今日のブログはちょっと長くなる。
ほぼ3週間が経とうとしている7月28日マグニチュード7.1の熊本地震。この例年になく暑い夏の熊本。被災者の方々のその精神的ダメージと苦労は想像を絶するものがある。何とかこの暑さをしのいでいただけるよう祈る毎日だ。
前回直後非常に危険視されていた残りの日奈久断層南半分とはいえ、NHK含め多くのメディアが地震学者のデータを基本とした警鐘を無視・スルーする中、熊本KABのみが10年前の被災後修理した道路の亀裂やズレ皴を取り上げ報道し3年前に危機感を訴えていた。
オールドメディアは事件が起きて数多くの被災者が出た場合だけ報道すればいいものではないだろうと思う筆者だ。今回の地震報道はこういったオールドメディアの無責任な点を問題提起するきっかけに成ればと思うがどうだろう?
そんな中、9月に予定していた大事な写真展が、残念なことに今回地震で会場である八代駅前の珈琲店ミックさんが全壊で中止に。予定カレンダーにも、筆者や関係者の心にもぽっかりと大きな穴が空いてい仕舞った。
筆者人生においてもそう多くない大ショックなのだが、暫くしてこういうパターンが最近非常に多いということに気が付いて愕然としてしまった。今回はその件についてすこし述べてみたいと思う。
団塊世代のように長生きすると、早逝した友人知人との別れ、先輩・両親との別れ、人口減少による自分が通った小中学校の統廃合での消失など「馴染んだモノとの物理的別れ」が増えていくのは当たり前のことだし、誰もが体験する避けられないことなのだ。
筆者の場合、東京で生まれて北九州小倉で小学校(2か所)時代の大半を送り、八代市に移ってたったの1年半だけ住んだ(太田郷小学校卒、八代二中1年間在学)。
八代在住時は非常に中身の濃い時間だったのだが、中二で単身上京以降ずーっと東京で育ち社会人に成った。
2001年頃から仕事の関係で再び九州へ通うこととなり鹿児島市、加世田市(現 南さつま市)、熊本市、八代市、2010年以降はヤマセミの生態研究・撮影で人吉市・八代市に計400泊以上滞在・東京と行き来した。
地震が起きて1週間経った8月3日のこのブログにこう書いた。
「自分がカメラのレンズを向けて撮影した後にその被写体が何らかの事件や自然災害や大地震で物理的に消えてなくなる事象が不思議と多いのだ。それが何であったかを現在過去にさかのぼって整理中だが、実は熊本県で起きている具体例が一番多い。」
これは小さい時から始まっている。決して最近だけの事でもなくカメラを向けた後だけというワケではないのだ。
➀ まず最初に入った小学校、東京学芸大学附属追分小学校(消滅)。本郷の東大農学部前電停で降りて通った小学校だが昭和36年に統廃合で消えた。1年生の1学期だけたった3か月しか通っていない、理由は北九州の小倉市(当時)に父親の転勤で引っ越したため。
② 次に、大学受験。1967年当時現役で早稲田大学の教育学部に入った筆者がその大教室の同期大群衆を見た時「このまま数の多い我々ベビーブーム世代(当時まだ団塊世代と言う言葉は無かった)の群れに紛れていては先が危うい」と1か月も経たずに即自主退学。
親に内緒で阿佐ヶ谷美術専門学校(3年制無試験)に入り直した。が、2年修了時に天才と言われた凄腕の先輩の忠告一言で再度大学を目指したのだ。
その志望校が東京教育大学芸術学部・工芸工業デザイン専攻科。旺文社の大学入試模擬テストでも志望者80人中トップ!しかし、当時の大学紛争ゲバゲバの影響で東大が入試を中止、なんとあわせて我が志望校・東京教育大学も入試を中止してしまったのだ。目の前の具体的目標が忽然と消えてしまった。この時のショックは半端ではなかった。
今回の熊本地震で1か月先に予定していた写真家さんの写真展が消えて飛んだのとまったく同じショックを筆者に与えたのだ。
大学入試は国立一期校が消えたため、3日間迷ったがいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」に背中を押されて二期校の横浜国立大学(教育学部美術専攻科)へ、何とか滑り込んだ。
が、今回の写真展はそうはいかない。これからさっそく無償で開催できる会場を熊本市周辺で探さねばなるまい。数か月はそんなことしたら復旧作業の皆さんにドヤされるから、まだまだ動き出すまで半年は掛かろう。
③ これは社会人に成っての話だが、実は勤めた会社が2社倒産して消滅している。1回目は1978年青山のヴァン ヂャケット(1973年~1978年在籍=VAN JACKT INC.)アイビー・トラッドで1時期世間をにぎわせたメンズアパレル会社。これはリアルタイムで倒産の一部始終を体験。
④ 2度目の倒産は2010年銀座2丁目にあった中堅広告代理店・中央宣興(1979年~1983年在籍)。生涯20代~30代半ばに2度も名のある(業界売上20位以内の中堅企業)自分が在職した会社が倒産で消滅という経験者は団塊世代でもそうそうは居ないと思う。三番目の大手広告代理店Ⓗがそうならないように願うばかりだ。
⑤ NHKブラタモリで熊本城特集を過去数回行っているが、桑子真帆アナがタモリさんのアシスタントをしている時2回連続で放送(2016年3月19日・4月2日)している。なんと10年前の熊本地震の4日前だ。
筆者は2004年から熊本市での世界女性スポーツ会議の仕事を担当し、幾度も城の横に建つ市役所に通い昼休みなど散々熊本城へ入って写真を撮っていた。したがって2016年4月6日の熊本地震の前に地震で崩れた各櫓(文化財)、長塀、石垣などを詳細に何カットも撮影していたのだ。
復旧こそした(完全ではない)が、地震発生の際は東京で自宅の液晶TVの前に仁王立ちで天守閣の屋根瓦が土煙と共に落ちていく様を見て「あ~あ!」と思ったものだ。
⑥ 2020年7月4日の球磨川流域豪雨災害で球磨川流域の集落、JR肥薩線消滅など大災害になった。特に3月白石駅附近で営業間近試運転中のSL人吉号を撮影、豪雨災害で白石駅などを含め肥薩線が崩壊、回復予定未定状態。SL人吉号の機関車は引退となってしまった。
④ 2010年~2020年の間、八代~人吉間をR219号線+対岸の側道で幾度も往復、野鳥のヤマセミが河川修理その他で球磨川本流から支流部に隠れ、人吉市街中でヤマセミをほとんど見られなくなってしまった。
・・・と、こういう事態を経てきた筆者だが、今回の熊本地震で多くの知人友人恩人の住む八代市が大変なことになり、東京にいながらにして未だボーゼンとしている状態なのだ。
‥‥とりあえず、今日はここまで。















