2022年3月6日日曜日

団塊世代の野鳥撮影現場レポート、優越感競争編。 Baby boomer generation wild bird shooting site report, superiority complex edition.

  昨日、土曜日のこのブログを数多くの方に見て頂き驚いている。タイトルに「お笑い」と入れたがためだろうか?ウクライナで悲劇が進んでいるというのに、申し訳ない思いで一杯だ。不謹慎極まりないが許していただきたい。

 今日は野鳥(に限らないが)撮影に関して相当経験を積んだ(つもりの)レベルの高い(と自分では思っている)方々にありがちな「笑えない話」。

 筆者の写真撮影の歴史は1960年、小学校6年生の時父親から譲り受けた(=奪ったという人もいる)蛇腹カメラ、ドイツ製のテッサ―レンズ付きカール・ツァイス・スーパーイコンタから始まる。六本木のミッドタウン1Fにある富士フィルム・スクエアの「写真歴史博物館」にも同型が展示されている。

一番手前が現役のスーパーイコンタ。後ろの2機は60年前使っていた。

 中学2年生の春、勉学の為東京に単身上京し親類の家に下宿し、世田谷の超進学校・区立奥沢中学校へ転入した。奥沢の高級住宅街の子弟が通うのでほとんどの者がマイカメラを持っていたが、蛇腹の子は一人も居なかった。

 数的にはキャノネット、当時流行りのハーフサイズの一眼レフ・オリンパスペンF(レンズが中心からずれたデザイン)が多かったように思う。皮で出来た型押しのスナップ止めカメラケースが終わろうとしていた時代だ。

 既に、この頃から人数が多いが故、何かにつけ競争心が強い団塊世代は「人より良いカメラ、高いカメラ」を持つことをこの上ない喜びと考えていたようだ。

 撮れた写真が上手いか下手か、良いか悪いかは二の次だった。今もそのまま大きくなってしまった御仁の何と多いことか? 

 現在団塊世代は歳だけは自信を持って超ベテランの域に達してしまっている。それが、定年でリタイヤしてやる事が無くなり、更にコロナ禍で「お父さん、あるいはお爺さん外へ出ちゃダメ!」と言われ我慢していたのも、感染者数が減少に入った途端、外へ出る口実に「写真撮影」を選んだ方々が多いという話を何処かで読んだ。ウソかもしれない。

 しかし、長い間会社勤めで理不尽な上下関係の長い時を過ごした団塊世代の御仁たち。野鳥撮影フィールドに出てもその勤務時代・サラリーマン時代の「癖」が色々な面に出てしまう。これが数々の野鳥撮影の現場でのトラブルの原因となるのだ。

 厳しい上下関係の世界で生きて来た「癖」が野鳥撮影現場で出る際に一番ベースになるのが「優越感」という団塊世代に特に強い「勝ち負け」の感情だ。

 筆者が8年ほど前このブログを始めた頃、自分の記憶を頼りに自叙伝的「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」という団塊世代話を毎週末シリーズ化した。その時の「優越感」というものに関する記述がこれ・・。

https://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/this-is-real-story-of-japanese-baby.html

 この勝ち負け、優越感、野鳥撮影に関すると大きく分けて2つのケースが存在する。

 その一つが、人がまだ撮っていない珍しい野鳥を収録できた場合、それも枝被りではなく綺麗に撮れて、なおかつトリミングしなくてもいいほど近くに撮れた場合。鳥が写っているのに「ノートリだぜ?」と自慢したりする。こういうタイプに限って飛んでいる鳥は絶対に撮れない。

 先日の埼玉のケースでも千葉のケースでもバズーカ砲レンズを担いで歩いているセミプロ気分の方々が居たが、ベニマシコなど単体は綺麗に撮れたろう。でもオス二羽、メス二羽の「二つがい」で行動しているという画像は撮れていないはずだ。

超望遠バズーカでは気が付かないベニマシコの2つがい。

 本来バズーカレンズは三脚に乗せて、特定の被写体を狙う機材だと思っている。





 藪鳥などはせいぜい50~300mmくらいの軽い中距離ズームを手持ちの方がバリエーションの多い成果を上げられると思うのだが如何だろう?





 で、もう一方が撮影機材の自慢で優越感を感じたい御仁たち。

 俺の方が高いカメラだ、いや俺の方が最新式の製品だ。お前のはEOS1Dx?俺のは1DxのMarkⅡだぜ?フン・・。野鳥撮影の現場に行ってこれでもめて、目の前のハイイロチュウヒのオスを撮り逃した奴を知っている。

 シグマのレンズが良いだの、いやタムロンでしょ?とやり合っている二人に、「何?純正買えないの?高いからねー?じゃーねー・・。」と同時に2名の敵を作る者が出てきたりする。

 此の優越感と言う代物、団塊世代においては相当な影響を与えて来たと思う。

 どの大学?どの企業? 小さい時から常に一流を目指すように親に尻を叩かれ、周りに競争心を煽られ、予備校に通い、中間試験の結果は壁に張り出され、暗黙の内に「勝ち組・負け組」をさらけ出される中育ったのが団塊世代だ。

 成績関係ない、上司と部下の関係もない、自由な野鳥撮影の世界なんだから精一杯「優越感くらい味あわせて欲しい!」と言ったのは我が友だった。

 でも、この友20年ほど前、最新の最高級プロクラスのカメラとレンズを買った。半年は逢えばその話を延々と聞かされたものだ。しかし、残念ながらパソコンに疎かった。21世紀に入った頃から世の中カメラは殆どデジタル一眼レフなのだ。もうあのカラフルな箱に入っていたフィルムじゃないスマートメディア。その後SDカード、コンパクトフラッシュ、などに発展し、フィルムがメディアに成ってしまったのだ。

 レコードがカセットテープ、CD、iPod、ネット配信などにどんどん変わってく時代だ。

 ここで、デジタルの初期、スマートメディアの時代、銀塩フイルムカメラ時代さんざん風景写真コンテストで入賞しまくった我が友、腕は筆者などよりはるかにセンスの良いセミプロ級の撮影愛好者の話。

 その彼が優越感を一杯に思いっきり勘違いして自慢してしまったパソコン音痴・IT音痴との約20年ほど前のやり取りを想い出しながら再現してみた。

 その友に呼ばれて自慢話を聞かされに行ったときの話。時は2002年。

 「これこれ!俺もな、ついにデジタルにしたんだよ、デ・ジ・カ・メ!」

 「まさかお前、『デジカメの餌は何かと孫に問い・・』とか言うんじゃないだろうな?」

 「違う違うコレコレ、い~だろう?これが日光編、でもってこっちが上高地編・・でもな  ぁ、スマートメディアって1枚ならペラペラで軽いけれど、こうやってアルバムに整理すると重いんだよなぁー」

「えっ?何?お前スマートメディアを切手帖にファイルしてんの?」

「そお、たくさん撮ったんだよ。スマートメディアって集まると結構重たいんだよな?あーアルバム傾けちゃダメだよ、メディア落ちちゃうから・・。でも、ベテラン総務部の部長だった経験を生かして、日光はNの何番ってナンバリングしたから一応大丈夫だけどよ!」

「あのー、お前ね?パソコンは?」

「パソコン?あるよ、でもまだ上手く使えねーんだよ、Eメールとネットでヤホーとか色んなのは見ているけど、その程度。・・でも何で?」

「あのね?スマートメディアの中の画像データをパソコンに移して、メディアのデータを空にすれば、またゼロから使えるんだけど知らないの?」

「えー?ウソだろう?デジカメってデータをパソコンと共有できるんだ!パソコンって随分便利になったんだねー?」

「あのね・・。」

 セミプロ目指しの方々でも「お笑い」が存在するとは、昨日まで気が付かなかった。

 野鳥を撮影する方々には色々なジャンルが存在する。手当たり次第に見た鳥を画像に収めて「ホラ、もう撮った鳥100種類を超えたぜ・・。」と自慢する方。

 一方で、なかなか出遭えない希少種や迷鳥・珍鳥と言われる鳥、アカショウビン、ヤマショウビン、ヤイロチョウ、ヤツガシラ、シマアオジなどを収めて吹聴しまくる方。

 筆者の様にヤマセミの生態の面白さに狂って10年以上ヤマセミの生態を撮り続ける者。あるいは、これも筆者と同じ理念をお持ちで「野鳥と航空機は飛んでいる時こそ美しい!」と飛翔シーンを中心に撮影する方など千差万別だ。

 もちろん野鳥撮影の撮り方、狙いに貴賤や上下は無い。いろいろな方がいて当然だ。

 筆者は野鳥撮影の色々なスタイルは新聞の見方に似ているような気がする。

 政治面を主にしかも数紙見る方、経済面と株の上下だけ見る方。文化面・スポーツ芸能面、テレビ欄だけしか見ない方。昔は映画館情報だけしか見ない人もいた。

 一方で、死亡通知だけ丹念に見る方や、もっぱら中のチラシを毎朝心待ちにされている主婦など・・・。

 いろいろな方がいて当然だとは思う。

 現在は「多様性」という冷たい言葉で、さもそれが当たり前のように簡単に処理されてしまう。でも筆者は思う「多様性の中にも優劣はあってしかるべき」だと。

 競争・競争の世の中で生きて来た団塊世代の生き残りとしては、運動会の徒競走で一等賞、二等賞を褒めず、横一列で手を繋いでゴールする事を褒めるような事は嫌いだ。