2022年10月16日日曜日

団塊世代は肥薩線復旧を含め赤字路線の今後の成り行きを注視している。 The baby boomer generation is paying close attention to future developments of loss-making routes, including the restoration of the Hisatsu Line.

  二日前は日本の鉄道が始まって150年の記念日だった。昨日のこのブログでも記念日として「団塊世代」と鉄道の関りなどを筆者ベースでご紹介してみたが、今日は非常にまじめな話でブログ更新してみたい。

 2日前、全国の被災路線・復旧の対策記事が大きく全国メディアに特集されていた。これも鉄道150周年記念の特集の一つだろう。


 全国にある大規模災害被災による赤字路線の復旧方法がいくつか出ている中で、2020年の豪雨災害でズタズタにされ、現在も運休中のJR九州・肥薩線の復旧に関する部分は当然大きく扱われていた。
 復旧に関しての地元行政の考え方を訊くJR九州の問いに対して、熊本県副知事があまりにレベルの低い方向違いの発言をしていて呆れた。

 もちろん、肥薩線は詳しく状況が説明されているのだが・・。


 赤字収支・経営上の立場から肥薩線復旧の必要性と復旧後の赤字解消方法を問うJR九州に対して「観光産業において鉄道が持つ魅力は大きい。」と答えた熊本県副知事。真っ先に「地元沿線住民の足としての重要性」を言わなかったのはあまりに認識不足ではないだろうか?

 肥薩線復旧には莫大な建設費用・復旧後の運営費用が掛かるのに「観光活性化」の理由が第一義であっては鉄道会社も同意するわけがなかろう?
 地元行政がまず復旧後採算向上に向けて地元(人も行政も)がどういう具体的方法・努力を約束するかを述べてから「要望」を言わねば、これではただの「一方的なお願い」でしかないと思うが・・。

 人吉球磨、肥薩線には思い入れの深い筆者としては個人的にもいくつか具体的アイディアがあるが、まず地元利用者から出さねば意味がなかろう?

 普段ほとんど肥薩線など利用しない副知事はじめ復旧担当関係者の要望の声・意見より、むしろ実際に利用している者たちの声を聴くべきだと思うが如何?
 「肥薩線が復旧すれば観光に恩恵があるに違いない。」などという何の根拠もない抽象的な口実で本当に肥薩線復活を考えているとしたら大間違いだろう?

 「観光のために・・。」というが、今まで肥薩線が具体的にどれだけ観光集客に貢献してきたのか、今後復活した場合どれだけの具体的効果が期待できるのか?観光関連の市場調査をしてデータに基づく具体的なマーケティング予想や要望データを出す必要があるのではないだろうか?

 よくある大きな博覧会開催時に出す「経済波及効果」などの無責任な数字ではなく、見込み乗客数の数値、それが達成できなかった場合の責任負担・・。これ無くして具体的経営方針は出せまい。

 誰が好んでこの先大赤字が予想される鉄道を復旧させたりするものか?JR九州にしてみれば今後も莫大な底なしの赤字を出し続ける肥薩線を復旧させれば、自分で自分の首を絞めるようなものだろう?

 鉄道に乗ることを捨て、車で行動する生活に変わった地元沿線住民の生活様式。

 地元住民は普段の移動には車を使うが、情緒的に「昔から在った肥薩線はおらたちのものだから是非復活してほしい・・」など虫の良い話だけを続ければ、全国的に反感を招くだけだはないだろうか?あっという間に「地元のエゴだ!」と、ネットで叩かれることを憂えている筆者だ。


 一方で、全国には「採算が合わないし、自分たちも車生活に慣れてしまったので廃線にせざるを得ない・・」と地元が思っているのに、「廃線にされたら困る!」と、国や経済界から「待った!」が掛かるルートもある様だ。


 肥薩線の「観光資源として存続を!」などという次元とは全然違う具体的に経済的な存続根拠を挙げて、廃線・代替えはありえないという国の「函館線」の論法。肥薩線地元・県関係者はもっとこういった事例を勉強した方が良いと思うが如何?

 例えば集中豪雨で再び球磨川流域が被災した場合、今のルートのままで肥薩線を多少かさ上げした道床で走らせたとしても、今後も大きな被害は免れまい。
 
 それより災害がだんだん酷くなる今の地球環境下で、熊本~鹿児島間の人吉経由の流通インフラが寸断されたとき、肥薩線がなかったらどうなるかのシミュレーションを行うべきではないだろうか?

 高速自動車道・九州道は八代ー人吉間39㎞に23個のトンネルが存在する。地震・集中豪雨山崩れその他でこの高速道路が使用不能になった場合、国道219号線ももちろん通行止めで寸断のはずだ。
 そうなると肥薩線(貨物輸送)がなければ人吉市~人吉盆地一帯は一瞬にして「陸の孤島化」してしまう。初期のコロナ過で人吉市が「陸の孤島化宣言」をしたのとは訳が違う。

 ただ鹿児島方面からのルートが使えるかもしれないが、自然災害というものはそう簡単ではない。

 旧鹿児島本線が走る芦北エリアなど海側は「肥薩オレンジ鉄道」や九州新幹線、それなりの陸路・自動車道がダブルで存在し、プランB、プランCが存在する。しかし八代市から人吉市までのルートにはそれがない。

 2018年頃、長雨時期に球磨川沿いの国道・県道は全てがけ崩れで寸断され、九州自動車道も通行止め、結果肥薩線だけが不定期ながら走ったことがあった。偶然人吉市に滞在していた筆者は、八代市でのヤマセミ研究講演を控えて大きな機材・資料を積んで車で早めに八代市に移動し、前泊で無事務めは果たせたが、判断を間違えれば講演に穴が開くところだった。

 住民の「情緒的な存続願望」を観光依存を一番の理由に復旧陳情するのではなく、もっと物理的・経済的・危機回避的に道理の通った「存続作戦計画」を立てなければいけないのでは?メディアに対してもそのあたりをアピールしなければと思うが如何?

 観光のために・・と声を上げている人々は実際自分で肥薩線にどれだけ乗っているのだろう?乗りもしないで、肥薩線がなければ寂しいだの、子供のころから在って当たり前だったから・・だの情緒的願望で肥薩線復活を叫んでもダメなのではないか?

 学校に通う学生・生徒がいる、車を運転できない高齢者がいる!と言っても莫大な費用をかけて鉄道を復旧させねばならない数だろうか?バスで代行がなぜできないのだ?そのあたりの根拠も示し各方面の合意を得られねば難しいのでは?

 厳しい様だが、2010年から2020年まで合計23回人吉八代間を肥薩線に乗った「東京からのよそ者」としては、普段人吉ー八代間を車で移動して肥薩線になど実際乗りもしない人々がいくら声を上げてもJR九州は首を縦には振らないのではないだろうか?・・と思う次第。