

 ■ブログ開始から10年経って団塊世代が再び考える写真撮影について。

 1960年代にTen Years Afterというハードブルース⇒ハードロック系のバンドが英国にいたが、当時筆者は音楽的にThe BeatlesなどMersey Beatsに夢中で、ほとんど聴いたことが無かった。
 ただ、いつの時代においても常に「10年後=Ten Years after」の事は気にしながら生きてきたつもりだった。が、しかし、つい先日このブログを始めて毎日更新を続け、当の昔に10年目に入っていたことに気が付いた。筆者は相当な間抜けである事が証明されてしまった。
 なんと気が付けば既に3,300回以上毎日投稿・更新し、もうすぐ75万アクセスを超えるという…信じられない事だ。

 で、デイリーブログ継続10周年突入を記念して、しばらくは本来のヤマセミ中心の野鳥など生き物の投稿は夏休みにして、過去ログを見直しながら10年前の過去ログをいくつか一部コピペして写真撮影などに関する当時の心境を振り返りつつ、改めてこのブログと写真について付加してみたい。

 当時のままの考えもあるだろうし、10年経って世の中の常識・風潮も変化しただろうし、自分の中で考え方が変わったケースもあるだろう。自問自答形式での再起動になれば良いと思っている。

 このブログを開始した2013年当時筆者は63歳だった。新型コロナ対象年齢でいえば、あまり不要不急の外出はするなと言われている歳、自動車免許でいえば「もうそろそろ返上しなよ!」と言われる年齢、つまり既に立派な高齢者に属していたわけだ。

 高齢者は人間的にも新しい出会いより、別れの方が多くなるのが当たり前。そのあたりを考慮して読んで頂ければ嬉しい。

 では、10年前に戻ってみよう。ブログ・タイムマシーンはまだ新型コロナなどという疫病は影も形もない時代に遡る。

 ひゅ~~~~~ん!

  昨今、60歳、昔でいうところの還暦を過ぎた団塊の世代を中心に、写真撮影のブームが続いているようだ。墓石の争奪戦までしなければならないかも知れないと言われ続けて育った団塊世代、リタイヤ後の生活費や死に金の準備、今ならさしづめ終活というのか?費用面では少し余裕のある層が今までよりは増えたと見える。

 それが証拠に日経やその他全国紙の日曜版全面広告を見るが良い。そのほとんどがやれ腰や肩の痛みに効くという触れ込みのバカ高いサプリの広告だったり、「お得な死亡保険」「周りより一段上のお墓」などという理解に苦しむコピーの広告だったりする。

 一方で「死」などとんでもないという、オイラはもっと遊ぶんだもんね?的な広告も非常に多い。やれ豪華客船クルーズ(筆者など退屈で1日も持たないと思う)だのJR九州特別列車で九州1周200万円だのお金に糸目を付けない「おさそい広告」がそれだ。

 競争で育ったこの世代は豪華客船のクルージングでもテラス付のセミスウィートくらいではないと同行者が納得しないから、高い船室から埋まるという。これに目を付けた海外のクルージング会社が日本の裕福な団塊世代を狙って格安クルージングの企画ツアーを続々持ち込んできた。

 おかげで我が国の日本郵船・飛鳥の豪華客船のツアーは真っ青!近海の切り売りツアーへの戦略転向を余儀なくされているようだ。しかし海外からのクルージング会社も大量動員一挙売上向上を狙った超大型客船を日本用に転用したものの、横浜ベイブリッジは橋が低くて下を潜れないは、東京港レインボーブリッジも潜れないなど土壇場でみじめな結果を招き始めている。

 せっかく銅鑼の音と共にあの横浜港大桟橋からの出航を夢見ていたのに、暴走族の集会所・大黒ふ頭までバスで移動させられ、工業地帯・倉庫地帯から乗船・出航だ。これじゃ大昔の石原裕次郎や小林旭(アサヒではない『あ・き・ら』)の映画そのままではないか?

 話が飛んだ・・・元に戻そう。

 やっと人生に余裕が生まれた団塊世代だが、多少の余裕ができたのはあくまで金銭面だけで、自分の頭の中や今後自分がどうするんだという、設計・プランはまるで空っぽという御仁がなんと多いことか?

 リタイヤ後の不安に対しては、金の心配しかしてこなかった、今まで金を出してモノを買ったり、行楽に使うなど消費機能しか磨いてこなかったから「モノを作り出す、生み出す」スキルに欠けているのが実際のところなのだろう。

 そういう中で、写真撮影をして画像を残す・・・少なからずクリエイティブな方向に進みつつある団塊の世代の一部は、まだましなほうなのだろう。しかし、この世界にも特有の「勝った負けた、優越感という悪魔の囁き」が歴然と存在するのだ。

 以前写真撮影のレクチャーにインストラクターとして助っ人参加して、サポートした際の状況をほんの少し紹介。

 まず、持っているカメラの自慢、三脚の自慢、行った撮影場所の自慢、撮影技術・専門用語などカメラ知識の自慢。
 もう「俺が俺が、勝った負けた」の大論争が必ずレクチャーの最中、撮影アドバイスの最中にあちこちから聞こえてくる。その次が撮影場所の取り合い口論・喧嘩。


 一体何なんだ?これは?と思いつつ、一番元気のいいオジサン(筆者とあまり変わらないと思う)に質問してみた。「画像処理ソフトは何をお使い?、何を主に撮影されているので?」既に全員がデジカメだ。それもハイエンドだったり最新モデルだったりしている。

 これに対する返事は、「あー撮った画像はカメラのキムラでプリントしてもらうんですよ!パソコンは全く判んないんで。
 何を撮るかって?それが問題なんですよねー、先生の後をくっついて勉強はしているんですが・・・。」という事だった。

 自慢する事は沢山あるのだが、「何を撮りたい、何を撮るからこの機材・・」という論理的理由も、何故写真を撮るのかという自分の理念もプロセスもない、カメラ機種自慢の会に近いのが実情だった。

 中学校の時に良くありがちな、親に買ってもらったカメラを自慢しあうのに、撮れた画像を自慢しあわない、しあえない子供たちがそのまま大人になり老齢期を迎え同じことを繰り返している。なんだかなー?

 1960年小学校6年生の頃父から譲り受けて盛んに撮影を始めたドイツのカール・ツァィス・スーパーイコンタ(テッサ―レンズ使用)。ブローニーフィルムをハーフ仕様ですべて縦位置の写真を撮った最初のカメラ。六本木ミッドタウン東京の一階にあるフジフィルムスクエアの写真歴史博物館に同じものが展示されている。大切に現在でも使用している。のちにスペアを購入し現在も二台所有している。

 念のために申し添えておくと、父はその頃話題の35㎜フイルムのキャノネットを好んで使用していた。

 一方で、筆者も始めた、このようなブログや、スマホ写真中心のインスタグラム、懐かしの仲間と情報交換に活用しているFacebook 等のSNSで、品の良いデザイン的に心休まる画面を提供し「このサイト、センス良いねぇー!」と話題になる事を目指す御仁も増えた様だ。今後も増えていくだろう。

 この次は、そんな写真中心の文化・・というものに関しての団塊爺の勝手な思いを広げてみたい。

この項続く。

2022年8月7日日曜日

団塊世代は旧統一教会絡みの政界追及の目をそらすウラの動きを憂える。 The baby boomer generation is worried about conspiracy to media stop off to the political pursuit of the former Unification Church.

  昨朝このブログで述べた内容に即反応したかのように新型コロナに関して、「なぜマスクをこれだけ真面目に着用している日本が世界一の感染拡大国に成ったのだ?」という現実的疑問に対しての「言い訳情報記事」がネット上にも出始めているようだ。

 これには少々驚いた、要は国民の皆が同じような疑問を持っている証ではないだろうか?だからこそ、慌ててメディアがこういう記事を出すのだろう。

 記事を見ると、マスクには間違いなく効果が有るはずだ・・とのデータを出しているようだが、そんな建前より現実的に海外でほとんどだれもマスクなどしていない事実と、それでいて日本の様に急激な感染拡大に成っていない事実・証拠に対する説明・解説がまったく無いので、メディア記事も医療関係者の解説もまるで説得力がない。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20220806-00308961 


 一方で、安倍元総理暗殺の原因である「旧・統一教会と日本の政治の癒着」は相当大きな問題となっている。今後はもっと広がるのではないだろうか?安倍元総理暗殺自体の衝撃がかすんでしまう程の大きなショックを国民が感じているだろう事は容易に想像できる。


旧統一教会のみならず、日本の政治には昭和になって勢力を伸ばした新興宗教とのつながりがある事は誰もが知っている事。強力な入信勧誘、献金・寄付・上納金、霊感商法の類はいずれの宗教にも存在することは薄々国民が知っている。・・しかし。

 


 その目をそらそうとの目論見なのだろうか、昨年オリンピック開催に関しての元電通専務・高橋某組織委員会理事のAOKIに対する利益供与問題が突然沸いて起こった。

 筆者思うに、旧統一教会問題から完全に国民の目をそらすため、同時にメディア露出TV・新聞の報道量を半減させるための陽動作戦ではないだろうかと視ている。

 昔から言うではないか?「何処かぶつけて痛い箇所が出来たら、もう一カ所別の痛い場所を作れば最初の痛さが和らぐ、もしくは忘れられる。」


 IOCのバッハ会長の件もしかり、電通がこの手の国家イベントをウラで糸を引いているくらい、誰もが知っている事だから、「やっと出てきたかこういう話が、遅いよ!」程度の反響でしかない。しかし間違いなくTVニュースの尺、新聞紙面の面積は取るので、旧統一教会関連の報道量が減るのは間違いない。

 しかしNHKが報ずる「統一教会と政治の癒着」案件は民放に比べ遥かに少ない。これはNHKが決して中立メディアではなく国有放送局に近いのである面しょうがないともいえる。